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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.5 < chapter.8 >

 中央市の南端、パティカ雑貨埠頭。

 ここはその名の通り、雑貨の荷揚げを専門とする埠頭である。大まかに『雑貨』と括られているが、ここで扱うのは食品、医薬品、動植物以外の日用品の類だ。大きな建材や高価な美術品は別の埠頭で荷揚げされる。つまりここには、検疫や警備が必要ないか、簡略化しても問題ない貨物が集まることになる。当然、衛生保健省や騎士団による立ち入り検査の回数も少ない。

 貨物の検疫・衛生管理を徹底するために区分した結果なのだから、仕方がないことではある。しかし、公的機関が関与しない状態が長く続くとどうなるか。

 開港から五十余年を経た今、この埠頭は、誰もが予想した事態に陥っていた。


 マフィアの台頭。

 関連する事業者の不正の温床。

 住所不定、身元不明者による非合法集落の形成。


 それが現在のパティカ雑貨埠頭の姿である。

 これまでに何度も『一斉清掃』を実施しているのだが、なにせ場所が場所。隙間なく林立する雑居ビルは違法な増改築によって一体化し、町全体が『ひとつの迷宮』と化している。どこから踏み込んでも、必ず別の出口がある。追い詰めたと思っても、いつのまにかするりと脱出されてしまうのだ。

 倉庫や埠頭の作業員も、必ずどこかの組織に買収されている。騎士団が来たと見るや、証拠になりそうな書類は片っ端から隠してしまう。

 どうにも手が出せないマフィアの巣窟、パティカ雑貨埠頭。

 そんな埠頭の一角で、それは唐突に始まった。

「火事だ! 早く消せ!」

「おい! 早く水もってこい! 水だ!」

「どうした? 何があったんだ? なんでこんなところから火が……」

 何の変哲もない、古びた三階建てのビル。入口に掲げられたプレートには貿易会社の名前が記されている。

 今、そのビルの正面口が燃えていた。

 慌てて消火に駆け付けた『従業員』たちが見たのは、『受付係』たちの変わり果てた姿である。


 燃え盛る炎の中で、自分の体をかきむしるように苦しみ悶える男が二人。

 炎からは逃れたものの、いまだ背中が燃えている者が一人。

 その背中の火を消そうと、自分の上着で必死に叩いている者もいる。

 ここは火の気のないビルのエントランス。失火でないことは一目瞭然だった。


 仲間の背中を叩く男は、泣き叫ぶように訴える。

「か、火炎瓶……火炎瓶を投げ込んで来やがったんだ! どこの一家の奴か分からねえが、顔を隠した連中がいきなり……!」

「どっちに行った!?」

「駅のほうだ! 荷馬車に乗っていった!」

 それを聞いた『従業員』たちは、半数は消火にあたり、もう半数は外に飛び出していった。

 みんなで水を掛ければ、この程度の火災はすぐに鎮圧できるはず――そう思っていた彼らは、三分後には諦めざるを得ないと悟る。

 燃えているのは油やアルコールではない。火炎瓶と一緒に樹脂が投げ込まれている。樹脂は壁や床に付着し、長時間に渡って燃え続ける。表面にバケツの水を掛けた程度では、一度高温化した樹脂の燃焼を止めることはできない。

