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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.5 < chapter.3 >

 シアンがリベレスタン伯爵邸を訪ねていたころ、ベイカーは騎士団本部から徒歩五分のホテルにいた。

 ホテル・グロリオサス。ここは貴族向けの超高級ホテルで、一番安い部屋でも一泊十万から。一応は市民階級でも宿泊可能だが、それは貴族が連れてきた使用人たちのことである。ごく普通の一般人は、どれだけ札束を積んでも泊まれない。中央文化に疎い地方成金がベルボーイに追い返される様子は、週に一度は見られるおなじみの光景である。

 そんな高級ホテルで、慣れた様子でくつろぐベイカー。その横に控えるゴヤは、完全に表情が死んでいた。

「ヤベエっす隊長。なんかもう、俺、札束踏みつけてる気分になってきたッス」

 足元の毛足の長い絨毯は王国南西部スーリヤ地方の特産品。その地域にしかいない超希少種、シルキーシープの毛だけで織られた最高級絨毯だ。その名の通りシルクのような肌触りが特徴の羊毛で、通常はブランケットなどの寝具に用いられるのだが――。

「なんで直接肌に触れない絨毯にしちゃったんスかね? 高級志向通り越して、すっげーアホなことしてる気分なんスけど……」

 部下の発言に、ベイカーは小刻みに何度も頷く。

「アホなことではない。アホなのだ。やってしまった行動ではなく、やろうと思った発想それ自体がアホだ。見ろ、そこの花瓶を。金とルビーとエメラルドで、無意味にギラギラしているではないか。せっかくの花がちっとも綺麗に見えない」

「うわー、ほんとだー。もうこれ薔薇じゃなくて、クズとかブタクサ突っ込んだほうが斬新な感じでカッコイイんじゃないッスかね?」

「ああ、それは良い考えだな。いっそ花瓶の概念を忘れて、ワカメやコンブを突っ込んでもいいくらいだと思う。……ところでゴヤ、今何分だ?」

「えーと……」

 ベイカーも懐中時計を持っているはずだが、当たり前のように部下に確認させる。このあたりが実に貴族らしい行動だなと思いつつ、ゴヤは時計を取り出す。

「一時七分ッス」

「いつも決まって一時ごろ、という話だったよな? 遅いな……」

「なんかあったんスかね?」

 ゴヤは時計を仕舞いながら、何気なく入口に目をやった。

 そのときである。

「……ん?」

 扉をすり抜け、何かが部屋に入ってきた。

 ゴヤは咄嗟に魔導式短銃を抜き、構える。

 ベイカーの眼には何も見えていないが、ゴヤの反応を見て、同じく銃を抜く。

「いるのか?」

 無声会話で尋ねられ、ゴヤは軽く頷く。

 室内に侵入したゴーストは、何かを探すようにあちこちに触れて回る。ゴヤの視線を追って、ベイカーもそれを見ようとするが――。

「サンスクリプターは使えないのか?」

「まだッス。今使ったら、この人の目的が分からなくなるッス」

「こちらに気付いていないのか? こんなに堂々と銃を構えているのに」

「ええと……理由は分からないんスけど、なんか、人間が目に入らないタイプのゴーストもいるみたいなんスよ。自分がまだ生きてるって思いこんでて、その前提に合わないモノはシカト決め込んでるような……」

 ゴヤがそう言う間にも、ゴーストは延々と家探しを続けている。

「ない……ないわ……私の……私の……」

 ドレッサー、デスク、椅子、花瓶――室内のあらゆるものを触っていく。その都度発生するラップ音とポルターガイスト現象。

 これこそ、二人がここに来た理由である。

 ここは最上階の特別室。数年前まで、とある貴族の令嬢がこの部屋に滞在し続けていた。その令嬢は若くして子宮癌を患い、子供を産めない体になった。貴族の女にとって、結婚と出産は人生最大の『仕事』である。正直な話、そのためだけに育てられていると言っても過言ではない。彼女は『貴族の女』としての存在価値を丸ごと失ってしまったのだ。

