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狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
10/36

時(5)

         5


 不幸中の幸いか、()(ない)の男の傷は浅かった。

 あるいはガラエキアの兵も、心に迷いがあったのか。

 刃は、革鎧の分厚い胴を叩き、しかも、引き切っていなかった。無意識であれ、手心が加えられていたのだろう。


 シュトカには、けもののくだりは伝えていない。

 あまりにも血生臭く思えたからだ。

 案内が殺されずに良かった。そうなっていたなら、とても協力など頼めなかった。


「話せるか」と、ディーが問う。


 案内は、静かにうなずく。

 ディーとシュトカが、添うように共にいることが、なにか信用を与えたのかもしれない。

 痛みに(とつ)(とつ)となってはいたが、素直に受け答えてくれる。


「なにかを追うのは、いつものおれの役割だ。そう簡単というわけじゃないが、できる」


「そうだろう。人狼族は、追跡の名手と聞く。彼らの話を先に聞いたが、私には、きみの追跡は成功しているように思えた」


「そうだ。おれは、見つけた。嘘ではない」


「夜目が利くとしても、草むした森の道では分が悪い。足跡など、見つけられまい」


「足跡など、最初から諦めていた」


 そうだろう、とディーはうなずく。

 彼らは、視覚をさほど頼りにしていない。より鋭い感覚を持つからだ。


「見えたのは、やつらの姿だ。そこにいた、ずっといた。はっきりとおれは見た」


「このまま追おう、と兵に言われたな? それで追跡を続けた」


「言われた。ずっといた、もうずっといた、というわけではかったから、おれもそれでいいと思った。命じられるままに追いかけた」


 注意深く聞かなければわからなかったが、たしかに言葉が違う。語尾などの明らかな変化ではない。より単語全体にわたる、発音の変調だ。

 ディーとて、正確に(ちく)()訳できていない。いい加減なものだ、という自覚はある。


「追跡の間、ずっと同じ返答しかなかった、と兵は言っていたが、その通りか」


「まさか」

 案内は、心底、意外そうに首を振る。

「おれは追跡者だ。できないのなら、最初から任されない。いつもどおりだ。やつらがいたか、きちんと教えた」


「最初は、どう答えた」


「やつらがいた、ずっといた、と」


「では、その時、匂いはどうだった」


「もう答えた。ずっといた。どう違う」


「匂いの――濃度だ。見えていたのだろう」


「当然だ。やつら、来るときは消してきただろうけど、幾日も森を歩けば戻ってしまうさ。はっきり見えていた」


「それは、どのように見えていた」


「道なりに、だ。ほとんど途切れなく、ずっと繋がっていた。風が緩かったからな。森の狭間では余計に濃く残るよ」


「なるほど、よくわかった。次は、どう答えた」


「やつらがいた、と」


「匂いは?」


「どんどん濃くなっていた。やつらが歩いている姿が、はっきり見えたよ」


「それは、より丁寧に表現すれば、同じものが一列に、連なって見える、という感覚であっているか?」


「一列に……」


 案内は眉をひそめ、目をまるくし、初めて聞く詩を吟味するような顔になる。

 それはそうだ。なにかを見るときに、これは大きく見えるので近くにある、あれは小さく見えるので遠くにある、そのように見ているか、と問われたようなものだろう。


「なるほど、確かに、そんなふうだ。でもそんなことは当たり前で、みんな見ているだろうが。薄く、かすれてゆく、連なった姿が見えるはずだ」


 私たちには、ひとには見えないのだよ、とはディーは答えない。

 代わりに、最後の質問をする。


「結果として、追跡は見つかってしまったわけだが、その直前、きみはなんと言った?」


「どうだったかな……」

 怒りを噛み殺す、つぶやくような声だ。(かっ)(とう)に震える尾が、彼の心情を表している。

「本当に直前だったんだ。皆が慎重に、物音たてず忍ぶだけだ。風もよかった。あれだけの濃い匂いの後ろを取っていれば、必ず獲物を仕留められた。そのはずなんだ」


「はっきり、言葉を思い出せるか」


「思いだした。ここにいる、だ。まさに目の前に、だ。おれは、そう言った。見たからだ。触れられそうなほど濃密な、やつらをだ!」


 結論は出ていた。ディーは睫毛を伏せ、無言でうなずく。


「成し得ていたな。確かに、言葉どおりだ。王弟殿下も納得するだろう。向こうだ、直接に説明するといい。私たちも共にゆき、足りない事実を埋めて語ろう」


 ディーは、ガラエキアの兵達に向けて叫ぶ。


「私は、踏査官だ。今も、社団の総督、トヴァスス伯の(れい)により、調査の任にある。道を開けよ。この者を証人として連れてゆく」


 トヴァスス伯ジェンテは、辺境外に(ちゅう)(とん)するガラエキア兵の首領だ。

 彼らの、九人いる雇用主のひとりでもある。

 それ以上は、あえて言わない。

 平然と口を引き結び、背筋を伸ばして歩むディーの前に、兵たちは後ずさる。譲るように左右に分かれていく。

 使節団すべてを統べる長の名を出したのだ。道が開くのは当然ともいえた。


 負傷の案内を支えてゆくディーの、すぐ脇をシュトカが進む。かばうつもりで背にしたはずが、いつの間にか半歩、前にいた。

 ディーの態度は、つくったものだ。予想はできても、無事に通される確信はない。

 内心を隠したディーなどより、シュトカの姿勢はまっすぐだ。よほど堂々と、()()しい歩みに見えた。

 兵たちの群れを通りすぎて、ディーは、背をかがめて隣に囁く。


「シュトカ、すべて、君の言う通りだった。彼は〈いた〉などとは一度も言っていない」


 あえて、舌足らず、と言われてしまうような言葉を混ぜる。


「そう、言ってない。私も聞いてたから、よくわかる。ひとには、案内の言葉が通じてなかったの?」


「そうだ。聞き取れていなかった。聞くこともできず、言うこともできない。本当の〈そこにいた〉を発声することは、私にも難しい」


「今の声は、似てる」

 シュトカは、口もとに指を添える。

 小さな手のひらから、くすくす笑いがこぼれそうな、そんな表情だ。

「ディーは、きっと耳がいい。だから、できるはず。もう一度やってみて」


「やってはみるが――」


 そ・こに・い・た。音節の各所を、意識して真似る。

 シュトカがうなずき、目を細めて微笑んだから、おそらく近似の発音を為せたのだ。

 良かった、と思えた。やるべきことを為せて、まず良かった。この先も人狼族と共存するつもりなら、必ず習得せねばならないものも見えてきた。


 (あん)()から、吐息が長く長くこぼれた。よもやの惨事とすれ違ったためだ。

 長い夜だ。

 天空では、二つの月が寄り添って、森の陰に沈もうとしていた。



〈つづく〉

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