「クソ! 消せねえ! おい! 若頭を裏口へ! 脱出するまで、せめて火の勢いを抑えるんだ!」

「はい!」

 リーダー格の男の声で、さらに半数がこの場を離れる。

 今ここにいるのは八人。その全員が火を消すためにバケツリレーを続けている。

 そのころには炎の中で身悶えていた二人は絶命し、背中の火を消された一人も、床に伏せたまま動かなくなっていた。

 必死に背中を叩いていた男は、動かない仲間の傍らに座り込み、号泣している。

 誰も疑問に思わない。


 これまでずっと、そういう人物を演じ続けていたから。


 はじめに気付いたのは、火の近くにいた男だった。受け取ったバケツの水を炎に掛けて、そのバケツを奥の仲間に投げ返し、次のバケツを持って振り向いた瞬間。

 彼はそれを見た。

「……は?」

 炎の中で、黒焦げの死体が立ち上がる。

 絶命したはずの二人が立ち上がり、呆然と立ち尽くした彼に向かって手を伸ばし――。

「あ……ぎゃあああぁぁぁっ!」

 こんな異常事態を飲み込めるはずもない。彼は何ひとつ理解できぬまま、黒焦げ死体に手を掴まれ、炎の中に引きずり込まれた。

 他の七人も、それを見て立ち尽くした。

 何が起こっているのか分からない。

 呆然とすること五秒少々。七人は、次の悲鳴で正気を取り戻した。

「ひいっ! や、やめろ! なんだ……なんだよこれ! うわあああっ!」

 背中の火傷で死んだ男。その男の死体が、傍らの男に襲い掛かっていた。

 近くにいた者が、反射的に死体を攻撃する。

 全力で蹴りつけられた死体は床に叩きつけられるが、すぐに動き出す。その動作は生きた人間のものとは根本的に異なる、関節の向きも無視した不気味なもので――。

「こ、こいつ……死んでるのに……」

 その場の恐怖を煽るかのように、死体は禍々しいうめき声をあげ、じりじりとにじり寄ってくる。

 炎の中からは、一人を殺し終えた黒焦げ死体たちが、次の獲物を求めるかのように手を伸ばし――。

「じゅ……呪詛だ! あいつら、ゾンビになっちまいやがった!」

「マジかよ! クソ! 呪詛なんてどうやって解除したら……」

「駄目だ! 俺たちじゃどうにもできねえよ!」

「に、逃げるぞ! 急げ!」

「早く、ほらお前も! 立てよ!」

 床にへたり込んでいた男は、他の男たちに引きずられ、ビルの外に連れ出された。




 コード・ヴァイオレット諜報員、リラ。彼の任務は顔を変えて反政府組織に潜入し、極秘情報を入手すること。そのためにはどんな手段も辞さない。

 彼はまず、自分と一緒に『受付係』をしていた三人を殺した。そして死体の口にゴーレム呪符をねじ込み、準備完了。あとは以前から用意してあった『緊急脱出用』の火炎瓶や樹脂を使い、対立する組織からの攻撃に見せかけた。

 火炎瓶と一緒に樹脂まで投げ込む周到な襲撃計画。とどめに呪詛をまき散らすことくらい『やるに違いない』と思い込ませれば、後はもう、何もする必要が無い。想定通りに事態は推移し、自分は『ゾンビ化した仲間に襲われた被害者』として、無事に連れ出してもらえた。

 自分の脚で走って逃げるのと、腰を抜かして引きずられていくのとではその後の扱いが違う。自分は出入り口にいた中で唯一の生存者。「火事だ」と叫んだのも、「襲撃者がいた」と証言したのも自分だけ。もっとも疑われる立場にあることは間違いない。だが、その現場で腰を抜かして逃げ遅れていたらどうか。

 眼前に迫る炎と、呪詛か何かで動く死体。そのままそこにいたら確実に死ぬ状況で、自力退避が不可能な状況に陥った者――それが全てを仕組んだ真犯人だなんて、普通は考えない。

(だが、まあ……入口を守り切れなかったことは確かだから……それなりの制裁は食らうかもな……)

 それでも、ここで逃げ出すわけにはいかない。リラはコード・ブルーとは別の事件を追っている。せっかく内部に潜り込むことに成功したのだ。このまま引き下がったら、自分はもう二度と、あの事件の核心に迫れなくなる。

(頼むぞシアン……お前が若頭とウィザードを押えてくれれば、ボスは俺みたいな下っ端の処遇なんて考えてる暇はねえ。代わりの拠点作りと兵隊の調達。それで手いっぱいだ。……だけどもし、お前が失敗したら……)

 入口を守り切れなかった門番の生き残り。ここの若頭の性格なら、自分は全責任を負わされて、散々リンチされた挙句、生きたまま海底に沈められるだろう。

(……頼む。頼むから……絶対に、しくじらないでくれよ……)

 自分の命はシアンの腕に託された。

 リラにできるのは信じることと、祈ることだけだった。




 火災発生の知らせを受けて、若頭とウィザード、その他九人の構成員が船に乗り込んだ。

 このビルは一部が運河にせり出した舟屋。一階奥は半分が荷捌き場、半分は船着き場という構造だ。火災が発生した正面口とは壁で仕切られていて、一度二階に上がらねば行き来できないようになっている。普通の貿易会社のビルとしては非常に使いづらい動線だが、ここはマフィアの拠点。日常的な利便性より、騎士団に踏み込まれた際、より確実に幹部を逃がせるよう設計されている。

