6話 メイドのお仕事 前編
朝、カーテンの隙間から差し込む光がベッドで眠っていたアキラを起こそうとしていた。
「……ん」
少しずつ意識が覚醒していき、目を開いたそこは見知らぬ天井。アキラは一瞬混乱しかけるも、徐々に現状を理解していく。
ふかふかのベッド……とまでは言えないが、ベッドはベッドであり、この世界で初めて目が覚めた時を思えば心地良い目覚めだった。
牢屋にて鎖で繋がれながら毎日を過ごした以前とは破格の変化である。……その代償はとんでもないモノであったが。
「あ゛ー」
アキラはツリ目がちな眼を擦り、身体をほぐす為にノビをする。
ベッドで快眠できたとは言っても、さすがに一晩で疲れは取れないようだ。むしろ時間を置いた事でどっと疲れが押し寄せる感覚すらあった。
特に下半身は酷く、筋肉は悲鳴を上げている。
だが、じっとここで動かずにいてもしょうがないと思い、ごろりとベッドの端に移動して降りようとした。しかし、
「うお!」
ベッドからいそいそと降りると足腰は自らの仕事を果たせず、その場でへたり込むアキラ。そこにノックをしたサリアが部屋に入ってきた。
「……」
「……おはようございます、アキ」
「ああ、おはよう」
アキラは上半身の力を駆使し、ベッドの上に戻ろうと試みる。無駄にでかい胸が邪魔をし、うまく上れなかったアキラをサリアが補助をして戻る事に成功した。
「はて、その様子ではやはり今日はまだお休みを取った方が宜しいですね」
「はっ、豚のくせして猿かっての」
――笑え。
「あ゛ー、で? 休みじゃなかったら仕事でもあるのか」
「はい、それは当然メイドですので」
当たり前の話だった。いや、完全な性処理奴隷なら話は別だが、それぞれ個室を与える程度の待遇なのだ。普通の仕事もあってしかるべきである。
「ま、そうだろうな。なら明日から頑張らせてもらうとするぜ」
「食事は手の開いているメイドに運ばせますので、明日から宜しくお願い致します」
サリアが退室すると、アキラは身体から力を抜いて起こしていた上半身をベッドに預けた。
明日、そう、明日からだ。
アキラはついに翌日から制限付きとはいえ自由の身となる。最終的な目標は元の世界に帰る、それと男の身体に戻る――この二つだろう。だが、今すぐにそれを果たすのは無理だと誰もが分かる。
まず最優先すべき事項はザブニールの殺害なり何らかの手段で奴隷契約を破棄し、この屋敷から逃亡する事である。
しかし、それを実行に移すには情報が圧倒的に不足している。
未だに強い存在を感じ取らせる首筋の刻印。これについて詳しく知る必要がある。絶対服従で逆らえない、だからと言ってこのまま何もしない訳がなかった。
アキラには成すべきことがあるのだ。現在の状況を鑑みて、一番の元凶は誰なのであろうか。ザブニール? いや、違う。奴隷に落ちた原因は彼ではない。では奴隷商? これも違う。確かに、確かに奴隷商は原因の一つかもしれないが、彼らは倒れていたアキラを拾っただけである。
ならば誰なのか。原因の因果を遡れば自ずと答えは見えてくる。
そう――この異世界にくる事となった元凶……あの忌々しい女である。
こんな言葉がある。『復讐は人を強くする』と。
アキラは今回の出来事で初めて弱者の立場を知る事ができた。そして今、奴隷という底辺に落ちたのだ。
どん底から這い上がる復讐者の恐ろしさを思い知るがいい、アキラは心の中で宣戦布告をするのであった。
「仕事、と言ってもややこしかったり、難しい事ではありません。一言で言えば、私達に課せられた仕事はこのお屋敷を維持する、それだけです」
屋敷の敷地のある一角。青空が広がり、気持ちの良い風が抑揚のない声を運ぶ。
翌日、未だに疲労は尾を引いているものの、一応の回復を見せたアキラは、さっそくメイドの仕事についてサリアから説明を受けていた。
基本的であると同時に、仕事の大半を締めるのが掃除だ。やる事自体は簡単だが、アキラを含めても20人に満たないメイドで広大な敷地と大きな屋敷を駆け巡るのである。
料理人や庭師などは雇っておらず、全てがメイドの担当となる。例外は警備だけ、その衛兵も50人程度で、敷地の規模と比べれば圧倒的に少ない。
「なあ、一応あれでも貴族なんだろ? さすがに人手不足が過ぎないか?」
「はい、それもこの領地を治める伯爵様です。ですが、ザブニール様はお優しいのです」
……。
…………。
………………。
「あ゛ー?」
全くもって意味が分からなかったアキラは最大限の困惑を顔に貼り付ける。あれが優しい部類に入ってしまうのなら、自分はきっと天使になれるとアキラは思った。
その反応は想定通りだとサリアは説明を続けた。
「言ってしまえば、ザブニール様の優しさは領民に対してのみ向けられています。自らの領地を発展させる事だけを考えているのです。そうですね……アキはお屋敷の中で骨董品や絵画を見かけましたか?」
アキラは記憶を探るが、確かにいわゆる金持ちの屋敷と想像されるモノよりも殺風景に見えた。
「これはずっと仕えている衛兵に聞いた話ですが、ザブニール様の代になってから全てを売り払い、その資金は領地をより豊かにすべく運用されているみたいです」
「はん、随分と善人気取りな領主様だな。その偽善を俺たちに向けてくれりゃいいのによ」
「ザブニール様の中で領民と奴隷の線引きがきっちりなされているのでしょう。……少し話が逸れましたね。つまり、領民を優先するがゆえに資金繰りが厳しくなっています」
「……いや、奴隷買ってるじゃねえか」
使用人を雇うのではなく、奴隷を買っているのである。これは分類的には娯楽であり、金がないものが手を出すべきではないのだ。
「そうですね、ザブニール様唯一の欠点と言ったところでしょうか」
「お、おう」
アキラは空を仰ぎ見る。
そこには複数の雲が連なり、まっすぐな虹のように空を彩っていた。