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最果てに咲け!

作者: 天地 創造

その日、私はシオンの花を見つけたんだ。

 夏休みの序盤も序盤な七月の終わり頃、私を含めた家族三人は、日本の孤島と呼ばれる紫苑島に来た。理由は簡単、私の父の仕事が、島をめぐっての生態調査だからである。今の対象が、この人口千ちょっとのど田舎だった。


 ちょうど夏休み丸々の期間仕事が入って、丁度母も仕事をしてなくて。学生の私が一人東京に残るわけにもいかないと言う事で、嫌々来たというのが現状だ。


「伊織ぃ〜、早く来なさーい」


 母親に呼ばれて、私は無精に船から降りる。停泊場に人の影は少なく、ゲートで待ってる人とその他職員さんを合わせても多分十人いないだろう。降りて来た人はもっと少ない。


「いやぁ、わざわざすんませんねぇ。まぁ、宜しくお願いしますよ、高槻さん」

「……こちらこそお願いします。面白い生物がいると聞いて、私も眠れなくて」


 くそ親父と村長らしき人との会話。全く興味がわかない。しかしどうやらそれは向こうも同じらしい。金髪で東京者な私を見るなり、誰の視線も外れていくのを感じた。


 眉間にしわを寄せる。メイクが崩れてしまうが、ここの人たちに声をかけられるよりかは幾分かマシ。麦わら帽かぶった親父とか、割烹着のおばちゃんとか、こんな田舎は私には合わないのだから。


 一週間に一本しかない停留便が島を去ると、私たちはウェルカムゲートを通され、一台の車に乗せられた。一応は歓迎されているらしい。だがそれは私のくそ親父であって私じゃない。


「いいじゃない伊織、たった一ヶ月よ?自然もあるんだし、いいリフレッシュだって」

「……あっそ」


 クーラーの効いた車内、ずっと窓の外を眺める私に気を使ってなのか、母が話しかけて来た。冷たく返したのもいつもの事。何でいちいちどうでもいいことふってくるかな。


 東京にいた頃は毎日が楽しかった。夜遅くまで遊んで、髪も染めて。友達と掴み合いの喧嘩もした。唯一やってないのは男遊びくらい。だってつまんないし、男なんて。


 山と田んぼしかない道を何十分か。割とすぐに家に着いた。いかにも昔風と言った感じの、瓦と縁側があるような家だ。でも、さすが田舎だけあってサイズだけはある。


「んじゃ、まぁ、そんな荷物もないけどさっさと荷解きするか」

「伊織、あんたどうする?部屋だけは自分でやる?」


 たった一ヶ月の滞在。だから持って来た荷物は極々わずか。お気に入りの服が数着と、形だけの勉強道具。あとは携帯やらの必需品くらい。

 くそ親父は自分の機材やら何やらが詰まった段ボールをせかせかと家に運んでいる。誰が手伝うか。


「……適当にそこらへん見てくる」


 母にそう言い残し、私は一人家から離れる。喫茶店かゲームセンターに行こうと思ったが、街を一回りして見てもそんなのは無かった。少し離れて、ガラにもなく散歩。港じゃあったアンテナも、島の真ん中に近づくにつれ無くなっていった。島の中央に盛り上がるように聳える山。そんなに高くない。一応整備がされていた。

 観光地でもない山道を、嫌々だけど登ってみる。田舎のくせに、無駄に景色が綺麗だから。帰ったら速攻で友達に見せてみよう。暑いし汗かくし、最悪だった。そこに出るまでは。


「……おぉ」


 そこは街が一望できる展望台だった。とは言っても、目立つものは何もない。ただ草木が刈り取られて、蒼然と広がっているだけ。でも、


「……すご……」


 そこから覗く街の姿は、多分これまで見て来た都会のビル群の百倍は壮観だった。きっちりと正方形に区切られた田んぼ。緑で埋められた畑。何でだろう。心が洗われた気がした。


