第1章-第10話 あくろばっと
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この旅館は切り立った山肌に建っており、8階までの本館と9階以上の新館は連絡通路で繋がれている。新館の9階には展望露天風呂、10階にはショースペースが設置されている。
ひと昔前には、このショースペースだった大広間で競技ダンスの大会が行われたり、社交ダンスの愛好家たちが良く利用する場所だったりもしたらしい。
温泉ブームと呼ばれた時代は、ここに外国のニューハーフ劇団やポールダンサーを招いて人気を博したらしい。数年前までは下町歌舞伎の劇団が年に数回のペースで公演されていたという。
「ここまで多様な性、特にトランスジェンダーの多様性が細かいのは日本独自の文化なんだそうだな。トモヒロくん。」
温泉ブームと呼ばれた時代の『ニューハーフ』という言葉でさえ新しかったのが現代ではトランスジェンダーの多様な性の1つに過ぎないのだというから解らないものだ。
LGBT関連法案を策定する際に散々説明して貰った内容だが当事者では無い俺が理解できないのは仕方が無い。ただそういった多様な性が存在し、対外的に否定しなければ良いということさえ解っていれば良いのだ。
「実際には日本と外国と差は無いんですが、元々アンダーグラウンドの閉鎖的文化ですから表に出てくるのは極一部だったのが、日本では多種多様な性が表に出てきたのでしょう。特に男性でもあり女性でもあるトランスジェンダーはマウンティングを取りたがる性質が『自分は違う』という思いに発展したためなんでしょう。それが多種多様な細かい区分けを生み出しているようです。」
「こうやって見ると壮観だな。」
そのショースペースを使い、今、振り付けの練習をしているところだ。もちろん、これらの映像も購入特典の映像として配信される予定である。今回のMVで使われるテーマは『ベリーダンス』で薄布を纏ったトランスジェンダーたちがアラビアンな振り付けに合わせて歌い踊り続けている。
「そうですね。しかし、那須先生のあの身体の柔らかさは何なんでしょう。肋骨除去術を行ったというニューハーフさんでも、ここまでの柔軟性は無かったのですが。」
芸能界では昔から行われていたという肋骨除去術をトランスジェンダーのウエストを細く見せるために使われているらしい。
「ベリーダンサーの協力を仰いだらしいが絶対野球選手の身体じゃないよな。トモヒロくんも無理しなくていいぞ。」
振り付け自体は荻尚子のものだったが実際の動きは本人にも出来なかったらしく。ベリーダンス教室を営む知り合いの先生や生徒の協力を仰いだのだ。
あの身体の動きをコピーする能力には柔軟な身体が必要でおそらく神から与えられたスキルの一部なのだろう。彼の身体に負荷が掛かっていないか心配になる動きでもある。特に右投げ左投げ投手の動きを難なくコピーしてみせる彼にとっては造作も無いという。
「でもNG連発は恰好悪いですよね。アタシよりも身体が硬いはずのお姉さまにセンターを取られるわけにはいきませんので、もうちょっと頑張ってみます。」
今舞台中央では『西九条れいな』が那須くんと絡んだダンスを披露していた。トモヒロくんの師匠として最低限の動きで妖艶な雰囲気を醸し出せる動きの手本を見せているらしい。
元々、ベリーダンスは何処かのサーカス団のようなアクロバティックな動きは必要無い。どちらかと言えば本場には細見な女性ダンサーは存在しないのが普通だ。だが日本のベリーダンス教室の先生や生徒はウエストが縊れているのが普通でそれが大袈裟に柔軟な動きになってしまっているようである。
だがそこを指摘してもウエストの縊れを追求するトランスジェンダーの耳には入らないし、彼らのMVを心待ちにする客層も望んでいないので仕方が無いところである。
しかし、映像の中に純女の『西九条れいな』の妖艶かつノンアクロバティックな動きが入ることによってトランスジェンダーの動きがより一層柔軟に見えるのである。