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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.5 < chapter.7 >

 ホテル内に非常ベルが鳴り響く。

 事故か、事件か、火災か、報知器の誤作動か。何事かと部屋から飛び出した宿泊客は、飛び出した勢いのままUターンした。

 扉を閉ざし、鍵をかけ、自分が何を見たのか冷静に考え直そうとする。

 しかし状況はそれを許さない。

 激しくノックされるドア。あまりに強く、連続する打音。宿泊客は次第に、それがノックなどではないことに気付いてゆく。

 体当たりだ。

 生きた人間がドアを破ろうとする『タックル』とは別物。頭も、肩も、胸も手も関係ない。ただぶつかり、こちらへ来ようとしている。まるでそこにドアがあることに気付いていないかのような挙動。これはやはり――。

「ゾ……ゾンビだ……ゾンビがいる……なんで……?」

 廊下に出た瞬間に鉢合わせたそれを思い出し、歯の根を震わす。

 なおも叩かれるドア。内側から必死に押さえているが、これはいつまでもつだろう。高級ホテルだけあって、かなり重厚なドアではある。だが、相手はゾンビ。このまま体当たりを続けられたら、いつかは壊れてしまう。

 それに入り口をふさがれていたのでは、どこに逃げることもできない。

「そ、そうだ、窓から……」

 この部屋は二階。飛び降りたとしても、自分の身体能力なら擦り傷程度で済むはず――そう考えて振り向いて、宿泊客は絶叫する。


 窓の外に、得体の知れない怪物が張り付いている。


 触手のような、臓物のような、赤黒くぬらぬらとしたものをガラスに貼り付けて外壁に留まっている。

 その怪物と、目が合った。

 宿泊客はあわててバスルームに逃げ込み、鍵を閉め、バスタブの中に縮こまる。

「な、なな……なにが……何が起こってるんだ? ありゃ何だ? い、いったい……」

 何でもいいから、誰か何かを説明してくれ。

 そう思った瞬間、高級ホテルでは滅多に使われない館内放送が聞こえてきた。


〈ご宿泊中の皆様にお知らせいたします。

 当ホテルは、現在何者かの呪詛による攻撃を受けています。

 廊下は危険です。客室の外には、絶対にお出でになりませんようお願い申し上げます。

 部屋の鍵をお掛けになり、バスルーム、クローゼットなど、窓のない空間に避難してください。〉


 別の宿泊客らも、それぞれの部屋で同じような思いをしていた。

 誰もが魔法の素養のある上流貴族と使用人たち。しかし誰一人として、あのゾンビと怪物がゴーレムであるとは見抜けなかった。

 パニック状態だったからではない。ナイルの魔法が上手すぎるためだ。

 伯爵の部屋を訪ねたベイカーとゴヤは、室内に通されて間もなく非常ベルを聞いた。まだ訪問の用向きも話していない。

「なんだ? 誰か見てきなさい」

 雇い主に命じられ、四人の護衛のうち、一番若い男が様子を見に行った。

 そしてドアを開くと同時に、何のためらいもなく《衝撃波》を放つ。

「化け物がいやがる! おい! もう一人出ろ!」

 四人のうち二人がドアの外へ。もう二人は伯爵を守るべく防御結界を張り始める。

 ベイカーは伯爵に『事情』を話す。

「伯爵、よくお聞きください。今このホテルを襲撃している者の狙いは、貴方です」

「なに? どういうことだね?」

「私たちはキア様からの通報でこの場に参上いたしました。貴方がゴーレム呪符を購入した売人がキア様に接触してきたようで……」

「な、何のことだね? 売人とは? いったい何のことか、私には……」

「はい。表向き、そのように処理いたします。ですが、現在進行中の事態を解決するためには、どうか本当のことをお話しください。その売人は、別の人物との取引でボロを出しました。売人は騎士団から逃げ切るために、自分の手掛かりとなり得る『作品』を消して回っています。今外に迫っている『化け物』とやらは、そのために差し向けられた刺客です。こちらにもございますよね? 魔法で動く……人の死体が……」

 伯爵の顔色が変わった。そしてつい、反射的に視線を動かしてしまう。

 奥の寝室。伯爵が見たのは、その扉で間違いない。

「そちらのお部屋ですか?」

「い、いや……違う! 違うんだ! 私は、私はただ……」

「伯爵、お願いします。特務部隊ではなく、私たち総務部がこちらに遣わされた理由をよくお考え下さい。ここは上流貴族専用ホテル。表立って特務が動けば、必ず他家の方々に目撃されます。そうなったら、この騒ぎと貴方とを結び付けて悪評を広める方も少なからずいらっしゃるでしょう。ですが、今ならまだ、誰にも知られておりません。私たちは裏口からホテルに入り、誰にも目撃されないようにこちらに参りました。今、ここでその『作品』を引き渡していただければ、リベレスタン家の名に傷をつけずに解決することが可能です」