 家には長男の嫁がいる。子供を産めない小姑が同じ屋敷にいるというのも、なかなか気まずいものがあったのだろう。はたしてそれが彼女の意思だったのか、家族に言われてそうせざるを得なかったのか。いつのころからかこのホテルに住み始め、天寿を全うするその時まで、この部屋から出ることはなかったという。

 貴族の女としての価値を失った彼女には、もうどこからも、何の招待状も届かなかった。

 夜会やガーデンパーティーに出席しないということは、派手なドレスや装飾品を買う必要がないということ。用意された交際費は使い道もなく貯まっていくばかりで、金だけは唸るほど持っていた。

 そのせいだろうか。室内に残されたありとあらゆる物が、『金を使うこと』だけを目的にした悪趣味な高級品ばかり。格調高い調度品など一つもない。

 死後、そのままの形で残された部屋の中で、天に召されたはずの『ご本人様』が家探しを続けている。

 しばらくそれを見ていたゴヤだが、静かに首を横に振る。

「駄目ッスね。見つからないみたいッス」

「なら、そろそろ声を掛けるか」

「はい」

 ゴヤとベイカーは同時に言った。

「魔弾装填、《サンスクリプター》!」

 チキチキという魔力のチャージ音。それと同時に響き渡る荘厳な声明。神聖な讃美歌か、霊妙な祝詞か――音とも人の声ともつかない不思議な調べに反応して、ゴーストは二人を見た。

「……誰? ここは私の部屋よ。どうして勝手に入っているの?」

 やはり、自分の死を理解できていないらしい。

 ゴヤは軽く一歩進み出て、ベイカーを守るように立ち位置を変える。

「はじめまして、マダム。俺たちは王立騎士団特務部隊ッス。貴方の執事から、『とても大切な物が盗難被害に遭ったようだ』って通報があったんスけど……」

 事前の打ち合わせ通り、ゴヤが用意したセリフを読み上げる。ゴーストはこのセリフを信じたようで、パッと顔を輝かせた。

「まあ! ようやく来てくれたのね! そうなの、どこにも見当たらないのよ。私の大切な……」

 ゴーストは不自然に言葉を切った。そして呆然とした顔で、口をパクパクとさせている。

「マダム? それは、どういうモノなんスかね? モノが分からなくちゃ、探しようがないんスけど?」

「それは……変ね? あら? いやだわ。どうして思い出せないのかしら……?」

「マダム……大変失礼なんスけど、貴女のお名前は?」

「名前? まあいやだ。貴方たち、名前も知らずに訪ねてきたの? 私は……」

 またも、言葉が途切れる。

 今度は『呆然』ではない。恐怖と困惑がないまぜになった表情で、自分の頬に手を当てる。

「私は……私は、誰なの? どうして? どうして名前が思い出せないのかしら?」

「確認させてください。貴女は本当に、この部屋を借りたマダム本人なんスか?」

「え? ちょっと、さっきからなんなの? 失礼ね、私は……」

 その先が出てこない。○○家の▲▲よ、と名乗りたかったのだろうが、それは彼女にはできない。なぜなら彼女は――。

「隊長、やっぱりッス。これ、令嬢の霊じゃないッスよ」

「ああ、そのようだな」

「何? 何の話をしているの!? 人の部屋に勝手に押しかけて、『これ』とはなによ! 失礼にもほどがあるわ! 出てってちょうだい!」

「いえ、出ていくのは貴女ッス。だって貴女は、宿帳に名前がある人とは別人なんスから」

「別人? 別人ですって? 何をおかしなことを言いだすのかしら! 私が私以外の誰だというの?」

「誰、っていうか……何か、ってことなら教えてあげられるんスけどね? 偽造霊魂さん?」

「はあ? 偽造霊魂? 何よそれ?」

「本物の令嬢は、このホテルに滞在し始めて間もなく亡くなっているんス。貴女は令嬢の死後、娘の死を受け入れられなかった両親によって作られた偽造霊魂ッス。ゴーレム呪符を死体に突っ込めば、動かすだけならできるんスけどね。そのまんまじゃ喋ったり、自分の意思で動いたりはできないんで。適当な人間を殺して、引っこ抜いた魂から記憶を消去して、偽の記憶を植え付けて……」

