如何にして大澤めぐみに出会いしか
思っていた以上にあっけなく、中学生になった。
自販機に130円入れてジュースを選んでいる間のほうが、まだ悩んだり考えたりしているんじゃないかって位に、流されるままに私は中学生になった。
そりゃ、中学受験なんてものがありきたりになったとして、それは世間様というか余裕のある家庭でだけの話でさ、もともと縁があるなんて思ってもいなかったし、何より私自身がそういう環境に身を置く事について一切合財考えていなかった。
馬鹿と阿呆と間抜けにまみれて遊び惚ける小学生生活を送っていた私みたいな奴には、ランドセルを背負わなくていい代わりに制服って言うちょっと窮屈な服を毎日来て通うようになる、それくらいの軽い変化がある程度の認識だったし、身近に居る奴らがそのままスライドして参加する地元公立中学での生活に、何の期待も恐れも無かった。
いつも通りで今まで通りでそこに新しい面子が二三人加わってまた馬鹿をするんじゃないかって。
それだから中学生になるあっけなさについては、そんなに問題じゃなかった。問題は、私が女だったってことと、制服は女子のものを着なきゃいけないって事、そして何より、小学校卒業してすぐに、母さんが壊れたってことだ。
母さんが壊れた理由は、よく分からない。私のせいじゃないとは言い切れない。うわ言のように馬鹿と阿呆と間抜けの親の名前をつぶやいていたことから考えると、多分PTAだとか、私が起こした事件事故の後処理での付き合いなんかで問題があったんだろうと思う。
六年間だ。年に一度の顔合わせなんてぬるい事言っていられるような頻度じゃなく顔を突き合わせて、やれうちの子がそっちの子が大体あんたの教育方針が、って騒ぎまくってたって馬鹿が言ってた。大体あいつの家で集まっていたらしい。馬鹿の家は結構でかくて、確か地元でも有力者というかなんかそういう立場にある家で、集まるにはもってこいだったのだ。私もちょくちょく遊びに行ってはゲームだ漫画だのを借りては遊んでいた。まあそれも、四年生の夏休み前までの話だけれど。
四年生の夏休み前までは和気藹々と、子供のやる事だし腕白だってことはイイコトだってことで、先生も多めに見てやって欲しいよねだなんて言って、適度にお茶会をしてまた今度、なんて、子供が問題を起こす事に関しては割りとおおらかにやっていたらしいのだ。
何で四年生の夏休みからこじれたかというと、馬鹿が、私の下着を盗んだのが発端だった。いつもの四人でつるんで、市民プールに行った時の事だ。その日は確か土曜日で、前の日の五時間目だか六時間目に性教育の話があった後のことだった。
私と阿呆と間抜けは、毎度のことながらへーはーふーんそうですかと聞き流して、強いカード弱いカードそんなの人の勝手、みたいな話をして先生に注意されていたのだけれど、どうやら馬鹿は違ったらしい。なんかずーっとぽけぇっとして、聞き流している私たちよりも授業を聞いていないんじゃないかって顔してた。その後急に、遊ぶ予定でもなかったのに馬鹿がプールに誘ってきたんだ。何故か、私と二人きりで遊びたいって。そんな面白そうな話を阿呆と間抜けが見逃すわけが無く、水くせぇな混ぜろよってことで結局四人で行く事になったんだ。