「う、うう……しかし、あれは……」

「伯爵、御決断を!」

 ベイカーの声に呼応するかのように、外からは恐ろしい雄叫びが響いてくる。今、ベイカーの懐の通信機は通話状態が維持されている。ナイルはこちらの状況をモニターしながら、ゾンビ型ゴーレムらの挙動を制御しているのだ。

 そうとは知らない伯爵は、おろおろと視線をさまよわせる。

「ほ……本当に、私の立場は守られるのだな? その……妻は、どこまで知ってしまったのだ? 世間に知られていなくとも、妻が知ってしまったのでは……」

「ご安心ください。キア様は何も御存じありません。売人は貴方の居場所を尋ね、教えないと殺すと脅迫しただけです」

「そ、それで妻は、私の居場所を教えてしまったのか? 暴力を振るわれたなんてことは……」

「いいえ。キア様はご無事です。それに、伯爵の滞在場所に関しては、何もお話しになられておりません。居場所が知られてしまったのは、どうやら問題の『作品』の中に発信機のようなものが仕込まれていたようで……」

「そんな馬鹿な! ありえない!」

「ですが、他の現場で発見された別の『作品』からは、必ず発信機が見つかっておりますので……おそらく、こちらの一体にも……」

「そ……そんな……」

「ですから、たとえ今、この場を切り抜けていずこかへ身を隠したとしても、その『作品』と一緒にいる限り、永久に命を狙われ続けることになるのです」

 伯爵は絶望的な表情でうつむいた。

 彼は、幼く美しい妻の前では優しく、誠実な紳士を貫いている。一人前のレディに育て上げ、彼女が成人したその日に晴れて結ばれる――そんな偏執的な願望のために、善き夫を演じ続けているのだ。それは彼自身が決めたルールであり、それに則って行動している自分にひとかたならぬ自己陶酔を覚えてもいた。

 けれど、それでは満たされない欲求がある。

 人には言えない性癖。それは愛する側ではなく、愛される側として快楽に溺れること。自分より『強い男』に力ずくで抱かれ、奪われ、滅茶苦茶にされて――失神するほど愛されたい。

 男として、そんなことは絶対に、誰にも告げられなかった。それを満たすためだけに、『あの人』の模造品を作り上げたのに――。

「あ……諦めるしか、ないのかね……?」

「伯爵、よくお考え下さい。貴方が真に守るべきものは何であったか」

「私が……守るべきもの……? それはもちろん妻で……いや、しかし……っ!」

 禁呪符に手を出して、人の道に背いてまで手に入れた理想の彼氏。

 自分好みに育て上げようとしているクロヒョウ族の美少女。

 どちらも伯爵にとっては捨てがたいもので、どちらか一方を選べなかったからこそ、今のこの状況に陥っているのだが――。

(これは……なんたるダメ人間か……)

(うっわー、今年度のベストオブうんこ……。ビチグソキング確定ッスわ……)

 苦悩する伯爵を見るベイカーとゴヤの目は冷たい。

 この場合、守るべきものは法と人権だ。拒否できない立場の未成年者を『貴族の特権』で無理矢理妻にすることも、死体をゾンビ化させて性欲を満たすことも、どう考えても間違っている。

(この男、生かしておく価値はないな)

(やっちゃいますか)

(当然だ)

 チラリと交わした目配せで、おおむねこのようなコミュニケーションが成立した。

 ベイカーは何気ない様子で咳払いをする。

 ナイルへの合図である。

「うわあああぁぁぁーっ! だ、駄目だ! 止めきれねえ!」

「突破されるぞ!」

 部屋の外から、先ほど出て行った二人の悲鳴が聞こえてきた。

 直後、耳障りな音とともに扉が破られる。

「あああぁぁ~……うぁ……あぁ~……」

 いかにもゾンビらしい声を上げ、室内に雪崩れ込んでくるゴーレムたち。

 事前に現物を見ていたベイカーらも、思わず後ずさりする。

 腐った肉、裂けた皮膚、あちこちから染み出す腐汁。あらぬ方向を見る澱んだ眼球も、だらしなく開かれたままの口も、とてもゴーレムとは思えない。

 本気で怯えた顔をした二人は、ハッと思い出したように呪符を取り出す。

「《防壁》構築!」

「《火炎符》発動!」

 ベイカーが防御を、ゴヤが攻撃を。

 総務部の女子職員といえども、一応は騎士団員である。いざというときには即座に役割を分担し、防御と攻撃を開始する。これは騎士団のマニュアルに沿った演技である。

 魔法が使えない状態の二人でも、呪符は問題なく発動した。なぜならこの呪符はナイルが書いて渡したもの。二人の声をきっかけに発動するよう、あらかじめナイルの魔力がこめられている。何も知らない伯爵らの目には、ちゃんと二人が魔法を使ったように見えていた。

「駄目です! 効きません!」

「そ、そんな!」

 若干棒読みになってしまったが、こんな非常事態で細かいイントネーションを気にする者はいない。

 伯爵と護衛の男たちも、『このゾンビに炎は効かない』と認識した。

「お嬢さんがた、下がってください!」

 護衛の一人がゴーレム呪符を取り出した。

 出現したのは戦闘用ゴーレム二体。手元にはまだ複数枚の呪符が残っている。これが全戦力と言うわけではなさそうだ。

(あと十……いや、十五はあるか。一人でその数となると……ナイルの魔法だけでは、競り負けるかもしれんな……)

