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第三話

 それからわたしは時々ヒューバートに会いに行くようになった。

 ヒューバートの船が泊まるのはとても大きくて賑やかな港。船もたくさん泊まってるし人も大勢いる。

 実は初めて行った時に物珍しさでキョロキョロしていたら、ほかの人に見つかって大さわぎになったのよね。そのあとヒューバートに見つかって怒られちゃったけど、とても楽しかったわ。

 でもどちらかと言うと、今までみたいにヒューバートが岩まで来てくれる日のほうが多いかもしれない。わたしが港に行くって言ってるのに、ヒューバートは「女神のお姿を他の人間に見せるわけにはいきません」って眉間に皺を寄せる。いくらわたしの外見が人間とは違うからって、ほんとうに失礼だと思うわ。

 でもそんな穏やかな日々は長く続かなかった。

 変化はある日とうとつに訪れた。 


 その日もわたしが岩の上で日向ぼっこをしていたら、突然空が分厚い灰色の雲で覆われた。生暖かい風がごうごうと吹いて、高い波が激しく岩を洗う。

 いつもと違う様子に胸さわぎを覚えたわたしは、ちゃぷんと海にもぐった。


「……なんだろう、すごくドキドキする」


 あたたかかった海の中に、どこからか冷たい潮が流れ込む。どこに隠れたのか魚も姿を消し、海の中からすっかり生き物の気配が消えてしまった。

 いてもたってもいられなくなったわたしは、ヒューバートの元に向かった。


 普段なら船が出払っている港に、今日はたくさんの船が泊まっている。その間をすり抜けてヒューバートの船を探していると、わたしに気がついたのか上からヒューバートの声が聞こえた。


「女神! こんな日に一体どうしたのです?」

「ヒューバート! ねえ聞いて、上手く言えないんだけど、なんだか胸さわぎがするの」


 わたしは上を見上げて大声でそう告げる。さっきからずっと胸の奥がチリチリして、じれったくてしょうがない。前にもこれと同じことがあった気がするのに、それが思い出せないのがもどかしい。


「胸騒ぎですか? 確かにこのあと嵐になりそうですが」

「ううん、これは嵐の前ぶれじゃないわ。おかしいのは海の中よ。いつもはあたたかいのに冷たい潮が流れ込んで、様子がおかしいの。不安で落ち着かないっていうか……魚もすっかり姿を消したわ」

「海の様子がおかしい?」

「ええ。とにかくわたしは原因を調べに行くから。ヒューバートは絶対に船を出してはだめよ!」

「お待ちください女神! おい駄目だ! 行くな、待て!」


 ヒューバートがなにか叫んでいたけど、わたしはそれにかまわず海にもぐった。だってそんなことを気にしてる余裕はない。向かうのはこの冷たい潮が流れてくる先だ。


 冷たい海流を辿って泳いでいると、どんどん不安が大きくなる。嫌な予感がして、今すぐに逃げろと本能が警鐘を鳴らしてるのがわかる。

 でもここで逃げてはいけないって、わたしが逃げたらみんなが危ないって、頭のどこかでそうわかっているのはなぜだろう。

 そして泳いで泳いでたくさん泳いで──見つけたのは今まで見たことのないほど大きな海蛇だった。


「……シーサーペント……!」


 急いで岩場の陰に隠れ、わたしはそっと様子を窺った。

 尖った背びれを持つ巨大な身体に、大きな口には鋭い牙がびっしり並ぶ。鈍色のウロコで覆われた太い胴体をうねうねとくねらせながら、獲物を探しているのかギョロリと飛び出た目でせわしなく辺りを見回している。その様子は背筋が凍るほどおぞましい。 

 それにしても……初めて見るはずなのに、どうしてわたしはこの魔物の名前を知っているんだろう。

 どうしてこの魔物が人間の船に身体を巻き付けて、沈没させることを知っているんだろう。

 どうしてこの魔物が光るもの──わたしの尾ビレみたいキラキラ光るものを狙うんだって、そのことを知っているんだろう。

 やがてシーサーペントはその大きな頭をゆっくり持ち上げた。そしてまるで獲物を見つけたかのように目を細めると、巨体をくねらせてゆっくりとわたしが来た方向に泳ぎだした。


