プロローグ
青、青、青。
一面が青だった。
冷たい水が否応なしに口や鼻の中に押し入ろうとしてくる。
空気が、空気が、欲しい。
手足を必死にばたつかせ、懸命に泳ぐ。水面は見えるが、近づかない。
もう、だめだ。
意識が飛びそうになる。手足が上手く言うことを聞かなくなる。
もう、息がもたない。
あきらめかけた次の瞬間、ぐい、と体が一気に浮上した。ぐんぐんと上へ引っ張られ、水面を超える。
ここは……。
――ここは一体、どこなんだ。
スロウ・ウエルは自分の目を疑った。周りには見たこともない風景が広がっている。
家々が全て茶色で統一され、外観の形まで寸分違わずに、それがずらりと並んでいた。人気はなく、その光景が無性に気味悪い。空は一面ムラのない灰色に覆われていて、太陽も月も見当たらない。
「何なんだ……」
あまりの光景にウエルの脳は凍結しているかのようだった。何も思い出せない。自分はどうして、こんなところにいるのだろうか。
ウエルが知っている風景はこんな寒々しいものではない。
確かに殺風景という点では同じなのかもしれないが、周りには木々がたくさん生えたのどかな場所だった。ほかの大多数の地域と同じでまだ井戸がひんぱんに利用されていて、ここよりはずっと温かみのある風景だったと思う。
ウエルは必死に脳を動かそうとしたが、どうやってもここにくる以前のことは思い出せそうになかった。家を出たあたりまでは覚えているが、そもそもなぜ外に出たのかすら思い出せない。
「こんにちは」
不意に、ぽん、と肩に手が置かれた。
ウエルは驚きのあまり、ほとんど無意識のままその手を撥ね除けた。そして相手から距離を置こうとする。が、その前に左腕を固定されてしまった。
「!」
予想外の出来事にウエルは驚いた。どうやら相手は二人いたらしい。一瞬遅れて右腕もつかまれる。腕をがっちりと固定したまま、二人はウエルの横に並んだ。よく見えないが茶色の髪をしていて、おそらく十五歳ほどの少年たちのようだった。
「ごめんね。ちょっと一緒に来てくれる?」
片方が言った。ウエルは必死に抵抗する。
「ふざけるな、放せよ!」
「逃げないなら放すけど……」
「じゃあ逃げない」
「はい」
少年たちはあっさりと手を離した。しかしまたすぐに腕をつかまれる。
「なんでだよっ」
「だって今逃げようとしたから」
「……」
見破られてしまったらしい。ウエルは手足をばたつかせ、しばらく相手の脇をたたいたり、すねや足の甲を思いっきり蹴り飛ばしたり踏んだりとしてみたが、効果は全く表れなかった。
両脇の二人は多少歩きづらそうにしていたものの、ほとんど無反応で歩を進めていた。ウエルは半ば持ち上げられるような形で、つま先だけ引きずりながらどこかへと運ばれている。
「肩、痛くなったら言ってね」
なぜか軽やかな調子で声をかけられ、もはや抵抗しても無駄だと悟ったウエルは体の力を抜いた。おかげで歩きやすくなった二人は、少しだけ速度を速めたようだ。先ほどからの言葉はすべて右の少年が発したものらしく、その少年はさらに続けて言った。
「そしたら、担ぐから」
「やめろ」
どのように担ぐつもりなのかは知らないが、気分のいいものでないことは確かだろう。自分が誰かに担がれている姿が想像つかない分、余計にぞっとする。
「ここはどこなんだ」
気を取り直し、少しでも有益な情報を得ようとウエルが聞いた。
「闇の国だよ」
また右の少年が言った。ウエルはその言葉に反応する。
「闇の国……」
その言葉は聞いたことがある。十一年前、唐突にウエルの前に現れた少年が同じ言葉を発していた。「闇の国」。その少年は確かにそう言っていた。
「詳しいことはまた後で聞けると思うから、とりあえず急ごうか。君にはタイダさんに会ってもらわなきゃならないからさ」
「!」
(タイダ……?これから連れていかれる先にあいつがいるのか……?)
もし同じ名前の別人でないのならば、十一年前に会った少年に違いない。タイダ。忘れられるはずはない。
「だけど……」
ウエルは必死に記憶を辿った。
もし、ここが闇の国なのだとしたら。もし、ここがあいつのいる場所なのだとしたら。
「わたしの記憶が正しければ……」
ここはきっと……
死後の世界。