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第一話 

 エメラルドグリーンが鮮やかな海草の森を抜けて、その先のカラフルな珊瑚の花畑へ。頭上の波が太陽の反射を受けて、光の破片があたり一面に降り注ぐ。

 わたしはあたたかな海をゆらゆら泳ぎながら、七色に煌めく自慢の尾ビレをうっとり眺めた。



 それはもうずいぶん前のこと。ふと気がついた時には、わたしは海の中をぼんやり漂っていた。

 うっすら覚えているのは、かつてどこかで大勢の仲間と暮らしていたこと。そして今は一人だということ。

 最初はわからないことだらけでとても戸惑った。

 右も左もわからない冷たい海流で震えて、恐ろしいサメから逃げ惑った。とても怖くて寂しくて、いつも泣きそうだった。

 でも、すぐにそんなことは気にならなくなった。だって迷った果てにたどり着いたあたたかな海は、まるで天国のようだったから。

 浅瀬に広がる柔らかな海草の森でお昼寝して、珊瑚の花畑に潜む魚たちとかくれんぼ。ウミガメと一緒に砂底を泳いで、岩陰で見つけた綺麗な貝殻を集める。深い海底に眠る沈没船は気味が悪いけど、中を探検するのはとってもスリリング。

 ──そんなふうに遊んで暮らしていた毎日に、ある日突然変化が訪れた。


 それはわたしが海面に出た岩の上で、日向ぼっこをしている時だった。

 干潮の時だけ顔を出すこの灰色の岩は、最近見つけたお気に入りの場所。ウロコに入り込んだ砂を掃除していたら、遠くから一隻の船がゆっくり近づいてくるのが見えた。


「高い場所から失礼する。お嬢さん、少し時間をいただけるだろうか」


 白い帆をかけた大きな船の上からは、おそろいの服を着た男の人たちがこちらを伺っている。顔が一様に緊張してみえるのは、気のせいかしら。

 わたしに話しかけてきた人は、その中でもとびきり背が高くて身体の大きな人だった。一人だけ白いマントをはおり、胸元にはキラキラした鎖が光ってる。そして──なんだか怒ったような怖い顔をしていた。


「あら……ええと、こんにちは。あなたはどなたですか?」

「私はこの船の艦長だ。今日は貴女に用があって来た」

「かんちょうって、船長さんのこと? そんな偉い人がなんの用ですか?」


 鋭い眼差しで見つめられて、なんだか不安でドキドキする。もしかして、わたしは人間にとって珍しいものだったりするのだろうか。捕まえられて見世物にされたり、研究材料にされたりするの? それともまさか食べられたり……? 

 そんな恐ろしい想像が頭を過って思わず後ずさりしたわたしを見て、船長さんはぎこちない笑みを顔に浮かべた。


「失礼を承知でお尋ねしたい。単刀直入に聞くが、君はセイレーンだろうか」

「セイレーン?」

「ああ。数日前に漁師から君を見かけたとの報告があった。万が一セイレーンなら何か目的があるのではと思い、我々は調査に来たのだ」


 セイレーンって、綺麗な歌声で人間を惑わすっていう魔物よね? 目的って、つまりわたしが悪さをして船を沈めたりするかもしれないって、そう思ったのかしら。


「……恐らく、たぶんだけど、わたしはセイレーンじゃないと思う」

「セイレーンではない?」

「ええ。だってわたし、とても音痴なんだもの」

「は?」


 実はこの岩を見つけた時、わたしはとあるお話を思い出したのだ。黄色いお魚とカモメの友達がいる、とても歌の上手な人魚のお姫さまのお話を。

 だからちょっと真似してみようと思って、歌をうたってみたのだ。ちょうどカモメも岩の上で羽を休めてる。おあつらえ向きに大きな波も来た。このビッグウェーブに乗るなら今でしょう……と。

