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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
25/36

血盟(4)

         4


 樹木に似るとは、思ってもみなかった。

 あるいは花であれば、開花で香りを()くだろう。

 あるいは草であるなら、(はっ)()やシシウド、ローズマリーのように、強い匂いを持つものがある。


「だが、そうか。モミか……」

 ディーは、言葉の中身を探るようにつぶやく。


 樹木はわからない。意識し得なかった、というのが、より正しいだろうか。

 森に満ちる香りがあまりにも多すぎて、(ちく)()、ひとつひとつを追いかけることができないからだ。

 ひとにはできない。人狼の娘であれば、たやすく嗅ぎ分けることができるのだろう、と想像はできる。


「なるほど。私にとっては、シュトカがうらやましい。だが君にとっては、私の匂いが好ましくあったのだな」


「そう。だけど、なぜ……」


 ディーの謎かけのような言葉に、シュトカが顔をあげた。まだ口元は手のひらに隠されたままだが、水滴を(たた)え始めた瞳は見えた。

 かすかに、小首を傾げる動作もある。ふたつのことを同時に尋ねているのだ。

 正直に話さねばならない、とディーは覚悟した。

 そうでなければ、対等ではないからだ。対話というものは、常に公正を要求してくる、とディーは信じているからた。

 (いん)(ぺい)には隠蔽を、駆け引きには駆け引きを、誠実には誠実を。そしてシュトカは、隠していなかった。


「誉めてもらえた返しに言うのではない。私もまた、思ったままを言う。君の香りは、私にとってとても好ましい。側にいて心地良いということだ」


「――――」


 シュトカの瞳が忙しく揺れる。

 葛藤する瞳だ。すぐにでも走り去りたい感情を、より強いものが抑えている。


「そうであるのに、君たちの文化で良きものとして受け()れられない理由は、おそらくこうだ」

 ディーは静かに、焚き火を囲んで物語る旅人のように、ほつりと言葉を落としていく。

「人狼族は、極めて綺麗好きだ。ひと族の多くの暮らし方と比べて、そのように思う」


 オウスヴァラの街路を歩き、感じたことだ。

 石畳の隙間から湧き出す、湯気の音を聞いたからだ。

 竜が呼びよせた(しゅう)()に打たれた後、湯船の接待を受けたときから、ずっと考えていた。


「なぜそうであるのか、理由は推測できる。人狼族は、長い歴史の大半を、狩猟を(なり)(わい)としてきたからだ。神話や伝承からわかる。都市を造り、狼王を中心に街に棲むようになったのは、年月の長さから見れば、ごく最近と言っていいはずだ」


「そうかもしれない」と、シュトカがうなずく。「今だって、多くの民は、狩りをして暮らしてる。彼らは、定住しないの。決まった縄張を一年じゅう動いて、都の近くに戻って来たときに、必要なものと獲物を交換する」


「森を移動するのだろう」


「そう。たいていは森を。大きな森と森を繋ぐ、湖沼地に沿って暮らす。夏は川で水浴びし、冬は毛皮を被って雪を耐える。草原は渡るけれど、よほど困った時でなければ荒れ地には踏みこまない」


「森には、人狼族が必要とするすべてがあるからだ。狩猟するものであれば、当然のことだろう。そして、獲物を狩る側であれ、(はい)(かい)するけものから身を守るためであれ、どちらにせよ匂いはとても重要だ」


「そう。人狼族は、決して森の王ではないから。けものから身を守るために、身を清めなければならない。けものを狩るためには、そこにある木々、そこに吹く風の流れ、そこにある川のせせらぎの匂いであれ、と教えられてきた」


「だから、だ。シュトカ。君の(かぐわ)しさは、森にあっては異端だからだ」


「異端、というのは……?」


「皆とは違う、ということだ。君は小さな頃から、変わった匂いをしている子、と見られたのではないか。人狼族の中にあって、奇異の目を向けられたのではないか。まして王弟の娘だ。必ず、やっかみが向けられる。避け得ないものだ、そういったことは」


 こくりと、シュトカはうなずいた。

 その通りだ、と尾が振れて伝えてくる。なぜ全てを知っているのだ、と話してくる。


「シュトカ。生まれついての匂いが悪いのではない。異端は、どのような国でも、どのような家族でも、ひとつの群れがあれば必ず生まれる。そのように世界ができているからだ、としか言い様のない理由で、だ」


「なぜ? どんな理由で」


「はっきりとは、いまだ誰も言えていない」


「だけど、ディーには考えがあるはず」


「どうしてそう思う」


「もしなにもわかっていないなら、そう世界ができているから、とだけ言う。言いようのない理由で、と付けたのは、なぜそうできているか、心当たりがあるから」


 ディーは深い吐息をつく。

 惹かれる理由は、おそらくここにもある。

 銀狼のすっくとした威厳、可憐な容姿や、ほのかな(かん)(きつ)の香りだけではない。

 シュトカは、ディーの予想を跳び越える。並みではないからだ。思っていた場所を、しばしば越えてくる。

 そのように驚かされるのは、心地良いからだ。


「私の考えでは、世界を拡げるためではないか、と思っている。人々のすべてが同じであれば、生き方を変える必要はない。同じ場所で、同じ様式で、変わらぬ日々を過ごせばいい。だが、それでは人々は、小さな囲いの中でしか生きられない」


「異端だから、外に出るの?」


「そうだ。定住した場所がしっくりこない。その場に適したようには、どこかが生まれついてこなかった。そうしたものが異端だ。結果として、彼らが外に出て行けば、外側に世界が延長していく」


