18 スロウ・ウエル
気づくとそこは病院の中だった。なにやら人が慌てたように行き来する足音が聞こえてくる。もしかしたらわたしが意識を戻したことに気がついたのかもしれない。
ウエルはずしりと重たい頭を持ち上げた。しかし体だけでは支え切れず、やむなく手で支えることとなる。もしかしたら貧血かもしれない。
「目が覚めたなら帰って」
看護師の一人が、周りに他の看護師たちを引き連れながら言った。どれもみな女性で、声を発した者意外はみなその人の後ろにおびえるように立っていた。
「わかってる」
ウエルは静かに言った。周囲から疫病神扱いされているウエルにとっては、病院内に入れてもらえただけでも珍しいことだった。未だに霊界に行く直前の記憶がないので、どういった事故に巻き込まれたかわからないし、誰が病院に連れて来てくれたのかも本当に不思議でならない。
ウエルはそばにある松葉杖をつかむ。足には薄い包帯が巻かれていた。どうやら足を痛めたらい。しかし見た目に騙されてはいけない。ギプスがなくても骨折している可能性は十二分にある。念には念を入れなければ、さらにひどいことにもなりかねない。
自分でもこんな考えは空しいと思うが、これが生きている間に得たわずかな知識の一つなのだ。
知識は活用しなければ意味がない。
ウエルは無言で部屋の出口に向かう。背中に冷たい視線が突き刺さるが、そんなのはもう慣れっこだった。
「……」
ウエルは扉の前で立ち止まった。そして勢いよく振り返り、頭を下げる。
「世話になった、ありがとう」
今までは自分から人を避ける傾向があったが、唐突にそれを打破してみたくなったのだ。しかし余計なことをしたかもしれない、と一瞬思う。顔を上げるのがためらわれ、どうしようかと考えていると、きつい口調で誰かが言った。
「いいからとっとと行きなさいよ。あんたがいるせいでそこが通れないじゃない」
やはりそう簡単に世界は変わるものではない。
ウエルは黙って扉を出た。そして病院の出口に向かう。後ろからつかつかと足早な音が聞こえ、看護師たちが次々と通り過ぎていく。
「うわっ」
急に体のバランスを崩して前のめりになる。誰かに背中をたたかれたらしい。一瞬、生界ではけがをしていないはずの腹がひどく痛んだが、それでも何とか後ろを振り向いた。しかしすでに誰も見当たらない。
「……あれ?」
足元に袋が落ちていた。薬を入れて患者に渡す袋だ。厚みがあるから中にはちゃんと薬が入っているのだろう。
ウエルは一瞬拾うべきか迷ったが、結局その袋を拾い上げることにした。大雑把な字で大きく「痛み止め」と書いてあった。さらには「スロウ・ウエル」の名前まで書かれている。
ウエルは今まで一度も薬をもらったことはなかった。家族に守られていた頃でさえ病院での門前払いは当たり前の状態だったので、その頃から、けがをしても自分で薬草を探すか、自分の治癒力を信じるかのどちらかだった。病院に行って、薬をもらう。そんな選択肢はウエルの中に存在してはいなかった。
「世界は案外簡単に回るものなのかな」
ウエルは驚き入った顔で、手に持った薬の袋とそこに書かれた自分の名前を見ながら呟く。
自分が一歩踏み出すことでほんのわずかでも何か変わることがあるのなら、もう少しぐらいスロウ・ウエルでいてもいいかもしれない。
ウエルは外に出ると空を見上げた。白い雲が緩やかに流れている。久しぶりに見た真っ青な空はとてもまぶしくて、ウエルは思わず目を細めた。
ここでいったんの区切りとなります。まずはここまでお読みいただきましてありがとうございました。
後章には個人的に大好きな話が多く含まれているので、ぜひそちらも読んでいただきたいです。
個性的なキャラクターも何人か増えます。お楽しみいただけたら幸いです。