 もう少しだけ近くから見てみよう。そう思ったら、私の足は動き出していた。展望ギリギリにある、大きな岩。それを超えた瞬間、


「……だれ?」


 そこには一人の男子がいた。岩に背を預けて、まるで世界を見守る神様のように。


「ここに来るって珍しいなぁ。見ん顔やし、ひょっとして観光の人?」


 私が来たことが余程嬉しいのか、その男子はやけに興奮気味に。無邪気さが残る笑顔と、好奇心が見え隠れする声。少しだけ褐色な肌。一目でわかった。地元のやつだと。


「……うん」


 自分でも冷たいと思ったが、こんな田舎の奴と話す気なんて起こらなかった。多分、私は冷めた顔をしていただろう。初対面の印象は最悪だったことだろう。それなのに、彼は私に話しかけてきた。


「……どこから来たん?」

「……東京」

「へぇ〜、すっごいなぁ……。俺行ってみたいんよ」

「……そう」

「……その金髪って、地毛?」

「……染めた」


 こんな簡素な会話したことなかった。そもそも向こうの友達は、染めてるなんて当たり前で、一々そんなこと聞かなくて。でも彼にとっては私は好奇心の対象としては十分らしい。


「東京ってさ、やっぱビルとかいっぱいあれんろ?」

「……まぁね」

「じゃあさ、そんな都会の人にとってこの景色はどう?牧歌的やし、あんま性に合わん?」


 普通のやつなら、こんな金髪ヤンキーを見て話しかけようとは思わないだろう。それは向こうの真面目君たちもそうだったし、こっちの村の人も同じだった。

 彼の目には何が映っているのか。私はそれが気になった。なんと言うか、下心とか邪な考えとか、そういう当たり前にあるはずのそれが、彼には無い。私をみる彼の目は、純真そのものだった。


「……まぁ、結構いいと思うよ」

「ホント?ここ、俺のお気に入りなんよ!」


 そう言って笑った彼の笑顔は、くしゃっとして、すごく爽やかで。一瞬だけ胸を貫かれた。イケメンとは違う、何かこう、小動物のような感じだ。


 たった数言交わしただけなのに、いつの間にか私の心から警戒心は流れていた。こんな田舎のこんな山で起こった、奇跡のようなボーイミーツガール。私の記憶に、彼の顔が刻まれた瞬間。


「俺は冴羽翔。よろしくな」


 何気なく手を差し出してきた翔。彼にとってはこれが普通なのだろう。全く天然というか、無邪気というか。でも私も彼ルールに従っておく。


「……高槻伊織。こっちこそ」


 私の体温より少し高い、翔の手。初めて会ったはずなのに、なぜ彼はこんなにも友好的で敵対心がないのだろう。私はその秘密を何としても知りたい。

 つい三日前までならあり得なかっただろう。男子と一緒に話すなど。あんなチャラチャラして女のことを自分のステータス程度にしか考えてない奴らとつるむなんて、到底考えられなかった。


 でも、私は今翔と話している。それは夕方まで続き、ついには明日またここで、なんて約束まで交わしてしまった。LINE交換しようと言ったが、彼は携帯を持ってないらしい。電波のほとんどないこの街じゃ、それが当たり前なのかもしれない。


 暗くなった道中を翔に送ってもらい、無事家に帰還。母の作ったご飯がいつもより少しだけ美味しかったのは、きっと翔のせいだ。

 鈴虫の得意げな合唱を聴きながらのお風呂。空気もいいし、案外田舎も悪くない。そう思いだしていた。

 翔も私と同じ十七歳の高校生で、今は通信制に入っているらしい。将来をこの島で生きると決めたから、出たくないとのこと。この島に同学年が一人もいないため、見た目同い年な私を見て驚いたのだと翔は言った。不思議な世界だと思った。


 次の日も、翔はちゃんと昨日と同じ場所にいた。随分とラフな格好に、お気に入りのサンダル。まるで少年のようなその姿に、私は思わず笑ってしまう。


「笑わんといてや。そりゃ俺だってオシャレな服の一つや二つ持っとるよ?なんなら、ネット通販も使ったし」


 得意げな顔の翔。私が十七年東京にいたと知っての戯言かな?


