6
気付けば背中にはごつごつと固い感触。
石と枕木をベッドにしていたようだ。
見上げた天井はどこまでも高く、綺麗な月が浮かんでいる。
「~♪」
微かに聞こえる……寄せては返す波の音。
意識を揺らす優しい波音が、意識を徐々に覚醒させる。
ゴツゴツとした固い枕と布団。
しかし、驚くほどにすっきりとした寝覚めだ。
「~~♪」
そして、波の音に混じって聞こえる微かな歌声が。
「この歌は……」
どこかで聴いたことがあるような、懐かしく優しい。
知っている――だけど思い出せない。
ミツキの記憶の片隅にある何か。
記憶の糸を手繰り寄せるように、歌声に誘われるように、引き寄せられるように――。
誘われるままに朽ちた枕木の続く先へと進む、カーブを描く路の先へ。
そして歌声に誘われたその先、姿を現したのは海を臨む断崖絶壁と路を阻む岩山――いや違う。
巨大な建物だ。絶壁の上に巨大な建物がそびえているのだ。
朽ち果てた線路の向こう――巨大な建物の中へと路は続いている。
建物の中。
所々ひび割れ、崩れたコンクリート壁。崩れた壁から覗く赤く錆びついた鉄骨。
床にはそれらの破片が散らばり、歩く度に何かが割れる。
そんな中、歌声が木霊のように響き渡る。
壊れた窓の向こうから月の淡い光が降り注ぐ。
それは月光のスポットライト。
その下に少女がいた。
背丈はミツキより高い。
少女は歌う。
歌う少女の元に月明かりが降り注ぐ。
風が吹いて長い黒髪がふわりと舞う。
窓の外には二つの月。
揺れる髪は白銀色に煌めいて、それが少女の凛とした顔立ちを一層際立たせる。
窓の遥か向こう、夜の海面では少女の歌声に合わせるかのように月がゆらゆら――月が踊っている。
それは、この寂れた場所に似つかわしくない幻想的で――隔絶された空間。
聖域とも言える空間が形成されていた。
話しかけるのも恐れ多いようなモノを感じる。
しかし、そこに引き寄せられるように――、一歩、一歩。歩み寄る。
邪魔しないように、壊さないように――もっと近くで……もう少しだけ、あと少し。
引き寄せられる。
不意に歌声が止んだ。
こちらを見て、視線が交わる。
澄んだ瞳は、映る全て――心の内さえも見通してしまいそうな瞳。
いつの間にか手を伸ばせば届きそうな距離に彼女がいた。
「ごっ、……ごめんなさい」
知らず歩み寄っていたミツキは我に返り頭を下げる。
それに小首を傾げてる。
「……?」
そして、目線を合わせて、
「こんばんは」
と少女は軽く微笑んだ。
その眼差しは月よりも明るく――月よりも綺麗で、
「こ……こんばんは」
優しくて、なぜか心が安らいでいく。
見つめ続けていると吸い込まれてしまいそうな……蕩けてしまいそうな……。
「どうしたの?」
「……はっ! な、なんでもないです」
なでなで。頭を撫でられた。
なんだろう、心が落ち着いていく。
「落ち着いた? ……私はキョウ。あなたの名前は?」
「ミツキ……です」
「どこに住んでるの?」
キョウはミツキのことや住んでる場所、ここにくるまでの経緯について尋ねてくる。
それに答えていく。
「だいたいわかったわ。それにキイリス教ね……気になるわね。教えてくれてありがとう」
と微笑んだ。
それから、キョウは海の向こう遠くを眺めながら、何か迷っているのか、指を顎に指を添えて思案する。
「それから、あなたの記憶なんだけど……直接どうにかすることはできないけど」
ミツキに向き直り、
「見せてあげる。あなたの過去のヒントになるかも知れないモノ」
キョウが壁に向かって手を翳す。
すると翳した手の先。
突然、床が地響きを立てて動き出して下へと向かう階段が現れた。
「えっ……なにこれ」
階下から光が溢れている。
躊躇することなく階段を降りていく。
「着いてきて」
キョウを追って階段を降りた先には広大な空間が広がっていた。
「これは……」
広がる光景に思わず息を呑む。
月明かりのような、淡く優しい光が空間を照らす。
照らされて、黒く光沢を帯びた鋼鉄の塊。