 敵対勢力からの攻撃と思っている若頭は、額に青筋を浮かべ、小さくなっていく自分の『城』を睨んでいた。

「クソが……どこの一家だ? ……許さねえ……許さねえぞ……」

 唸り声のようなつぶやきに、部下たちは誰も、何も言えない。

 尋常ならざる殺意を乗せて、ボートは運河を南下。湾に出て、進路を東に取ったときである。

 ゴトリと、何かが床に転がる音がした。

「あ?」

 音の方向に視線をやったまま、若頭の表情は凍りついた。


 手榴弾である。


 若頭の隣にいたウィザードが、咄嗟に《防御結界》を構築する。その刹那、手榴弾は爆発。さほど広くもない船室は熱と衝撃に蹂躙された。

 この手榴弾は瞬間的な爆発力のみを重視したタイプだ。引火性や発煙性は抑えられている。爆発直後も船室に煙が充満することはなく、視界は良好。手榴弾を使った直後に接近戦に持ち込むことも可能なのだが――。

(……防がれたか。このウィザード、想像していたより防御力が高いな……)

 若頭のほうは警戒する必要はない。手榴弾を見た瞬間の反応で概ね把握できた。この男は実力で選ばれた『若頭』ではなく、世襲で選ばれた『若頭』だ。商談や会社経営のほうでは優秀なのかもしれないが、少なくともマフィアの基本行動、『抗争』に必要なスキルは持ち合わせていない。

 シアンは身を潜めたまま、チャンスをうかがう。

 今はまだ動けない。無傷のウィザードが《防御結界》を維持している以上、今出て行ってもシアンの攻撃は通用しない。

「クソ……んだよこの豚ども! 簡単におっ死んでんじゃねえぞ! オラァッ!」

 船室に転がる部下たちの死体を蹴り飛ばしている。なるほど、性格だけは間違いなくマフィアの幹部だ。この勢いでリンチされたら、立場の弱い下っ端は一も二もなく服従せざるを得ない。

(……しかし、上に立つには器が足りないな……)

 凶暴なだけのリーダーなんて、必ずどこかで足をすくわれる。それでもこの組織がやってこられたのは、おそらく、優秀なナンバーツーがいるためだ。

 トップが恐怖を与え、ナンバーツーが優しい言葉をかける。たったそれだけのことで、人の心は面白いように操作されてしまう。

 もともと社会に居場所の無いはみ出し者たち。頼る当ても、心のよりどころもない。新入りが入ったら、まずは適当な案件で失敗させて、仲間の前でひどく叱責する。傷付き、自信を無くしている新入りに、ナンバーツーがこっそり耳打ちする。

「あの人が君を叱るのは、君の成長を信じているからだよ。僕も君を信じている。君ならできる」

 そんな温かい励ましの言葉と、いくつかのアドバイス。その後にまた、適当な案件を与える。その案件は、ナンバーツーのアドバイスに沿った内容のもの。当然のことながら、今度は上手くいく。

 するとどうだろう。鬼のような形相で自分を叱責したトップが、今度はハグするくらいの上機嫌で成功を祝すのだ。前回、氷のような視線を投げかけていた先輩たちも、「これでようやく仲間だな」「お前を認める」「仲良くしようぜ」などと、フレンドリーに肩を叩く。

 実に簡単な洗脳方法だ。

 もうこれだけで、トップを『尽くすべきご主人様』、ナンバーツーを『信頼できるアドバイザー』、その他大勢を『最高の仲間たち』と誤認する。

 誰もかれも、新入り時代にこれを受けて洗脳された者たちばかり。こんないびつな『ファミリー精神』でも、彼らにとっては『本物の家族』だ。家族を守るため、家族の一員であり続けるために、せっせと悪事を働く。やればやっただけ褒めてもらえる。そのことに喜びを感じて、さらに悪事を働く。そんな生活を続けていくうち、やがて誰もが、自分の行動に疑問を持たなくなる。

 ボスのためなら命をも投げ出す、忠犬たちの哀れな軍団。

 これは最も簡単で、非常に恐ろしい洗脳方法である。

(……どっちだ? このウィザードは、犬か? それとも、こいつがナンバーツーか?)

 雰囲気からして、ただの雇われウィザードではなさそうだ。若頭はこのウィザードを全面的に信用している様子だし、ウィザードのほうも、自分の意思で彼に寄り添っているように見える。

(……いや、待てよ? このウィザード、まだ子供だよな……?)