「……ほんとかなぁ?」

「ほんとやって!そりゃもうばりオシャレやよ?東京にも引けとらんし」

「翔ってさ、島から出たことないんだよね?なんでそんなの買ったの?」

「俺の夢や。昔は思ってたんよ?いつか東京とか行って、伊織みたいな可愛い子とデートしたい、とか」

「…………っ!」


 やばい。多分、言った本人に他意はない。ただ単純に、思ったことを口にしただけだろう。だからだ。裏がないぶん、翔の言葉は胸にくる。ダメだってわかってるのに、もっと言って欲しくなる。


 私が顔を赤くしたのに気づいて、自分の発言を見返したのか、そこで翔の顔にも紅潮が広がった。天然の恐ろしさを実感した。

 そこから何となく、気まずさを孕んだ空気になった私たち。正直今超恥ずかしい。逃げ出したい。金髪なのに言われ慣れてなくてごめんなさい。


 そのまま過ごす事十分くらい。蝉の声と日光がいい加減うざいので、徐に私は立ち上がる。


「……もういいからさ、案内してよ。ここら辺」


 このまま放っておくと、天然シャイボーイな翔は夜までこのまま固まっていたかもしれない。本当に面倒なやつだと思う。でも、同時に放っておけなくもある。


「お、おう。山の中は完璧やよ」

「……頼りにしてるよ」


 下山がてら山の散策。珍しい鳥とか植物とかを、翔は教えてくれた。東京から持ってきたヒラヒラの服は山の中で歩くには少し邪魔だ。明日からはジャージにしようかな。でも、それだと翔に見てもらえないかも。あぁ、どうしよ。


 悶々としながら、鬱蒼と茂った森の中を。大自然の香りというやつのせいで、胸は踊るし心も弾む。


「翔ー、こっちって何あるのー?」


 翔が森の動物たちと戯れているのを傍目に置いて、森の道を指差す。分かれ道だった。好奇心から、私の足が勝手に進む。


「あっ、ちょっ!伊織そこ気をつけ……っ!」


 翔が注意した瞬間、私の足は葉っぱを踏んでひっくり返っていた。そのまま下まで転がって、着いた先は川の中。幸い浅くて良かったけど、派手に突っ込んで服がびしゃびしゃになった。


「……おーい、大丈夫か伊織ー?」


 心配そうな目で降りてくる翔。木を避ける動作は慣れたもの。危なげもなく降りられると、私超恥ずかしいよ。


「……まぁ。服濡れたけど」

「……ならいいんだが……っ!」


 降りてきて私と目が会うなり、翔が明後日の方向へフェードアウト。何?いきなりそんなことされると傷つくんですけど。と、ふと目を落とす。今日の私の服はフリフリのワンピース。そこで気づくべきだった。