 室内に残った護衛二人はウィザードだ。剣術や格闘技で敵を退けるタイプではない。身のこなしや筋肉の付き方、咄嗟の対応を見て確信した。

(ゴーレム使い……いや、違うか? 伯爵の周りに張った《防御結界》も、かなり上位の術式だからな。複数属性を平均的に鍛えたタイプか……)

 ベイカーは護衛たちの背後に回りつつ、ゴヤに言う。

「これだけ強いウィザードさんがいらっしゃるなら、ひとまずは大丈夫そうね!」

「ええ、ワタシたち、護身術程度しか使えませんモノネ!」

 ゴヤのわざとらしい女言葉はさておき、ナイルへの情報伝達はできた。

 二人の『強いウィザード』、『護身術程度』という言葉で、ナイルは攻撃法を変えた。相手が傭兵であれば、ゾンビ型ゴーレムの数を増やして押し包んでしまえばいい。しかし、ウィザード相手にそれはできない。ゴーレムのパワーは注いだ魔力量によって上下する。一体ごとの力が弱ければ、相手の使うゴーレムや攻撃魔法であっけなくやられてしまう。対ウィザード戦では、初手から最大強化したゴーレムをぶつけるのが定石である。

 はじめにドアを突破した五体は既に撃破されている。今は続いて入ってきた強化型六体が戦闘中。

 どのゴーレムも本格的に破壊される前に、自ら床に倒れて動かなくなる。完全にやられてしまうと、ゴーレムであることがばれてしまうのだ。ゾンビとしての体裁を保った状態で『死んだふり』をしていることになる。

 ベイカーは『そのうちこれも動かすつもりだろう』と読んでいるのだが――。

(いや……おかしいな。強化型を入れるなら、もっと数を絞ってパワーを上げるはずなのに……)

 ゴーレム同士の対戦は物理戦。つかみ合い、殴り合いの戦闘に必要なのはパワーとスピード。しかしベイカーが見る限り、そのどちらも足りていないように思える。

 強化型六体の攻撃に、ウィザードの戦闘用ゴーレム二体は損傷軽微。現状ではまだ十分に動ける状態にあり、残りの呪符を発動させる様子はない。

(ウィザードの戦力を甘く見ているのか……?)

 伯爵らに気付かれぬよう、懐の通信機を指先で叩く。

 モールスで手短に伝える。


〈ゴーレム呪符、約十五。他、未知数。〉


 正確な数字は分からないが、これだけ送れば「甘く見ないほうがいい」という現場の声は伝わるだろう。

 だが、ナイルは決定打となるような超・強化型を送り込んでこない。

 ぞろぞろと姿を現したのは、先ほどと同等の強化型十体である。

(……どういうことだ? ゾンビゴーレムで一気に制圧すると言っていたのに……?)

 ナイルが何を企んでいるのか、全く読めない。だからと言って、自分たちでどうこう出来るわけでもない。ベイカーらは魔法も使えず、身体能力も著しく低下した状態。もしも何らかのアクシデントが起こっていても、ナイルの助けになりそうなことはほとんどできないのだ。

 防壁の内側でなすすべなく、不安げに身を寄せ合う女子職員二名。演技などせずとも、二人は今まさにその有り様である。

 新たに送り込まれた十体が床に倒れこんだとき、ベイカーは「あっ」と声を上げ、ゴヤを抱き寄せた。

 次の瞬間、何かが爆発した。

 熱も衝撃もない。ただ、音と閃光のみの爆発である。そのたった一撃で、ウィザードらの《防御結界》、ベイカーの《防壁》が瓦解する。

 そして同時に、室内にいたすべてのゾンビとゴーレムが消えている。

「なんだ、今のは!」

「早く結界を張り直せ!」

「今やってる! ……クソ! なんで発動しない!?」

「落ち着け! 焦るな!」

「焦ってなんかねえよ! 本当に発動しないんだ!」

「何を……あぁっ!? ゴーレムも!?」

「そうだろう!? 今ので魔法を封じられたんだ!」

 ウィザードらは何度も術式を試みるが、結界もゴーレムも発動させることができない。

 倒れたゾンビは体内に多量の水を含んでいた。死体から滲み出る腐汁に見えていたのは、実はただの水道水である。そのゾンビが床に倒れ、死んだふりをしながら体内の水を排出する。ここは貴族が宿泊する最上級ホテル。床には毛足の長い高級絨毯。水を撒けば、その水は横に広がらず、真下に染みていく。