 顔に刺青を入れて、強そうに見せてはいる。だが顔つきも体つきも、まだどことなく少年特有のあどけなさが残っていて――。

「……兄貴、どうする? 俺が《索敵》掛けようか?」

 他の構成員は『若頭』と呼んでいた。混乱を避けるため、組織内での呼称は統一されているはずだ。つまり彼にとって、若頭は本物の『兄貴』なのだろう。

(そのパターンか……やりづらいな……)

 実の兄弟。これは非常に厄介だ。雇い主を殺した瞬間に「やってられるか!」と逃げ出してくれるのが雇われ者の良いところ。先に若頭さえ仕留めてしまえば、ウィザードとの対戦は回避できると踏んでいた。だが肉親となると、どちらを先に仕留めても『兄弟の仇』だ。二人が完全に沈黙するまで、戦闘は継続する。

(手持ちの呪符だけでは、ウィザードとの戦闘は無理だな。攻める順番を変えないと……)

 作戦を立て直すしかない。シアンは必死に考えるが――。

「兄貴、そこ! 座席の下に誰かいる!」

 索敵能力もそこそこ高い。

 ここはさほど大きくもない船の中。スペースを最大限利用するため、座席や床下には収納スペースが設けられている。シアンが隠れているのも、まさにその座席の下だ。これは見つかったかとヒヤリとしたが、違った。

 若頭は壁に掛けられた剣を抜き、シアンが隠れているのとは別の座席を突き刺した。

 何度も何度も突き刺して、それから座席を開けると――。

「こ……こいつは……!」

 たった今この船を操縦しているはずの男である。衣服を剥ぎ取られ、拘束された状態で座席の下に押し込められていた。

 ということは、つまり。

「……クソ! この船、どこに向かってやがる!?」

 大慌てで窓の外を確認する若頭だが、ここはもう湾の中央付近。小さな窓から一見しただけでは、現在地も、進行方向も、まるで分らない。

「おい行くぞ!」

「うん!」

 兄弟は船室を飛び出していった。

 その直後である。

 ほんの数秒前まで兄弟が座っていた座席から、シアンが這い出した。

「……馬鹿で助かったな……」

 座席の下には銃や刀剣類も隠されていた。これははじめから突っ込まれていた品々だが、この際ありがたく使わせてもらうことにする。

(さて、コバルトが一撃でやられていないといいのだが……)

 シアンは気配を殺し、慎重に船室を出て行く。




 アジトに到着したシアンとコバルトは、船の見張りとして立っていた男を捕らえた。麻酔針で眠らせ、衣服を剥ぎ取って拘束。船室に隠す。

 船室内の配置を見れば、幹部クラスが座る席はおおよそ見当がつく。シアンとコバルトはその席から一番離れた座席に手榴弾を仕掛けた。その仕掛けは至って単純で、目につきづらい場所に梱包用テープで貼り付けるだけ。手榴弾の重さをギリギリ支えられる程度のヤワな貼り方をしておけば、運河から湾に出て揺れが大きくなったところで、勝手に剥がれてドカンと爆発。普段であれば絶対にやらない、急場凌ぎの杜撰なトラップである。

 操舵はコバルトが引き受けた。彼は幻覚魔法で顔を誤魔化しているだけ。ウィザードの力量次第では一瞬で見破られる可能性もあったが、幸い誰にも気付かれなかった。よく見れば体型も所作も異なるのだが、『火災発生』というイレギュラーな事態に、誰もが冷静な判断力を失っていたらしい。

 何の疑いもなく船に乗り込み、シアンが隠れた座席に腰を下ろした。それが逃げ場のない片道クルーズとも知らずに――。

(操舵手が偽者と気付いたところだけは褒めてやってもいいが、まあ、それ以上のことはないな……)

