そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.5 < chapter.9 >
事後処理は、概ね当初の予定通り進められた。
リベレスタン伯爵は禁呪符の売人に目をつけられ、しつこく取引を迫られていた。
騎士団は妻からの通報を受け、マフィアのアジトを襲撃、制圧。
悪いウィザードと幹部たちは全員死亡、拠点潰しは大成功。
ただ、伯爵とその妻は勇敢に立ち向かった末に、非業の死を遂げる――。
そんな『おはなし』が新聞に載るや否や、リベレスタン伯爵の死を悼む声は全国的に高まりを見せた。そして市民らの声を受け、事件から十日後、追悼式典の開催が決まった。
中央市内で一番大きなセレモニーホール。祭壇一杯に飾られた白い花。その中央に掲げられた伯爵と、その妻の写真。
それらの前で、中央市や各省庁の代表、各界の重鎮たちが次々に挨拶をしていくのだが――。
「……私は、勇敢で正義感溢れる姪を、心の底から誇らしく思います。皆様、どうか、ともに祈りを。彼女が安らかな眠りにつけるよう……」
そこにいるのは、本来決して人前に立つことがない人物――王立騎士団情報部長官、セルリアンであった。
彼はシアンからの報告を聞くなり、即座にこの決定を下した。
キアは死んだ。
先にそう発表し、世間に自分の姪と知らしめることで、キアから『人質としての価値』を奪ったのだ。
死亡を発表しておけば、この先どんな写真や映像が流出したところで、「それはよく似た他人だ」と突っぱねることができる。
情報部長官の姪と公表しておけば、よほどの馬鹿以外は、キアをグラスファイアから横取りしようとは思わない。裏社会の上層部ほど、情報部の恐ろしさを知っている。『シアンと戦う』という目的を持つグラスファイア以外、キアを有効な駒として生かせない条件を整えたのだ。
そしてもう一つ。これはキアを守る以外に、別の目的もあった。
祭壇への黙祷の後、セルリアンは場内の市民らに向けて言葉を発した。
「この場をお借りして、皆様にご報告させていただきます。今回の件と類似するいくつかの事例の捜査状況です。昨今急増している非合法魔法薬と禁呪符に関連する事件ですが、これまでの捜査により、パティカ雑貨埠頭周辺の複数の団体が関与していることが判明しております。現在騎士団では、女王陛下、貴族院議会と対策を協議中。現時点では、協議の詳細は伏せさせていただきますが……」
一旦言葉を切り、目元を押さえた。
そして呼吸を整える仕草を見せる。
すべては芝居だ。ただし、芝居とわかっている情報部や特務の隊員でさえ、本当に泣いているのかと心配になるほどの名演である。セレモニーホールに集まった誰もが、姪を亡くした伯父の、悲しみに耐えようとする姿に胸を打たれていた。
セルリアンは、沈黙によって聴衆の意識を引き付けてから、意志の強さを感じさせる声音で言った。
「あの町に巣食う、すべての悪を一掃する。それは確定事項です。それには、市民の皆様のご協力が必要不可欠です。どんな些細な情報でも構いません。反社会的組織やその構成員に関して、情報提供をお願い申し上げます。ともに、中央市に正義と平和を取り戻しましょう!」
場内は、割れんばかりの拍手に包まれた。
取材に訪れていた新聞記者らも、にわかに色めき立つ。
情報部長官の宣戦布告。中央裏社会は、これにどう応えるか。
セレモニーホールから一斉に放たれる《雲雀》たち。
拡散していく情報に、それぞれの思惑が乗せられていく。
本部に帰還した情報部員らは、休む間もなく行動を開始した。
こっそり潜入していた工作員、諜報員らも続々とパティカを抜け出している。
今なら誰にも怪しまれない。どの組織も大慌てで別の拠点に人員を移動させはじめた。それに乗じて姿を隠せば、騎士団のスパイと気付かれぬまま足抜けできるのだ。この『消え方』であれば、何年か経ってから、何食わぬ顔でもう一度接触を図ることも可能だ。
そう、やめるなら今なのだ。
