表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼と尾とひとと  作者: 鳥居羊
1/36

第一話 尾(1)

第一話 尾


         1


 岩石で造られた、蜂の巣だ。そのように見える。

 異質で巨大な生き物が、(えい)(そう)としてうがったのか。


 それとも、成長する結晶のように、自然のふるいまいが形づくったのか。

 どちらともとれるような、幾何学模様の洞穴群だった。


 山岳と草原の出遭う緩やかな丘陵に、異様な光景をつくり出していた。

 六角形が整然と並ぶ黒々とした洞は、そのうちのひとつでさえ、人馬が歩めるほど大きい。



 今、ひとりの男が、馬上からそれらの洞穴群を仰ぎ見ていた。

 名を、ディー・ジュバルという。(とう)()(かん)として、この地にやって来た。まだ年若い。体の線も細い。

 半ば閉じかけたような二重の目蓋の下、青みがかった灰色の瞳が、あるいは、ゆったり瞬きする睫毛が、物思いにふけっているような印象を与える。


 彼は、来た道を見返り、城塞のようにそびえる灰褐色の岩壁を仰ぐ。

 黒染めの亜麻のシャツ、黒の革上衣という姿だ。

 何者にも染まらぬという意思を表す(ほう)(そう)か、闇夜のもとで人知れぬ仕事につく者か。そのような風情だった。


 肩から吊した外套(コート)は、なめした黒牛の柔らかな毛皮。

 ゆるく毛羽立ち、湿った土と青草の香りが濃厚に溶けこんだ微風に、外套の裾が揺らぐ。


 ディーがいるのは、短い夏草に半ば覆われた、緑の小道だ。

 彼が知る石畳の街道には程遠く、辺境の農道ほども整備されていない。

 馬車が通る道幅はかろうじてあったが、(わだち)のたぐいは見当たらない。


 ディーを背に載せた馬は、ひづめに絡む道草をはねのける。青々と葉を散らす。

 田舎の道を、踏みしだきながら進む。

 だく足の音に驚かされた小さな虫たちが、パチパチと羽音をたてて逃げる。


 馬もまた、乗り手に合わせたような堂々とした(くろ)鹿()()だ。

 額から鼻筋にかけて、星々の道のように白い毛並みが流れていた。

 ひづめの音をたてながら、ゆるやかに馬が首を巡らせ、乗り手に道中を急がせているように見えた。

 ディーは、馬の首筋を軽く叩き、ぴんと立った耳もとに頬を寄せて囁く。


「すまんが、少し寄り道をさせてくれ」


 静かな声、まるで独り言をつぶやくような低音だったが、不思議なほど発音が明瞭だ。

 言葉を理解したように、馬が進路を変える。歩速を落とし、並足に移る。

 ゆるりと道を外れ、柵で覆われた空き地へと向かう。


 丸木の柱に、横木を頑強な蔓と枝で結わえた柵だった。

 よく整備され、柱の間隔も計ったように等幅だ。測量されている、とディーは思う。

 つまり、土地の所有者が、有力貴族であることを示している。


 ゆるやかに曲がって続く柵の終点には、ひとりの少女がいた。

 扉を支える支柱に片手をかけている。

 なにかが気になって、急いているかのように、揺すっている。腕と脚、そして(きゃ)(しゃ)な体も、なにもかもを――。

 柵の上に、体を持ち上げようとしているのだろう。少女の身分もまた、容易に予想できた。


 ディーは手綱を引き、馬を止め、飛び降りる。

 そうして、わざと大きな音をたて、相手に注意をうながす。

 視線を合わせるよりも先に、深々と一礼してみせた。


「驚かせて、すまない」と、ディーは謝罪する。


 先ほど、自らの馬に語りかけたのとほぼ同じ語調、水面に波紋が拡がっていくような、ゆるやかな音律。そして、伏せた睫毛を静かに持ち上げる。

 片手を腰の革ベルトにひっかけ、小刻みに指で揺らし、話す。


「私の名は、ディー・ジュバル。(がら)(こく)より、踏査官としてこの地に来た」


「踏査官……? 殻国というのは、断崖より向こうの、大地の果ての外つ国ね」


 少女が口を開いた。想像していたよりも声が幼い。そして、視線の先が読みづらかった。

 まっすぐに見つめられている。

