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奏魂のキョウ~魂を紡ぐ者~  作者: しまなみ
3/10

1 ミツキ

 

 あぁ、もうどれだけ歩いただろう。

 元来た道は陽炎の向こうに揺れて、遥か遠く霞の向こう消える。

 宛もなく歩き続けた道の先は、ずっと海岸線が続いてる。


 景色だけが変わり続ける。

 砂浜にはさざ波が寄せては返す。

 白波が岸壁にぶつかり白い飛沫を上げる。

 ススキの穂は揺れて、風に舞った砂が頬を叩く。

 僕は誰だ……僕はなぜここに居る?

 なにも覚えていない……わからない。

 空や海に尋ねても帰ってくるのは――。

 波の音、風の音、足を運ぶ度に聞こえてくる己の足音。

 空虚が支配する、空っぽの心。

 僕は何もわからない。

 何を求めて歩いてるの?

 なぜ、頬に流れる涙の意味は? なぜ僕は泣いている……いや、泣いていた?


 教えてくれる者はいない。

 だから歩き続ける――答えてくれる何かを探して。

 例えそれが無意味な事なのだとしても……歩き続ける。

 闇雲に……いつまでも……どこまでも。

 誰もいない一本の線路が続く。

 朽ちた枕木、錆びたレールに崩れ掛けの橋。

 橋を渡ってトンネルを抜けて……。


 その果て――この街に辿り着いた。


 夕暮れ時の街。

 名前も知らない街。

 大通りを同じような服を着た集団が歩き去る。

 集団の中で忙しなく動く人達。

 誰も僕に見向きもしない、何にもならない時間がゆっくり過ぎて行く。

 あてもなく僕は、ふらふらと街中を彷徨う。

 せっかく人のいる場所に着いたものの何をして良いかわからない。空を見上げ途方に暮れて重い溜め息を一つ。

 既に鉛のように重くなった足を止め、ぼんやりと行き交う人や街並みを眺める。

 もう限界だった。少しでも身体を休めようと座れる場所を求め――。

 こつんっ――ふいに、背中に何かがぶつかった。

「ぐすっ……」

 目元に涙を湛えた少女の姿がそこにはあった。

 恐らく同い年くらいの少女だ。

 少女は目元を手で拭っている。

「……ごめんなさい」

 そう言って、行き去ろうとする――下を向きふらふらとする危なっかしい背中。

 ――既視感。

「……待って危ないよ」 

 気が付いたら呼び止めていた。なぜなのか……その目を見ると胸が痛む。

 立ち止まった少女に尋ねる。

「君はどうして泣いてるの?」

 震える背中。

「泣いて……ない。泣いてないから……」

 と答えてしゃくりをあげて黙り込んでしまう。

 少女と二人。

  側にあったベンチに並んで腰掛け、無言の時間が過ぎる。

「何かあったの?」

「ううん、なんでもない。もう大丈夫だから……ありがとう」

 そしてしばらく。


 ――カラーン、カラーン。


 港にある大きな塔から鐘の音。

 頭がぼーっとして、僕はかぶりを振り空を見る。

 暗くなっている空……一瞬、寝てたかも知れない。

 隣を見るとまだ少女はそこにいた。

 ずっと下を向いている。

「おちついた?」

 こくんと頷く少女。

 家路に着く人々が通り過ぎてく。

 街の家々に灯りが点り出す。

 山から冷たい風が吹き下ろす。……寒くなってきた。

 少女が口火を切る。

「鐘、鳴ってるよ……あなたは帰らないの?」

 不思議そうに少女が尋ねる。

 どこかにあるのだろうか……帰る場所。

「ううん……僕は、帰る場所ないから」

 でも今はわからない。

 少女は首を傾げて、

「……へ? えっと、もしかして教会の人?」

 と訊く。

「ううん、違うと思う」

 教会の人って何だろう?

