9 記憶
「うう……」
「大丈夫か、モルドバ」
ラガーが小太りな男に声をかける。
「風邪を……引いたらしい。頭痛がする」
モルドバは今にも消え入りそうな声で言った。それはそうだろう。番人が風邪を引くということは、死を宣告されたと同じことなのだから。
普通の住民たちの場合は体が突然光り出すのが合図で、その後すぐに試練の門をくぐることになるが、番人の方はそうもいかない。後継者の問題があるからだ。
死が近くなると風邪を引き、風邪が治ったら即刻試練の門を通るという仕組みになっているのだ。風邪はたいてい半年から一年の間に治ることが多いらしい。
「後継者の噂は聞いているか」
モルドバが頭を押さえながら聞く。
「今のところ、そういった噂はない。住民に後継者を見たら伝えてくれと言っておこう」
それから三日経っても、後継者らしき人物の話は全く耳に入らなかった。
「こちらでも探してみたが、それらしき人物は見当たらなかった」
ラガーが言う。生界を調べるのにはかなりの体力を要するだろうに、この三日間ずっと後継者の事を調べてくれていたのだ。モルドバは感激した。
「ありがとう。しかし……、見つからないのは、わたしのせいなのかな……」
ラガーがモルドバを見上げる。
「誰にも、自分があと何年生きるかなんて、わかりはしない。それに、決められもしない。そうだろう」
「しかし……」
モルドバは不服そうに言った。
番人はみな五百年程度は生きるというのに、モルドバはまだその半分も生きていないうちに風邪を引いてしまったのだ。
「後継者がいない場合は一体どうすればいいんだ……」
モルドバが絶望的に言う。ホールは、闇の国は、滅んでしまうのだろうか?
「今までに例がないんだ、何とも言えない。 が、一つだけ実現できそうなことがある」
「何かいい案があるのか?」
モルドバが嬉々とした表情を向ける。
「生界から、見込みのありそうな者を、連れて来る」
ラガーのその言葉を聞いた瞬間、モルドバの顔は一気に暗い顔へと変化した――。
「モルドバとしては、そういうことはなるべく避けたかったみたいだけどね。結局他にいい案がなくて、生界から後継者を連れて来ることになってしまったんだ。なんでモルドバが、生界から番人候補を連れて来るという案を聞いた時に嫌な顔をしたかわかるかい?」
タイダはウエルの返事を待たず、深く呼吸する間もないままさらに続ける。
「それはね、死ぬ予定のない生人をすぐにでも霊界に連れて来ようとするには、その生人を殺すしか方法がないからだよ」
やけにあっさりした言い方だった。タイダはそこでようやく息を継ぐ。
「もう想像はつくと思うけど、そこで選ばれたのがこの僕さ。僕は当時……、三歳だった」
最後の部分だけ軽く苦笑混じりに言った。三歳。そんなにも小さな時に霊界に連れて来られてしまったのか。
気づくとタイダはまた単調な口調に戻っていた。否、戻したという方が適切なのだろう。
「当分死ぬ予定のなかった僕は、半ば無理やり霊界に連れて来られたよ。そんな経緯で僕は闇の番人の後継者になったんだ。そしてモルドバは、せめて僕の記憶、連れて来られた時の記憶を消すべきだと考えた。モルドバはとにかく気のいい人だったからね。記憶を持ったまま生活するのは辛いだろうと思ったんだろう」
タイダはあくまで淡白にそう語った。しかしおそらく、本来はそんなに淡白に話せる話ではないはずである。
殺された時の、記憶。
それを抱えたまま生きるのは、確かに辛いことだろう。ウエルも少なからずその思いは理解できた。家族が殺された時の記憶を抱えて生きるのは、相当辛かった。事件の直後は悪夢やフラッシュバックの嵐に見舞われていた。
話をしている間、タイダは辛い様子を見せないようにしている。淡々とした語り口で言葉を続ける姿は、むしろ違和感として異様さが際立っていく。
