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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
18/36

剣と鞘(6)

         6


 シュシチカは、まるで病人のように、寝台に横たわったままだった。

 装飾は簡素であったが、(てん)(がい)と柱のある貴人のための寝台だ。

 天蓋から四方に()()が垂らされてはいたが、今は、左右に大きく開かれている。砂時計のような双曲線を描き、寝台の柱に結びつけられていた。


 ふたりが訪ねてくることは、あらかじめ知らされていたのだろう。

 真っ白な絹の寝巻きの上に肩掛けを羽織り、必要なだけの身なりは整えている。

 それでも、背中にあてがわれた大きな枕から、身を起こすようなことはしなかった。短毛の毛皮が、腰から足にかけてかぶせてある。

 気病みであると軽く扱えないほど、顔色が青白く、やつれているように見えた。

 引き結んだ唇も、うつむいた瞳も、わずかな瞬きを別にすれば、はっきりした動きを見せない。


 まるで、こころを持たない人形のようだ、とディーは思う。

 姉妹であるから、どこかシュトカと似ているだろうと予想していたが、凍りついた表情のためか曖昧に思える。

 姉のシュシチカのほうが、(りん)(かく)がやや細いだろうか。目元も弱々しく、父親に似たところが少ない。

 しかし、すべては病のせいで、そのように見えるだけかもしれなかった。


 北壁に開けられた小さな窓は閉ざされ、部屋に月明かりはない。

 部屋を照らすのは、左右に提げられた灯明(ランプ)の炎だけだ。差された灯心の数は少なく、薄暗かった。

 小さな蛾のような羽虫がいくつか、くるくると輪を描いて、揺らぐ炎の周りを忙しく羽ばたいていた。


「話は、既にお聞きでしょうが――」

 ディーは片膝を床につけ、睫毛を伏せたまま、来訪の要件を切り出す。

「あなたの大伯母君と、母君から頼まれて参りました。無論、私をここに連れてきてくれたシュトカも同様です。あなたの身を案じております。その病を除くため、力を尽くしてほしいと願われました」


 返答はない。わずかに視線が揺らぐが、感情らしいものは見えない。

 きっと病は、本当であるからだ。

 家族の話を聞き、実際に彼女を目にして、仮病ではないと確信が強まった。

 ディーは、いくつかのあり得そうな筋道を考えていた。彼女が激しい心の混乱の中に、()(うつ)とは違う衝突状態にあるならば。

 筋道は立つ。剥き出しの剣の意味も、持ちこまれた方法も、一列に繋がって説明できるのではないか。


「私の質問に、答えることができますか」

 一語ずつ、明瞭な発音を意識して、ディーはたずねる。

 やはり、返答はなかった。

「シュシチカ。あなたは、部屋の前に置かれていた、この剣の意味に気づいたのでは? どうして、置かれていたのか。なにを、あなたに伝えようとしていたのか」


 ごとりと、麻布に包まれたままの剣を床に置く。結び紐を解き、布を開き、あったときのように刃を剥き出しにして見せる。

 それでも、声は出ない。シュシチカの引き結んだ唇が、ふるふると小さく震える。

 少女の心に衝撃を与えることは、ディーの本意ではない。

 剣が、そもそも言葉を奪った原因であれば、話題から避けたいという気持ちはあった。しかし、話を聞くための重要な起点であるはずだ、とも思う。そうであるなら、どうしても避け得ない。


「この剣に関して、不思議なことが、ふたつあります」


 話している間に、ディーのすぐ隣に、シュトカが膝を曲げた。

 まるで気後れしたような、のろのろとした動作だ。半歩だけ退いた位置に座りこむ。

 側にいてくれとディーが頼んだからであろうが、いつもの快活さが、まったく影をひそめている。

 ディーはちらりと横目に見てから、剣の話を続けていく。


「ひとつ、誰がここに持ちこんだのか。その問いは、どうやって、なんの目的で、という別の問いも含んでいます。ですが、誰が、というところだけを解き明かせば、自然に浮き上がってくる気がします」


