そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.5 < chapter.5 >
リベレスタン邸を辞したシアンは、近くで待機していたコバルトと合流した。
一目ではそれとわからぬよう、市民らが使う荷馬車に偽装した装甲馬車。幌をめくって荷台に滑り込めば、そこには各種武器、探知器、特殊呪符の山。シアンはその中に、使わなかった感染型呪詛のカードを戻す。
使用人の誰かに呪詛を『感染』させるだけの簡単な任務だ。シアンはいつも通り任務を成功させ、荷物の隙間に突っ込まれた備品リストに使った呪符の名称と枚数を記入して――そうなると思っていたコバルトは、シアンの行動を見てぎょっとした。
未使用の呪符を棚に戻した。つまり、失敗したということだ。
シアンの表情は険しい。ただごとでないと察し、コバルトは声を落として尋ねる。
「何があった?」
「……化け物がいた」
「バケモノ? なんだ? 非合法のキメラでも飼育していたか?」
「いや、そうじゃない。化け物はあの娘……キアとか言う伯爵夫人だ。あの娘本人が、信じられないようなモンスターなんだ……」
言いながら、懐から一枚の写真を取り出す。
受け取った写真を見て、コバルトは言葉を失った。
撮影場所はセントラルステーション前の広場。町中人で溢れていて、後ろのほうには派手な色彩の垂れ幕が写りこんでいる。これは三月に開かれた音楽イベントの時に撮影されたものだ。
写真の中央には小太りの、脂ぎった中年男。変態貴族こと、リベレスタン伯爵である。
伯爵の周りには、彼の機嫌を取ろうと幾人もの音楽家や芸人が集まっている。中央市民なら誰もが知る有名人ばかりだが、そんな連中より、もっと目を引く男が一人。
伯爵の後ろに控える執事服の男。モデルか俳優のような、すらりと長い手足。凛とした居住まいに、端正に整った顔――その顔は、コバルトに瓜二つだった。
どういうことかと眼だけで問うコバルトに、シアンはため息交じりに説明する。
「結論から言う。この男は死体だ。偽造霊魂とゴーレム呪符で生きているように振る舞う……いわゆる、ゾンビというヤツだ」
「ゾンビ……いや、まいったね。僕に似せたラブドールくらいは作っているかと思ったけれど……」
「それ以上だ。どうしても人間をオモチャにしたかったらしい。キアの話によれば、この男はダウンタウンで拾ってきた身寄りのない労働者。殺す前に整形したのか、殺してから整形したのかは不明。偽造霊魂を作った『ゾンビ屋』と、ゴーレム呪符を書き換えた『改造屋』は別人。そのどちらの連絡先かは分からないが、これがウィザードのアジトだそうだ」
シアンが出したメモに、コバルトは「あっ」と声を上げた。
「この場所……今、『コード・ヴァイオレット』のほうで内偵してるマフィアの……」
「キアからの情報、間違いなく本物だろう?」
「そのようだが……伯爵夫人は、いったい何人の諜報員を雇っているんだい? まだ十四歳だったよね? その歳で、裏社会とどれだけのつながりが……」
「そんなものはない」
「なに? しかしマフィアのアジトなんて、偶然発見できるものでもないし……」
「すべて彼女自身が調べ上げた。キアは完全ステルスタイプの偵察用ゴーレムを、呪符なしで起動させている。万一発見されても、中から呪符が出てこないことには術者の特定もできないだろう? 非常に難しいゴーレム巫術だが、キアにはそれができるんだ」
「……本当に?」
「気付かないか?」
「え?」
「そうか、お前でも気付かないか……。この化け物め……」
シアンはおもむろに襟元に手をやった。
スカーフを引っ張るその手に目をやって、コバルトは蒼褪めた。
シアンの首に、蛇型のゴーレムが巻き付いている。
肌色と同化するように体色を変化させていて、よく見なければわからない。
気配も一切感じない。
これまで幾人ものゴーレム使いを目にしてきたが、ここまで隠匿性に特化したゴーレム能力は初めて目にするものだった。
「……伯爵夫人、盗み聞きとは感心しませんね?」
コバルトの声に返答するかのように、蛇は舌先をチロチロとのぞかせる。
今、シアンの命はキアの手の中。伯爵夫人は、この状態でいったい何を要求してくるのか――そう身構えたコバルトの前で、予想外のことが起こる。
蛇はするりと移動して、シアンの右手首に巻き付いた。そこで色を変えて、黒ずんだ銀色に。そのまま動きを止めて、洒落たバングルのようになってしまった。
「……どういうつもりです?」
この蛇そのものに声を発する能力はない。その代わりとでもいうように、コバルトの前に一羽の小鳥が現れた。通信魔法《雲雀》である。魔法によって作られた小鳥は、コバルトの手の中に一枚の写真を落として消えた。
