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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
2/36

尾(2)

        2


「それでいい。私のしるしは確認できたと思う」と、ディーがうなずく。


「この三つのしるしが、外つ国の病を防ぐ、まじないなのね」


 シュトカは小首をかしげ、手のひらに顔を寄せてくる。

 睫毛を伏せ、なにかの香りを嗅ぐかのように――。


「そうだ。ひとからひとへと拡がってゆく、畏るべき病があるためだ」

 ディーは、ゆっくりと握手を離す。

「このまじないは、草原を渡る遊牧の民が始めたものだが、我らにも伝わり、やがて交易を助けた。ガラエキアの街道がこの地に届いてよりこのかた、多くの犠牲を出しながらも、同じように双方に定着したと言われている」


「聞いたこと、ある」少女は、もっともらしくうなずく。「病に打ち克ったひとの最後の膿み血を、打ち克つ魔力を宿すために植える。親指の付け根を刃で刺して、膿み血と傷とが触れるようにして――」


「まさしく、そのようなものだ。先遣の隊商どもが、わずかな交易路を開いて三十年。互いに生き残るために、まじないと握手でしるしを確かめる風習が根付いた。そう聞いている。願わくば、私が、あなたにとって(わざわい)の運び手でなければいいのだが」


「私も、同じことを願う。はじめまして、ディー」


 シュトカは、ほんの少し、ぎこちなさの残る笑顔を見せた。


「はじめまして。シュトカ」

 反射的に挨拶を返して、ディーはかたわらの柵に片手をかけた。

「きみは、ずっと、柵の向こうを気にしている。それはつまり、あれが珍しい?」


「あれは……」と、シュトカは、足元の横木に爪先を乗せる。


 素足に薄い革の靴をはいていて、かかとから足の甲へと回して結ぶ革紐が、飾り帯のように繊細な作りだ。

 新世界の豊かさか、それとも、少女が富裕の生まれにあるためか。

 シュトカは、片足ずつ足をかけて柵をのぼる。

 なかば身を乗り出せるようになると、まっすぐ指をさす。


「この子たち、名前はなんというの? ディーたちが連れてきたのでしょう?」


 ヴェ……、ヴェ……と、鳴き声が響いてくる。柵の内側からだ。

 くすんだ灰色の、まるまると長毛を膨らませた獣の群れ。

 ディーはシュトカの隣に立つと、柵に手のひらを軽く乗せた。


「羊、というものだ。献上品として、友好のしるしに連れてきた。殻国では普通に見られる家畜だが、このあたりでは見かけない。だからこそ連れてきたのだが、きっと、この地にも馴染むだろう」


 ひしめいて、押し合いへし合い、群れ全体が流れて移動するさまは、大空をゆるゆる滑る雲海を思わせる。

 群れのなか、一頭があげた声が連鎖して、草を食んでいたものも顔をあげる。

 次々に他の羊たちも鳴く。

 シュトカは、小首をかしげる。細い喉を宙にさらすように、おとがいを持ち上げ、わずかに鼻を動かす。


「不思議な声、それに匂い。今まで生きてきて、こんなの嗅いだことない」


「私からも、聞いていいだろうか」


「どうぞ。なんでも聞いて」


「きみたちの国では、けものや鳥を、育てることがあるのだろうか?」


「いずれ役立てる、食糧としてではなく?」


「そうだ。ただ共にあるためだけに、という意味で」


「ないわけじゃあ、ない。とても珍しいことだけど……」


「ありがとう、聞かせてくれて。最初の疑問が解けた」


 悟ったような微笑を向けられて、シュトカは眉をひそめる。

 再び体を揺らし、足を載せられた柵が、カタカタ音をたてた。


「疑問というのは、なに?」


「きみは、羊の心配をしていた。どうなってしまうのか、を。きっと、きみたちの風習は、献上されたものを、そのままにしてはおかないのだろう。酒であれば客にも振る舞い、肉であれば最上の調理をし、もてなす。そのような流儀だ」


「そう、そのとおり……」

 シュトカは見返り、まったく目を丸く開いていた。碧玉のような、好奇心の瞳。

「どうして、そんなことがわかるの?」


「それが私の、踏査官としての役目だからだ。主として言語を任されている。だから、上官から呼ばれるあだ名は〈耳〉という」


 ディーは自らの耳に、ここが由来だ、というように指で触れる。


「でも、私は」と、シュトカは首を左右に振る。「そんなこと、言ってない。この子たちを、どう思っているかなんて――」


「言った。今もだ。最初からきみは、この子たち、と呼んでいた。そこには感情がある。ものとして見るならば、羊は羊だ」


「それが……ディーの役目なのね。言葉を、しっかりと聞くことが」


「そうだ。もうひとつ。きみは羊を〈この子〉と言った。柵があり、距離があるにも関わらず。なぜ〈あの子〉ではないのか。理由は思いつく。だから今度は、シュトカの頼みを聞こう。あの子らを、シュトカの友だちにしたい?」


「――そうして!」


 飛び上がるように、シュトカは、実際に、柵を蹴って離れる。

 幅跳びをするかのように、驚くほど長く跳び、また跳んで戻り、ディーの目の前に顔をあげる。

 すべてが、一呼吸のうちだ。

 銀雪を散らしたような睫毛が、素早くまたたく。


 ひとよりも瞳が大きいのだ、とディーは気づく。

 そのぶん、視線の行く先が、曖昧になるのだろう。

 シュトカの真剣なまなざしが、ずっと下から、ディーの瞳を突き刺すように見上げてくる。


「そういうことが、ディーには、できるの?」


「できる、と言いたいところだが、ひとりではできない。協力者が必要だ」


「それが私、ということなのね」


「そうだ」

 ディーは、己が言語に、自信を固くする。

「こちらの言葉が通じているようで、良かった。実際を言えば、私は、まだ外つ国に不慣れだ。学んでは来たが、(おう)(こく)の言葉が、本当の意味で通じるのかどうか、不安だった」


「とてもそうは見えない。まるで、ずっとここで生きてきた、という匂い。自信に満ち溢れていて」


「そうであるなら、きみと私が違う種族であるためだ。自信などないよ。最初から少しも」

 ディーはほんのわずか、肩をすくめ、苦笑した。

「あの子ら、の話に戻ろう。そのために必要なことは、道行きで話す」


「それがいいと思う」


 うなずいて、シュトカは、自ら近寄りすぎていたことに、今さらに気づいたのだろう。

 跳んできたときと同じ速さで、一飛びで後方に跳び戻る。


「あなたの尾――」


 と、指をさした。警戒心と気恥ずかしさが、上気した頬に(こん)(こう)している。

 睫毛を伏せて、挑むような視線を向けてくる。


「とても本物には見えなかった。最初から、模造したものとわかっていたけど、黙っていただけ」


「そうか――」


 なるほど、とディーは、ベルトに添えていた手を開く。おそらくはぎこちなかった、模倣の動きを反省する。


「だが、これがなければ、言語は完成しない」と、独りごちた。


 奥国では、という意味だ。ひとの世界では、尾は必要ない。

 しかし、辺境のさらに先、大断崖を越えてきた異国であれば、発声によらぬ表意が、言語に求められることがある。

 そのための――と、ディーは思う。針金と毛皮で造った(から)()りだ。繰る腕前は、まだまだ修行せねばなるまいが……。


 吐息にあわせ、模造の尾は、頼りなげにゆらり、揺れた。



〈続く〉

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