 ゴヤの声を聴いているうちに、ゴーストは奇妙な行動を取り始めた。

 目の前のゴヤたちが突然見えなくなったかのように、キョロキョロとあたりを見回す。

「どこ? 私の……どこにあるの? 私の……」

 再び、何かを探すような動作に戻ってしまう。

 ゴヤは肩をすくめ、ベイカーを見る。

「やっぱ駄目みたいッス。これ、本当に何かを探しているわけじゃないと思うッス」

「植え付けられた記憶の、残滓のようなものか?」

「う~ん……残りカスっつーより……自分の正体が気になった瞬間に、それ以上に気になる『探し物』のほうに意識が向く……みたいな。前回のヤツもこうだったんスよ」

「ということは、正体を思い出さないためのプロテクトかな……?」

「あ、はい、そんな感じッス。だからたぶん、本人から何か聞き出すのは無理かも……」

「止むを得んな。この場で出所を突き止めるのは諦めよう」

「それじゃ……」

「ああ……」

 二人はゴーストに銃口を向ける。そして、同時に引き金を引いた。

 ゴーストは何かを探す姿勢のまま、背中に魔弾を受けて静止する。まるで凍結したかのような、不自然な止まり方。これは魔弾サンスクリプターによって引き起こされる効果である。

 この魔弾はその名の通り『聖なる脚本家』。半径五メートル以内の『舞台設定』を書き換え、霊感のない者でも霊的存在と戦えるようにしてしまう。

 霊は既に死んでいるのだから、もう一度撃たれたところで何も起こらない。しかし、自分の死を自覚していない霊は話が別だ。『撃たれた! 死んだ!』と思い込み、こうしてフリーズしてしまう。

 二人はゴーストに近づき、同時に腕を振り下ろす。

 銃の台尻で殴られた霊は、氷の彫刻が砕けるように粉々になる。その破片は光の粒になり、奇妙にゆっくりと落下して――やがて、空気に溶けるように消えてしまった。

 任務完了。

 超高級ホテルの特別室に住み着いた謎のゴースト。それによって引き起こされるラップ音とポルターガイスト現象の沈静化、および霊の浄化。それらのミッション自体は、何の滞りもなく終了したわけだが――。

「さて、ここで問題だ。あれが令嬢本人の霊でなかったとすると、いったい誰だ? 中身として使われた人間がいることになるが……」

「はい……令嬢の死体を動かすために、無関係な人間が殺されてるってことッスよね……」

「そうまでして娘の死体を……もはや愛ではなく、狂気だな。令嬢も今の霊も、誰も喜ばんぞ……」

「マジ最悪ッスよ……ゾンビ化させようと思った両親も、その依頼を受けたウィザードも……」

 当然、そんな魔法は禁呪に指定されている。令嬢の両親は非合法な仕事ばかりを請け負うウィザードを探し出し、娘のゾンビ化を依頼したらしい。しかし、尋問してウィザードの名前を吐かせようにも、両親は既に他界している。

 数年前に『この部屋で令嬢が他界した』というのも、両親の死後、兄がこの部屋を訪れ、妹のゾンビをただの死体に戻してやったというだけの話だ。

 両親の狂った行いを知りながら、沈黙を守り続けた兄。それはいったい、どんな気持ちだったのだろう。ベイカーとゴヤは、なんともやりきれない顔で視線を交錯させる。

「これ、全部同じ奴の仕業ッスよね?」

「だろうな。クソ……把握できているだけで五件か……」

「五件? 今回の入れて、四件じゃないんスか?」

「いや、実は過去にも、よく似た事件があったんだ。お前が特務に入る前なのだが……そのときにも、術者の特定には至らなかった。今度こそ、なんとしても術者を見つけたい」

「はい。絶対捕まえなきゃ駄目ッス。家族を亡くして、悲しんでる人の心につけ込んで……こんなの酷すぎるッス」

「ああ、これ以上、こんな犯行を続けさせてたまるか。なあゴヤ、ひとまず本部に戻って、記録を調べよう。確か先代特務部隊長のころにも、数件のゾンビ事件があったはずだ。何か手掛かりが見つかるかもしれん」