「……あ」


 濡れて透けた服から覗くピンクのブラ。翔はこれに反応したのだ。まるで小学生のように。


「……だ、大丈夫だから。見てないし」

「……別にいいけどね。下着だし」


 強がりを言って腰をあげる。ほんとは誰にも見せたことないけどね。からかった時の反応が実に面白い。別にそんな気は無いのに、もっとやりたくなってしまう。

 顔を赤らめて、一つ笑顔をこぼす。翔も笑った。そこで私の身体は何を思ったのか、いきなりくしゃみを出しやがった。そんなに水は冷たく無いのに。


「……お前、風邪引くぞ?夏やからっても、油断したら秒でひくから。秒で」


 慣れないのに東京の言葉を使おうとする翔に思わずまた吹き出してしまう。全く、なんでこいつはこんなにも素直に生きれるのだろう。感心するまであるや。


「似合わねー」

「昨日勉強してん。つか、伊織ん家遠いやん?その……」


 下着事件とは別件で赤化した翔。何を言いあぐねている。あんたはサラッと言ってこそだろうに。


「……お、俺ん家この沢のすぐ下なんよ。来る?ちょうど昼飯やし」


 なんでこいつは下着を見て照れるくせに、こう言うことは平気で誘えるのだろう。変な方向に耐性がついてしまっているのだろうか。きっとそうだ。

 誘われたことは普通に嬉しかった。並みの男子の家ならいかない。だが、此奴なら安全そう。


「……じゃあ、うん」

「お、おう」


 ぎこちない笑い。あははっ。なんだろ、これ。

 さりげなく伸ばされた手に、私も右手を伸ばし返す。その時だった。


「…………いっつ!」


 私の右足に一閃の衝撃が。どうやらさっきので少し挫いてしまったらしい。歩くのは不可能。でもここに居ても、最悪日射病になるかもしれない。翔と目があった。あとはもうなんとでもなれ、だ。


 木陰を歩く翔。その背中に体を預ける私。念願のおんぶなんて格好で、私は翔の家まで行くことになってしまった。たまに鼻をくすぐる髪の毛も、背中から伝わって来る緊張からの体温も、私の知らない翔がそこにはあった。


「……これは平気なんだ」

「ん?あぁ。俺さ、じいちゃんと二人暮らしだから慣れとれん。伊織めっちゃ軽いやん」

「……そう」


 嬉しいことを。またこいつは。どれだけ私の胸をこねくり回してくれるんだ。東京だったらあり得なかった。翔みたいな男子も、いや女子にだって居なかった。こんな不思議で不明で、なのにあったかいやつなんて。


「伊織、あそこ見てみ」


 翔が指差した方向、その軌跡をたどる。そこにいたのは、一羽のでかい鳥だった。顔が赤くて、嘴が長い。沢の真ん中に立って、川底をつついている。


「……でかい」

「やろ?アレな、絶滅危惧種の鳥なんよ。トキつって、なんか世界に数羽だけらしい」

「へぇ……そんなのもいるんだ」

「まぁ、俺らも滅多に見んけどね。伊織ラッキーガールやわ」

「なにそれ」


 互いに顔を合わせ、くすくすと笑い合う。トキを見れたラッキーより、こっちの笑顔のが何倍も価値がある。少なくとも私にはね。


 家に着くと、私は翔に即お風呂場へと案内された。翔の家は昔ながらの木造建築で、木の匂いがした。

 道中聞いた話によると、翔の両親は翔が小学生の頃に家を出て行ったきりらしい。祖母も早くに亡くなって、近所の人と祖父との暮らしが日常だそう。


 くそ親父も母も、祖父も祖母も存命な私には、なんだか遠い話のように思えた。なのに、なぜだか翔は近くにいた。どんな話を聞いたって、私の中の翔は変わらない。

 お風呂から上がると、そこには既に服が用意されていた。さすがに下着はないが、なんかサラシみたいなのはある。これを付けろと?


 Tシャツに短パンといった、いつもなら家でしかしないラフな格好。しかもノーブラを、まさか男子の家でやるなんて思ってなかった。

 ふと気づくと、居間から何やらいい香りが。これは味噌汁の匂いだろうか。気になって居間に行く。


「……翔、お風呂ありがと……」


 入ってみると、案の定翔は台所で食材と格闘中だ。お昼ご飯を作っているらしい。


「お、ちょいまっとって。今作っとるし、テレビでも見といて」


 トントンと軽快にジャガイモを刻みながらの翔。でも素直に甘える気にもなれなくて、私は翔の後ろ姿を見ることに。しかし見ていたらわかる。翔は料理が苦手らしい。

 手際を見ていたら、私の中の女子力が声を高めて来る。


「……手伝おうか?」

「おおっ!マジか伊織!ちょっお手こずってん。是非ともお願い!」


 東京の見栄っ張りとは違って、翔は素直だ。私とは違う。出来ないことを隠さないし、助け合うという言葉を彼は知っているのだ。

 危なっかしい翔から包丁を奪取。慣れた手つきで食材を切っていく。


「おぉ……。伊織すごいな」

「まぁ、慣れてるからね」


 そこから約二十分。どこかのアニメで見たような丸型の卓袱台の上には、少し多めのお昼ご飯が盛られていた。礼儀正しく手を合わせ、それらを次々と食べる。翔の気持ちいい食べっぷりは、作り手としては嬉しいの一言。


