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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
12/36

時(7)

         7


 ようやく真正面から向き直られて、ジェンテの機嫌も、多少良くなったのだろう。

 どっかり、椅子の背もたれに片肘を載せ、足を組み直す。

 まだ熱さの残る焼き菓子を頬ばりながら、ひとつずつ問題を指摘する。


「まず、俺は謝罪させられた。狼王の将軍、王弟スヴァロトに、だ。うちのものが、王弟の兵を傷つけたというのだから、それは当然のことだ」


「向こうは納得していただろう」


「そうだな。(つね)であれば、賠償の品を支払うか、呑めないのであらば(いくさ)か、ということになる。ところが向こうは、簡単な()びしか要求してこなかった」


「そうか、本当に良かった」


「だが、なぜだ。どうしてそれほど簡単にことを収める。人狼族は、極めて平和を欲する部族なのか?」


「極めて合理的だ、と言うべきだろうな。こちらの兵が、()(ない)の言葉を聞き違えた。誤解から生じた、避けられない(さく)()であると認めたんだ。ならば、事故として処理すべき。王弟殿下がそのように判断してくれたのは、幸いだったよ」


「そういうことを、王弟に、お前が判断させたのか」


「私と、シュトカが、だな。互いの言語で結論を語った。殿下は、静かにそれを聴いてくれた。値踏みするような目つきではあったが、元来、合理的な人柄なのだろう」


 ううむ、とジェンテが唸る。話しながら、焼き菓子をほとんど食べ終えていた。

 ふと、真剣な面持ちになり、ぽつぽつと言葉をこぼす。


「その夜、我々の兵が三人、連れ去られたのだろう。いずれ、その件にも対処せねばな」


「そうだな。向こうの出方待ちになるだろうが……身代金ということになれば、無論、交渉に出よう」


「親族は、こちらにいるのか?」


「内縁があるものがいる。だが、三人のうちだれが深手を負ったのか、わからない。生死も不明だ。だから、捕虜になっている、とだけ伝えてある」


「そうか。つらい役目を負わせて、すまなかった」


「いいさ。遅れて着いたとはいえ、私も当事者だ。伝える義務があったと思う」


「交渉には当然、オウスヴァラの協力がいるだろうな」


 三者間の駆け引きになる、と暗に言っていた。

 ジェンテの予感はわかる。取り扱いしだいで戦火にも繋がる、難事になりそうだった。

 ふたりの間に、しばしの沈黙が続いた。隣に座るシュトカも、ディー自身も、焼き菓子を食べ終えようとしていた。

 親指についた小麦の粉を唇に移しながら、ジェンテが目蓋を閉じる。

 再び開いたときには、がらりと話題を変えてきた。


「菓子は、旨かった。なかなかの焼き具合だ。外縁をきっちり焼き上げたのに、内はほろほろと柔らかい。また作れ」


「そうしよう」


 ディーが努めて微笑すると、シュトカが、まるで自分に向けられたかのように、頬にえくぼをつくった。

 もちろん、誰のためであれ、期待されればいくらでも焼くつもりだ。

 乾燥果実の蓄えは(とぼ)しくなってはいるが、秋になれば、新しい収穫の季節に入る。

 夏の小麦収穫が終われば、ひと月ほどで、すぐに(りん)()が熟し始める。()(どう)の収穫も同時期に始まるが、冬までずっと採れ続ける。

 新しい食材が手に入るあては、この季節、存分にあるのだ。


「なあ、ディーよ」

 肘掛けに頬杖をつき、ジェンテが問う。

「時制の欠落、と言っていたな。それは、いったいなんなのだ」


「そうだな……」

 ディーは、睫毛を伏せる。自らも思考しながら、ひとつひとつ受け答えていく。

「例えば私たちは、過去に存在していたものを〈いた〉あるいは〈あった〉と言うだろう」


「そうだ。例えば、焼き菓子があった、と言う。食べてしまって、今はないが」


「人狼族もまた、同じように〈あった〉と言うのだが、我々の〈あった〉とは違う。梱包なんだ」


「なにかを包むのか。言葉で、か?」


「言葉で、だ。〈あった〉という言葉に包まれているのは、時間的な経過だ。言葉そのものはほぼ同じ長さの単語だが、内側に梱包されている時間の経過が、変調で表現されている。微妙な変化だ。舌の震わせかた、発声するときの呼気の量……」


