第2章-第21話 わらえるはなし
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「男の娘女優『チヒロ』って。あのトランスジェンダーアイドルグループのチヒロですか?」
大葉くんが食いついてくる。那須くんといい、この年代の男性は全く偏見が無くて気持ちいいな。と言ってもそのアイドルグループ内でゲストとして踊ったなんて言う気は無いがな。
「ああ所属事務所が同じだ。それにうちの会社が全面的バックアップしているんだ。」
「トムはアイドルグループMotyのリーダーでもプロ野球球団フォルクスの球団社長兼選手でもあるのよ。・・・最近見ないけど辞めてないよね。」
プロ野球選手は1年限りだったはずなんだがな。請け負い全力を出した俺が悪い。
しかし、プロ野球球団も軌道に乗ったからそろそろ辞められるといいんだが、どうしたものか。
「元リーダーです。Motyでの活動はヴァーチャルリアリティ空間のライブばかりなので露出は少ないですし、政治家時代の登板間隔は中1ヶ月なんてザラでした。テレビ画面には国会中継か記者会見のほうが余程長かったですね。」
いつの間にか『出場選手登録』の特例処置として兼任選手が登録を抹消されても規定の10日間待たずに再登録できる制度が出来ていたのだ。
だから政界での骨休めのつもりで翌日登板できると伝えるだけで簡単に登板機会が巡ってきた。常時ベンチ入りできる監督やコーチのための制度らしいのだがベンチに出入りできる球団社長にも適用できるということだった。
「プロ野球選手もいいですね。鋼のように強化できるスキルならあるんですけど運動機能を向上するようなスキルは無かったから無理ですね。」
大葉くんにとってプロ野球選手も『俺TUEEE』の一種らしい。
「『成長』スキルがあれば訓練次第で運動機能が向上するはずだ。それから異世界に行ってレベルアップを果たせば運動機能の向上は容易だよ。」
その訓練のやりすぎで故障するのは『成長』スキルがあっても同じなのは穂波くんが証明してくれているから、お薦めできない。だが俺のように人間の限界を突破しなくても異世界でレベルアップした肉体ならば耐久性も高くなっているはずだ。
「異世界・・・って、異世界に行く伝手もあるんですか?」
「ああ。俺は『空間魔術師』だ。だから行ったことがある異世界に転移できる。それに俺のふるさとの異世界へは空間を連結しているので歩いて行けるぞ」
「歩いて? それは是非行ってみたい。」
大葉くんが目を輝かしている。これが彼の本当の願いのようだ。
「お待たせいたしました。」
椀物が運ばれてくる。懐石料理なら、この辺りでご飯モノがほんの少し出されるはずだが、本式の会席料理の順番で出されているようだ。
お椀の蓋を開けるとややピンクがかった練り物が中央にあり周辺にはさやえんどうが飾り切りしてあった。
ぱーっん
「女将。驚くじゃないか。」
耳元で掌を叩く音がして思わず苦情が出る。
「あらごめんなさいね。椀を開けてから山椒をお出しするように申し使っているの。さあどうぞ。」
女将の手ずからお椀の中に山椒の葉っぱが置かれる。山椒の葉っぱを掌で叩いて香りを引き出すらしい。
まずはお椀に口をつけて出汁を楽しむ。山椒の香りと共に最低限の味付けをされた出汁を舌の上で転がす。
「いいお味だ。しかし、おどかしが過ぎるぞ。次は氷の彫刻に刺身が盛られてくるんじゃないだろうな。」
出汁の味は歳を取るに従ってバカになっている舌を癒してくれるものだった。これがあと10年もすれば薄いとか思うのだろう。もっと節制して、この味が解る程度の舌を維持したいものだ。
義父の話では昭和のバブル絶頂期には懐石料理と称した脅かしが過ぎるものが何万円という代金で供されていたらしい。その中でも氷の彫刻に置かれた刺身はバカバカしくて笑えたという。
「よくわかったわね。これから私が氷を削るの・・・いやぁね。冗談よ。本店だと山椒を栽培して提供しているんだけど、この店のは仕入れるから。香りを引き出した直後のものを載せないと本店と同等にならないんですって。うちの板さんのこだわりよ。」
思わず冷たい視線を送っていたらしく冗談を切り上げてくれた。流石にそれはないよな。
氷の彫刻に載せられた刺身は美味しくありませんでした。
部屋も器も最高級なのに味がイマイチだった記憶しかありません。
バブル崩壊と共に消えた店でしたが、全く気にもなりませんでしたね(笑