「伊織、これめっちゃ上手いやん!俺、伊織と会えて良かったわ!」

「そりゃ良かったね」

「……ホント、毎日でも食べたい。ありがとな」


 幸せそうな翔の顔。こっちまで自然と笑ってしまう。

 餌付け成功。今の私はそんな下らないことを考えるくらい、幸せだった。


 午後からは翔に連れられて、もう一度沢の散策に。その頃には脚もすっかり良くなって、私は野山を駆け巡った。肺の中の空気が入れ替わり、人まで入れ替わったような、そんな気分に包まれた。

 家に帰っても晩御飯を食べても、考えるのは翔のこと。あの笑顔、あの仕草、そして汚れてない瞳。瞼を閉じると思い出す。明日が待ち遠しい。


 それからの毎日は、私にとって初めての連続だった。山で動物と遊んで、海で泳いだりして。近所の子供とも遊んだ。翔のおじいちゃんの畑の手伝いや、人生初のトラクターにも乗った。規模はかなり小さいけど、村の祭りにも。もちろん翔と二人で。おっさんおばさん連中にからかわれたけど、全然そんなのは気にならなかった。


 ある時は翔の行動に驚かされる。ある時はあの爽やかな笑顔に心奪われる。でも、たまにちょっとだけ引くときもあった。カエルを平気で触った時なんかそう。でも、そんなのも直ぐに忘れてしまうくらいに濃い日々が、私の中に積まれてゆく。


 日増しに翔への想いは増して、早く帰りたいと思っていたあの頃が嘘のよう。この綺麗な海も川も空も、ここの全てが私は好きになっていた。それもこれも、全部翔のせいだ。あの丘で出会って、話して、一緒にご飯も食べて。嫌だったはずなのに、いつの間にか島の人とも話せるようになったし。


 東京にいた頃は、ひどく退屈だった。毎日を消費して、親に反抗して、自分を取り繕って。嫌気はあったけど、他にどうすることもできなかった。勉強できないし、スポーツはやりたくないし。


 あぁっ!もうっ!今もまた、私の頭は翔で揺れている。この間撮った二人の写真。プリクラじゃないし盛ってもない。それなのに、お母さんから一番可愛いって。何でだろ。これが私の知らなかったやつなのかな。


 八月の中頃、お盆を少し過ぎたくらい。もう私は自分の気持ちに気づいてしまっていた。認めたくないけど、誰にも言いたくないけど、私は私の中の本音という奴を見つけてしまったのだ。


 だからなのだろうか。出会いが突然だったから。これまでが順調過ぎたから。運を使い切ってしまったのだろうか。

 まだ私が子供で、一人じゃ何にも決められなくて、だからだろうか。


「……え、お父さん?」


 それは、セミの声がいっそうやかましい夜のこと。リビングに呼び出された私が聞いた、くそ親父からの驚きの言葉。いつか来ると思ってたけど、それはもっと先で、その時までには何とか決心がついていると思っていた。だけど。


「……えじゃない伊織。言ったろう?もう仕事が終わったから東京に帰るぞ。準備をしときなさい」

「…………え?でも、まだ半分だし、ってかいつ?え?」

「終わったものは終わったんだ。出発は明後日。どうせそんなに荷物もないし、明日中にはやっとくんだぞ」


 出会いはいつも突然に。昔テレビか何かで聞いた、そんな言葉を思い出していた。そう、言っていたよ。出会いが鮮烈であればあるほど、想いが募れば募るほど、別れもまた突然にって。