先ほどの写真以上に、絶句せざるを得なかった。
「……な? 化け物だろう?」
写真に写っていたのは、三歳か四歳のころのキア。かわいらしい水玉のサマードレスを着て、白猫のぬいぐるみを抱いている。
そんなキアを抱き上げている笑顔の男性――デレデレとした締まりのない顔をした男は、間違いなく彼らの上司、セルリアンであった。
あの男がこんな『親バカ全開スマイル』で写真に写ることがあったのか。
日頃の上司と写真の笑顔が一致せず、コバルトは理解に丸一分を要した。
「……おい。おーい……大丈夫か? コバルト~……」
長いフリーズ状態の後、コバルトは油の切れた機械のように、ギシギシと顔を上げた。
「……まさか、隠し子か?」
「いや、ちがう。娘ではなく姪だ。ワランゴ家に嫁いだ妹が産んだ子。その子が十二で伯爵家の嫁に、ということらしい」
「姪……そうか、姪か。そういえば、姪がいると聞いたことはあったが……十二で嫁いだのか? 早すぎるだろう?」
「変態貴族の要望に、士族が逆らえると思うか? ましてや先祖代々ご領主様と家臣の間柄で。本人の意思なんて完全無視だ」
「そ、そうだよな。本人の意思なんて……いや、すまない。ちょっと、ショックが大きすぎて……」
コバルトの脳内には、超巨大台風がいくつも上陸していた。
上司の姪の旦那が変態両刀遣いで、自分宛てにセックストイを送り付けたり、不動産を買いあさったり、あれこれと散財しまくった挙句にゾンビを製造。その情報を上司の姪本人が仕入れてきて、旦那の浮気相手(?)である自分に、直接叩きつけている。この状況に、いったいどこからツッコミを入れるべきか。
コバルトは現実逃避気味に、大変どうでもいいことを考えていた。
(十二歳のオンナノコから四十七歳のオジサンまで愛せるなんて……守備範囲の広い変態って、逆にすごいな……。ある意味感動する……)
その分け隔てない博愛主義を、もっとプラスの方向で発揮してもらいたかった。しかし、いまさら言っても始まらない。ゾンビの『体』として使われた死体と、『中身』として使われた偽造霊魂。それだけでも既に二人が死んでいる。早くあの男の暴走を止めねば、被害は拡大する一方だろう。
コバルトはどうにか気持ちを立て直し、シアンに提案する。
「もたもたしていたら逃げられてしまうね。今、これから、アジトを襲撃しよう」
「俺は構わないが、コード・ヴァイオレットとの連絡は? あちらは潜入捜査中だぞ。迂闊に《雲雀》を飛ばすわけにもいかないし……」
素性を隠して潜入している諜報員は大勢いる。シアンとコバルトが把握しているのはコード・ヴァイオレットと呼ばれるチームの一名のみだが、それ以外にも秘密裏に行動するチームがいくつもあるのだ。襲撃前にヴァイオレットの一名を逃がしても、他の仲間が巻き込まれる恐れもある。
「クソ……せっかくウィザードの居場所が分かっているのに……」
舌打ちするシアンに、右腕の蛇は何かを訴えかけるように首を傾げてみせる。
「ん? なんだ、キア?」
蛇は鎌首をもたげ、それから鼻先で、トントンと手首を叩く。
騎士団式のモールス。
〈諜報員はリラ一人。連絡済み。間もなく《雲雀》が来る。〉
シアンは大きく息を吸い込み、長く、ゆっくりと息を吐きだした。
有能すぎる人妻、十四歳。市民階級だったら、スクールバッグを抱えて中学校に通っている歳である。それがマフィアのアジトに潜入中の工作員に接触して、勝手に連絡を取ってしまうとは。シアンの中で、色々と整理のつかない感情が渦巻いている。
(この娘……潜入中の諜報員を把握している時点で、俺たちより完全に『上』にいるじゃないか……)
シアンは思った。自分は彼女の二倍以上長く生きているはずだが、これまでの人生経験を総動員しても彼女には勝てそうにない。そして今からどんなに努力をしても、この少女にだけは一生及ばない気がした。
(これは……なにか、こう……こんな気持ちになったことが、過去にも何度か……)
この感覚は忘れようがない。これは『天才』に遭遇してしまったときの、凡人ゆえのやるせなさだ。
努力すれば、練習すれば、時間を掛ければ――凡人が考え得るすべての手段を総動員すれば、どんな物事も『かなりいいところ』まではいく。しかし、凡人の全力が『かなりいいところ』なら、天才の戯れは『至上の楽園』である。凡人がどんな研鑽を積んだところで、天賦の才を持つ者には勝てない。彼らは凡人が数十年かけて到達する山の頂に、たった数年で、数ヶ月で、数日で――信じがたい速度で到達してしまう。そして何の惜しげもなく、『登り切っちゃった。じゃあ次の山に行こう』と言い放つのだ。
三十五年も生きていれば、本物の天才の十人や二十人、嫌でも目にする。そしてその都度、この重苦しくモヤモヤした気持ちを抱いてきた。
