第9章-第88話 ふみん
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俺は、引越した。いや正確に言うと元の自宅は、そのままで新居を構えたというべきであろう。自社ビルのすぐ近くに賃貸マンションの1棟建ての中古物件があったので、そちらを購入した。元々最上階は、オーナーがワンフロアー使っていたらしくそこに引越しする予定だ。
もちろん、最上階以外は既に賃貸として住人が入っている部分もあるが、従業員に社宅として利用してもらうことも考慮に入れている。実は、ここの購入資金はさつきの義母さん、つまりゴン氏の奥さんから出ている。
そうは言っても、援助してもらったわけではない。さつきにプレゼントしたネックレスを見た彼女が、店の目玉商品として譲るよう言ってくるのに困ったさつきが相談してきたのだ。
クーデター騒ぎが治まったあと、以前侍従長から預かった情報で宝石加工の店に行き、さつきに良質なダイヤを選んでもらい購入した。異世界の価格で10万Gのものだったが日本では、マンションに化けたのだ。
うなぎ料理店の営業の隙間を縫って、新しいマンションに入れる家具を購入しようと、さつきと家具屋めぐりをしている。新しいマンションは既にクリーニング済みで7LDKだ。
リビング30畳、キッチン10畳、そして各部屋も10畳から20畳程度あるが、寝室と俺とさつきの自室、ドレッサールームで4部屋使うだけで、後の3部屋の用途は決っていない。
家具選びは、さつきにほとんどお任せだ。俺には、こんな大きな部屋を埋めるような家具のセンスはない。
例えば、クィーンサイズのベッドといえば、シングルベッドを2つ並べるようなものを想像していたが。本物は、専門の運搬業者が来て窓から運び入れるものなのだとか、確かにあのサイズのマットレスでは、エレベーターにも乗らないし、マンションの玄関も通らない。
さつきも意外と締まりやなのか、収納家具が充実していて必要ないだけなのか。家具はベッドとソファとテーブルくらいだった。
「自室にもベッドが必要なのか?」
「ええ、インフルエンザとか掛かったときに隔離しなきゃ。」
「そっか。そうだな。じゃあ、俺の所にも入れる必要があるな。」
「貴方は私に看病させない気なの?私のところだけで十分よ。考えてもごらんなさいよ。護衛が居なくても代わりの人に行ってもらえば済むけど、社長が看病のために休むなんて。」
・・・・・・・
その日は、牛丼のスキスキのある地域の深夜営業再開の目途がつき、視察のためにストップウォッチ片手に店舗の前に居た。深夜営業の問題点は2つあった。1つ目はワンオペで強盗に狙われたこと。2つ目はワンオペで洗い物まで手が行き届かず、ところによって洗い物が積みあがり不衛生に思われることだった。
どちらもワンオペを止めれば解消する問題だったが、2人体制にすると採算が合わない。それで仕方なく一部時間帯を休止することで、なんとか採算ラインギリギリになったのだが。24時間いつでも営業していることが売りだったので、どうしても深夜営業を再開する必要があったのだ。
そこで1人あたり3店舗を2回転、車で移動してもらい作業を手伝ってもらうことで、極力1人になる時間帯が減り、更に洗い物解消されるというわけだ。見た目、警備員が作業を行っているので不思議に思うかもしれないが、既に大手スーパーの巡回警備員は、普通に作業が割当られているらしい。
それは2周目の警備員が去った直ぐあとに起こった。突然、ナイフを持った男が踊りかかってきたのだ。もちろん、紐パンにMPを投入し防御したが、うっすらと腕を切りつけられてしまった。そのまま、指輪を『雷』にしてあったので、気絶させて警察に引き渡した。
問題は、それを聞いた、さつきが酷く落ち込んだことだ。このところ、生活が不規則かつ夜中に飛び起きる生活をしていたせいで、さつきは、その時間うっかりうとうとしていたらしい。
ケガ自体は、指輪で直ぐにでも治せるものだったが、被害届を出す必要もあり、病院に行って診断書を書いてもらった。しかし、その程度のケガであり、問題ないと思ったのは間違いだったようだ。
・・・・・・・
「さ、幸子さん?いったい、どうして?」
