死後の世界(2)
「ここは地獄なのか?あんたは、今まで何の楽しみもなく生かされてきたわたしを、地獄にぶちこもうっていうんじゃないだろうね?」
タイダに向かってウエルが嫌味ったらしく言う。いちゃもんでも何でもいいから、とにかく文句を言ってやりたかったのだ。タイダは眉根を上げて、からかうように答えた。
「地獄?君は、ここが地獄に見えるのかい?針山も何もない、こんなところが?」
ウエルは真っ暗な空間を見回した。驚くぐらいに何もない。
「君のことはよく知っているよ」
タイダはゆっくりと言った。
「あの日言った通り、ちゃんと注意を払って見ていたからね」
その言葉に、ウエルはへぇ、と半ば感心してタイダを見つめた。見た目はやせて頼りなさそうにも見える少年だが、やることはやっていたらしい。
(……?)
ウエルは不思議なことに気がつき、タイダをじっと見据えた。
「あんた、姿がほとんど変わってないじゃないか。確か十一年前は十歳くらいに見えたけど、今も十二、三歳にしか見えないよ」
タイダは右手を腰に当て、ため息をつく。
「確かに、今の僕は生界の者の目からすれば十三歳前後といったところだろう。仮に生界での平均寿命を八十とすると、僕は軽くその六倍以上、五百年は闇人として存在することができるからね。僕は霊人年齢八十歳。だからといって、今もし八十の爺さんの姿だったとしたら、転生する前に少なくとも五回は身体を取り替えるか若返るかしなくちゃならなくなる。だから、生人と同じ速度で成長するわけにはいかないんだよ」
何やら気分を害したらしい。タイダは微かにうつむいてずらずらと言った。
せいかい?りょうじん?わけがわからない。
ウエルがあからさまに眉をひそめると、タイダがはっと我に返った。
「ああ、ごめん。まずはここのことを説明しないといけないね」
そう言ったタイダの様子はすっかり元に戻っていた。
「ここは霊界。死者が集う場所。霊界は三つの国に分かれていて、それぞれを『闇の国』、『光の国』、『天の国』と言うんだ」
その辺りは以前聞いた覚えがある。そういえばあの時に声が聞こえたラガーとかいう奴も、どこかにいるのだろうか。
「ここは闇の国」
タイダはさらに言った。
「それで闇の国に住んでいる人たちを『闇人』というんだ。光の住民は『光人』。天の住民は『天人』。君が生きてきた世界には似たような言葉があるみたいだから、天人と聞くと神々しいものを想像してしまうかもしれないけれど、神様とかではないよ」
「へえ」
ウエルはさして興味なさそうに答えた。タイダは気にする様子もなく話を続けているので、来た人に必ず説明をする決まりなのかもしれない。
「そしてその君が生きてきた世界を「生界」といって、そこに住んでいる人々を『生人』というんだ。これはそのまんまだね。ええと、今までの説明で何かわからなかったことはあるかい?もしくは他に聞きたいことがあれば答えるよ」
「いや……」
灰色の空やこの真っ暗な空間についてなど、いくつか聞きたいことを思いついてはいたが、それらを質問をする前にしばらく頭を落ち着かせたかった。
はっきりとは言われなかったが、今までの話と状況をまとめると、自分はもう死んだということになるだろう。ここが死後の世界というのはわかっていたから、それ自体に驚きはしない。ただ、別に生への未練はないが、厄災に振り回され続けて終わる人生を思うとかなり寂しいものがあった。何のために生きていたのかわからなくもなってくる。
ウエルが考え込んでいると、タイダは今もまだウエルのそばで控えていた二人の住民へ声をかけた。
「フルド、カルド、二人ともありがとう。助かったよ」
タイダはそこで何かを考えるようなしぐさをし、さらに付け足す。
「ちょっと柱を出してごらん」
ウエルの後ろで待機していた二人がタイダの前に出る。ウエルはそこではっきりと二人の顔を見ることができた。やはり十五歳くらいの少年たちで、どうやら双子のようだった。恐いくらいに顔がそっくりである。
フルドとカルドは首にかかった白い紐を引っ張ると、親指ほどの大きさの、円柱の形をした笛らしきものを取り出した。
タイダは二人の手に載った淡黄色の物体に手をかざし、ゆっくりと目を閉じる。
次第にタイダの手の辺りから、青白い光が漏れ出てぽうっと灯る。その光が徐々に薄れてやがて見えなくなると、タイダは静かに目を開け、かざしていた手をそっとどかした。
「困った時は遠慮せず呼ぶといい。僕もこれから先、君たちに助けてもらうことがあるかもしれないから……」
ウエルは、自分が言われたわけではないのにどきりとした。それは、最後の一言がやけに重く感じたからだ。言葉に不自然さはないのに、目の奥に深くて暗い何かを見たような気がしたのだ。
ウエルが黙って下を向いていると、タイダの視線がウエルに向いた。
「ウエル、君には説明したいことや話したいことがたくさんあるけど、今日は遅いから明日にするよ」
そこで寝泊りする場所の話へと移る。
「空き家が何件かあったはずだけど、君はまだここのことをよく知らないからね。とりあえずはどこかに泊めてもらった方がいいと思う……」
タイダがそこまで言うと、それまでピラーを見つめていたフルドとカルドが反応して片方が声を発した。
「それなら、僕たちの家でいいですよ」
ダイダは少し申し訳なさそうにしながらも頷いた。
「ありがとう、フルド。 できればこちらのことなんかもいろいろ教えてやってくれるかい?カルドもウエルのことを頼んだよ。明日は昼頃にまた会おう。門番にはちゃんと言っておくよ」
「はい」
フルドとカルドが頷きながら返事をし、ウエルに声をかけて歩き出す。後ろについて何歩か歩いたところで二人の姿がするりと消えた。そこが暗闇の切れ目らしい。
ウエルは立ち止まり、顔を後ろへ向けてタイダを振り返った。
「わたしは、死んだのか?」
タイダは、何も答えなかった。
けれど答えはもともとわかっていた。ただ、聞きたくなった。それだけだ。ウエルは、ふっ、と小さく笑う。そして前へと向き直り、フルドとカルドが消えた方向へゆっくりと歩き出した。
「……これは、あまりにもひどい仕打ちなんじゃないか?最後の最後まで、厄災に振り回されなきゃならないなんて……」
タイダの口から言葉が漏れ出る。悲しくも切なくも見える、そんな笑みがまぶたから離れない。タイダがウエルの後ろ姿が消えていった空間を見つめていると、闇の中から太い声が響いた。
「運命がそう言うのなら、仕方あるまい」
「運命……」
タイダが繰り返す。太い声がまた言った。
「時にそれは皮肉となるが、我々はそれをどうすることもできないのだから……」
「……知ってるよ」
タイダが拳を握りながら答える。
それは、痛いほどよく知っている。
どうすることもできないもどかしさ。苦しさ。もう、何度も体験してきた。
「そうか……」
闇の中でぎらりと光る大きな五つの目が、静かにそれを見つめていた。