 クソ親父はそれ以上何も言わずに、自分の作業に戻った。私は何も言えないまま突っ立っているだけ。多分、何を言っても目の前の人は聞き入れてくれないだろう。


 ……だったらなに?聞いてもらえないから、なにも言わないの?違うよ。


「……どうした?伊織……」

「……ねがい」


 都合がいいってわかってる。私の我儘だって。でも、仕方ないじゃん。気づいてしまったんだから。


「……あと一週間、それだけでいいから、お願い。私、もっと島にいたい」


 これまでの行いを省みたら、絶対ダメって言われるだろう。だとしても、私は諦められなかった。せめて翔に伝えたい。翔と同じ気持ちになりたい。


 東京にいた頃の腐った目なんか海に捨てた。人も山も、全部違う目で見れるようになった。


「……なぜだ?嫌がってただろう?早く帰れて嬉しいんじゃないのか?」

「……っ違うよ!」


 いつになく大きい声。パパもびっくりしていた。


「東京戻ったら、髪直すし、勉強もするし、夜も、なるべく早く帰ってるから……だから……」


 最後の方、ちゃんと言えてたかな。はは、呂律が回ってないや。私、こんなに感情的だったっけ。

 違う。これは翔が開いてくれた心。種だった私の心に水をくれ、蕾にしてくれた翔の心だ。


 頭を下げて遜る。台所の方から様子を眺めていたママが、何事かと飛んできた。


「…………ダメだ」

「…………っ!」


 聞きたくなかった、その言葉。そりゃそうか。私にも非はありまくりだもんね。一ヶ月前まで、全然パパの言うこと聞かなかったのに、今更素直になってもダメだよね。


「……もう島の人に伝えてあるからな。明日には送別会もしてくれるらしい。……それで我慢してくれ」

「……ごめんね伊織」


 パパもママも、それまでの空気とは一転して不憫な顔をしていた。違った。私の考えは間違っていた。

 こんな娘の要望にも、パパは応えようとしてくれていた。思えば、髪を染めた時からそうだったかもしれない。昔から私に興味がないと思ってたのに。ママも、怒ってばっかりだったのに。


 でも二人は二人なりに、これまで一心に自分の力を私に貸してくれていたんだ。だから頭ごなしに否定しないし、これをやれって決めつけない。

 気づいてしまった両親の本心。それを知ってしまったら私は何も言えなかった。でも決まってしまったことを変える力なんて高校生の私には無くて。だから大人しく荷造りするしか出来なくて。


 その晩、私は布団に入っても中々寝付けなかった。明後日には翔とお別れ。同じ日本にいても、私の住む東京と紫苑島との距離は外国に行くのと同じくらい時間がかかる。もちろんお金も。


 次に会えるのはいつかな。バイトして、お父さんと一緒なら冬休みくらいか。それまでに、翔は私のことを忘れてないだろうか。私にとっては翔は好きな人。でも、翔にとっては……?


 考えれば考えるほど頭は冴え、結局日が出た頃に二時間程度だけ。だから当然、その日は眠気との戦いから始まった。


 朝の八時には床から抜けて、朝食食べて部屋の片付け。すっかり慣れた蝉の声と、たまに聞こえるうみねこのにゃあにゃあという鳴き声にもすっかり慣れた私の耳。窓から見えるあの丘を視界に収めながら、私の手は全然進まないでいた。


 それでも荷物は少なくて、お昼になる頃にはすっかり部屋もさっぱりと。段ボールを下にいたトラックに積んで、私の仕事は終了。


「……ちょっと行ってくるね」


 ママにそう告げ、私はふらふらと歩き出していた。目的地なんて決めてない。ただ、今はここの景色を一つでも多く心のフィルムに焼き付けておきたかった。


 流れる小川、瓦が半分ほど落ちた家、潮風で錆びた小学校、何の変哲も無い田んぼの写真も撮った。送別会が開かれるのは夕方からで、まだ時間はある。でも、もう見たいところはない。あとこの島にあるのは、せいぜい山くらい。