本物のマフィア構成員たちも、パッとしない今の組織を見限って、別の一家と合流しようと考える者がいる。そういう連中を集めて、新たに自分の一家を立ち上げようとする者もいる。今の組織を維持しようと考える者も、組織内での下克上を図る者も、この機に反抗的な部下をあぶり出そうとする者も――。
ありとあらゆる思惑が交錯し、今のパティカは混沌そのもの。誰が味方で誰が敵か、判断が非常に難しい。
自らが表舞台に出ることで、巨大な蜂の巣を大混乱に陥れる。それが情報部長官セルリアンの、最大の狙いであった。
それなりの手ごたえを感じつつ、庁舎に戻ったセルリアンは通信室に向かった。
「ピーコック、コード・ヴァイオレットは全員帰還できたか?」
セルリアンの問いに、通信資料をまとめていた男が答える。
「ほぼほぼ帰還完了で~す」
「ほぼ?」
「あと一人、リラが戻りません。通信はつながったんですけど、あいつ、もう少しで出所が掴めるからって……」
「深入りするなとあれだけ言ったのに……リラめ……」
「あ、それと、これ、セルリアン宛てに。おてんば娘さんから」
ひょいと手渡された紙を見て、セルリアンは目を丸くした。
〈伯父様へ
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
わたくしのせいでリラさんが消されたりしないように、グラスファイアにお願い……というか、脅迫をしました。
リラさんが死んだら舌を噛み切って死んでやる、わたくしが死んだら、シアンさんがお前と戦う理由はなくなりますよ、って。
ですから、リラさんは大丈夫。少なくとも、グラスファイアに殺されることはありません。リラさんが追っている薬の件に、グラスファイアが関わっている様子はありませんから。
また何かあったらご連絡差し上げます。グラスファイアの不利にならないことなら、何でも書いて構わないそうですので。
伯父様、大好きです。心配してくれてありがとう。
キアより〉
目だけで尋ねるセルリアンに、ピーコックは肩をすくめて答える。
「さっき、ものすご~く高性能な偵察用ゴーレムが来て、これだけ置いていったんです。情報部庁舎の通信室にですよ? 信じられます? セキュリティにいくらかけてると思ってんだか。簡単に突破してくれちゃって……」
「ピーコック、ゴーレムの追跡は?」
「しましたけど、途中で振り切られましたよ」
「……そうか……」
「あ、ちょっとちょっと! セルリアン! そこ嬉しそうにしないでくださいよ! 俺、これでも地味に傷付いてるんですからね!?」
「すまない。キアが無事で、ホッとしてしまってな……」
「ホントにもう、伯父バカなんだから。ま、そういうわけなんで、コード・ヴァイオレットは大丈夫そうです。イエロー、グリーン、オレンジも全員居場所が把握できてます。いつでも攻め込めますけど、どうします? なんなら、俺とターコイズで今から荒らしてきましょうか?」
「いや、まだだ。この先ひと月程度、手出しせずに様子を見る」
「えっ? ひと月!? 嘘でしょう!? 今ならどこの組織も統制取れてませんよ!? 楽に潰せるのに!」
「だからだ。統制が取れていない状態で、慌てて逃げ出そうとしたらどうなる? 人も、金も、物も、いつもなら使われないルートで動く。必ず、隠しきれない何かがこぼれる。そうだろう?」
「……まあ、色々面白いネタは拾えそうですけど……でも、潰すなら今ですよ?」
「そう焦るな。よく考えてみてくれ。パティカに本拠地を置く組織は三つか四つ。他の数十は出張所程度しか置いていない。今潰しに行っても、本体のほうにまでは手が届かないだろうが……せっかくリラが残ってくれたんだ。この際、徹底的に奥まで潜らせて、本拠地を潰してやりたいと思わないか?」
物騒な笑みを浮かべる上司に、ピーコックは両手を挙げて降参の意を示す。
はいはい、仰せのままにいたしますよご主人様――今にもそんな声が聞こえそうなピーコックの様子に、セルリアンは笑う。
「すまないな。その間、お前には特に面倒な仕事ばかり任せることになると思う」
「どーぞお気遣いなく! いつものことですし! あー、もう! キアちゃんの居場所も調べなきゃならないってのに……」
ふてくされた口調の部下に、セルリアンは絶妙なタイミングで手土産を渡す。