「……やだ、このままだと港に行っちゃうじゃない……!」


 そのことに気がついた瞬間、わたしはシーサーペントの前に躍り出ていた。そしてギョロギョロした目の前で身体を翻し、港とは逆の方向へ泳ぎ始める。──自慢の七色に光るウロコが目立つように、わざと尾ビレをくねらせながら。


「逃げないと……少しでも遠くに……!」


 どうやらわたしを獲物だととらえたのか、シーサーペントはまっすぐこちらに向かってやってくる。そのスピードは蛇の身体ではとうてい考えられない速さだ。

 わたしは時々岩や海草に隠れたりしながら必死で泳いだ。そして無我夢中で逃げているうちに、以前も同じようにシーサーペントから逃げたことを思い出した。

 ……そうだ、思い出した。たしか人魚の里が襲われて……それで自分から囮になったんだ。みんなには止められたけど、里が全滅するのは絶対に嫌だったから、自分がシーサーペントを引きつけるって里を飛び出したのよ。少しでもこいつを里から遠くに離そうって。


 ふと嫌な気配がしてちらりと後ろを振り向けば、シーサーペントはもうすぐそこに迫っている。裂けたように大きく真っ赤な口を開き鋭い牙を剥きだしにして、まさにわたしを飲み込もうとしているところだ。


「やだ!」


 このままでは逃げ切れないと思ったわたしは、とっさに身体の向きを変えてその大きな身体の下に潜り込んだ。

 この巨大な蛇の身体ではきっと小回りがきかないはず。だからこのまま上手く逃げ切れれば──


「きゃあぁぁぁぁっ!」


 でも次の瞬間、突然真横から凄まじい衝撃が襲った。あとほんの少しでシーサーペントの身体をくぐり抜ける。そう思った瞬間に長い尾がわたしの身体をなぎ払ったのだ。

 そのままの勢いで岩に叩きつけられたわたしは、痛みに意識がおぼろげになりながら、それでもなんとか目を開けた。

 皮肉にも岩に叩きつけられたおかげか、シーサーペントはさっきより少し離れた場所にいる。でもゆっくり近づいてくる巨体に、わたしは再びぎゅっと目を閉じた。

 

 ……わたし、里のみんなの……ヒューバートのやくにたったかな……


「ヒュー……バー……と……」










「お前は! 人の気を知らんでいつも好き勝手に行動しやがって! どれだけ俺が心配したかわかってるのか!」

「……え? って、い、痛いっ!」


 突然ひどい身体の痛みで目がさめた。どうやらわたしはヒューバートのがっしりした腕の中にいるみたい。海面に浮くわたしとヒューバートの身体をいっしょに縛るように、ぐるぐるとロープが巻いてあるのが視界にはいる。

 そして眉間に恐ろしいほど深い皺を刻んだヒューバートは、真剣な表情でそのロープをたぐり寄せていた。


「……ヒューバート? どうして、ここに……?」

「人の話を禄に聞かずに無茶をするやつがいたんでな。そいつを捕まえにきたんだ」


 ……話をろくに聞かない、無茶する人……? それって誰のこと……? でも、どうしてここにいるの? ここにいてはだめよ。お願い、今すぐに帰って。だってシーサーペントが……

 そこまでぼんやり考えて、わたしははっと思いした。


「ヒューバート! シーサーペントが港に向かってるの!」

「シーサーペント? ああ、あの海蛇ならもう問題ない。後ろを見ろ」

「後ろ……? え!?」


 言われて振り向くと、そこには背中に無数の銛が刺さったシーサーペントが別の船に牽かれて離れていくところだった。

 そしてその様子を見てポカンと口を開けたわたしに、ヒューバートはさも得意げにニヤリと笑った。


「……シーサーペント……やつけたの?」

「フッ、我が海軍にかかればあんな蛇の一匹や二匹、敵ではない」

「そっかあ……よかった……」


 安心したとたんに、熱いものが目からこぼれたのがわかった。

 あんなに一生懸命泳いだのにとか、そもそもわたしよりヒューバートのほうがずっと強いんだとか、そんなことはもうどうでもいい。だってみんな助かったんだもの……

 そのまま身体から力が抜けてぐったりしたわたしを、ヒューバートは慌てたように抱え直した。


「お、おい! しっかりしろ!」




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