見たこともない鳥のような何か。
巨大な鋼鉄製の人形。
知っているのは車や機関車くらいだろうか。あとは見たこともない。
ただ、鋼鉄の塊達は光を受けて淡く輝いて、今にも動き出しそうな躍動感が――。
上で風が吹く度に木霊する音がまるで息づかいのよう――。
そしてずっと何かを待ち続けている……気がした。
「どう凄いでしょ? こんな場所にあるのも外がボロボロなのもこれを隠すため」
「隠す? どうして……?」
「それはね……この場所にあるモノは全てに想い、夢、願いが籠もってる。大切な何かへの真心の籠もった魂の結晶。それぞれが凄い力を持ってるの。例え十全に力を発揮しなくても生活を一変させるだけの力。
だけど、とある理由で作った思惑と違う使われ方をされそうになったの。どんな凄い力でも、いえ凄い力を持ってるからこそ使い道を誤れば大きな惨事を生む……そう思ったからここの人達は見つからないように隠したの」
そんな物を見てしまって良かったのだろうか。
その内の一つにキョウが触れる。それは大きな四角い箱。
キョウがそっと機械に手を触れると、始めに巨大な歯車が回るような音。
そして音色を奏で始める。
それは巨大なオルゴールだった。
優しい音色が響き渡る。
「あ……これはさっきの」
それはキョウが歌っていた――なぜかとても懐かしい曲。
「この曲が気になるのですね」
「うん……知ってる気がするんだ。ずっと昔から。それにとても大切な何か……」
キョウはゆっくりと歩み寄り、優しい眼差しを向ける。
「目を閉じて耳を澄ませてみましょう……もしかしたら、何か思い出すかもしれないですよ」
ミツキは瞳を閉じて流れる曲に身を委ねる。
胸の奥が熱く、不思議な力が溢れてくる。
でも、それだけじゃない。
声が聞こえる――他の誰かの声が……知っているけど知らない誰かの声。
「これは……誰の声? なんで?」
目を見開き辺りを見回す。
キョウが、じっとこちらを見ている。
「ここにあるモノ達には、強い想いが込められています。
それは人の真心、偽りのない大切な想い…………まさに魂とも言える強い想い籠められたモノ。
それは、このオルゴールも例外ではありません。むしろこれこそこの場所の中心。
聞こえる声は、その作り手や使い手の夢跡……その軌跡の起こした力です」
「……この声が人の想いの力」
キョウは続ける。
「そのうちに思い出しますよ……それを聞くことができるなら」
研ぎ澄まされた静かな空間、オルゴールの音が、そして聞こえてくる――懐かしい声が……。
込み上げてくる、衝動とも言える狂おしい何か――。
胸を掻き毟りたくなるような赤黒い感情。
優しい手が撫でる。
澄んだ瞳が見つめる――深く、深く。
暗い海の底までも照らし出すような――それでいて優しい瞳。
その澄んだ瞳が見つめる――深く、深く。
暗い海の底までも照らし出すような、優しくて清らかな眼差し。
「落ち着いて。心の力、魂の力……それは毒にも薬にもなる強力な力です。
揺るぎなく大きな魂の力は、性質次第では他を容易く飲み込んでしまうし壊してしまう。
今のあなたには、この声の力は強すぎたかも知れない」
その瞳に見とれていると、ミツキの頭へと手を伸ばして撫でる。
手が淡く光を帯びた。
温かくて、包み込むような不思議な光。
「感情に飲まれてはだめ。自分の心がわらないなら……今みたいに落ち着いて……それから心を研ぎ澄まして思い浮かべてみて、あなたの大切な物、守りたいモノを。きっと、そのとき、あなたが求めるモノは答えてくれる」
心が穏やかになっていく。
何もかも委ねたくなるような優しい感触。
「そうだ……これを。きっと役に立つはずです……そして気をつけて」
そう言ってミツキの手に何かを握らせる。
「さぁ、お帰りなさい……今のあなたが帰るべき場所へ」
蕩ける意識の中、キョウの声が優しく響く。
「キョウさん……君は……いや、あなたは一体……何者なの?」
意識は泡沫のように――消えて行く。