マンションに全ての家具と電化製品などの運び入れが完了し、さつきから住み込みの家政婦を手配したと言われた。そんなことは、聞いていなかったから、酷く驚いたが2人ともいないことが多いし、さつきがそういった生活に慣れているのだろうと思って受け入れ紹介されたのが従業員の幸子さんだった。
「あら、聞いてなかったの?さつきから手伝って欲しいって言われたから、来たのだけれど。内容が内容だから私にしかお願いできないからって。」
聞くのが怖かったがその内容を尋ねると更に驚かされることになった。なんと、さつきは幸子さんにハウスキーパーとしての仕事の他に夜の生活を共にするようにと言われていたらしいのだ。
さつきは、俺がケガをしたことを気に病んでいて、護衛の仕事を全うするには、夜の生活を半分受け持って貰えばいいと考えたらしい。母、いや母の妹を殺したシーンが蘇り、頻繁に夜中に目を覚ますようになってきたのでさつきに負担をかけていたのは確かだが・・・。
しかし、それならば護衛を複数雇えば済むだけの話だし、実際に襲われても自分だけで対処する自信もあるし、実際対処している。なにか、おかしい。
幸子さんは、住んでいたアパートを引き払ってきていたので、とりあえず家政婦として入ってもらうことにした。
翌日、幸子さんと自社に行き、洋一さんを尋ね、昨日あった出来事を話した。
「ああ、やっぱりそうなったか。」
「いったいどういうことなんだ。知っていることがあれば、話してくれないか。」
「ああ、さつきに聞いた話なんだが・・・。」
そう、前置きを置いて話始めた内容は、悲しい物語だった。
さつきは、一時期、向こうで警護に入っていた相手が好きになり、相手に思いが通じて両思いの相手ができたそうだ。しかし、さつきがゴン氏の娘と知ると、経営していた会社をさらに大きくしようと頑張り、頑張りすぎて、ノイローゼになったそうだ。
そして、昼は警護、夜は相手を思うあまり尽くす日々の彼女も頑張りすぎ、あるときうつらうつらと居眠りをした瞬間、突然彼が賊に襲われ死んでしまったそうだ。
「俺との結婚生活では決して警護させなかったのがいけなかったんだ。警護することに命を掛けている彼女を結婚という枠に縛り付けることなど、できなかったというわけだ。」
そんな・・・それじゃ・・・。
「じゃあ俺は、さつきから仕事を取り上げることもできないし、何もして上げられることもないのか?」
「さつきの言うことをそのまま、受け入れてやってほしい。俺には、そう言うしかないんだ。さつきに2度とあんな思いをさせたくない。」
何か・・・何か無いのか?
「幸子は、どうなんだ?それでいいのか?」
「私、私はもちろん、貴方が好きだもの。さつきの願いもふたつ返事で了承したわ。」
俺は必死になって考える。そうか・・・。
「そうか、俺が不眠症を克服さえすればいいんだな。」
「それって、今直ぐできるの?心療内科はダメよ。会社の信用に関わるもの。今直ぐ治らなきゃ意味がないのよ。もう諦めなさい。そういう運命だったのよ。」
それも幸子にダメだしされる。これくらいのことは、既に考えてあったらしい。
「ずっと、このままなのか?」
「そんなことは、わからないわよ。きっと、彼女が妊娠してどうしても警護できないとなれば治るんじゃない。でも、私と夜を共にしておいて、必要なくなったからって私を放り出せる?そんなことは、トムにできないでしょ。だから、諦めなさい。」
「ところで、今日さつきは?」
「ああ、よく寝ていたんで置いてきた。」
「それは、不味いぞ。今頃、半狂乱になっていないといいけど・・・。」
ムームームー。タイミングよくさつきからだ。
「・・・・ああ、よく寝てたから。ん、ごめんごめん。大丈夫だ。・・・ああ、社用車で移動した。・・・ああ、わかった1日中防御してる。うん・・・。いるよ。幸子、代われって。」
「はい。代わりました。・・・そうね。わかったわ。」
「なんだって?」
「今日は一日付いていてだそうよ。過保護ね。」
「じゃあ、すまんが付き合ってくれ!」
「何処行くの?」
「なんとかして、今日中にこの不眠症を克服してやる。」
「嫌よ。それじゃ、私が振られるってことじゃない。」
「わかった。俺1人で言ってくる。まあ、さつきに当たられるのは覚悟しておくんだな。」
「えっ・・・酷っ・・・うーん。」
「どうするんだ。付いてくるのか付いてこないのか?」
「行くわよ。行けばいいんでしょ。」
あと1話です。次は15時更新です。
 