「ディーには、わかるの?」


 シュトカがたずねてきた。

 焦れたような、不安そうな声だ。どちらの要素も含んでいる。

 そうしてくれると助かる、とディーは思っていたから、はっきり断定して答える。言葉遣いも変える。

 シュシチカが声を失っているのであれば、誰かが聞き役になってくれたほうがいい。さらに言うなら、シュトカほどの適役はいない、とも思う。


「わかる。わかっていることを積み重ねていけば、ひとつの答えに必ず行き着くはずだ」


「わかっていること?」


「この館は、見張りの立つ、ひとつの堅固な砦だ。誰にも見つからず、隠れて忍び入ることはできない。そう断定してしまっていい。まずは、これを最初の前提に据える」


「でも、もしも、魔法のたぐいで入るのなら――」


「実を言えば、私も、簡単な魔法をいくつか知っている」

 ディーは用意しておいたものを、懐からいくつか取り出した。

 手のひらに隠れるほどの小さな平皿。焦げ茶色のざらつく紙片。そして、ふたつの小袋だ。

「故国の都にいた頃に、魔術師から教わった。そのひとつが、このようなものだ」


 陶製の平皿を、床に置く。

 紙片を真半分に、さらに十字に折ってから、再び広げる。折り目を谷にして平皿に載せる。

 ふたつの小袋から、ひとつずつ、広げた紙の上に中身をこぼす。さらさらと砂のように流れる、黄土色の粉と、砂糖にも似た灰色の粉だ。


「この紙には、まじないの模様が描きこんである。特別なチョークで描く必要があるから、事前に準備したものだ。そうした準備さえできていれば――」


 折り目を閉じ合わせ、強く親指と人さし指、中指で挟む。指を鳴らすときのように、ぱちりと弾き、強く擦り合わせる。

 なにが起こるのかと、瞬く間もない。紙片の間に、閃光のように炎が吹き出す。

 赤い炎の舌が、ちりちりと紙を舐めていく。真っ黒な焦げ目がいくつも、丸い虫喰い穴のように、浸みるように拡がる。

 最後は灰となり、焼き残された紙片が丸まって、音もなく小皿に落ちた。

 それでも、小さな火は消えない。熱で溶けた粉末が、油脂のように溜まっている。静かな炎を揺らめかせている。


「これは、火を別のかたちに置き換え、封じておく魔法だ。火種がなくとも火を(おこ)すことができるが、炎そのものは、そこにある灯明とまったく変わらない」


「びっくりした……」


 シュトカは碧色の瞳を、大きく見開いていた。まじまじと見つめる瞳の中に、青白い炎の色がゆらゆらと映りこんでいる。

 言葉をなくしたシュシチカでさえ、目元に、わずかに驚きの表情が見えた。

 シュトカは、小さな鼻に手のひらの先をあて、眉をひそめる。しかめ面をする。


「これ、とてもひどい匂い。脂でもない、煙の臭いでもない……」


「魔法の悪しき点だ。そして、魔法といえども痕跡を残す、という証左でもある。私が知る限り、魔法は自由自在ではない。必ず、ふたつの要件を満たしている」


「ひとつめは、痕跡を残す、ということ?」


「そうだ。匂いであったり、音であったり、あるいは突然の輝き、立ちこめる蒸気や、思いもよらぬ液体が残されたりもする。概して、(いん)(ぺい)は困難と言っていい。誰かに知られず為したいのであれば、魔法は、その役にはむかない」


「ふたつめは、なに?」


「同じことを、魔法を使わずともできる、ということだ」


「わかった」

 と、シュトカはうなずく。ずっと深刻そうな表情であったのが、多少なり和らいだように見える。

「例えば、この炎のように。灯明(ランプ)に明かりをともすなら、火を(おこ)せばいい」


「そうだ。炎の要素を集める手間、いくつかの触媒の準備、まじないの模様を描く時間。これだけのことをして、やれることは灯明に火を(とも)すことと変わらない」


「ほかの部屋から火種を持ってくれば、ずっと簡単に済む」


「そういうことだ。魔術師は、己の威厳のために、魔法の秘密は語らない。不可能なことを不可思議な手法で成し遂げるのだ、と思われているなら否定しない。秘密主義でいたほうが都合がいい、というのもある。対策されないからだ。なにをどうするか知られていなければ、彼らの魔法は防ぎがたい」


「それなら、ディーは、この剣のことは……」


「魔法で持ちこまれた、ということでもいい。だが、その場合には痕跡が必ず残る。不自然ななにかが、剣そのものや、回廊や部屋の前にあるはずだ。見てわかりそうなものは、なかった。匂いが残るのであれば、誰かが気づくだろう。シュトカ、君は、どうだ」


「わからない……」


「剣に残っているのは、君の、君たちの匂いだけ、ということか」


 睫毛を伏せ、こくりと、シュトカがうなずく。

 ディーは注意深く、その様子を観察する。

「宮廷にいるものは、魔術師のたぐいに接する機会も多い。君たちの母親も、私が語ったことと同様の知識は持っているから、内側に手引きするものがあれば、と言ったのだろう。それならば、魔法は必要ない。私も同じ意見だ。誰かが手引きした。より狭く推測して構わないのであれば、砦の外側で剣を受け取り、内に住むものが部屋まで運んだ」


 ディーは、言葉を止めた。

 呼吸をひとつ、ふたつ、と置く。

 さらに探るように、シュトカの瞳を見つめる。視線が合わさり、再び不安の陰が少女の眉間に出かかった頃合いに、再び口を開く。


「魔法の炎だ。その先を見て欲しい」


「炎の、先――?」


「こうして間近で照らし出すと、陰影が強く浮き上がって見える。銀で(ぞう)(がん)された剣の(つか)に、狼がいる」


 ディーは、膝前に置いた剣の柄に、静かに指先を触れさせた。

 ほんのわずかの力で、柄をゆるりと回転させる。

 森に伏せた銀狼の姿が、小皿の上で揺らぐ炎に照らされ、生き生きとした毛皮の跳ねた様子まで、はっきりと見てとれる。

 描かれているのは、人狼族の主神だ。溜め息がこぼれそうなほど、極めて見事な細工だった。


「ここに描かれたものと同じ模様を、先ほど、私は見た」

 と、ディーは告げる。

「君たちの大伯母の指輪だ。そこに彫金されていたのは、オウスヴァラの、(おう)(こく)王家の紋章ではないか。君たちの家を象徴する、銀狼神の姿ではないか?」


 ことの次第が見えた、とディーは思う。

 剥き出しの剣に込められていたのは、ある種の言語だ。

 剣を置いたということが、なにかを伝えるための、どうしても必要な言葉だったのではないか。

 そうであるなら、ディーの領分ということになる。剣が持つ意味は、言葉を発したものと、受けたものによって推測できるはず。


「わたし、の…………」

 シュシチカが、初めて口を開いた。


 唇が震えて、続きがこぼれ落ちてこない。

 心の中に占める割合として、あるいは密度として、言い表したいことが強く大きすぎる。

 だから表現できないのだ、とディーにはわかる。言葉がつかえる、というのは、そのようなときに起きる。

 代弁者が必要になるだろう、と最初から予想できていた。


「合ってる」

 と、シュトカが答える。

「象嵌されているのは、私たちの神様。なぜって、その剣は、もとから姉様のものだから」



〈つづく〉

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