 シアンがデッキに上がると、若頭の怒声が聞こえてきた。

「てめえ何モンだ!? あぁっ? こっち向けや!」

 舵を取るコバルトの背中に、剣の切っ先を突き付けているようだ。

「なんとか言えってんだよ! オォウ!?」

 声で威嚇し凄んで見せるが、反応はない。

「何無視してやがんだゴルァーッ!」

 ぶち切れた若頭は、コバルトの背中に斬り付ける。

 だが、しかし。

「……んだよ、これ……」

 切れたのは衣服のみ。切り口からのぞく背中は、人間のものでは無かった。

「ああっ! 兄貴! これ、ゴーレムだよ!」

「んなこた見りゃ分かるんだよ! クソ! どうなってやがる! じゃあ犯人はどこにいるってんだ!?」

 いやいや、犯人はお前で、俺たちが正義の味方だってば。

 そう突っ込みたくなったシアンだが、あいにく相手は語彙力に乏しいオラオラ系。冷静なツッコミは聞いてもらえそうにない。

 周囲を見回す二人に気付かれないよう、操舵室から死角になる場所、屋根の上へと移動する。そこで先客と、簡単な打ち合わせを行う。


〈あの二人、兄弟だ。一方を残すと面倒なことになる。同時に倒すぞ〉

〈なら、弱そうなほうが僕でいいかい?〉

〈兄貴だよな?〉

〈お兄ちゃんだねぇ〉

〈OK、操舵室から出てきたところをやる〉


 これだけだ。すべては相手の出方次第。現場のやり取りなんて、いつだって味気ない。

(……味気ない……はず、なんだがなぁ……?)

 なぜかいつも賑やかな後輩たちの顔が浮かんだが、すぐに意識の外に追いやった。

 姿の見えない敵を探し、キョロキョロしながらデッキに出てくる兄弟。シアンとコバルトは同時に飛び降りた。

 背後に何かが立つ気配。それを感じたと同時に、若頭は背骨に肘打ちを叩き込まれている。ただの肘打ちではない。コバルトの左腕は戦闘用義手。若頭は一撃で背骨を粉砕され、デッキに倒れこんだ。

「あ、兄貴!」

 健気な弟は兄を襲撃した男に攻撃魔法を放つが、それは自分の眼前に出現した《魔鏡》によって撃ち返される。

 《魔鏡》は攻撃魔法をそのまま跳ね返す防御魔法。非常に難易度の高い魔法で、シアンにもコバルトにも使えない。

 使用者はキアだ。

 弟は自分が放った氷の刃に胸を抉られ、悲鳴を上げる間もなく絶命する。

 背後から攻撃しようと構えていたシアンも、あまりの手際の良さに拍子抜けした。だが、これでは――。

「おい! ウィザードを死なせたら、ゾンビ化の呪法と顧客が聞き出せないぞ!」

 咄嗟に救命措置を行おうとするシアンとコバルト。しかし、シアンの手首に巻き付いた蛇はモールスでこう言った。


〈別人だ〉


 シアンの顔色の変化に、コバルトも気付く。

 想定外の事態発生。それも、かなり悪いことのようだ。

「おい、キア、どういうことだ? 詳しく話せ!」

 シアンの声に応えるように、《雲雀》が出現する。小鳥がくわえたリボンをひったくるように掴み、シアンは通信をつないだ。

「夫が傍に置いていたゾンビとは、魔力の気配が違います。こんなに弱いはずもありませんし……この人でないことは確かです」

「なら、他に誰がやったというんだ?」

「あのアジトに出入りしていたウィザードはこの人だけではありません」

「なに? おい、他に何人いたんだ?」

「一度見ただけの者も含めれば十九人。ほぼ毎日出入りしていたのはこの人と、もう一人……」

「そいつの名前は?」

「グラスファイア。そう呼ばれていました」

「なっ……」

「それはまた……随分と大物が……」

「ご存知なのですか?」

「ご存知も何も……ああっ! クソ! そうだよな! どんなに魔法の腕が立っても、知ってるわけがねえ……十四歳の温室育ちのお嬢ちゃんが、知ってるわけはねえよな!」

 自棄になって叫ぶシアンに、キアは苛立った口調で尋ねた。

「何のことです? きちんと、分かるように話してください!」

「ああ、話してやるさ! お前が見たのは中央三巨頭の一人、ドン・エランドのお気に入り! 最強最悪のウィザード! 氷の奇術師グレンデル・グラスファイアだ! 俺たちの仲間も、奴に何人も殺されてる! おいキア! お前の半端な介入で、この先何十人死ぬと思う!?」

「わたくしの介入で? ありえません。わたくしは気付かれないよう、ちゃんと呪符なしゴーレムで偵察して……」

「その開発者を知っているのか!?」

「え? 開発者?」

「そう、開発者だ! 呪符なしゴーレム呪文を、世界で最初に発動させた人物!」

「い……いいえ、存じませんわ。ですが、高度な魔法というものは魔法学研究所で編み出されるものと教わりましたが……」

「馬鹿か!! 世界で最初に呪符なしゴーレムを使った男は、グラスファイアの育て親、ドン・エランドだ! グラスファイアはドン・エランドの最高傑作なんだよ! 分かったか、お嬢ちゃん! これが教科書には載らない事実だ! レア魔法は研究室で開発されたりしない! いつだって、マフィアと騎士団の化かし合いの中で編み出されていくんだ!」