「はい! っていうか、あの、この部屋は? まさか、このまま営業再開はしないッスよね?」

「当然だ。その辺の悪趣味な家具類は、すべて騎士団で押収することになっている。両親が娘のために持ち込んだものだそうだから、もしかすると、まだどこかに隠されているかもしれない」

 何が、とは訊かない。ゴヤは黙って頷く。

 ゴーレム呪符を突っ込まれた死体が、生きた人間のふりをして、何年もここに住み続けていたのだ。そのためには、死体に厳重な防腐処理を施さねばならない。

 防腐処理呪文は食品や建築材料、金属加工など、あらゆる分野で広く用いられている。しかし汎用されるということは、仕組みが単純であるということ。他の魔法の影響を受けやすく、ちょっとした干渉で簡単に解除されてしまう。それを防ぐため、この部屋には幾重もの結界が張り巡らされたはずなのだ。

 当然、通常警備用に用いられる結界とは種類も異なる。市販されている結界呪符より、もっと強力で、もっと特殊な――闇ルートで売買される禁呪符が使われたに違いない。

 室内の家具類はどれも特注品。娘のためにと、両親が持ち込んだもの。家具の内部に呪符が仕込まれている可能性が高い。

「そろそろ情報部が到着するころだと思うが……」

 噂をすれば何とやら。ベイカーがそう言うのを待っていたかのように、最高のタイミングでノックが響く。

「ちわーっす、情報部でーす! 証拠品の回収に伺いましたーっ!」

 明るく元気なその声を聞けば、顔を見なくてもすぐわかる。隠密行動を主とする情報部にはひどく不似合いなハイテンション男、ナイルである。

「入っていいぞ」

 ベイカーの返事に、扉は勢い良く開け放たれる。そして笑顔で入ってくるなり――。

「うっわ、すっげ! 何この部屋超金ぴかじゃん! つーかそこの置物なに? カニ? あ、こっちのってもしかしてカブトガニ?」

「残念だったなナイル。どちらも外れだ。それは純金製のコシオリエビとプラチナ製のカブトエビだ」

「純金!? プラチナ!? なんでそんな素材でエビ!?」

「なんでと聞かれても、俺にも分からん。事情は聞いているな?」

「一応ね? 出てくる前にざっと聞かされただけだから、詳しくは知らない感じだけど……ゾンビ、本当にいたの?」

「ああ。十年以上、この部屋にいた」

「そのわりに……死体があった部屋特有のにおいとか、しないよね?」

「本当にザックリした説明しか受けていないのだな……仕方がない。そのあたりの説明から始めるぞ」

 三人はいくつかある部屋のうち、談話室らしき一室に腰を落ち着けた。

 ちょっとした茶会に丁度良さそうな五人掛けの円卓。円卓の中央に置かれた小さな花瓶。花瓶に活けられた薔薇の花――ひとつひとつを見ていけば、それほど違和感はない。少々派手な色遣いだな、と思う程度である。だが、室内に置かれたすべての物がそのような色彩であったらどうなるか。

 結論は、三人の表情に現れていた。

「……なぜかな? こんなにヴィヴィッドでエネルギッシュな色使いなのに、見れば見るほど……こう……気分が沈むような……」

「メッチャ病んでく気がするッス。変な宗教団体が大好きなカラーリングっすよ、この金ぴかプラス原色な感じ……」

「つーかもう何なのここキーモーイーッ! ヘイ、サイト! カモン! ビギニング説明! 俺はいつでもウェルカムだから!」

 相変わらずおかしなテンションの先輩に、ベイカーは苦笑交じりに話を始める。




 今から十五年近く前、とある名門貴族の令嬢が子宮癌を患った。発見が遅く、子宮も卵巣も全摘せざるを得なかった。

 家には十歳以上年の離れた兄と、その妻がいる。子供を産めない小姑の同居は色々と問題があったらしく、実家を出て、このホテルの特別室に滞在し始めた。

 表向きはそれからずっと、ここに暮らしていたことになっている。しかし、本当は滞在し始めて間もなく亡くなっている。そのころには他の臓器にも転移していて、治療の施しようがなかったらしい。