「待て、ディー。発音のしかたは今度でいい。今は、中身を教えてくれ」


「簡単に言ってしまえば、我々が(ひと)(くく)りに〈過去〉と言っているものを、人狼族はより細分化している。様々な〈過去〉を使い分けている、ということだ」


「ちょっと前、それより少し前、もっとずっと前、というふうにか」


「喩えるなら、そういうことになる。しかし、だ。そもそも、一対一の対応ができない数量違いのものを、これはこう、それはそれ、と直訳することはできない。なにしろ、我々はそんな細分化された時間など、考えてみようともしなかった」


「いや、少しは考えるだろう」


「どうかな。では、焼き菓子はいつ食べ終えた。正確に言えるか。時の単位で」


「さっきだ。時刻であれば一時間以内と言いたいところだが、それでは大雑把すぎるな。さっき、としか言いようがない。ああ、そうか」

 ジェンテが、納得したというふうにうなずく。

「日時計も、教会が打つ鐘の音も、錬金術師が造る(から)()り時計でさえも、すべて時間単位なのか。生きていく上で、それ以上の細かさを必要としていない……」


「まさに、そういうことなんだ」

 ディーもまた、あごと頬に手を当てて、考えこむ。 

「無論、今のは喩えただけで、話の本当はそうではない。ただ、我々がなにかを追跡するときに、足跡を見つけたとする。それがどの程度の過去についたものなのか、雑にしか知りようがない、ということだ。だから、人狼族の言葉に対応できない」


「生きていく上で必要がなければ、言葉は生まれないか。ましてや違いがわからなければ、当然だな」


「ディーは、言えた」と、シュトカが言う。ひとの言葉だ。「そこにいた、と」


「いや……本当に言えた、ということではない」


 ディーは思わず、ガラエキア語で答えていた。ジェンテが目を見開いていた。口がぽかんと開きかけてさえいる。

 シュトカが首をかしげたので、ディーは、オウスヴァラの言葉で言い直す。


「あれは本当に言えた、ということではないんだ、シュトカ」


「だけど、ほとんど一緒だった。ディーは、きっと言葉がわかると思ってた」


「真似こそ、できたかもしれない。だけど、それはただの口まねだ。私自身の言葉としては語れていない。少なくとも、今は無理だ」


「なぜ?」


「君たちは、目と鼻で、視覚と嗅覚を同時に使っている。闇の中で人狼族が見るのは、匂いだろう。鼻で嗅いで、漂っている残像を見る。きみは、そうしていたはずだ」


「そんなふうに切り離して考えたこと、ない」


「まさに、そのことだ。生まれたときから、ずっと周囲にあったものだからだ。だが、私たちには、そうした世界はなかった。感じ取れる世界の差が、そのまま私たちの差異になってしまっている。とても残念なことだが――」


 納得いかない、というふうに、シュトカは首をふるふると振る。

 先ほど一度だけ話したような、ひとの言葉はなかった。人狼の言葉もなかった。

 すっくと椅子から立ち上がり、きびすを返す。

 炉端から離れ、壁に掛けられたタペストリーを見に行こうとしてか、小走りに駆けていく。


「ひとの言葉が」と、ジェンテがつぶやく。「わかっていた……のか」


「まさか。多少は聞き慣れたかもしれないが――」


 ようやく聞き覚えた言葉を、一度きり使ってみただけではないか。

 流れに沿った会話であったのは、偶然であるのか、雰囲気を感じてのことか。

 思えば、シュトカはそうであった。馬にもすぐに慣れた。向こうから見れば人外のはずのディーに対して、もとより(もの)()じしていない。

 ガラエキアの言葉も、本当に覚えてしまうのではないか。そのように思えた。


「なあ、ディーよ。どうだった。失言などしていないか、俺は」


 どこか困ったような、気遣うときの声だ。ジェンテは、いつもどおりの男だった。

 ディーにとっては、そこが好ましい。そうであるから、仕える身でありながら、学友の頃のように接し続けていられる。


「大丈夫だ」ディーは、冗談めかして言う。「そのもの、などと呼ばわったのはいけないが、きっと聞き取れていなかった。気になるなら、謝罪しておけばいい。お前の気持ちを、尽くした言葉に訳してやろう」