 ゾンビらは二十体がかりで、たった一つの魔法陣を描いていた。

「これは……《封魔結界》……だよな?」

「え……ゾンビで?」

「こんなの、聞いたことが……」

 ウィザードらが動揺するのも無理もない。これは防御系魔法の中でも、際立って難易度の高い魔法である。

 相手の魔法を封じ、強制的に物理戦へと持ち込む。対戦相手が魔法に特化していると分かっているなら、かなりの効果が期待できる。

 つまり、ウィザードにとっては鬼門中の鬼門。戦闘中にこれを使われたなら、もう勝ち目はない。一目散に走って逃げるほかに、手は残されていない。

「あ、こら! お前たち! どこへ行く!」

「こんな化け物が出るなんて聞いてねえ! やってられませんぜ!」

「失礼させていただきますよ、伯爵!」

 雇い主である伯爵を置いて、二人はさっさと逃げ出した。

 窓を破ってホウキでの逃亡。ウィザードならではの逃げ技である。

(術の有効範囲は室内のみか。だが、しかし。これではもう、ナイルのゴーレムも使えないのでは……)

 ベイカーがそう思ったとき、伯爵が動いた。

 これまでは椅子に腰掛けたまま、ビクビクしていただけだった。その伯爵がハッとした顔で突然立ち上がり、駆け出した。

 奥の寝室へ――そう、すべての魔法が解除されてしまったなら、伯爵の大切な『彼氏』もまた――。

「行くぞ!」

「はい!」

 慌てて伯爵を追った二人は、寝室に飛び込んだ瞬間にそれを見た。

「う……うぐわあああぁぁぁっ!」

 この悲鳴が何か、理解する前に戦闘は始まっていた。

 眼前に迫る拳を反射的に避け、真横に跳ぶ。

 ベイカーの動きに呼応し、ゴヤは真逆の右側へと跳んだ。

 二対一ならば、まずは敵を挟撃できる位置を確保する。体に叩き込まれた基本に従い、ゴヤは自然とそう動いたのだが――。

(いや……違う……っ!)

 ゴヤは側面からの攻撃を躱しつつ、相手の腕を掴んで投げ飛ばす。

 床に叩きつけたその人物は、つい数秒前、寝室に駆け込んだ伯爵である。

 白目をむいて絶叫した、その表情のまま死んでいる。そして死んだまま、不自然な挙動で起き上がる。

「ウッソ……だろ? ガチで……?」

 それはどう見ても、本物のゾンビだった。

 ベイカーのほうも、コバルトそっくりの顔をしたゾンビと格闘中。この客室全域に《封魔結界》が作用しているはずなのに、このゾンビたちはさも当然のように動き回っている。

 考えられる可能性は二つ。このゾンビが魔法で動いているわけではないか、《封魔結界》を上回る上位の術式が使用されているか。

 コバルトのそっくりさんだけなら、実はオートマトンが仕込まれていた、という可能性も考えられた。しかしそれでは、伯爵までゾンビ化している状況が説明できない。『死体の皮を着たロボット』というオチではなさそうだ。

 そして、上級魔法か特殊呪詛の類だとしたら――。

「隊長! 俺、こいつ触っちゃったッス! 呪詛感染したかも!」

「俺もだ! クソ! なぜ伯爵まで!」

 連続して繰り出されるゾンビの攻撃。パンチ、キック、体当たり――といえば普通の格闘のようだが、なにしろ相手は死体である。痛みを感じていない分、無茶な動作で攻撃を仕掛けてくる。こちらから攻撃しても、ガードするそぶりもなくカウンターアタック。生身の二人には、少々やりづらい相手だった。

 こちらは丸腰。頼りになるのは己の拳。しかし、相手は本物のゾンビ。何かのきっかけで呪詛が感染する恐れもある。自然と踏み込みは浅くなり、なかなか決定打を打ち込めない。

「ええい……何か弱点は無いのか!?」

 防御をしないということは、これは持ち主を守る『護衛プログラム』ではない。騎士団にバレたときに発動するよう仕組まれた、『口封じ用プログラム』だ。

 伯爵はそのために殺され、自身もゾンビ化されたに違いない。

「あ、この、クソ……地味に強い……あああぁぁぁ~っ! もおぉ~っ! 嫌ッスよぉ~! 童貞のまんまゾンビになって人生終了とかマジ最悪じゃないッスかぁ~っ! もう俺、キンタマ限界まで縮んじゃってるッスよぉ~っ!」

「阿呆! 童貞でなくてもゾンビは嫌だ! というか……タマ?」

「……って、あれ!? あ、戻ってる!」

「なるほど! ナイルめ! これを狙っていたのか!?」

「パネェ!」

 そうと分かれば話は早い。二人は同時に叫んだ。

「《火炎弾》!」

「《雷火》!」

 火の玉で伯爵の膝関節を砕き、雷でそっくりさんの全身を打つ。

 膝を破壊された伯爵は床に転がり、上半身の動きのみで、なおもゴヤに迫る。

 そっくりさんのほうは、体内に仕込まれたゴーレム呪符に損傷を与えることができたらしい。これまでの滑らかな挙動から一転。ぎくしゃくとした不格好な動作で、床をのたうち回っている。

