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第2章-第19話 るーる

お読み頂きましてありがとうございます。

 机に設置された呼び出しブザーを鳴らすと入口に待機していた若女将が襖を開けて入ってくる。


 『加賀兆』本店は初代がまだ現役で取り仕切っており、ここの『加賀兆』は2代目夫婦が取り仕切っている。


「渋沢様。『加賀兆』においで頂き誠にありがとうございます。女将の慶子と申します。」


 畳の上に正座し深々と挨拶した後、面を上げた若女将は夜の蝶出身だが地味な留袖で化粧も質素。それでも滲み出る美貌は元々凄い美女なのだろうことを窺わせた。


「ここが首相夫人お薦めの『加賀兆』なのね。床の間の掛け軸も素敵だけど、その前に活けてあるお花も斬新かつ色バランスに優れているわ。こちらは女将が?」


 掛け軸は由吏姉の地元である松阪の雅号『實』という水墨画家が描いたものを『加賀兆』開店祝いとして俺が送ったもので、本来墨だけで描く水墨画に銀を溶かしたものを散りばめた、やや斬新な作風となっている。


 首相夫人は良家のお嬢様だったころから内外の社交界で有力者と誼を結んでおり首相を裏から支えている女傑だ。その活躍ぶりは派手で時折写真週刊誌を賑わせており、日本の世論で顰蹙を買っている。しかし彼女の交友関係の広さが首相の外交能力の高さを引き出しているのも事実なのだ。


 この高層マンションのバンケットルームを借り切ってパーティーを開くこともあり、その際に日本料理を任されているのが『加賀兆』なのだ。


「『新利休流』に師事させて頂いております。」


 華道『新利休流』といえば千利休直系の茶道『四千家』のうち、唯一華道も教える『利休流』の東京における新流派である。


「それでここは茶室が備え付けられているのね。後で点てて頂けるのかしら。」


 紫子さんが手首を振って、お茶を点てる真似をする。


「ええご希望でしたら。」


「それに能登のお料理を頂けるのですよね。楽しみだわ。」


「お伺いしております。本日は加賀会席『宙』となっております。こちらがお品書きでございます。」


 若女将は中々機転の利く性格のようで加賀懐石『宙』の注文に懐石料理には無い能登の料理を組み合わせたコースを『会席』と称したお品書きを持って来ていた。


「山田様。お飲み物は如何いたしますか?」


「俺はいつも通り、純米大吟醸の『もっきり』とおすすめの純米酒にします。」


「あら。日本料理店で『もっきり』とは珍しいわね。」


「俺が貧乏性なだけですよ。どうしても料理が進んでくると大吟醸の1合とっくりだと持て余して残してしまい次のお酒を頼んでしまうので女将に頼んだところ、お祝い用の漆の升にガラスの器を載せて女将みずから酌までして頂ける演出付きで1合とっくりと同じ値段だったかな。」


 本来の『もっきり』は器から升へこぼれだしてしまうくらいお酒を注ぐが、ここではお上品に表面張力ギリギリまで注ぐので0.5合くらいになっていて丁度良い量なのだ。


「もう社長ったら。一升びんから器ギリギリまでお酒を注ぐのは難しいのよ。100回くらい練習したんだからね。・・・あらごめんなさい。女将のセリフじゃなかったわね。」


 冗談を冗談で返してきやがった。夜の蝶だったころに洋一さんいきつけの銀座のバーのホステスだったことがあるらしい。そのバーで顔を合わせているという話だったが俺は余り覚えていない。


「へえ一升びんからじゃあ私も同じものを貰えるかしら、大葉くんも同じでいいよね。後は白ワインがいいわ。銘柄は何があるのかしら?」


「ワインはこちらからお選びください。」


 女将の顔に戻り、タブレット端末を紫子さんに渡す。『加賀兆』の日本酒は指定銘柄でお店の冷蔵庫で保存されているが、他のお酒については違う。


 このマンションには世界各地の有力者が滞在しており、世界各地のお酒を取り揃えて各部屋までサービスするシステムが出来上がっている。ちなみにレストラン街で注文すると利益の半分がお店に渡る仕組みだが接客はお店側が行って貰う。


「後で詳しい説明をするがマンションの部屋からも同じようにワインサービスを受けられる。」


 傘下のホテルグループには温泉旅館だけでなく駅前に配置された高級ホテルもあり、山田ホールディングスの社員も順次派遣しているのでそういったサービスができる従業員がサポートしてくれている。


「ホテルのルームサービスのように?」


「ああ事前予約すれば『加賀兆』の松花堂弁当も頼めるはずだ。」


 流石に昔の貴族のように着替えも侍女任せという人間は居ないが各国の大統領クラスにも自分で料理をする人間も居れば、何もできない人間も居る。但し、そういった場合にはマンション側のレストランで注文するよりも高額なサービス料を徴収している。


 開始早々、話し合いが長かった所為か先付、八寸が運び込まれる。次のお椀は、温かいものであり出汁も直前に抽出する必要があるため、お酒の進み具合を長年の勘により察知して絶妙なタイミングで持ってくるはずだ。


 もちろん事前に急いでいることを説明すれば間を詰めて持ってくることも可能だが最大で10分~20分くらい間を開けて持ってくるのが普通だ。全体で2時間、今日は茶室を使うから3時間くらい掛かるだろう。


 作り置きが可能ならば簡単なのだろうが、出来立て作りたてを出そうと思うのであればそれくらいの時間間隔が絶対に必要になる。それが待てないのであれば作り置きしてある大皿料理のある割烹に行けばいいのである。わざわざコースになっている会席料理店に来る必要は無い。


 注文されてから鰻を割くところから始めるうなぎ料理店と同じ理屈だ。あれも最短で45分ほど掛かるからか遅いと言って苦情を言う輩が結構居る。美味しく頂くには裁いた状態で放置できないし、白焼きした状態で放置できない。まして冷蔵庫で保存したものならばスーパーのうなぎを買ってくればいいのである。


「おおっと失敗しちゃった。代わりを持ってくるから待っていてね。」


 女将が持った一升びんから大葉くんと紫子さんのグラスには並々とお酒が注がれたが、俺のグラスからはお酒が零れおちたのだ。


「女将。これでいいよ。」


「そうはいかないの。お客様がグラスを持ったときに底から滴り落ちるなんてありえない。この店は接客業じゃないから、傍についていてグラスを拭くなんてできないからね。」


 それを言ったら女将がグラスにお酒を注ぐという何処でも行われている行為も厳密には法律違反だ。変なところにプライドがあるようだ。それが店を背負っている女将の立場なら仕方が無いが今の物言いからすると銀座のホステスとして培ってきたことみたいだ。


「それ陽子ママのルールだろ。銀座には銀座のルールがあるようにこのマンションのプライベート空間にはプライベート空間なりのルールがある。そんなに肩肘張っていては楽しめるものも楽しめないだろ。」


 これが京都の有名懐石料理店ではなく『加賀兆』を誘致した理由でもある。肩肘張った雁字搦めなルールに縛られ融通が利かない店よりも譬え懐石料理という枠を崩してでも客の要望する料理を出せる。そんな店だからこそ誘致したのだ。


 まあ鷹山首相のように懐石料理にこだわる人間にはとことんこだわれる料理を出せる点も魅力的で、それもある意味料理長の柔軟性がなせる業なのだろう。

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