「ピーコック、良かったら食べてくれ。特務部隊のほうで流行っている菓子だそうだ」
「え? あ、ありがとうございます……?」
「では、私は失礼する。団長に呼び出されているのでな。今夜は戻らないと思う。あとは任せたぞ」
「は~い。行ってらっしゃいませ~。団長によろしく~」
通信室を出て行く上司を見送り、ピーコックは首を傾げる。
あの男が菓子を差し入れるなんて珍しい。特務で流行っているというのも、なかなか気になる一言だ。自分たちが若いころは、男がケーキやキャンディを買いに行くのは彼女へのプレゼントと相場が決まっていたのだが――。
「イマドキの若いのは、自分用にスイーツ買ったりするんだよなぁ……?」
恐る恐る開けたケーキ箱の中には、マフィンが入っていた。
一見ごく普通のフルーツマフィンのようなのだが、何かが違う。
「……? なんでマフィンから昆布の匂いが……?」
よく見れば、黒っぽい粒々はレーズンではなく、何かの魚介をローストしたもののようだ。
嫌な予感しかしない。
だが、しかし。上司からの差し入れを、一口も食べずに捨てるわけにもいかない。そっと口元に運び、遠慮がちにかぶりつくと――。
「……!?」
どんな困難なミッションも華麗にこなす情報部エース、ピーコック。史上最高の任務完遂率を誇るこの男が、たった一個のマフィンを前に、完全に思考停止に陥っていた。
不味くはない。
いや、むしろ美味い。
しかし、素直に美味しいとは言えない妙な複雑さがある。この味を『美味しいもの』に分類してしまったら、自分の中で、食文化の概念が崩壊する。
なぜそんなことを思うのか、手にした物体をよく観察して、気付く。
そもそもこれは、スイーツではない。
「……マフィンのフリした、別の食べ物だ……」
昆布だしの利いた、塩味のマフィン。いくら真剣に味わってみても、中身はさっぱり分からない。箱に何か書いてないかと、側面や底面を見るのだが――。
「……小麦粉、バター、アノマロカリス、ウミエラ、褐虫藻、プラナリア、ミル貝ペースト、昆布粉末……?」
原材料を読んでも中身が理解できない食品ははじめてだった。
情報部庁舎、通信室。
複雑な面持ちの工作員を取り残し、世界の時間は往き過ぎる。
同庁舎内、コード・ブルーオフィス。
事件翌日からこれまで、シアンとナイルは内勤状態が続いていた。諸々の事後処理、これから必要になる資料の収集、現在抱えている案件とのスケジュール調整――やるべきことが山積みで、外に出たくとも出られない状態である。
うんざりとした顔で資料をファイリングするシアンに、ナイルが話しかける。
「あのさ、シアン?」
「あ? なんだ?」
「シアンって、子供のころ、なんか夢とかあった?」
「夢? どうしたんだ、いきなり」
「いや、そういえば聞いたことなかったなぁ、って思ってさ。やっぱり、騎士団に入りたかったの?」
「んー……いや、それは中三で進路を決めるときに、一番現実的なのを選んだだけで……騎士団員養成科なら、学費無料だったし……」
「あ、うん、それ分かる。俺もだわ……」
タダより怖いものはない。『学費無料』と『就職先保証』につられて進んだ先が、よもやこれほど恐ろしい場所だったとは――。
「あー、その、えーっと……」
微妙な空気になったこの状況を打開すべく、ナイルはことさら明るい声音で言った。
「じゃ、じゃあさ! 現実的じゃないやって、諦めちゃったほうは? 歌手とか? 画家とか? プロスポーツ選手?」
「いや、俺の場合、そういうのじゃなくて……適当に金を稼いで騎士団を辞めたら、その……花屋をやりたいなぁ、とか思ってたんだが……」
「花屋って、駅前のアレみたいな?」
「ああ。まあ……無理だけどな……」
「やろうよ!」
「は?」
「花屋、いいじゃん! 専門店ってわけにはいかないけど、やろう! よし、決定! とりあえず、今各部署に置いてる観葉植物をうちで請け負うことにすれば……う~ん、業者に払ってる定期交換費と大差ない金額でいけるかな? すぐに原価調べなきゃな!」
「ちょ、ちょっと待て! なんだ? 何の話だ!?」