 ということは、やはり――。

「隊長!」

「ああ! 《雷火》!」

 伯爵にも雷を見舞う。と、伯爵はその途端にピタリと動きを止める。

 そこにあるのは物言わぬ死体。

 ゴヤとベイカーは顔を見合わせ、頷き合う。

 死体に手を伸ばし、その服を引き剥がすと――。

「あった! 刺青だ!」

 伯爵の背中には、魔法によって入れた刺青があった。一見普通のファッションタトゥー。しかしよくよく見れば、ハートや茨の図案に紛れて、何かの魔法陣が描かれている。

「絵柄と一体化していて分かりづらいが……おそらく、これは致死性の呪詛と……」

「ゴーレム呪符と同系の、モノを動かす魔法ッスよね。たぶん、このでっかいハート柄のせいで、別の魔法陣だと思い込んでたんでしょうけど……」

「ゾンビ屋のセールストークが聞こえてくるようだな。これは『彼』が、あなたを最愛の人と認識するのに必要な印です、とかなんとか……」

「実際、ご主人様を識別するための刺青ってあるんスよね~。禁呪ッスけど」

「こんなものを望んで入れるとは……半端な魔法知識が仇になったな」

「ッスね。けど、こんなヤバい刺青仕込んでるっつーことは、やっぱ……」

「ああ……適当な嘘を言ったつもりだったが、どうやら本当に入っているらしいな。伯爵がゾンビ化したタイミングから見ても……さて、何が出るかな?」

「盗聴器、発信機、自爆装置……どれかじゃなくて、全部ッスかね?」

「バラすぞ」

「はい」

 二人は《銀の鎧》を使い、体の周りに『見えない鎧』を纏う。これで魔法による攻撃も、物理的なダメージも気にせずに行動できる。

 目の前の、今なお床をのたうち回る『そっくりさん』。ゴヤはその背を掴み、ベッドに放る。そして伯爵から剥ぎ取ったベルトやタイを用いて、ベッドの脚に手足を拘束していく。

 その間、ベイカーはキッチンに走り、小型のナイフを入手してきた。ここは従者の待機部屋なども含め、一つの客室に五つも部屋がある貴族専用ホテルである。毒物の混入を警戒して自分の目の前で果物類を切り分けさせる貴族も多い。果物ナイフくらいはあって当然なのだ。

 寝室に戻ったベイカーは、ベッドに拘束されたゾンビにナイフを突きたてる。

 心臓を一突きにしても、血は流れない。

「……手ごたえがない。心臓ではないな……」

 一度ナイフを抜き、今度は胃のあたりを突き刺す。

 するとゾンビは、糸の切れたマリオネットのように、ふっと動きを止めてしまった。

 ベイカーはナイフを慎重に動かし、切り口を広げる。

 徐々に切り開かれていく死体の腹。そこに入っていたのは内臓ではなく、ゴム状の膜でおおわれた複数枚の呪符と、小さな機械である。

「……記録装置と、送信機かな?」

「この配線、上のほうまで繋がってるっぽいッスね」

「眼球は……両目とも義眼だよな?」

「みたいッスね。よく見ないと分かんねーくらい精巧ッスけど……」

「なるほど、カメラか……」

 ベイカーはにやりと笑うと、仰向けの死体に覆い被さるようにして、真正面から眼球をのぞき込む。

「おい、ゾンビ屋、まだ見ているか? どうせ耳にも盗聴器が入っているのだろう? よく聞け。貴様の悪行もこれまでだ。こんなに大きな証拠品を残してくれたんだ。すぐにこいつを解析して、貴様の居場所を暴いてやる。逃げても隠れても無駄だぞ? 我々は地の底までも追いかける。ただでは死なせない。生まれてきたことを後悔するまで、徹底的に追い詰め、恐怖させ、自ら死を望むほどの苦痛を与えてやる。そしてそのまま、絶対に自害できぬように拘束し、飼育してやろう。我々特務が直々に手を下してやるんだ、ありがたく思えよ、ゴミクズ野郎」

 わざわざ相手を挑発し、何らかの行動を起こさせようとしている。

 相手に気取られぬよう策をめぐらせ、こっそり静かに事態を推移させる――代々受け継がれる特務部隊の伝統は、微塵も踏襲する気がない。

 この男、可憐な見た目と裏腹にかなり凶悪な肉食獣である。

 見た目通りに性格も可愛かったら、特務部隊長なんか引き受けずに済んだのになぁ、などと他人事のように思いながら、ゴヤはベイカーの行動を見守る。

 もしも相手がリアルタイムで遠隔操作しているのだとしたら、慌てて接続を切って逃げるか、このゾンビを爆破して自分たちを消しにかかるか、二つに一つ。

 《銀の鎧》によって防御態勢は整えている。この手の『端末』の隠蔽に用いる典型的な爆破方法では、《銀の鎧》を破ることはできない。万が一爆発に巻き込まれても、負傷することはないのだが――。

「……どうした? 早くやれよ。接続を切っていないのは、爆発させたいからだろう?」

 覗き込んだ義眼の奥で、機械は確かに作動している。

 そう、爆発させようとしていることは確かなのだ。魔法式の通信では、魔法の素養のある伯爵に『何らかの情報を送信し続けている』と気付かれてしまう。だからこそ死体の腹に機械式の通信端末を埋め込んだのだ。

