5 誘い
朝食後。
特に出かけることもなく昨日採った海藻を天日干しにしたり、掃除をしたりして過ごす。
今までは、これをユラ一人でやっていたと言うのだから驚きだ。
そして昼。
今日もまた教会を訪れていた。
今日、用があるのは大聖堂でも受け付けでもない。
教会で暮らしていない信者は、定期的に教会に赴く必要があるのだそうだ。
それは子供達に対しても半ば義務化されていて、今日はその日にあたる。
その目的の場所は壁に沿って螺旋を描く階段を上った先にあった。
ざわざわ……神官の演説でもなく教会らしくない、笑い声やはしゃぐ声が聞こえてきた。
女神官に連れられ部屋の中に入ると、部屋の中はミツキやユラと同じ年頃、十歳前後の子供ばかり――ダダダダッ!
こちらを見るやいなや、子供達は慌ただしく部屋に並べられた席に着く。
喧噪は嘘のように静まり、好奇の視線がこちらに集中した。
その中に混じるユラの視線を見つけた。
目を合わせるとユラはすっと目を反らしてしまう。
「おはようございます」
女神官が一言。
「「「おはよーございます!」」」
黄色い声が返ってくる。
「本日は皆さんに嬉しいお知らせがあります。今日から新しい同志として勉強するお友達の紹介です。さぁミツキくんご挨拶よろしくね」
シーン――数十の視線が注がれる。
う……思わず尻込みする。
この空気はなんか苦手だ……何か言う必要があるのだろうか。
縋るようにユラに視線を送る――可愛らしく小首を傾げた。
「ミ、ミツキです……よろしくお願いします」
結局それだけ言って空いてる席へと着いた。
女神官はそれを見届けると、
「それでは……まずはキイリス神にお祈りを捧げましょう」
お祈りの時間が始まった。
そして教会の教義を学ぶ時間が始まる。
この宗教を広めていく上で現れる敵についての話だった。
なんでもこの宗教を広めていくと必ずそれを止める者や敵、苦労が現れるらしい。それは過去の自身の罪で罰。魂の定めであるのだとか。
「みなさんキイリス神は最も素晴らしい神です。この信仰を邪魔する物は悪なのです。そんな悪に出会ったときこそ神を信じ教えを迷わず貫きなさい。神を信じるあなたの魂とキイリス神の世界に連なる魂は一つなのです。そうすれば運命は変らないわけがありません」
それを魂の改変と女神官は言う。
本当だろうか?
その後は、算術や読み書きを学ぶ講座。勉強の時間だ。
今は、女神官が計算問題についての解説をしている。
解説を聞いていて気づいたことがある。すでに知っているのだ。いつどこで習ったのか――それは思い出せないのに。
覚えていることと忘れたことの基準は何なのだろうか……考えるが答えは出ない。
色んな意味で集中力が切れた。
なんとなくユラを盗み見ると、ユラも退屈そうに窓の外を眺めている……また憂いを帯びたようなその表情……見ていると胸を締め付けられるような。
そういえば理由も聞けずにいた。とはいえ面と向かって聞くのは憚られた。
……うん? トントンと叩かれた肩。
後ろを向くと、
「なに?」
ニコニコと笑みを浮かべる少女の顔があった。
「ルピア・アトゥンだ。宜しく」
「僕はミツキ。よろしく」
「あはは、知ってるよ。さっき自己紹介してたじゃん」
「あ、そうか」
「ところで……さっきからフルーメンさんのことずっと見てるよね」
ルピアの笑みが含みあるニヤニヤに変った。
うん? どうやら見られていたらしい。
「うん」
「そんなに気になるの?」
「うん、見てると胸がぎゅーって苦しくなる」
ルピアは頬を両手で押さえて、
「キャー。いいね、いいね。私そういうの好きだよ」
小声で含みある叫びを上げながら左右に首を振る。
それでも小声と小さな仕草で騒がしいと言うほどでもない。
器用だなー。
「そうかそうかー。そこまでかー。これは協力するしかないね。よっしゃ何が聞きたい?」
なんでも聞けと言い、ニヤリと笑った。
そうだ彼女に聞いてみようか。
「ユラさんの友達なの?」
「勿論」
本当かな?
「ユラさんのことどう思う?」
「およ? 私が? そーねー、しっかりしてて真面目だし優しい人だと思うよ?」
概ね同じ認識だ。きっと友達なのだろう。
「最近何かあったのかな……悲しそうな顔してるけど」
「うーん……そんな顔してる? でもよそ見なんて珍しいね。あ……だいぶ前の噂なんだけど……お父さんが行方不明になったとか……それかな? これ言ったのは秘密ね」
お父さんか……。ユラのお父さんは、街では学者として有名だったらしい。しかし最近は表で姿を見なくなったのだとか。それであの大きな家にユラは一人なのか。
「これで終わりですが……フルーメンさんはお話がありますので一緒に来てください」
そんな話をしている間に講座が終ってしまった。どうやらユラは用事が済むまで時間がかかるらしい。
おのれ神官許すまじ。
そして、講座が終るのを待ち構えていた好奇の目がミツキへと殺到した。
ミツキは一人で逃げるように教会を後にする。
教会を出るとすでに海の向こうが赤く見えていた。
――カラーン、カラーン。
頭がぼーっとする。
帰り道。
人に溢れる通り。
人混みに流されながら、どこかでユラを待とうと落ち着ける場所を探していた。
そしてふと――ミツキの視界に横へと伸びる路地が目に止まる。
そこだけ時が止まっているかのような……静かな空間。
教会もよく見えるし、人を待つにはちょうど良さそうだ。
「こんな場所あったんだ」
昨日も今朝も気づかなかった。
ボロボロのロープで簡易に封鎖された細い路地、人気のない静かな路地。
くぐり抜けるのは簡単そうだ。
「おーい!」
誰かが呼んでる。
……行かないと。
……すぐに戻れば大丈夫だろう。
ミツキはいつもの道から外れ、誘われるように路地へと足を踏み入れる。
背後に鳴り響いている筈の鐘の音はもう聞こえない。