「町や国も、そうやって大きくなっていった、と考えているの?」


「そうだ。開拓者として、志願して外縁へ、さらに向こう側へと越えていく。あるいは、望まず追い出された者もあったことだろう。彼らは、意図せず辿(たど)り着いた土地で、新たな建国者となっただろう。どの都市も国も、最初からそこにあったはずがない。誰かが行き着き、生活を始めた。ほんの小さな集団が、国の始まりとなったはずだ」


「それなら、異端であるということは……」


()()しではない」

 ディーは睫毛を伏せながら、静かにうなずいた。

「最初に言ったとおりだ。そのように世界ができている。それだけのことだ。私は、そう考えている」


 理解した、というように、シュトカはうなずく。ぱた、と尾を揺らした。

 しばしの間、ディーとシュトカは見つめ合う。

 既に、石壁の狭間から射し込む陽差しが、ほのかな薄赤い残光に変わっていた。お互いの表情が見極めづらいほどに。

 (りん)(かく)は薄明かりにぼやけているのに、波打つ亜麻色の前髪の下、睫毛が瞬く。

 シュトカの大きな瞳が輝いて見えた。雨滴に洗われ、ちかちか光を照り返す碧玉のようだ、とディーは思う。

 控え目に彩るまなじりの紅色は、宝玉を飾る(さん)()に似る。

 この時、この場そのものが、言語なのだ。返答を迫られている、とディーは部屋に満ちた言葉を理解した。



ほんのわずかの沈黙のあとだ。

 静かな言葉を破るように、足音があった。

 気配もなにも隠さず、あからさまだ。分厚い革に(びょう)の打たれた金属の響きで、ごつごつ石造りの床を鳴らす。

 どちらかが口を開くよりも先に、スヴァロトが部屋に踏みこむ。


()(ぎゅう)の歩みだな、お前たちの話は」


 王弟が切りだした言葉は、あきれたような、苦々しさを含んだ声だった。思っていた通りのものがそこにあった、と納得する響きも重なっていた。


「それで、お前たちは」

 編み込まれた銀灰色の髭の先端で、顎をわずかに振ってふたりを指してくる。

「人狼とひとの、断崖をどうする。橋渡す血盟を結ぶのか、結ばんのか。話は、決まったのか」


「いいえ」ディーは素直に返答する。「まだ、そのようなところまでは――」


「なぜだ」


「なぜ、とは――」


「お前は、最初から、娘に好意を見せたのであろうが。赤面するほどの言葉をかけた。それが誠のものであればだ、踏査官。あとは娘の返事を待てば良い。俺は、そのように考えたのだ。ゆえに念を押すが、必ず、偽りない誠の言葉であろうな」


「それは、無論です。今しがた、シュトカにも伝えたとおりです」


「古き、大いなるものにさえ、誓えるか」


「あなた方の銀狼神に誓って。シュトカにかけた言葉に、偽りはない。私の心中にあった、そのままを話した言葉です」


「ならば、良い」スヴァロトはうなずく。娘を見る。「シュトカ、お前はどうだ。返事をしたか」


「はい……」


「思ったままを、伝えることができたのだな」


「はい」


「ならば、良い」


 再びだ。スヴァロトは、引き結んだ口元に、愛し子を()()する笑みを見せる。

 ディーが感じ入ることを知っているのか、すべて駆け引きなしのありのままであるのか、判断ができない。


「お前たちが、即断できぬというのであれば」

 スヴァロトが、急にディーへと顔を向けてくる。

「背を押してやろう」


 スヴァロトは、歩きながら話し出す。

 片手に握っていた毛皮の(がい)(とう)を、ばさりと両肩で跳ねる。岩のような背に大仰にかぶせる。


「どちらに向かうのです」


 声をかけたディーを見やり、スヴァロトは言う。


「夜警に出るのさ。陽が沈んだからだ。やつらがやって来る。だから、だ」


「攻め手が、来ますか」


「来る」


 断言する語尾だ。既に来たのだ、という極めて近しい過去を含む。

 進行中であるのだ、と人狼族の言葉でわかる。


「だが、まずはお前たちの話だ」

 スヴァロトは、話を続ける。有無を言わさない。

「お前たちは、だ。互いを好いている。互いに、そのことを知りもした。そうであろうが。その上で、なお(ちゅう)(ちょ)があるというのなら、押してやろう。お前たちが、進まねばならぬ理由を示してやろう」


「――――」

 ディーは言葉を挟めない。

 シュトカもまた、ディーの影に隠れるように、不安げに父親を見上げるばかりだ。


「まずは踏査官。お前は、連れ去られた(りょ)(しゅう)のため、北方、クラヴィニス国に向かうつもりであろうが」


「はい。いずれ許可を頂きに、殿下に目通り願うつもりでした」


「だが、それはならん」


「なぜでしょうか――」


「信用できぬからだ。お前たちひと族が、我らの目の届かぬ場所で、やつらと密約を結ぶかもしれん。我らの土地を通り、北へと向かうは許し難い」


 なるほど、と思わせるものはある。

 立場が逆であれば、ガラエキアの社団も、同様の判断をするかもしれない。

 敵対する双方と通じ合うことは、封建の世にあっては常のことだ。どちらと比しても弱小の勢力であれば、両者と同盟の誓いを結ぶ。

 時には、争う両者それぞれに手勢の兵を送り、主従の義務を形ばかりに果たす。


「次に、シュトカ。お前は、そうした折りに、踏査官についていくつもりであろう。シュシチカのため、あれの元の夫に談判するために、だ」


 びくりと、シュトカが身じろぎした。

 ディーには、既に聞かせた話だ。真実のことであったが、言い当てられるのは予想外であったに違いない。


「それも、ならん。なにかの役に立つでもなく、ただ危険のみを冒すのであれば、だ。狼王の臣としても、父としても、到底許すことはできぬ」



〈つづく〉

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