第1話:山小屋の少年
第1章の始まりです。
本当は最初の部分だけプロローグとして別途投稿するつもりでいました。
―――嬢ちゃん。あの山には近づいてはいけないよ。
もうその忠告は意味をなさない。
―――あの山には最近、悪魔が住み着いたからねぇ。
悪魔とは、アイツのことだった。
―――幼子さ。周りのもん全部狩りつくしちまうような。
何でそれを思い出せなかったんだろう。
でも。それを考えることも、今は最早―――
◇◇◇第1章:悪魔の棲む山◇◇◇
うっそうとした木々の茂る山奥。木々の間の木漏れ日は消えかけており、その宵の手前、私は息を切らせながらひたすら走る。
「ハァッ、ハァッ、―――」
ただただ無事に逃げ延びようと精いっぱい走る。走る。ひた走る。少し前みたいに、そこそこ長い赤髪を後ろにまとめておいて良かったなどと考えて気を紛らわせる余裕はあまりない。
「――うぐっ…!」
当然、傷を負った体ではそれも長くは続かず転んでしまう。それでも、土を被った体をおして立ち上がる。よろめきながらでも、できるだけ魔獣から離れなければ。
「―――しくじった…!」
本当なら私のランクではそこまで苦労しないはずの魔獣。その狩猟の依頼だったのだけれども。
十数分前のことだ。
拠点の冒険者ギルドで依頼を受けたこの時期に限ってなぜだか魔獣はものすごく気が立っていた。
討伐対象である狼型の、だが上半身が奇妙なまでに盛り上がった異形は群れを成し、これでもかというほど周囲を警戒していたのだ。
そもそも群れが相手では一人で正面から戦うとさすがに骨が折れる。なのでまず気づかれないように少し離れたところで、群れが散らばるのを待つことにしていたというのに。
これでは何も手出しすることができない。
そうして手をこまねきながら依頼のランクを一時的にでも修正してもらうべきかを考えるに至っていたその時。
「えっ」
群れのうちの1匹が吸い込まれるように穴に落ち、その突然の光景に驚いた私はうっかり声をあげてしまい。
その声を聞き逃さなかった狼魔獣が落とし穴らしきものと私を結びつけないはずがなく。
「―――~~~っ!!!」
ただでさえ目の色変えてと形容したかった魔獣の目は本当の意味で血走る。
私はこのまま一瞬で殺されると悟り、逃げ出して数歩の距離走ったところで私もまた落とし穴にかかってしまったのだ。
それから穴から頑張ってはい出せば魔獣に周りを囲まれていたり、何とか稲妻の魔法で何匹か脅かして抜け出すも、ところどころ牙がかすったり引っかかれたり、どうにか距離を取ればどうしたって身をすくませてしまうような遠吠えを何度も浴びせられたり。おまけにあの種の牙でまともに噛まれた冒険家が何やら毒をもらったような様相を呈したとも聞いているので心理的にも大変よろしくない。
ここまでが十数分前のこと。
狼魔獣の群れからはある程度離れられたが予断を許さない。この依頼は失敗として一刻も早くギルドに戻らなければ。
「まさか、あんなところに穴が空いてただなんて…!」
逃げる。逃げる。逃げる。ついでに毒づく。どこへとはあまりあてはないが、少なくとも生き延びることのできる方向へ。
あの狼魔獣は頭が割といい種だ。ついでに集団に害なす輩には執拗だったりする。今急いで麓に降りようとしても回り込まれている確率がかなり高いし、群れの中で堂々と個体を殺害すればそれこそ山を下りてもしばらくは追い回される羽目になる。
今の状況ではほとぼりが冷めるまでどこか、魔獣の群れから離れてそうなところへ逃げたほうがいい。
幸い雷属性が得意な私なので、限界を迎え始めている身体をムリヤリにでも電気で刺激し、少しでも生きのこるための時間を足で稼ぐ。
そうしてあまり長くはない時間がたった時だった。
「ハァっ、ハァっ―――…、小屋…?ゼぇ、ゼぇ…」
山小屋だ。