 気がつくと、私はあの丘を一人登っていた。じりじりと照りつける太陽は、昨日とも一昨日とも変わりなく、いっそのことこのまま時が止まってしまえばいいのになんて考えてしまう。


 鬱蒼と木が生い茂る山道を抜け、翔と出会ったあの場所へ。見える景色は変わりなく、空の雲さえ美しい。


 冬に来た時には、雪が積もってるのかな。そんな事を考えながら、私は広場を抜けて岩に乗る。いつも翔が見ていた風景。浦島が竜宮城を見たときも、きっとこんな感じだったに違いない。見えるそれ自体は普通でも、いる人が良ければ綺麗に見えてしまう。


「……あ、伊織」


 ぼーっとしていた私の背中に、すっかり聞き慣れた声が一つ。


「……翔、どうしたの?」


 そこには翔がいた。いつもと変わらない姿で、いつも通りの無造作な髪で。翔がいた。


「……いや、昨日じいちゃんから伊織帰るって聞いて、んで、ここに来たら会えるかなって思ってん……」


 驚いたことに、翔も私と同じ考えだった。私も無意識のうちに、ここに来たら翔に会えると思ってた。


「……明日、やよな」

「うん。明日の朝だから、まぁ、今日と変わんないよ」

「……そうか」


 話したいことは山ほどあるのに、全然一つも言い出せない。虚しかった。悲しかった。私、なんで大事な時にこんな……。


 風が二人の間を通り抜け、湿気を帯びた夏の空気が肺をくすぐった。


 大事な時間のはずなのに、言わなきゃいけないはずなのに。


 お互いが何も言い出せないまま、時間だけが過ぎてゆく。「好き」の二文字の重たさに、私の頭はパンク寸前だった。


「……次はさ、いつ来れるん?」

「うーん、都合にもよるけど、冬休みとかかな。バイトして、パパ説得して、絶対」

「……冬休みかぁ、長いなぁ」

「そう?んじゃ今度は翔が来れば?私、東京案内したげるよ?」

「まじ?そりゃあナイスな案やな。……でもごめん。俺、この島が好きなんよ」

「……私も」


 そこで会話は途切れてしまった。また肝心なことも言い出せずに。この空の向こうには、私の住む東京が。でも、そこには翔はいない。


 悠然と空を泳ぐ鳥たちが、今は少しだけ羨ましくあった。羽があるなら飛んでいきたい。こんな私がそう思うんだから、恋というのは実に危険だ。


「……なぁ、伊織のお父さんの仕事、確か生態調査やったやろ?」

「……うん」

「…………なぁ伊織、俺、今めっちゃいい事思いついた」

「……ん?」


 突然の翔の言葉。私は何が何だかわからない。はてな顔をしていた私に、翔が説明を。それを聞くと同時に、私の頭は踊り出した。



 ――――――――――――――――――――――――



 翔の提案通りに事を運んでいたら、いつの間にか陽は暮れて、村の方では送別会が始まってしまっていた。私たちは急いで会場まで走って、ついたと同時にすぐにお父さんの元へ向かう。


 ビールを仰いでいたパパも、帰りの遅い私のことを心配していたらしく、見つけるなり声をかけて来た。


「伊織、お前何してたんだ?」

「……ごめんパパ、ちょっと時間かかっちゃって」

「すいません!僕が手こずってしまって。伊織は悪くないんです!」


 肩で息をしながら、二人して声を荒げる。やんごとなき様子に、パパの目が丸くなった。

 しまいにはママも翔のおじいちゃんも、そして村の人まで集まって来た始末。

 なんだなんだとパパが聞く。息を切らしながらも、私はパパの前に携帯の画面を見せつけた。


「……お前これ、トキか?!」


 いつもは冷静なパパの、ちょっとした悲鳴。無理もない。だってこの鳥は、世界に数羽しか居ないのだから。


「パパ言ったよね?調査終わったって。でも、流石にこれは見てないでしょ?いいの?この島にいるんだよ?」


 そう、翔が提案したのは、トキの写真を撮ろうという事だった。翔がこれまでに島でトキを見たのは二回だけ。十七年住んでいる人間が2回しか見てないのに、パパが見つけられるわけがないと思ったから。