 機械式端末は中央市内でしか使えない。中継局も限られていて、逆探知されやすいと知ったうえで使用したはず。それでも接続をなかなか解除しないということは、この死体の中には間違いなく、『爆破しなければ困る決定的な証拠』が残されているのだ。

 ベイカーは美しい顔で、世にも物騒な笑みを浮かべる。

「どうやら爆破方法は機械式でなく、魔法式を選んだようだな。馬鹿め。死体に掛けた魔法が解除されなかったからといって、爆破の魔法も使えるとは限らんだろうに」

 そう言って体を起こす。それまでベイカーは、覆い被さるように、すぐ間近に顔を近づけて話していた。ゾンビの視界にはベイカーの顔以外、ほとんど何も映っていなかったのだが――。

「どうだ? いい加減、接続を切りたくなってきたんじゃないか?」

 いつの間にか、室内には騎士団情報部の工作員らが集まっていた。

 声を上げず、足音を立てず、完全に気配を消してベッドを取り囲む男たち。その数十二名。全員が元特務部隊の精鋭たちである。

 彼らは全員、《封魔結界》と同様の効果を持つ呪符を掲げている。

 《封魔符》十二枚による円陣。どれだけ凄腕のウィザードでも、これを超える術式を遠隔操作で発動させることはできない。

 義眼の光がふっと消えた。

 これまでは生きた瞳のように見えていたものが、一瞬で、ただのガラス玉の質感に変わってしまった。

「ふむ……実に分かりやすい反応だ。まあ、今更逃げたところで手遅れだが……」

 感心しながらベッドを降りるベイカーに、『先輩たち』はあきれ顔で話しかける。

「おいベイカー、そんなに真正面から堂々と喧嘩を吹っ掛ける馬鹿がどこにいる」

「特務って、こんなにド派手にかましちゃまずい部隊だった気がするんだけどなぁ……」

「あれだけ煽って逆探知失敗してたら、とんだ赤っ恥だよな?」

 しかし何を言われようと、まったく気に留める様子もなく、ベイカーは平然と言い返す。

「あんなに時間を稼いで差し上げたのに、それでも逆探知できないとしたら、情報部員としての能力を疑うしかありませんねー」

「うっわー、このクソガキ……」

「相変わらず言いたいこと言っちゃうよねー、このお嬢ちゃん」

「で? お前今、ついてんの? ついてないの?」

 総務部制服・女性用。無駄に短いスカートからのぞく白い太腿を見ながらの発言である。

「先輩、もう老眼ですか? どう見ても女装した男でしょう?」

「いや分かんねーから聞いてんだってば! え? 本当にもう戻ってる? ちゃんと男? 元から女みたいだから全っ然わかんねー」

「失礼な。ベイカー男爵家の貴重な子種が、ここにこうして……」

「うわやめろめくるな見せるな晒すなバカ野郎! せっかくかわいい格好してるんだからそのままでいてくれお願いしますコンチキショー」

「ってゆーか君、今さらっと『貴重な子種』とか言ったね……」

「自分でそれ言えるって……」

「貴族ってすげえな……」

「これだからサイトお嬢ちゃんは……」

 なにかと型破りな後輩に振り回されっぱなしの先輩一同、生温い目でベイカーを見つめる。

 そんな視線すらさらりと受け流し、ベイカーはさっさと本題に入る。

「さて皆さん。どうせセルリアンからお聞きのことと思いますが、『ゾンビ屋』が出ました。おそらく、過去に皆さんが捕まえ損ねた輩と同一人物です。非常に危険な能力者なのですぐにでも捕縛に向かいたいのですが、我々特務、特に俺とロドニーとレインは昨今のアイドル的人気により、このような案件を、表立って捜査することができません。そんなことをしたらゾンビの存在が明るみに出て、国民の間に大変大きな衝撃が走り、動揺したり混乱したりでもう何かと色々収拾のつかない事態になると思います。ですので……」

 妙な間をおいて、ベイカーは言った。

「あとは皆さんにお任せします」

 言い切った。

 とても無責任なことをあっさり言い切って、情報部の工作員十二名を一斉に絶句させるという荒業を成し遂げた。

 さすが隊長ッス、パネエっす! と、ガッツポーズをとっているゴヤを除いて、誰もが完全にフリーズした。

「え……えぇ~っと、ちょっと確認させてもらっていいかな?」

 いちはやく立ち直った眼鏡の男が手を挙げる。

「なんでしょう?」

「任せるって、この現場のことも、ここから先のことも? 全部?」

「はい。今回はそうせざるを得ません。なぜなら俺とゴヤは、今、情報部庁舎でセルリアンと会議中なのですから。特務は同じホテル内で発生した幽霊騒ぎの件で出動し、その後をナイルに引き継いでいます。ナイルだけが、ずっと現場のホテルにいます。情報部が主導権を持つのは当然でしょう?」

「ちょっと待ってくれ? 突入前にもらった連絡では、シアンやコード・ヴァイオレットも筋書きに含めると言っていたね? そうなると、特務は一連の事案のどこにも絡まないことになるが……」

