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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
7/36

時(2)

         2


 先に降りたディーは、手助けしようと振り返る。

 どう支えていいものか、礼節に迷うわずかの(しゅん)(じゅん)であったのに、少女の機敏さには間に合わない。


 シュトカは軽い身のこなしで、乗馬の背をまたぐ。(あぶみ)から爪先を抜き、一息に地面に飛び降りてしまう。

 馬の背というものは、存外に高い。

 乗るときには、持ち上げてやらねばならなかったほどだ。

 どうやらシュトカは、触れたものにすぐ適応する。うらやむほど、柔軟なのだ。

 ()(けい)の目を潜り、ひとの住む砦に入り得たのも、身軽さと適応の力によるものか。そのように、ディーは考え始めていた。


(とと)様、連れてきた――」

 シュトカは、まっすぐに駆けていく。


 少女を抱き留めたのは、黒褐色の毛皮を両肩にかぶった、偉容の大男だ。

 長身のディーと比すればさほど差がないはずだが、相対すれば、大きさがまるで違う。

 肩も腕も、地を踏む両脚も、なにもかもが太く(かた)(じし)に見えた。


 (かっ)(たつ)に伸ばされた銀灰色の髪が、同じ色の(ほお)(ひげ)、そして(あご)(ひげ)まで途切れなく続く。

 目つきが鋭く、鼻筋が高く通り、まず端整と言っていい顔立ちだ。

 よく見れば幾本もの、細緻な編み込みがなされている。女性が髪を結い上げるように、男は髭を装う文化があるのだ、と知れる。


「よくやった、シュトカ。お前は、本当に素晴らしい。我ら一族の小さな(ほま)れ、子狼のしなやかな尾よ」

 岩から削り出してきたような、ごつりとした手のひらで、男は少女の頬に触れる。背中を軽く叩く。

「それで、彼が、我らの言葉を話すものだな?」


「ディー、というの。〈家〉の名はジュバル。(がら)(こく)から来た踏査官よ」


「知っている。こっちへ来い」


 手招きされた。

 言葉の最後は、ディーに向けたものだ、とわかる。

 会話など始まっていない。いまだ、小さな所作から発散される、言語にならない意思の断片に過ぎない。

 それなのに、圧倒されてしまう。


 ディーのほうでも、話に聞いた程度にではあるが、彼のことを知っている。

 オウスヴァラは、人狼の()まう国だ。(ろう)(おう)を頂点に、ごく普遍的に見られる、王と領主の関係で治められている。

 ガラエキアのような、ひとが成す国家と相似ではあるのだが、なにしろ大断崖を越えた()つ国のことだ。

 実際に踏み入り、見聞きすれば、祖国にはない独特のものがいくらでも見つかった。


 たとえばオウスヴァラには、(いくさ)(なり)(わい)とする生粋の()(じん)がいる。

 金銭で雇われる傭兵ではない。小領主である、契約身分の騎士でもない。

 いわば専業の、国家そのものに属する軍人であった。


 今、まさに目の前に立っているものも、そうしたひとりだ。

 彼の名は、スヴァロトという。

 狼王の実弟で、王の兵一千人を率いる。直属の常備軍、というわけだ。

 言葉遣いに老練さを滲ませるが、まだそのような歳ではない、(りょ)(りょく)あふれる壮年のはずだ。

 決して侮ることのできない、オウスヴァラの要人であった。


「殿下」と、ディーは敬称で応える。「なぜ、このような時分に。またどうして、私のようなものを」


「話を聞いたからだ。人づてに、な」


 (おう)(てい)の視線が、娘に向く。

 今はシュトカは、一歩下がった位置に立ち、父親とディーの会話を黙って聞いていた。


(うたげ)では挨拶したな、踏査官」


「はい。覚えております」


「隠していたであろうが、そちらの首領とは、随分と親しいように見えた。端々にな、信頼がある」


「そのように見えましたか。ですが、私はただの踏査官で――」


「見えたよ、ずっと見えていた。だが、まあ良い。呼んだ理由は別だ」


「それは、どのような――」


「宴には、あのいきものが供されなかったな。お前が、そうさせたのか?」


 羊のことだ。

 一瞬、躊躇させられたが、ディーは素直に答える。


「はい」


「なるほど。うちの娘にくれてやった、ということか」


「結果として、そのようになった、ということです」


「そうか。よくわかった」


 王弟はうなずき、ディーの肩を叩く。見たままの、重たい手のひらだ。

 異国の言葉はわかるが、感情が掴めない。隠しているのか、元来そのような質なのか。

 周囲の兵たちも、まるでふたりの会話には無関心に見える。


「かしこまるな、踏査官」

 と、王弟は言う。

 すらりと形のよい鼻に、(どう)(もう)な狼がそうするように、幾重にもしわを寄せる。

 唇の端だけに笑みが浮かぶ。

「娘には、親切をしただろうが。だからだ。お前を信用することにした。話のわかる相手として、だ」


 親しみを表しているのか、()(かく)なのか、判断できない。

 シュトカよりわずかに薄い碧色の瞳の中心に、あなぐらのような瞳孔が開いている。瞬きも少ない。突きさすように見据えてくる。

 ディーは、つとめて平静をよそおうが、冷や汗が浮かばぬか、畏怖を見透かされていないか案じてしまう。

 シュトカの瞳にも、どこか心配の色が見てとれた。


「呼んだ理由は、こいつらだ」

 王弟は、ディーの肩に手のひらを置いたまま、低い唸るような声で耳打ちする。

「北部からだ。我らのいとこに当たる部族のものが、たびたび(せっ)(こう)に来ているのは知っているだろう。国の境が侵されている」


「聞いております。首領が、狼王陛下と会見し、私どもで退治するよう取り決めた、と」


「そうだ。じきに小麦の収穫だ。やつらは狩猟に()けるが、我らほどには農耕を知らぬ。だからだ。略奪に入れるかを試している。おまえたちが、そうはできない、と思い知らせるならば、うちとしてはありがたい」