 娘の死を受け入れることができなかった両親は、裏社会を頼った。非合法な仕事を請け負うウィザードの中に幾人か、『死人を生き返らせる術を持つ』と噂される者がいる。両親は何らかの手段でその者と接触を持ち、禁呪符と偽造霊魂を入手。娘の死体に防腐処理を施し、『生きているように振る舞う綺麗なゾンビ』に仕立て上げてしまった。

 その後、両親は他界。かねてよりすべてを把握していた長男が、妹のゾンビを、ようやく安らかに眠らせてやった。

 そして二週間ほど前、五年単位での賃貸契約が満期を迎えた。契約を更新するか、室内に持ち込んだ私物類を回収するか選べと言われた長男は、私物の回収を選択。大勢の使用人、ホテルのスタッフらとともに、この部屋に踏み込んだのだが――。




「何年も前に活けられた花は枯れずにそのまま、水も腐っていなかった。以前立ち入ったときとは物の配置が異なり、どこからともなく誰かの足音。寝室に入ろうとしたら、誰もいない場所から本や置物が投げつけられ……」

「ナニソレ超怖い。ホラームービーじゃん」

「そう、その場で全員逃げ出した。そして俺たちが、ホテルの支配人と長男から相談を受けて……」

 ベイカーの視線を受けて、ゴヤが続ける。

「長男さんが号泣しながら激白してくれて、ゾンビ事件発覚ッス。まあ、長男さんは直接関わっていたワケじゃあないんで、一応、お咎めナシの方向で進めてるんスけどね?」

「類似のゾンビ事件が、これを含めて四件ある。俺が特務に入ってから、これで五件目だ。ナイル、お前が特務にいたころ、こういう事件はなかったか? こんな特殊な術、そう何人も使用者がいるとは思えない。おそらく同一人物の仕業だと思うのだが……」

「え~? ゾンビぃ~? う~ん……」

 ナイルは自分が関わった案件を残らず思い出してみる。しかし、ナイルはそもそも市民階級。魔導式短銃の携行は許可されていない。幽霊騒動どころか、通常任務においても貴族の屋敷内に立ち入る機会は少なかった。

 しばし考えた後、ナイルは申し訳なさそうに首を振った。

「そうか……なら、やはり……」

「聞くとしたら、あの人ッスかね……?」

「あまり、突撃取材はしたくないのだが……」

 渋い表情で顔を見合わせる後輩たちに、ナイルは笑ってアドバイスする。

「大丈夫だって。見た目ほど怖い人じゃないんだから。あ、でも、低気圧近づいてる日はやめといたほうがいいかもよ? あの人義足じゃん? 内臓もいくつかやられてるみたいだし……あと、目玉も一個足りないしね? 気圧の低いときは古傷が痛むらしくて、大体怖い顔になってるよ」

「ああ……それだけ色々なかったら、痛んで当然だろうな……聞いているだけで痛そうだ……」

「今日晴れてて良かったッスね、隊長。お土産にマフィンとか買っていけば完璧じゃないッスか?」

「そうだな。手土産があれば場も和むかもしれんが……なぜマフィンなのだ?」

「最近ダウンタウンに『ゲテモノ食堂スイーツ館』って店ができたんス。で、そこのマグロバナナマフィンが、俺的に今年一番のヒットメニューなんス!」

「まぐろ……? あー、その、なんというか……それは、手土産に持参してはいけない類の食品だと思う」

「え? じゃあ、フレッシュいわしクリーム味のほうにしときます?」

「いや待て! いわしはフレッシュな状態でクリームに入れてはいけないのでは!?」

「いやいや隊長! あれ、マジで無限の可能性を感じる味なんスよ!? スイーツ界に超新星爆発を巻き起こすレベルっす! 固定観念に大打撃食らうんスから! もう、一度食べたら一週間は『味覚って何だっけ?』って考えさせられる味ッスよ!」