「じゃあ…………どこから来たの?」

 遠く山と海の境目を指差して、

「わからない……けど、ずっと向こうから歩いてきたんだ」

 じっと僕を見る少女に答える。

「わからないって……………あなたの方こそ大丈夫なの? ……人の心配してる場合じゃないんじゃない?」

 少女は困惑の眼差しで僕を見る。

 何を思い至ったか恐る恐ると言った風に、

「……名前は?」

 と尋ねてくる。

「わからない……」

 少女の顔が険しくなる。

 少女はしばらく悩んでから――はぁ。っと軽い溜め息を一つ、

「……とりあえず家にくる?」

 と言った。

「いいの?」

「別に……それに私の家、昔は温泉宿だったの。だから大丈夫、部屋もいっぱいあるし」

 少女の横顔を見つめ、信じられなくて思わずもう一度尋ねる。

「……ほんとにいいの?」

 すると少女は立ち上がり、

「じゃあ、行くよっ」

 とだけ言って歩き始める。

 慌てて少女の背を追いかけた。

「あの……ありがとう」

「明日は一緒に教会に行きましょ? 何かわかるかも知れないわ」

「うん……本当にありがとう」

 川に沿って続く坂道。

 まだ追いつかない思考の中、はぐれないように少女の後に続く。

 街の雑踏。

 過ぎていく家々には灯りが点り、通りにまでいい匂いが漂っている。

 家の中からは生活の音が聞こえた。

 過ぎていく景色がさっきまでと違って見える。

 モノクロだった世界に色が付いたみたいで……。

 そんな風景も過ぎ去って――聞こえてくるのは石畳を叩く足音と川のせせらぎだけ。

 もう街の灯りが遥か下に見えるまで登って、

「着いたよ」

 少女は立ち止まる。

「ここが私の家」

 城かと見紛う大きな建物、そこは街から隔絶されたもう一つの世界。

 赤く塗られた立派な門には、蔦が絡まり覆い被さる。

 蔦の隙間から文字を読み上げた。

「温泉宿フルーメン?」

「……もう今はやってないけどね。ちょっと待ってて」

 暗く静まり返った建物の中。

 少女は廊下の続く先、闇の中に消えていく。

 しばらくすると天井に白い灯りが点る。


 ――ジジジジジ。


 天井から不思議な音が響く。 

 天井をしげしげと眺めていると服やタオルを手にして少女が戻ってきた。

「お待たせ。ここで靴を脱いでね。とりあえずお風呂入ってきなよ。案内するから着いてきて」

 言われて自分の姿を確かめる。

 汚れて所々が擦れたり破れたりの服。

 それに血だろうか? 赤黒いものがこびり付いてる。

「……ありがとう」

 少女に続いて軋む廊下をしばらく進んでいく。

 そして暖簾のかかった扉の前で立ち止まる。

「ここが脱衣所」

 中に入った途端に湿気が立ちこめた。

 部屋の棚にはたくさんの籠が置かれている。

 少女は籠の中に手に持ってた服とタオルを置く。

「あがったらこの服着てね。それと今着てるやつは、ばっちぃからそっちの籠にでも入れといてね」

「それから……こっちがお風呂」

 少女は奥の扉を開くと白い湯気が立ちこめる。

 一度に何人も入れそうな大きな木の浴槽。

 そして浴槽のお湯がすぐに入れ替わってしまうほどに勢いよくお湯が注がれている。

 他にもいくつもの浴槽があるようだ。

 記憶を失っていてもこれが普通ではないことはわかる。

「……すごい」

「ここは温泉宿の頃から変らないからね」

 その後、少女はお風呂の入り方を説明してくれてた。

「あと大丈夫だと思うけど、熱かったらこっちの湧き水を混ぜてね」

 じゃあね、と少女は出て行く。

 とりあえず入ることにしよう。

 お湯と立ちこめる湯気に身体が温められる。

 温かいお湯に疲れて強張った身体がほぐれていく。

 呼吸が自然と深くなって、知らず張り詰めていた気持ちも落ち着いてくる。

 ……なぜか涙が溢れてきた。


 お風呂上がり。

 隣の広間の灯りが点いていた。