 案の定、パパはあんぐりとした顔で驚いている。そして私は知っている。パパの性格なら、こんなの唆られない筈がない。


「…………村長、ちょっと」


 全てを察した村長が、私たちにだけ目配せを。


「夏休みが終わってから、月に何回かこの島に来ていいですか?できれば家族も一緒だとありがたい。不躾な頼みだとわかっていますが……」


 パパの堅苦しい願い出を、村長は片手で受け止めた。あぁあぁ、わかったよ。たったそれだけ。それだけなのに、私たちの心は弾んでいた。

 やった。また来れる!それもすぐに!嬉しくて、ただ嬉しくて。翔もそれは同じだったみたいで、お互いに目が合うと笑いあった。


 にんまりとした視線を感じたのはその直後。村の人たちが、青い春の高校生を見て微笑んでいた。どうにも居たたまれなくなって、二人して逃走。明かりのついてないところまで逃げる。


 でも、誰も追ってこなかった。


 気がつくと、私たちは森の中にいた。暗くてよく見えないけど、星の明かりでなんとかわかるくらい。お互いに行き先なんて告げてないが、足は同じ方法に向かっている。


 そうしてついた先は、二人の始まりの場所。夜の丘は昼とは違って星で満たされている。


「……良かったな」


 草原に腰を下ろして、翔が言う。私は星空を見上げながら応えた。


「……いやぁ、翔のおかげだね」


 そこでまた会話は途絶え、耳には鳥の鳴き声だけが。ここまで来たら、決心なんてとうについていた。

 翔を見る。翔も見た。心臓がはやり、口が渇く。なんでこんなに不器用なんだろ、私。


 さらさらと風が揺れ、木が騒ぐ。目があった。何となくだけど、多分、おんなじ事を言おうとしている。


「……ねぇ、翔」

「……ん?」


 どうやらここまで来たら、さしもの翔でも気づくらしい。暗くてわからないけど、多分顔を赤くしているんだろうな。私も一緒だ。


「……あの、その、私」


 緊張が天元突破。心臓の音が届きそう。


「……し、翔のことが……」

「っ!いかん!いかんぞ伊織!」


 あまりに突然の反応に、思わず面食らってしまう。


「……こう言うのは、多分俺から言うのが、アレや、東京的やん」

「……そうなかぁ?」


 あまりにもくだらない。翔のこだわりは、やっぱり面白い。くすっと笑ってしまった。


「……でも、私も言いたいし」

「……んじゃ、同時に言うか?」

「……いいよ。せーのっ」


「「好き」」


 言葉が重なる。思いが重なる。たった一言なのに、口にすれば一秒で終わるのに。なんでこんなに時間がかかってしまったんだろう。


 二人して目があって、二人してすぐ逸らして。こんな中学生みたいな恋愛を、まさか自分がするなんて。


 それからはなにも言わずに時間が過ぎて、気がつけば月が高く登ってて。そろそろ帰らないとまずい。


 立ち上がって、一つ村を見る。


「……なぁ、伊織」

「ん?」

「俺は伊織を信用しとる。しとれんけど、やっぱその、なんと言うか、俺も高校生やから」


 ここまで想いを告げといて、なんでこいつはここが足りてないんだ。まぁでも、私はそんなところも好きなのであって。


 一歩近づく。顔が見えた。二歩近く。翔の手が、私の肩にそっと回される。


 三歩目は必要なかった。花火くらいの、ほんの一瞬の間、二人の唇は確かに重なったのだから。


 不器用な私の恋はここで蒔かれて、ここで育って。


  そして私は、ここで咲いた。この最果てで、確かに花は咲いたのだ。



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