「いやいやいや! それは、絶対に、なにかが間違っている!」

 そんな二人の会話に、ナイルは大爆笑している。

 あの気難しい顔の上司は、珍妙スイーツにどんな反応を見せるのか。その様子を想像すると、笑わずにいることは不可能だった。

「おいこらナイル!! 笑いすぎだ!」

「や、ちょ、もう……あはははは! ごめん! ホントごめん! いわしクリームで死んだ魚の目になるセルリアンとか、考えただけでもう……あ! ダメ! 腹筋攣った! イタタタタッ!」

 文字通り腹を抱えて笑う先輩に、ベイカーは超・特大の溜息を吐く。

 コード・ブルーのナイル。特務部隊時代は『手品師』と称されたトリッキーな呪符使いだったが、情報部に異動してからというもの、まったく活躍を聞かなくなってしまった。任務の都合で部外秘というわけでもない。同じ現場に出向いたシアンやコバルトの活躍は、自分たちの耳にもしっかり届いている。こうして会った感じでは、以前の『手品師ナイル』のままなのだが――。

(ただの証拠品の回収だから、戦闘能力は必要ないにしても……洞察力や直感力が、鈍っていなければ良いのだが……さて、どうかな……?)

 後輩に探るような目を向けられても、ナイルはまだ笑っている。視線に気づいていないのか、気付いて知らぬふりを通しているのか。

 何はともあれ、ベイカーとゴヤはこの場をナイルに引き継ぎ、ホテルを後にした。




 室内に残されたナイルは、回収対象品を一つずつ、念入りにチェックした。搬出に必要な梱包資材と人手、所要時間、作業手順――それらを決めて、上司宛に《雲雀》を飛ばす。それが今の、彼の仕事だ。

 サポート能力を買われて『コード・ブルー』入りした彼は、特務にいたころのように、直接戦闘に関わることは滅多にない。だからこそ余計に、情報部最強戦力と呼ばれる同期、シアンをリスペクトしていたのだ。

 けれど、今は違う。

 シアンに憧れる気持ちは変わっていないが、憧れた分だけ、自分もそこに近づきたいと思っている。そのための小さな努力も、少しずつ始めているところである。

(……なるほどなぁ。きっと、ちょっと前までの俺なら、後輩にあんな目向けられても、ちっとも気付かなかったんだろうなぁ……)

 情けない思いで胸が苦しくなる。

 一歩引いて自分を見つめ直す。たったそれだけのことが、ずっとできなくなっていた。

 仕事が忙しいとか、今日は疲れているからとか――くだらない理由をひねり出して、『自分』について考えないようにしていた。そして、それを何年も続けて――気が付けばこのザマだ。自分が新人教育を施した後輩にまで、実力を疑われるようになってしまった。

(あー、ほんと。クッソなさけねーなぁー……)

 持ちネタの尽きた芸人か、タネを暴かれたイリュージョニストか。『手品師』の名前はすっかり錆びついて、過去のものになってしまっている。かといって、その名をもう一度取り戻したいとは思わない。それはどうあっても不可能なのだ。当時とは所属部隊も、任務の内容も違う。

 過ぎてしまった時間は取り戻せない。ならば自分は、今から手に入れられる物――未来にある『まだ見ぬ何か』に向かって、我武者羅に手を伸ばすだけだ。

「見てろよサイト、元・手品師の本気を! ジャンジャン、バリバリ! 手がかりなんて山ほどゲットで、ドッカン飛び出すびっくり箱状態にしてやるぜ~ぃ☆」

 悪趣味な部屋の中、一人会心のガッツポーズ。

 ノリノリでキメた後は、ふと我に返って真顔に戻る。

(あぁ……実力なんて疑ってくれてていいから……誰か! 誰かツッコミを……っ!)

 ツッコミのいない単独行動は、お調子者キャラにとっては苦痛でしかない。

 人懐こいイエネコのオジサンは、一人寂しく仕事を続けた。


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