「そこで呼ばれたのがディルバーだ。ディルバーは仕事を終えると、本来なら番人に対しては請求しないはずの報酬を要求したらしい。ディルバーは、モルドバが他の闇人たちから必死に集めたクリスタルを、腕いっぱいにもらって帰ったと聞いている。だけど僕が物心ついた時、まだ記憶は残っていた。ディルバーは、僕の記憶を一かけらも消してはいなかったんだよ。後でディルバーを問い詰めたら、記憶が消えてないと気づいた僕が、もう一度仕事を依頼に来ることを狙っていたと吐いた」
そこまで言うと、やっとというべきなのか、タイダは軽く表情をゆがめた。
「なにも僕は記憶を消さなかったことを恨んでいたわけじゃない。殺されたことにすら、怒りを感じていなかったような気もする。もしそれらを感じていたなら、僕はすぐにでも、せめて殺された時の記憶ぐらいは消そうとしたはずだからね。……でも僕は、そうしなかった」
タイダはそこで大きく息をついた。
「ただそのせいで、本来ならあるはずだった生界での生活を思い描いてため息を漏らしたりすることは多々あったんだ。そしてその日々が、いつしかディルバーへの怒りへ変わっていったんだと思う。あの話し方や行動がいちいち癪に障るってことも、大きな要因の一つなんだろうと思うけど」
タイダはしばらく間を置いてから、申し訳なさそうに口を開いた。
「……だから、僕もウエルと同じなんだ。僕は君を責められる立場じゃない。それにあの事件が起こるまで君のことを放っておいたのは事実なんだから、僕には謝られる所以がないんだよ。むしろ僕が謝るべきなんだ。すまなかったね、僕のせいで君に辛い思いをさせてしまって……」
「……」
ウエルが何を言うべきかと少々困惑しながら思案していると、タイダは苦しそうに顔を歪ませ言葉を重ねた。
「それに、僕はディルバーを天の国から連れ出し、闇の国にほとんど幽閉状態にした。今思えばそこまでする必要はなかった気もする。だから、僕は本当に謝られるような人間じゃないんだよ」
「でも、ディルバーを閉じ込めても、天の国は何にも言ってこなかったんだろう?」
確信はないのでタイダに確認を取る。タイダは肯定した。
「……つまりそれは、天の国もディルバーがやったことを考えれば仕方がない、って思ったってことじゃないか」
ウエルがたどたどしく言う。タイダは「そうだね」とあいまいに頷いた。ウエルは今まで他人とこれほど深く話をししたことはない。長い会話だって霊界来て初めて経験したくらいだ。ウエルはこれ以上どうすべきなのかさっぱりわからず、言葉が何も続かない。
「タイダさん、ウエル」
ちょうどいいタイミングでカルドの声が聞こえてほっとする。気づくとそこはもうホールの前だった。
「フルドを見ませんでしたか?」
カルドはタイダとウエルのもとに駆け寄るなりタイダに言った。タイダは「いや」と首を振る。
「ウエルも、見てないか?」
ウエルはタイダと同じように首を横に振る。
「フルドがいないのか?」
ウエルが聞き、カルドが頷く。
「ああ。国中探し回ったが、見当たらなくてな。多分行き違いなんだとは思うが……。とにかくもう一度探してくる」
そう言って去ろうとしたカルドをタイダが引き止めた。
「どの辺りにいるか、ラガーに聞いてみるよ」
「わざわざすみません……」
カルドが申し訳なさそうに謝る。タイダは「別に構わないよ」と言ってから、左手を額に当て“見えない何か”に意識を集中させる。どうやら、念話を使ってラガーと連絡を取っているようだ。
「……まずいな」
しばらくしてタイダが呟いた。
「どうしたんだ?」
ウエルが慌てて聞き返す。タイダの真剣な顔つきから、ただ事でないことがすぐにわかったからだ。
タイダの次の言葉を聞いて、ウエルは愕然とした。タイダはあくまで慎重に、こう言った。
「フルドは今、光の国にいる」