 そのはずなのに、ディーの背後で待つ馬に、それとなく目を向けているようにも思える。どこか曖昧だ。


 彼女は、この地の住人だ、とジュバルは確信している。

 よどみのない現地の言葉と、祖国や周辺の小国家群、断崖より手前では見ることのなかった、独特の服装からわかる。


 袖口の広いチュニックは、肩から袖にかけ、葉と蔓草を交えた紋様が織り込まれている。

 胸下からはドレープが施され、足首まですらりと流れ落ちる。

 袖口には精緻な刺繍が施され、糸の染料は、群青と黒だ。深い青を出すことは、ディーの祖国では難しかった。


 少女はまなじりを、珊瑚色の粉で彩っている。そのためか、やや目元にきつさを感じさせる。

 光のあたり具合か、濃淡が奇妙に変化する、碧色の瞳だ。

 縁取る薄い色の睫毛は、絹糸のように細く、蝶の羽のように素早くまばたく。

 ゆるく波打つ亜麻色の髪は、耳もとを完全に覆っていて、左右非対称に編みあげた三つ編みが、後ろ髪で合流して結われている。


 歳の頃は――と一瞬ディーは考えるが、すぐにやめる。

 この地に来て、間もないからだ。彼が旅立ってきた国は、母国語でガラエキアといい、その言語では、この地を「新世界」という。

 言葉も、見るものも、なにもかもがまったく新しいのだ。

 髪結いひとつとっても、風習の違いを感じさせる。


 新世界に棲むものは、見かけがどれほど似ようとも、ひととは違う種であると聞いていた。

 異種の住人の、実際を見るのは初めてだ。見かけで年齢を確かめる手段などない。

 ディーは、自らの片目を覆うように、手のひらをあてて考える。踏査官の職務の五分までは、外交であり、争いを未然に防ぐこと。

 であれば、決めつけをせずに、概して受け手に回ればよい。


「言葉が上手」と、少女が言う。「外つ国のひとは今までもたくさん来たけれど、みんな蛮族のような話し方をする。途切れ途切れで、まるで途中の言葉を、わざと抜いて話しているみたいに」


「ありがとう。言語は、我らの最も大事とする職務だ。世辞もあるのだろうが、誉められるのは嬉しい。名を聞いてもいいのだろうか?」


「私は、シュトカ。あなたのことは、ディーって呼んでもいい? それとも、踏査官と?」


 ガラエキアでは役職で呼ぶのが正式であると、充分、わかっているのだ。

 想定していたよりも、ずっと賢い。そして、気取っていながら、子どもじみた物言いでもある。

 ディーはこらえきれず、くすりと笑みをこぼす。


 シュトカは、感情を意図的に言葉から隠している。

 おそらくは、女性が見知らぬ相手に感情を表すのは、無作法とされている。

 あらかじめ聞き学んできたところでは、そのような理由だった。

 ために、半ば筆談しているかのような平坦な会話であったが、表情の変化だけは読み取れた。


「ディーでかまわない。握手は――?」


 差し出された手のひらを、シュトカは、まじまじと見つめた。

 おずおずというふうで、最初はゆっくりと、恐いものにでも触れるようにディーの手に触れ、一瞬だけ離す。

 それでも、再び握ってきたときは、ぎゅっと力強い。

 堂々と、誰とも対等な、おとなのような握手だ。

 手のひらが小さく、骨格が華奢だ。


 透き通るような血色のよい肌色、肌理の細かさと皮膚の弾力から、ディーは相手の地位を量る。

 両手を労働で使い続ければ、水気のようなものが失われていくはずだが、そんなことはない。

 であれば、貴族の子女であろう。


 それにしても、きちんと親指を上に広げ、こちらの意図を知っているように振る舞う動作には舌を巻く。

 握手に慣れているわけではない。

 しかし、即座に対応して、自らの知識を活かす機知がある。


 シュトカはぎこちなく、親指をくるくると回す。

 おとなであればしない動作で、握ったディーの親指の付け根をつついて、小さなまるい瘢痕を探った。

 上目づかいにディーを見上げてくる瞳が、どう? と尋ねてくるようだった。



〈続く〉

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