 床は草を編んで作られた畳という敷物が何十枚も敷き詰められている。

 そんな部屋にぽつんと小さなテーブル一つ。

 少女とテーブルを挟んで対面していた。

「あ。待ってたわよ」

「お風呂……ありがとう」

「ん……気にしないで。あんなドロドロの格好でいられる方が困るもの」

 僕はずっと気になっていることを聞くことにした。

「ところで……誰もいないけど。もしかして一人で住んでるの?」

「うん……私も一人ぼっち」

 少女の顔に影が差し、しんみりと湿っぽい空気が漂う。

 その表情を見ていると胸がちくりと痛む。

 けど僕はあたふたする事しか出来ない。

「ごめん……」

「謝らないで。……それと私はユラ。ユラ・フルーメンよ」

 ユラはくすりと笑う。

「……ユラさん?」

「ん……。ユラで良いよ。年同じくらいだろうし。それで、あなたは? ……名前思い出せた?」

「ううん」

「そう、名前がないと不便ね……どうしようかなー」

 くー。お腹の音が鳴った。

「ん。そうね……とりあえずご飯にしましょう」

「ごめんなさい」

 ……そういえば最後に食べたのはいつだろう?

 ユラが腰を上げる。

「着いてきて」


 調理場らしき場所を通り抜け……雨よけの屋根はあるが、建物外へと出た。

 ……これも調理場なのだろうか? 

 着いていった先には、水路を流れるお湯。凄く熱そうだ。

 そして井戸と釜戸が合体したような不思議な物。

 釜戸の上には井の字に囲われた穴が空いていて、中へと縄が垂れ下がっている。

 その穴からは絶えず勢いよく湯気がシューシューと吹き上げる。

「……これは何?」

 質問してばかりな気がするけどこれは仕方ない。

「これも温泉よ。これでご飯作ってるの」

 ユラが滑車を使いロープを引き上げると穴の中からザルが現れた。

 ザルの上で貝や丸ごとの野菜が湯気を立てている。

「このザルに適当に乗せて中に吊すだけ……便利でしょ?」

 ユラは得意気に言う。

「……いつもこんな感じなの?」

 豪快だ。

「そっちのお湯に放り込むこともあるけどね。いい感じに塩味が付いて美味しいわよ」

「……」

 ……とっても豪快だ。

 そうしてできた貝や野菜、芋が食卓に並ぶ。

 ユラは手を合わせてる。

「さぁ食べましょう。いただきます」

「い……いただきます」

 手を合わせ、それに倣って言う。

 そして、一口。目を丸くすることになる。

 火は確かに通っているのにシャキシャキと程よい食感が残る菜物野菜。

 味も凝縮されて甘みが増している。

 ほくほくふっくらの芋は、程よい塩味により甘みが一層際立っている。

 食欲をそそる香りの貝はプリっプリっの食感で噛むと芳醇な汁が溢れる。

 絶妙な塩加、際立つ素材の旨味。

 驚くほどに美味しい。

 ただザルに乗せて吊していただけなのに驚きだ。

「それで、あなたの当面の呼び名どうしよっか? ずっとあなたじゃ何かと困るでしょ」

 とユラが切り出す。

 忘れてた。

「うーん……どんなのがいいかな?」

「希望はある?」

 特にこだわりはないが、いいことを思いついた。

「うーん……どうせならユラさんが付けてくれた方が嬉しいよ」

「あはは……そんな期待こめられると安易に付けられないじゃない。文句言わないでね?」

 うんうんと考える。

 そうやって自分のために真面目に考えてくれることが嬉しかった。

 それに、これでユラの悲しそうな表情が消えるなら願ったりである。

 どんな名前になるだろう、少しドキドキする。

 そして、名前が決まった。

「よし、決めた。今日からあなたの名前はミツキね」

 初めて呼ばれた名なのに、なぜかとてもしっくりきた。

 空には真ん丸の月が淡く輝いている。この月から肖ったらしい。

 胸に満ちる不思議な温もりを感じた。

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