「あちらにいるのは、そのために派遣された、我が国の兵です。なぜ、殿下の軍に囲まれているのです」


「そうだとも。それこそが、今のこの問題なのだ」


 王弟は、唇の端を(めく)りあげた。音もなく、おそらく、笑ったのだ。

 ひとのものではあり得ぬ鋭い犬歯が、銀色の口髭の奥、灰色めいた唇からのぞく。


「我らは取り決めた。お前たちがやつらを追い払い、結果としてやつらの領土まで獲るのであれば、それはいい。こちらにも益があるからだ。武装を許し、通行の自由を与え、道案内の兵も貸した。だが、これはどうだ?」


 王弟は、あごを動かす。

 彼の手勢が取り囲む、ガラエキアの兵たちを見ろ、とディーに示した。


()(ない)の兵が、裏切りにあった。お前たちに、だ。我らの夜警が、助けの声を聞いた。だから駆け、駆けつけたのだ。それが、今のことだ、わかるな?」


 すべてを理解はできなかったが、ディーは眉を曇らせ、ゆっくりとうなずく。

 倒れている者がある。血潮の匂いもする。

 森の夜風が枝葉を擦りぬける、かすかな音が不穏に聞こえてしまう。


「そのように、確かに見えます。傷兵は(おう)(こく)のものに見えますし、我らの兵が、彼を取り囲んでいるのも事実です」


 ディーの鼓動が、ようやく平静に戻る。


「もうひとつ切っ掛けがあれば、始まってしまうぞ」

 と、王弟スヴァロトは低い声を出す。なにかに聞かれまいとするように、囁いてくる。

「このような夜に言葉を出すのは、不吉なことだ。呪いが籠もれば、本当のことになる。だからだ。なにが始まってしまうかは言わぬ。わかるな、踏査官」


「わかります」ディーも、静かにうなずく。「ならば、時間をください。私が彼らの話を聞きます。必ず、事の次第を突きとめましょう」


 やるべきことが決まったなら、心は落ち着くものだ。

 ましてそれが元からの役割であれば、よりいっそう、しんと静まってくれる。


「よし。そのように答えると信じていた」

 王弟は、もう一度、唇の端を吊り上げた。

「外つ国の言葉は、わからぬ。やつらが話そうとする我らの言葉も、断片ばかりで聞き難い。だから呼んだのだ。娘の話を思いだした。娘に向けて遠吠えたのも、それゆえだ」


 どうやら、夢ではなかったらしい。

 遠吠えは実際にあったのだ。半ば眠ったままそれを聞き、やがてシュトカが来た。

 呼ばれた理由も、今では、整然と理屈が繋がっている。


「殻国のものと、案内のもの。双方に、言い分を聞いてきます。囲みの兵に、道をあけさせてください」


 答えを待たずに、ディーは歩き始める。わかりきっているからだ。

 予想外であったのは、小走りにシュトカが駆けてきたことだ。

 ディーのすぐ隣を、相棒であるかのように毅然と歩む。


 振り返ると、王弟は両腕を組み、唇は無言だ。

 あごをぐいと持ち上げ、尾で話す。

 (きょ)()に見合った、太い尾だった。ゆらり、一度だけ大きく振れる。

 共にゆけ――と、ふたりに告げていた。



 

 王弟が言わんとするところは、わかっていた。

 彼が言葉にしなかったものは、(いくさ)だ。たとえ小競り合いといえども、どちらかに死者が出ることになれば、それはもう収まらない。

 良い、悪いではない。どちらが先に始めたのか、ということでもない。

 死者に対する強い想いが、復讐を要求することになる。


 それは一面では正義であるゆえに、厄介な問題だった。

 どこで復讐が終わるのか、なにをもって終わりとみなすのか、という連続性の難問となってしまう。


 事情を問うディーの傍らで、シュトカは耳をそばだてている。緊張した面持ちだ。

 外套(コート)(ふち)をぎゅっと握られて、ディーはその指に自分の手を重ねてやる。

 あるいは、それが起こってしまったときには、自らの背に彼女を隠せばいい。


「裏切ったのは、やつが先だった」

 と、ガラエキアの兵が言う。

「敵対しているとはいえ、同族だ。やつらも、ひとではないからな。人狼どうしで我らを陥れようと企んだ。(だま)され、まさかの奇襲だ。目の前を見ろ、踏査官。血を流したのは、やつだけではないぞ――」


 少なからず、矢傷を負ったものがいた。濃すぎる血の匂いは、そのせいだ。

 簡単に収まる問題では、なさそうだった。



〈つづく〉

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