「え? あっ! ごめんごめん! えっとね、俺、騎士団本部庁舎内に売店出せないか、事務長に相談中なんだ♪ 売店のお兄さんとして本部にも居場所作っておけば、いろんな部署の人と交流しやすくなるでしょ? 本部のエントランスなら、一般市民とも堂々と面会できるし。情報部の外部窓口として最適かなぁ~、って思って♪」
「……で、その売店で、花も売るのか?」
「うん。あ、でも、生花だと需要が微妙だから、魔法で防腐処理したアレンジメントとかにしたほうが売れるんじゃない?」
「あー……ひとつ聞きたいんだが、その企画、お前の単独か?」
「え? そんなわけないじゃん。一人じゃ無理だよ。シアンとコバルトとピーコックも連名にしといたよ♪」
「おい! なんで勝手に俺を巻き込む!」
「嫌なの? 花屋やろうよ!」
「いや、その、嫌じゃないけど……相談しろよ!」
「そりゃあ相談したかったけど、今朝まで、どっちかっていうとダメっぽい雰囲気で話が進んでたんだよ? セルリアンが事務長説得してくれて、ようやくいけそうな感じになったから話したんだけど……」
勝手に話を進めてしまったことには罪悪感を覚えているらしい。しょぼんとした顔で、猫耳も視線も下向きになってしまった。
そんなナイルに、シアンはビシッと指を突き付ける。
「ほらまたそれだ! あとでそんな顔するくらいなら、はじめから言えよ!」
「だ、だって……せっかく話だけ盛り上がっても、もし駄目だったら、シアン、がっかりするだろ……?」
「ああ、そりゃあ、がっかりするだろうな。でも、それも含めて一緒にやる醍醐味なんじゃないのか? お前だけが苦労してお膳立てして、形ができてから『ハイどうぞ』なんて、そんなの納得いかない! おい、その売店の企画書、全部見せろ! どうせやるなら、徹底的に関わってやるからな!」
「シ……シアン……っ!」
数秒前までの凹み顔はどこへやら。ナイルは歓喜の表情で目をキラキラさせ、デスクの下から大量のファイルを取り出した。
「じゃあまず、商取引の基礎知識と経営学からね! 企画自体は九割方OK出てるから、品ぞろえとか詳細を煮詰めるためにも、基礎の基礎から勉強してもらうよ! あぁ~、ホント、よかった! シアン、絶対面倒臭いって言うと思ってたんだよね! なのに、こんなにやる気満々で乗ってくれるなんて! 最高だよ! 一緒に騎士団史上初のカリスマ売店経営者になろうね! 目指せ、売店王!」
「売店王!?」
耳慣れぬ単語に、オウム返しになるシアンである。
しかし、ふと冷静に戻ると、これはなかなか思い切った手だ。
マフィアの内部に潜り込む工作員たちと違い、自分たちは顔を隠す必要が無い。堂々と姿をさらせる立場にある。それなのに、これまではなぜか皆、こそこそと人目を避けるように生きていた。
感じる必要のない負い目と、誰にも打ち明けられない挫折感や敗北感。情報部に異動して以来ずっと、この状況は打破できないと思い込んでいた。
しかしどうやら、それは間違いであったようだ。
どうせ辞められないのなら、ここで夢を叶えてしまおう。
根明なナイルならではのやり方に、シアンは思わず笑みをこぼす。
「こういう手があったか……この天才め……」
「ん? なんか言った?」
「いや、何でもない。ただ、なんというか……自分史上最大の事件と思っただけだ」
「あ、やっぱり? だよねだよね! まさか俺も、駄菓子屋やりたいって夢が叶うとは思ってなかったもん! 超事件だよコレ! バターナッツ売りまくらなきゃ!」
「とりあえず、どれから手を付ければいい?」
「えーっとね! 最初はこれかな! はい、読んで!」
「……マジかよ……」
気安いノリで手渡された経営学の本。身構えることなく表紙をめくり、後悔した。
細かい文字でぎっしり、びっしり、会社経営のノウハウが余すことなく記されているようだ。
これは読むだけでも苦労しそうだが、読んだだけではいけない。その内容を理解し、身に着け、実践できるようにならねば。
「がんばろうね、シアン♪」
「あ、ああ……がんばるさ……うん。がんばる……」
シアンは思った。
簡単に言うんじゃねえよ、この天才め――と。