 キアは無言になった。

 彼女は世俗に疎い温室育ちで、社会経験が全く足りていない。けれど、本物の馬鹿ではない。自分がどんな失敗を犯したのか、理解しているからこその沈黙だった。

 コバルトは天を仰いだ。

 リラは死んだ。

 彼だけではない。潜入中の彼と連絡を取り合っていた、コード・ヴァイオレットの工作員数名も、もうグラスファイアの処刑者リストに掲載されていることだろう。

 シアンも両手で顔を覆って、必死に感情を抑えていた。

 歯を食いしばっていなければ、キアを罵る言葉が何百でも、何千でも飛び出してしまう。まだ十四の子供に浴びせていいような言葉なんて一つもない。よくもまあこんなにひどい言葉が浮かぶものだと、自分に対する嫌悪と落胆で、頭がおかしくなりそうだった。

 自分はこんな、無知な少女を傷付けるために工作員をやっているわけではない。自分が騎士団に入ったのは、自力では戦えない、弱い誰かを守るためで――そう思ったとき、ふいに、ある可能性が脳裏を過った。

「……なあ、キア? 今日の、お前が勝手に送ったゴーレム。リラと連絡を取った後、どうした? その場で解体したのか?」

「……いいえ。何の証拠も残さないように、ちゃんと屋敷まで帰還させて、それから……」

「逃げろ」

「え?」

「今すぐ、その屋敷を離れろ! お前ならペガサスタイプのゴーレムホースくらい作れるだろう!? 考えうる限り全ての防御魔法を展開しつつ、最速で騎士団本部に逃げ込め!」

「なに? なんですの? 何をそんなに……」

「お前はグラスファイアの行動を騎士団に話したんだぞ!? 無事で済むはずがない!」

「……っ!!」

 息をのむキアの気配。その直後、何か重い物が床に落ちるような、鈍い音が聞こえた。

「……キア? おい、キア、どうした?」

 呼びかけに答えない。

 シアンの手首に絡みついていた蛇型ゴーレムも、ただの砂粒になって、さらさらと零れ落ちていく。

 キアの意識が途切れたのだ。

 シアンとコバルトが、蒼白な面持ちで視線を交わしたときだった。シアンの手の中で、リボンの色が変わった。

 白地に薄青で雪の結晶柄。こんな状況でなければ、素直に美しいと思えるその『紋章』は――。

「……グラスファイアか……?」

「やあどうも。結晶マークだけで分かってもらえるなんて、光栄だなぁ」

「分からないわけがないだろう? 貴様、キアに何をした?」

「眠ってもらっただけさ。騎士団の人と、直接お話がしたくてね」

「話だと? いったい何の用だ?」

「その前に、君の名前を教えてもらえるかな? 名前も分からないんじゃ、話し辛いからね」

「……シアンだ」

「え? シアン? 本当に? うわ、やったぁ! いきなり最本命に当たるなんて、俺、本当についてるなぁ!」

「……俺に用事でも?」

「うん! それはもう、すっごく大切な用事が! 君、情報部最強なんだろ? 本当は他の人に伝言してもらうつもりだったけど、直接言えるなんて超ラッキー♪ あのね、俺、君と戦いたくって♪」

「……なんだって?」

「だ~か~ら! 君と戦いたいんだ! 情報部最強のシアン、特務部隊最強のキール、治安維持部隊最強のヴィンセントと……あとは近衛最強って言われてたブルーマンとも戦いたかったんだけど、急に南部に異動しちゃっただろう? だからブルーマンは諦めるしかなくって、すごく残念だったんだ。でも、君がその分も戦ってくれるなら、十分楽しめそうだね」

「なぜ俺が、貴様と戦わなきゃならん?」

「あ、言うと思った。だから、理由を作るよ。俺は今から、この女の子を誘拐します。監禁期間は今日から半年。半年以内に君が俺の居場所を突き止めて戦いに来てくれれば、この子は無事に返してあげる。それまでは絶対に手出ししない。だけど、見つけられなかったら……分かるよね?」