「何か問題が? 全ての手柄はそちらでどうぞ」

「ベイカー、君、何か企んでいないか?」

「いいえ、何も? なぜそう思われます?」

「なぜも何も、わざわざ手柄をよそに譲るなんて信じられないな。なにか理由があるんだろう?」

「まあ、何もないとは言いませんが……」

「説明を」

「……説明するほどのことでもないのですが……仕方ありませんね。これは、ただの墓荒らしです」

「墓荒らし?」

「ええ。墓荒らしなんです。俺は、騎士団の今の体制に少々不満がありまして。勝手に死んだつもりになっている情報部のゾンビどもを、強制的に生き返らせてみようかと」

 工作員らの表情が凍り付く。

 現体制への批判。それはベイカーが、既に『その後』について知っていることになる。

 五百数十年に及ぶ騎士団の歴史上、隠され続けた特務と情報部の関係。現役の特務部隊員にそれを話すことは、硬く禁じられているはずなのに――。

「……誰から聞いた?」

 押し殺した声で尋ねる先輩に、ベイカーは答えない。

 代わりに応えたのは、それまで黙っていたゴヤである。

「第四期特務部隊副隊長ジェレミー・レグルス。第十六期隊員ノイ・フェントゥー。第十九期隊員ジャック・ハサウェイ。同レオモンド・キリーガン。第二十二期隊員ライハ・ムラカミ。第二十五期隊員エンポリオ・ミアスケディオ。……俺が幽霊と話せるってこと、忘れてもらっちゃ困るッス」

「……死んだ者から聞いたと?」

「はい。上り詰めたそのあとで、退団できるのは士族と貴族のみ。平民は全員、死ぬまで情報部を抜けられない……って、みんな言ってましたよ?」

「それを、他の隊員に話したかね?」

「いいえ。っつーか、言えるわけないッスよ。俺とロドニー先輩と隊長以外、み~んな退団できないんスから」

「では、現状、それを知るのは君たち二人か?」

「はい」

「なぜベイカーには話した?」

「決まってるじゃないッスか。隊長だからッス。ヤバそうな情報はすぐ隊長に報告。そういう決まりでしょう?」

「それで、自分が消される可能性は考えなかったのか?」

「いやいや、そんなんありえねーッスよ。だって隊長は、俺に隠し事できないのが分かってて、それでも傍に置いてくれてるんスから。ね、隊長?」

 ベイカーは情報部員らに、不敵な笑みを向ける。

「幽霊に偵察されたら、どんな情報も筒抜けだからな。どうだ? 騎士団の理念にのっとった、最高に理想的な上司と部下の関係だろう?」

 情報部員らの頭に、空寒くなるほど白々しく、その言葉が響く。

 騎士団の理念。それは講堂や訓練場に掲示された、初代騎士団長の大変ありがたいお言葉である。


 隊の仲間は運命共同体。

 互いに助け合い、信頼を築け。

 隠し事はするな。

 すべての情報は共有せよ。

 友の努力を認めよ。

 友の助言を受け入れよ。

 失敗に学び、皆で苦労を分かち合え。

 責任の押し付け合いほど見苦しいものはない。

 成長は皆で成し遂げよ。

 誰か一人の栄光は、支えた者のものでもある。


 そう、確かに情報共有も信頼関係も、騎士団の理念に沿っている。沿っているのだが、しかし。常人の目には見えない『幽霊さん』から何でも聞き出せる隊員と、それを手懐けている隊長の関係は、『理想』という言葉からは程遠いものに思える。


 貴族の坊ちゃんと、そのお気に入りだけで固めた仲良しお友達部隊。


 これまで誰もが信じて疑わなかった、その定義。それが今、あっけなく崩れ去った。

 自分たちの目の前にいるこの『後輩君』たちは、何かが違う。

 何がどう違うのかと問われても、明確に答えられる者はいないだろうが――。

「どうします? 俺と隊長、全部知っちゃってますけど、始末するんスか? 俺、ただでさえ変な体質なんスよ? たぶん死んでも、フツーに化けて出ると思うんスよね。そしたらもう、騎士団のルールとか関係ねーッスから。何でもかんでも言いふらします。身内にも、世間にも」

「強気だな。我々を脅す気か?」

「あはは。んなことしませんよ。だって俺、士族ッスから。そもそもそっちに行かない前提なんで、今から先輩たちにマウンティング掛けといたって、なんの得もねーッス。ただ、今のところ言いふらす気はないんで、殺さないでほしいなぁ~って、お願いしてるだけッスよ?」