 その時のことを思い出したわたしは、いぶかしげにこちらを見つめる船長さんに聞こえないように、そっと溜息を吐いた。


「それがね、わたしが歌ったら、カモメがみんな逃げちゃったの」

「……カモメが、逃げた」

「うん。セイレーンはとても綺麗な声で歌うんでしょう? わたしが本当にセイレーンなら、きっとカモメは逃げないと思うんだよね」

「ブフォッ」


 くぐもった奇妙な音の主は、船の縁からこちらを覗く口を押さえた船員だろうか。あんな真っ赤な顔をして体調でも悪いのかな。


「それにセイレーンは、人を惑わすほどの美貌の持ち主だって聞いたよ? わたし、自分ではこの尾ビレがすごく自慢なんだけど、今まで誰からも褒められたことがないの。それってきっと、他の人からしたらあまり綺麗じゃないってことじゃないかしら」

「いや、その……君の尾ビレはとても素敵だと思う」

「本当? 嬉しい!」


 手を叩いて喜ぶと、船長さんはなぜか気まずそうに咳払いをした。


「では、セイレーンでないとしたら、君は一体何者だ?」


 まるで観察するみたいに全身をじろじろと見られて、わたしはとっさに胸をおおうピンクの貝殻を手でかくした。この光沢のあるピンクの貝殻は、深い岩場で見つけたお気に入りなのだ。人間には珍しいのかもしれないけど、絶対にあげないんだから! すると「ブフォッ」というさっきと似た奇妙なくぐもった音が、今度はいくつも頭上から聞こえた。


「……何者って、普通に考えて人魚だと思うんだけど」

「人魚?」

「うん。どう考えても人間には見えないでしょう? だったらやっぱり人魚じゃないのかしら。船長さんはどう思うの?」

「人魚とは一体なんだ? セイレーンとは違うのか?」

「え? 人魚を知らないの? 説明するのが難しいんだけど……。人魚って、ええと、海の中で生きてるいきものなんだけど、たしか伝説の生物とも言われてたような……?」

「伝説の生物だと!?」


 ひどく驚いた顔をする船長さんに、すっかり困ってしまったわたしは一生懸命考える。

 ……そうだ、たしか世界各地に人魚の伝説があったわよね。寒い北の国の、書いた人の名前がついた童話も読んだことがある。あの有名なコーヒーやさんのモチーフも、人魚だった気がするし。歌の上手な人魚のお姫さまは、たしか神話がベースになっていて……


「それで、ええっとね、海にはポセイドンっていう神様がいるんだよね」

「ほう! 海の神はポセイドンとおっしゃるのか!」

「それで、ポセイドンがお父さんで……ううん、ちがう。ポセイドンの息子はトリトンだった。トリトンの娘だから……つまりポセイドンはおじいちゃんってことかな」

「では貴女は海神の姫、つまりは女神なのか!? ……成る程、道理で神々しいまでの美しさだ。だが、それではこんなところから話している場合ではないな」

「……え? うわっ!」


 なんだかとんでもないことが聞こえた気がして顔をあげたのと同時に、上から黒い塊が降ってくる。びっくりして閉じた目を恐る恐る開けると、そこにはわたしの前で跪き、頭を下げる船長さんがいた。


「女神とは知らず大変失礼をいたしました。私はこの船の艦長を務めるヒューバート・エセルバート・グランガードナーと申します。数々のご無礼をどうかお許し願いたい」

「え? えええええっ!?」


 ザッという音に上を向くと、船のへりにいる人たちも姿勢を正して頭を下げている。わたしは慌てて両手を振った。


「ちがうよ、そうじゃないの、わたしは女神じゃないから! それに今のはウソのお話だから、本当のことじゃないの!」

「は? 嘘とは?」

「ええと、架空のお話っていうか……そう! わたしが勝手に考えたお話なの! だから、とにかくわたしは女神じゃないから!」

「ああ、成る程。わかりました。そういうことにしておきましょう。確かに貴女が女神だと知られるとよくない。それに神の名を我々が口にしては不敬でしょう」

「ね、ねえ、ちがうのよ? あなた本当にわかってる?」

「女神よ、どうか私のことはヒューバートとお呼びください。勿論大丈夫です。今の話はここだけに納めておきます。……お前達。わかってるな?」

「「「「はい!」」」」

「ちょっと待って! 本当にちがうんだから!」


 それがわたしとヒューバートの出会いだった。




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