「いいや、そこまでするな。今はしないが、いいか、仮にだ。言うときは、言葉を覚える。代弁で済ませてどうする、そんな謝罪を」

 ジェンテが、ふと思いだしたように言葉を切った。

「そういえばだな――」と、眉をひそめる。「王弟スヴァロトだがな。(しょう)(へい)に対しての、案内のものに渡す賠償の品は受け取った」


「それが、簡単な詫び、ということだな。納得できるものだ。どこの世界であれ、治療には金がかかる。働けぬ間の補償も必要だろう」


「だが、王弟自身は、彼の軍や、国に対する賠償は拒否した。いらぬ、受け取れぬ、と言ったんだ。その話はしたな」


「ああ、聞いた。良かったじゃないか」


「しかし、だ。どうしてもというなら、ひとつ欲しいものがある。そのように言った。それを思いだした」


「なぜ忘れる。なかなかそれは、大事なことじゃないのか。外交の要点だ」


「冗談だと思った。だから、だ。いいか、今、はっきり全部を思いだした。くれるというのであれば、模造の尾など腰につけた、あの背の高い踏査官を貰い受けたい。そう言ったんだ、王弟スヴァロトは」


「――――なるほど」


 それは、冗談だと思うだろう。

 いきなりの話だ。彼が、どれほどディーのことを知っているというのか。

 役に立つのか。信用できるのか。いくらの()()を与えれば仕官するのか。皆目わからないはず。

 まして、それが外つ国からやって来た、同族ならざるものならば――。

 王弟の真意が、まったくわからない。


「それで、ジェンテ。どう答えた?」


「考えておく、と。適当に濁すしかないだろうが。やつだって大笑いしたんだ、俺の肩を叩いて。酒を出されていたんだ。ああ、忘れていたのは、そのせいもある。濃厚な、実に濃厚な蜂蜜酒だった。まずまず旨い酒ではあった」


 なるほど酔っていたのか、とディーは納得する。頬杖した手のひらの奥で、隠すような溜め息をつく。

 王弟も同様であるのなら、酒の席の(たわむ)れだ。深く考える必要はない、とも思える。

 ちらりと、シュトカを視線で探す。予期した場所には見つからない。首を回して見ると、いつの間にか、また長椅子の背後にいた。

 どうしてか、耳をそばだて、ふたりの会話を聞いていたようにも思えた。


 どれほど理解しているのだろうか。

 言葉はわからずとも、好奇心から側にいたのか。

 そういえば、彼女は王弟の娘であった、と今さらながらに思い出す。


 夜中、ひとを呼びつけるために寄こしたり、よそ者の砦に出入りすることを、どうしてか王弟は許している。

 すべての人狼族が、そのようであるとは思えない。

 娘に対する絶対の信頼であるのか、自由をそれほど重んじるのか。

 目元は、親子で似ているのだろうか。シュトカの頬の(りん)(かく)を視線でたどっていると、まっすぐに目が合ってしまった。

 ほんの一瞬、なにかを問う視線がある。

 睫毛がしばたたく、それだけの時間で、またきびすを返してしまう。


 走り去るシュトカは、以前に見たときと同じように、チュニックの裾をぎゅっと掴む。

 わずかに尾の先端がのぞく。

 華奢な尾の先端が、揺らいで語る。(はやく外へ――)

 それでディーは、小さな背中を追うため、ゆっくりと立ちあがった。



〈第二話 終わり〉

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