キアから感じるのは、間違いようのない『天才』のオーラである。
「ったく……勘弁してくれよ……」
身近な天才はやかましいイエネコだけで充分。二人以上はこちらのメンタルがもたない。
シアンが渋い顔で溜息を吐いていると、リボンをくわえた《雲雀》がやってきた。
差し出した手に雲雀が止まり、リボンを結わえる。
その瞬間につながる通信。相手はシアンもよく知る情報部員、リラである。
「こちらリラ。シアン、どういうことだ? お前のほうから『連絡をよこせ』だなんて……」
ああ、なるほど、そういう文言を連絡したのか。
納得しつつ、シアンは淡々と答える。
「こちらで追っているウィザードが、そこに出入りしていることが判明した」
「なに? じゃあ、もう証拠は押さえられたんだな?」
「少なくとも、人の死体を使ったゾンビゴーレムの製造に関する分だけはな。それ以外に何かしているとしても、こちらでは何も把握していない」
「薬物の件は?」
「担当が違う。我々はそんな件自体知らない」
「そうか……だが、コード・ブルーが直接連絡してくるということは……」
「そうだ。もう状況は動いている。顧客のほうには特務を向かわせた。奴らは一時間もしないうちに踏み込むだろう。客が捕まったと知れば、ウィザードが逃亡するのも時間の問題だ」
「なら……今からやるしかないんだな?」
「圧倒的人手不足だがな。俺とコバルトがそちらへ向かう。三人でアジトを制圧するぞ」
「三人? おい嘘だろ、バカかよ。軽く四十は……クソ、なんて日だ。……で? 時間は?」
「ここからなら三十分で合流可能。場所はどうする?」
「運河沿いに来てくれ。幹部クラスの逃亡手段としてボートを用意している。ウィザードたちもそれに乗せられるはずだ。先にそれを押えてくれれば……」
「道路側から追い込んでくれるんだな?」
「追い込めるほど、俺に力があれば良かったんだがな。幹部クラスに『お逃げくださいませ~』って触れ回る程度さ」
「十分だ。幹部とウィザードさえ誘導してくれればそれでいい。お前は適当なところで、下っ端どもと一緒に逃げろ。まだ続けるんだろう?」
「ああ、もう少しで製造元が掴めそうなんだ。すまないシアン、始末は任せる」
「こちらこそ、無理を言ってすまない。健闘を」
「そちらも」
通信を切り、ため息のような吐息を漏らす。
コード・ヴァイオレットは魔法薬案件の捜査チーム、コード・ブルーは貴族犯罪の捜査チームである。貴族が非合法魔法薬に手を出すのはよくあること。ターゲットがかぶってしまうのも、現場で即席チームを組むことも、彼らにとってはごく普通のことだ。
ただ、よくあることだからこそ細心の注意が必要となる。
能力特性の異なる者同士がチームを組むときは、必ず面倒な揉め事が発生する。それは『誰が一番活躍したか』という論功の問題だ。
各々が自分の得意分野で、最大限の力を発揮すればそれでいい。
建前としてはそうなっている。しかし、それでは納得できないのが人の心というもの。武力行使が必要とされる現場では、どうしてもシアンが大立ち回りを演じることになる。その結果、目に見える活躍をしたシアンが仲間たちから称賛を受け、別のチームの活躍は陰に隠れてしまう。諜報や情報操作は、そもそも仕事ぶりが分かりづらいものではあるが――。
(……人付き合いというモノは、どうにも難しいな……)
そちらがどんな評価を受けていようと、こちらには関係ない。そういう態度でいれば「あいつは驕っている」と言われてしまうし、「彼らの内偵のおかげ」と立ててみれば、「俺たちはお前の引き立て役じゃない」と反発される。人の心、特に論功が絡んだときの男のプライドほど厄介なモノはない。自身もれっきとした男性ながら、シアンはうんざりした顔で振り向いた。
「聞いての通りだ。行くぞ、コバルト」
シアンの表情に、コバルトもわざとらしく肩をすくめてみせる。
「君も大変だね。『最強戦力』なんて、変なあだ名が広まってしまうと」
「ああ。どこかの天才ネコと違って、こっちはそれなりに神経をすり減らしてるからな」
どこの誰だか、分かっていないのは本人のみであろう。苦笑しながら御者席に着き、コバルトは言う。
「本当に最高だな、君たちは」
「うん?」
「いや、何でもない。飛ばすぞ。しっかり掴まっていてくれよ」
勢いよく駆けだす馬車。それは全速力で走っているのに、馬蹄の音も、車輪の音も、一切響かせぬ隠密仕様。儀礼的に「掴まれ」とは言うものの、コバルトの操る馬車が揺れたことなど一度もなく――。
(……このスキルも、俺には持てないモノだよな……)
天才たちは気付かない。
自分の存在そのものが、凡人にとって、太陽よりも眩しい光だということに。