2 闇の中で
ウエルは穴(タイダがいた真っ暗なところをそう呼ぶらしい)から出て、あらためて闇の国の全貌を見た。やはり空は灰色で、家々は全て同じ形と色で統一されていた。ただ先ほどとは違って状況が少しだけ理解できたせいか、今見ると周りの風景はそれほど不気味には感じなかった。
辺りをよく見回してみると、遠くの方に水色がちらりと見えた。自分がやって来た方向だろうか。先ほどは気がつかなかったが、おそらく家であろうその色は、他の家が全て茶色なだけに妙な違和感をかもし出している。
立ち並んだ家々の窓から強い光や弱い光がところどころ漏れてはいたが、タイダいわく、もう『今日は遅い』時間だからなのか、外に人は一人も見当たらなかった。声も聞こえてこない。ただでさえ色が少ない景色の中で簡素な作りの家々がたたずんでいるのは、やけに寂しい感じがする。
――そういえば、どうやってホールから出てきたんだ?――
不意にそんなことを思い、ウエルは後ろを振り返った。
すると後ろには人間とは言いがたい、奇妙な生物が二人立っていた。全身が光沢のある緑色の薄い鱗に覆われて、何となくヤモリを連想させるような、けれど体形は人間そのものという、常識では有り得ないような形態をしていた。
その者たちは先ほどまでウエルたちのいた真っ黒い世界に向けて手をかざし、タイダが数分前に発したものと同じような青白い光を放出していた。どうやらホールを消そうとしているようである。まるで光が暗闇を飲み込んでいるみたいに見えた。
やがてすべてが飲まれると、ちょっと前まで暗闇があったその場所には緑色の生物たちだけが残り、後は何事もなかったかのように茶色い家々が広がっていた。
「……」
ウエルが呆然としていると、それにフルドとカルドが気づき、フルドが言う。
「普段は侵入者なんかが入れないように、ああやって門を閉じているんだよ。ホールは別の次元に存在しているんだ。霊界も同じだよ。生界の人々は、自分たちの空の上に神とかいろいろなものが存在していると思ってるけど、実際は違う。別の次元に存在する異空間で、上も下もないんだ」
「……へえ」
よくわからないまま思わず相づちを打ったが、すぐに見破られてしまったらしい。フルドが苦笑しながら言う。
「まあ、上下に分かれてるわけじゃないってことがわかれば十分だよ。僕らだってはっきりと理解しているとは言いがたいしね」
フルドは言い終えてから、薄い緑色の生物たちをちらりと見る。
「あれがさっきタイダさんの言っていた門番だよ。あそこの番をするためだけにいるような奴らなんだけどね、見た目も含め、ちょっとだけ変わってるんだ。あいつらの家系は昔から独特だったらしくて、ホールを開け閉めする不思議な力も生まれつきらしい。ああいった力を持っている住民は、他にいないんだよ」
「噂によると、あいつらの魂は一度も変わってないらしい。何度も生まれ変わって、何度もホールの番をしているとか」
カルドが付け足して言った。カルドは基本的にあまり話さない性質らしい。そういえばカルドの発言を聞いたのは今が初めてだった。
「カルドはあまり表情も変えないし、無口だな。それに比べてフルドはやけにニコニコしてよくしゃべるし、正反対の性格をしているって感じだ」
「そうだね、よく言われる」
フルドが笑いながら答えた。「無愛想だろ、こいつ」そう言いながらカルドの肩を抱く。
「うるさいな……、放せよ」
言いながらフルドの手を払う。フルドはカルドから手を放しながら言った。
「そういえばちゃんと挨拶してなかったね。もうわかってるみたいだけど、僕がフルドでこっちの無口なのがカルド。これからよろしく、ウエル」
フルドがウエルに手を差し出した。
「よろしく」
ウエルが差し出された手を躊躇しながらも握る。フルドはウエルの手を握りながら、唐突に言った。
「家まで競争しようか」
「は?」
カルドとウエルが同時に声をあげる。何を突然、と聞き返す間もなく、フルドは素早くウエルの手をつかみ直し、走り出した。
「こっちだよ」
「こっちって……」
ウエルは一瞬フルドの手を振りほどこうとしたが、やめた。
今まで友達のいなかったウエルにとっては、ひとつひとつのこと全てが初めての経験で、とても新鮮なものだった。
「おい、待て!」
ウエルは後ろから追いかけてくるカルドと自分の手を引くフルドを見てから、小声で遠慮がちに言った。
「……罰ゲーム、どうする?」
その言葉をしっかりと聞き取ったフルドがにやりと笑う。
「いいねぇ、罰ゲーム。負けた奴が笑顔でお茶を出そうよ。笑顔でさ」
「な……、お前、俺一人しか罰ゲームの対象にしてないだろ」
カルドが慌てて言う。
「そんなことないって」
フルドは否定するが、顔があからさまに笑っていた。
「お前……」
カルドが恨めしそうにフルドを見やる。
三人はそんな調子で言い合いをしながら、誰もいない通りを軽やかに駆けて行った。
そんな三人が、今後自分たちにどんな運命が待ち受けているかなんて知るはずもなかった。
「……門を、開けてくれ」
タイダが言った。
ホールに円形の穴が開き、目の前に灰色と茶色の世界が現れる。タイダが外へ足を踏み出すと、低い声が問いかけてきた。
「また、行くのか?」
「……ああ。僕には僕にしかできないことがある。今はそれを少しずつ行っていくことぐらいしか、できないからね……」
タイダはゆっくりと歩き出した。
「すぐに戻ってくるさ。これでも僕は闇の番人、なんだから」