2話 奴隷契約
「あ゛ー暇だ」
そう、一人の少女が呟いた。
胸まで伸びた金色の髪、その髪をかき分ける様に主張する豊満な胸。彼女はボロ布一枚で壁に繋がれていた。
彼女――アキラ達が連れてこられた先は船の牢屋と大して変わらない場所だった。ここは恐らく人身売買……つまりは奴隷を売り買いする場所なのだろう。それなりに大きな建物であり、アキラが連れてこられた牢屋も船の時と比べれば環境は向上してはいた。
しかし結局は牢屋であり、そこの住民となった者の運命は変わらない。
アキラは壁付近に鎖で繋がれて代わり映えしない日が続いていた。
あの転機の日から一週間以上は経っていると思われる。
食事は朝と夕の二回で残飯のような物が運ばれてくる。美味い物ではなかったが、一週間も食わされ続けたアキラは既に慣れ始めていた。
ふと、こつこつと石畳を歩く音が響いてくる。それも二人分だ。
珍しいな、とアキラは思う。
食事その他の世話係はいつも一人で、毎日決まった時間に来ていた。勿論正確な時間は知る事はできないが、今日は明らかにいつもの時間とずれている事は確信できた。
足音がアキラがいる牢の前で止まった。
「こちらなんですがね、どうでしょう。エルフの中でも群を抜いて美しいと私は思っております」
「この娘が例のエルフだね。へえ、可愛いじゃん。そして何より――良い目をしている」
牢の前で会話をする二人の男。
一人は背が高く、眼鏡をかけている。もう一人は背は普通なのだが、かなりの肥満体質でまん丸としていた。
二人の視線は自分に向けられているのだとアキラは察し、集中して会話を聞く。
「そうでしょう。通常ならば戦闘によって捕獲する為に傷物になる事も少なくないですし、激しい戦闘によって既に心が壊れてしまうエルフもいます。しかし、このエルフは違う。運良く入手できた為に未だ元気が有り余っておりますので、いつもより楽しめると思いますよ」
「よっし買った! こんな良い買い物はなかなかできないからね。よし、これだけ出すよ」
「いえいえ、ザブニール様とは長い付き合いです。これで結構ですよ」
「え? これだけでいいのかい? 遠慮しなくてもいいのに」
「ここだけの話ですが、この娘にかかった経費はありません。実を言うと拾ったのですよ。――倒れている所をね」
にやっと眼鏡の男が笑った。
「元々これだけの容姿の分お高いですし、それが丸々儲けになるのです。ですので、これからもザブニール様とは良い付き合いにしたいですな」
「なるほど、君との付き合いはまだまだ長く続けられそうだよ」
ついにこの時がきてしまったか、と憂鬱になると同時にこれはチャンスでもある、とアキラは自分に活を入れる。
勿論どうにかして逃げる訳だが、やはり簡単にはいくまい。
しかし、奴隷として従順でいれば、いつかは逃げるチャンスはくる。そして一度でも逃げ出す事ができれば捕まりはしない自信がアキラにはあった。
「では、奴隷契約を行いますので、いつも通り儀式部屋にてお待ちください」
「うん、じゃあまたねエルフちゃん」
肥満の男――ザブニールは牢屋前から立ち去り、アキラは眼鏡の男を二人きりになる。正確にはまだ奴隷の女性達がいるので違うが。
アキラは壁から鎖を外れるも、両手両足に枷をはめられる。腕は全く動かせず、脚はなんとか歩けなくもないと言った程度だ。
「では、私の指示通りに歩きなさい」
アキラはこくりと頷いて、枷で制限された脚でせこせこと歩いた。
ある扉にたどり着くと眼鏡の男はノックした。すると、内側から扉が開く。
室内にいるには先程別れたザブニールに加えて、ローブをまとった男がいた。
ローブの男が口を開いた。
「サイモスさん、準備はできていますよ。いつでも始められます」
その言葉に眼鏡の男――サイモスは頷いて、
「宜しい。では君、魔法陣の中心で立っていなさい」
アキラの肩をぽんと叩いた。そう言われたアキラは一瞬戸惑った。しかし、床に大きく複雑に描かれた円が見えた為、いそいそと移動した。
ローブの男は最終確認としてもう一度魔法陣をチェックする。
「よし、始めます」
ローブの男はナイフを片手にアキラの手を取り、指を切りつけた。つつ、と血が流れ魔法陣に吸い込まれる。
「ザブニール様」
「うん、分かってるよ」
ザブニールは自分でナイフを使って指を切り、魔法陣に向かって血を垂らす。それを確認したローブの男は言葉を紡ぐ。
「主をザブニールとし、従をエルフとする。主は従を殺めること許さず、従は主に逆らうこと許さず」
ローブの男が呪文を唱え始めると魔法陣が輝き、光がアキラを包むようにまとわりついた。
「さすれば絶対遵守の盟約となり、これを以って奴隷契約の完了とす」
特に問題がないのならば、これにて奴隷契約の成立である。
ザブニールは意気揚々とアキラに近づこうとしたが、ローブの男が声高に叫ぶ。
「――ッ! お待ちくださいザブニール様!」
「ぐぶっ」
荒れ狂う魔力が牙となり、ザブニールが壁に叩き付けられる。
貴族であるザブニールの介抱へと動きたかったが、ローブの男は魔力のコントールに手一杯で、サイモスはこの予想外の事態では下手に動くと危険だと判断した。
「一体どうなってるのだ!?」
「どうやら、思いの外魔力抵抗が、強いようです。大規模な儀式魔法を使っているのに、これほど抵抗されるなんて!」
通常、普通の人間を奴隷契約させる場合においては魔法陣は必要ない。にも関わらず、魔法陣を使っているのは契約させる相手がエルフだからである。
当然ながら人間よりも魔力抵抗が高いが、所詮は一個人の力だ。事前準備をしっかりと行えば奴隷契約を行うのは容易い――筈だった。
「はぁ、が、ぅぐ」
アキラの呼吸が荒くなっていく。体が熱く、意識を持っていかれそうになるほどだ。
生まれてこの方、アキラは病気に患った経験がなく、風邪もひいた事すらない。寝込むほどの高熱ってこんな体験なのか、とアキラは薄れ行く意識の中思った。
「はあ、ふう……」
「終わった……のか?」
「ええ、契約完了しました。見てください、この通りです」
ローブの男はアキラの首筋が見えるように髪をまくり上げた。すると奴隷契約の証である刻印がしっかりと刻まれていた。
「まあ、無事契約できたのなら問題はない」
そう答えたサイモスは気絶したままのザブニールを起こすべく介抱を行う。
(このエルフ、ザブニールに売るには少々勿体なかったかもしれんな)
そう思っても既に遅く、契約は完了してしまっている。
しかし、契約を反故にはできないが、このエルフの存在の情報には価値があった。