ただしあまりにもぼろく、雨風をしのげているのかも怪しいようなものである。壁も屋根も遠目に見ただけで穴が空いていることがわかるし、あるべきだろうドアや木窓だって一つも見当たらないのだ。
とはいえ、隠れるのには好都合だろう。
あの魔獣は狼型からは想像もつかないが嗅覚はそんなに良い方ではない。どちらかというと視覚や魔力感覚を頼りに行動するような種だ。そういうわけでほとぼりを冷ますにはこういった場所へ隠れるのがいい。
「って、あれ…?」
生き延びるための逃避行。その最中に奇妙な違和感を覚えたのは急いでドアがあっただろう入り口まで駆け込んだ時だ。
「真新しい…」
覚えた違和感に従い、掌に明かり程度の火魔法を灯す。灯した火を松明に移し、少し周りを見渡してみるとまず足元で奇妙なものがぶつかった。
雑で、なぜかものすごく低いテーブルがそこにはあった。おそらくは自分の膝までの半分にも到達していない。これではテーブルとしては不良品なのだろうが、山小屋に比べれば状態は遥かに良く、できただろう時期も割と新しいことがわかる。
テーブルの上にはこれまた雑に盛られた野草とどこで焼かれていたのか肉がひとかけら放置されていた。
「誰か、生活しているの…?」
視線を少し壁によこせば、壁に立てかけてある木でできた杭のようなものが数本。また横に振り向けば雑に積まれた薪と思しき枝と枯草が山ほど。その横には少し古ぼけた虫眼鏡と何度か火起こししたかもしれない跡が見て取れる板が転がる。
(ナニこれ…。ひどいにおい…)
もう少し見渡せばこれまで狩っただろう肉が大量に壁にぶら下がっているのが見て取れるが、同時にその肉のせいで小屋の中に嫌なにおいが充満している事に気付いた。
ついこの間まで使われた小屋なのだろうか。最近この山の魔獣が活発化している事から、放棄された小屋なのだろうとあたりを付けてみたが。
それは同じくして入り口の前に立っていた男の子の存在によって否定された。
「―――誰…?」
「っ!?」
声に驚き、振り返るとその男の子がいた。
男の子だとわかったのは声変りが中途半端に進んでいたから。
そんな声に向けて松明を向け、問いをかけてみたけど何も返らない。
見た目は、―――一言でいえばぼろぼろで薄汚くて、見ただけじゃ男女の区別もわからない。服はところどころ破けており、おまけに末端に進むにつれ血や土なんかがこびりついている。身体や伸びたままの髪なんかは洗っていない状態が何日も続いているようなありさまだ。
当然、そんな状態では発せられる匂いもひどいものであり、いろんな魔獣を狩ってきた私でも耐えられるものではなかったので思わず鼻を曲げてしまう。
ただ、それ以上に目を止めざるを得ない何かを少年からは感じた。
「……」
目の前の少年から目を離すことができない。
土や返り血で汚れた顔。伸びるに任せたぼさぼさの茶髪から覗く黒い目。光の反射を許さない、まるで闇のようなその瞳を見ると吸い込まれそうな錯覚を覚える。
早く目をそらさなければ自分を見失うぞと頭のどこかが訴えるものの、そのどこかではない残りの大部分がそれを許さない。
―――立ち止まっていた男の子が歩きだし、私の横を何でもないように通り過ぎる。
その過程で、少年が掴み、引きずっているものに気づいてしまったのがすべての始まり。
「え、ちょっと!」
「――――」
掴んでいたものは、私がさんざん苦しめられた狼型の魔獣の仔だった。
おまけに入り口と反対方向の窓越しを見れば血まみれの成獣がいくつか横たわっているではないか。
ということはつまり、依頼の魔獣が討伐された状態にあるわけで。
「ソレ…、ちょっとだけ売ってくれない!?」
―――そして私、ルージュ・エクレールは貧乏なのだ。
Tips
冒険者:
この世界における流行りの職業。スタイルなどの概念があることから本人たちはある程度の専門性をもって動いているつもりだが、ギルドを通して依頼する側からは何でも屋と認識される。冒険家とも呼ばれる(表記ゆれですごめんなさい。見つけたら直します)