「……本当に、半年は何もしないんだな?」

「うん、まあ、一応ね? 俺、褐色肌もロリもタイプじゃないし。女の子殴る趣味もないし」

「その約束だけは守れよ」

「は~い♪ やったね! 話の早い人で超助かる♪ それじゃ、勝負は今からスタートで……」

「待て。念のため確認しておきたい。勝敗に関わらず、キアは解放されるんだよな?」

「うん、そうだよ♪ だって勝ったときに限定しちゃったら、ちょっと難しすぎるだろぉ~?」

 歴然とした挑発なのだが、シアンは乗らない。あくまでも淡々と、いつもの口調で答える。

「分かった。それじゃあ始めよう。はいスタート!」

「え、ちょ、それ俺のセリ…」

 ブツッとリボンを引きちぎり、通信をたたき切る。

 シアンはこういうノリの、もう少しだけ社会に適応した人間を知っている。これはいわゆる『狂気の天才』というヤツだ。真面目に相手にするだけこちらの精神力が削られていく。適当なところで、強引に話を終わらせてしまうのが最適解なのだ。

 隣で話を聞いていたコバルトも、シアンのあしらいに拍手して見せている。

「コバルト、本部に戻るぞ」

「この半身不随君はどうする?」

 背骨を砕かれた若頭は、痛みに声を上げることも出来ずにいる。戦闘用義肢で粉砕骨折させられた場合、そう簡単には治らない。手を尽くしたところで、下半身麻痺は確定だろう。

「さて、そうだな……?」

 この男はもう組織には戻れない。手駒を失い、拠点を潰され、本人は半身不随。戻れば確実に『処分』される。

 それが分かる立場にいたからこそ、組織のために玉砕することも選べないのだ。

 震える男に、シアンは淡々と問いかける。

「お前は、グラスファイアとはどの程度の関係だ?」

「か、関係もなにも……俺は上からの指示で、あの人に商品を……」

「呪符や魔法薬の原料を融通していた、というところか?」

「あ、ああ、そうだ……」

「ドン・エランドの傘下か?」

「違う! うちは全然別だ! 上手くやれば三巨頭とつながりが持てるって言われて、多少無茶な仕事でも引き受けてたんだよ! だ、だから、その……頼むよ。俺を保護してくれ! 知ってることなら何でも話すから! だから、な? 騎士団で俺を……」

 はじめからそのつもりではあったが、これはおそらく、ろくな情報は得られないパターンだ。たった今、目の前で実の弟を殺した相手に保護を求める。そんなプライドの低い男に、初めから重要機密など持たせたりしない。

 多少無茶な仕事というのも、この男の力量を試す目的で持ちかけたわけではない。自分の手駒を使ったのでは足がつくから、無関係な別組織を捨て駒として用いただけだ。

(その程度も見抜けないのか、こいつ……)