「……ま、ひとまず信じよう。いや、こちらとしても、今君たちに死なれては困る。始末する気はない」

「あざ~っす」

「それに……そうだな。生きている間は掟に縛られていても……死んでまで守るバカは、いないよな……」

 誰にも話してはいけない。

 そのルールは、こうもあっけなく破られるものだったのか。

 今まさにその掟に囚われ、従わざるを得ない立場にいる自分たち。誰もが考えずにはいられなかった。


 自分たちは、何のために生かされているのかと。


 いっそ死んでしまったほうが楽なのではないかと、思考が闇に呑まれかける。それを知ってか知らずか、ゴヤは、さも当然のように話を続ける。

「俺、五百年前のジェレミー・レグルス大先輩から頼まれたんス。『下らねえルールなんかぶっ潰せ。お前の仲間を守れ』って」

「ルールを……潰せ?」

「はい。このルールは、レグルスさんのころに決められたものらしいッス。そのときの特務部隊員は、自ら望んで、国家機密を守るために『情報部』を立ち上げた。けど、まさか次の世代以降、強制的に情報部に放り込まれることになるとは思わなかったって……すっげー後悔してたんスよ。だから俺、潰します! 何年かかっても、隊長と一緒に!」

 ゴヤの言葉を受け、ベイカーは淡々とした口調で告げる。

「情報部でゾンビのように生きていたいなら、俺もゴヤもとやかく言わない。だが、俺はこれ以上、こんなルールを維持したいとは思わない。だから……まあ、期待せずに待っていてくれ。気長に少しずつ、システムの改善を図るさ。俺もゴヤも、一応、それができる立場にいるしな。では、こちらから言いたいことは以上だ。行くぞ、ゴヤ」

「はい! 失礼しまーす!」

 ぺこりと頭を下げ、ゴヤはベイカーの後を追う。

 室内に残された情報部員たちは、何とも言えない、漠然とした虚無感に襲われていた。

 これまで自分たちが越えられなかった何か――社会の構造や組織の掟のような、個人の努力では越え難い巨大な壁。彼らはその前に立ち、越える価値があるかどうか、いきなり偵察衛星を飛ばして宇宙空間から確認しているような――従来の考え方、やり方とは根本的に異なる、異次元の手法を試そうとしている。

 彼らはそれで、この『壁のある世界』、それ自体を変えようとしているのだ。

 誰からともなく、溜息がこぼれる。


 長く――とても長く、深い沈黙。


 それは過去も、未来も、現在も、矜持も、自負も、自嘲も、夢も、希望も、現実も、絶望も――何もかもが含まれた、ひどく不透明な沈黙だった。

 吐息一つに込められたものが多すぎて、誰一人、自分の気持ちが分からない。




 廊下に出たベイカーは、懐から通信機を取り出した。

 通話状態は維持されたまま。こちらの会話はすべてナイルに届いていた。けれどもベイカーは、その点には一切触れずに話をする。

「ナイル、ゾンビから発信されていた電波は逆探知できたよな?」

「もちろん。そっちにはコード・イエローが向かったよ」

「対ウィザード強化部隊か。それなら、そちらは何の問題もないな」

「メディア対策はピーコック、スカイ、ネイビーが動いている。明日の朝刊にはリベレスタン伯爵の『名誉の戦死』が掲載されるはずだ」

「伯爵の護衛たちは?」

「四名全員の身柄を確保。今は屋上で本部からのお迎え待ち。安心してよ。『生ける屍』でも、やることはちゃんとやってるからさ」

 自嘲気味に言われたその言葉に、ベイカーは凛とした声を返す。

「違う。お前はもうゾンビじゃない。お帰り、手品師ナイル。ゴーレムに水を含ませて別の魔法を発動させるなんて、俺には到底考えつかない手だ。最高のトリックだったぞ」

「そう言ってもらえると嬉しいね。けど……この程度で感動されちゃあ困るなぁ?」

「ほう? 次は何を見せてくれるのかな?」

「エンターテイナーの定番技、早着替えを」

「早着替え?」

「そ。魔法でパパッと。だってほら、君たち男に戻しちゃったから。その服装のままじゃ、ホテルの外出られないでしょ?」

「……あ!」

「あ……って、ちょっと待って。なに? ひょっとして忘れてたの?」

「……どうしようナイル。俺は……ミニスカ女装のまま、なんというか、その……ものすごくまじめな話をしてしまった気がする……」

「いや……うん。俺もこっちで声だけ聴いてて気になってたんだけど……騎士団史上初だよね? ミニスカで構造改革を宣言した特務部隊長……」

「ええと……まあ、ほら、あれだ! 俺は何の問題もなくラブリーキュートだから支障など全く生じないかもしれんが、ゴヤはどうしたらいいだろうか? 今、両手で顔を覆ってしゃがみこんでいるんだが……」

「あ、うん。さりげなく自己肯定すごいよね、君。ガッチャ~ン、まだ生きてる~?」

「……反応が無い。社会性ライフゲージがゼロだ……」

「うん……ニーハイでツインテールだもんね……それでドヤ顔決められるなんてすごいよ……ホント、すごい……」

「伝説が生まれたな……」

「語り継がざるを得ないね……お悔やみ申し上げます……」

「これはどうも、ご丁寧に。勇敢な部下を持てたことを誇りに思います……」

 すっかり殉職扱いされているゴヤである。

 彼はナイルの魔法で男物の衣服に着替えた後も、終始下を向いたまま、騎士団本部に無言の帰還を果たしたという。


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