 もはや哀れみ以外の感情が湧かない。それでも一応、抵抗できないように両手を拘束しようとしたときだった。

「か……は……?」

 若頭が血を吐いた。

 内臓も傷ついていたのかと思ったシアンとコバルトだが、どうも様子がおかしい。

「あ……れ? おい……なんで……なあ、おい、誰か今、俺の……は…ら……」

 うつぶせのまま、下から突き上げられるようにガクガクと体を震わせた。これは自分の意思でできる動作ではない。体の下に何かいる。

「ぶ……ふふぁ……っ?」

 若頭の腹から背中へ。それは大穴をあけながら宙に舞い上がった。

 鳥型ゴーレムだ。

 血と肉片に塗れたゴーレムは、船上を悠々と旋回してから、いずこかへと飛び去った。

「……口封じも完璧、ということか……」

「いや……まいったね。まさか、こんな大物が出てくるなんて……」

「……なんでだ?」

「うん?」

「なんで、ターコイズでもラヴェンダーでもなく、俺が指名されるんだ……?」

「それは……二つ名のせいじゃないかな? 情報部最強戦力って二つ名も、少しずつだけど、裏社会の連中に広まってるみたいだし……」

「だが、俺には何の特殊能力もない。全然、最強なんかじゃないのに……」

「そうでもないだろう?」

「なに?」

「君は強いよ。僕たちの中で一番強い。だって君は、特技が一つもないまま、平然と僕らと同じところに立っているんだから。それって、何でもこなせるってことだろう?」

「いや……そんなのはただの器用貧乏さ。平均点がそこそこ良くても、やはり、個別の能力で比べていったら……」

「違う。たった一つの特技を必死に磨いて、それでも僕らは、最強とは呼ばれないんだ。その理由が、君に分かるかい?」

「……分からない。俺は本当に、自分の何が『最強』と呼ばれているのか分からないんだ。任務の成功率だけなら、ピーコックのほうが上なのに……」

「そこだよ」

「そこ?」

「その、ありのままの実力を認識できる『心』が強いのさ。それはね、たった一つの特技で上り詰めた僕らには、とても難しいことなんだよ」

「……そうなのか?」

「そうだとも。少し長い話になるが、聞いてくれ。僕らはたった一本の剣を、必死に鍛えて、磨き上げて、ようやく騎士団という組織の頂点に上り詰めた。それだけを頼りにここまで来たのに……こじ開けた最後の扉は、情報部なんて名前の奈落の入り口だった。どんな剣をもってしても、闇を切り裂くことなんてできやしない。闇を照らせるのは光だ。持つべきものは剣ではなく、ランプかカンテラ。だけど僕らは、それが分かっていても、いまさら剣を手放すことはできない。だってもう、その剣が……自分の才能だけが、今の自分の居場所を確保する、唯一の手段になってしまったのだからね。自分の剣を少しでも強く見せようと、みんな必死に見栄を張っている。もちろん、僕もそうだよ。こんな真っ暗闇の中では、誰にも、なんにも見えやしないのにね……」

「……いや、コバルト……お前は、見栄なんか張る必要ないだろう? お前は誰よりも速く馬車を走らせる。揺れないし、音もしない。他の乗り物だって、なんだってうまく乗りこなすじゃないか。それは、俺には絶対にできないことだ。お前のおかげで成功した任務はいくつもある。俺は、お前の能力がうらやましくて仕方がない」

 シアンの言葉に、コバルトはくすぐったそうにはにかんだ。

「嬉しいことを言ってくれるね。でも、それはこっちのセリフさ。僕だって君がうらやましい。いつでも正直に、自分らしくいられる君が」

 コバルトの言葉を、シアンは首を横に振ることで否定する。

 正直なんかじゃない。これまで、何度だって自分の気持ちを誤魔化してきた。

 自分らしさなんてよくわからない。個性的な人間がうらやましくて、必死に真似したこともある。でも、それでは何者にもなれなかった。何の才能も芽生えず、何の特技も身につかず――ただ、時間だけが無情に過ぎていった。


 称賛を浴びる天才たちを、物欲しげな目で眺めるだけの非力な凡才。


 シアンにとっての自己認識はその程度のものだった。

 だから努力したのだ。

 愚直に、ただひたすらに、できる努力はすべてやりつくした。それでようやく、仲間たちの背中に追いすがっていられただけで――。

「俺にあるのは、『らしさ』でも『強さ』でもない。ただのド底辺根性さ」

「そう? ま、君自身がそう思っているなら、そうなのかもしれないね。僕にはもう少し、キラキラしたものに見えてるのだけれど……」

「気のせいだ。俺の中に、そんな御大層なものは詰まっちゃいない。それより、いい加減戻ろう。セルリアンに報告しなければ……」

「うん、そうだね」

 コバルトは軽く頷き、操舵室に入った。

 計器類をチェックし、まるで熟練の船乗りのように、慣れた手つきで船を操る。

 その手元を見て、シアンは思う。


 やはりコバルトも『天才』のほうだ――と。


 そんなシアンの視線を感じながら、コバルトも思っていた。

 シアンのそれは、『ド底辺根性』などではない。『不屈の精神』という、立派な才能だと。そしてその才能は、あまりにも長い抱卵期間を経て、今まさに殻を破ろうとしている。

 シアン自身は気づいていない、最強の才能。


 絶対に折れない心。


 たった一つの才能に固執し、縋りつき、それだけを心の支えにしてきた者とは根本的に異なる心の形。それはともすれば、嫉妬や羨望で汚れ、擦り切れてしまうものだけれど――。

(よくもまあ、ここまで綺麗に残っていたものだね……『この二人』は……)

 シアンと、今ここにいないもう一人。

 陽だまりの匂いのする情報部員なんて、冗談のような個性を持ったあの男。シアンとはまるで合わないように見えるのに、二人揃えばぴたりと噛み合う、奇跡のような相性で――。

(本当に……本当に最高だな、君たちは……)

 騎士の墓場・情報部。そんな不毛な土壌で、それでもなお成長を続け、花を咲かせようとする者がいるとは。

 コバルトは、顔には出さずに心だけで笑っていた。

 この二人がいるならば、奈落の底でも陽は上る。

 何の根拠も無いのに、なぜかそんな気がした。


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