第1章-第5話 あいどる
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「ではよろしくお願いします。」
トモヒロくんが頭を下げて扉から出て行った。
「失礼します。今の『TRSのチヒロ』さんですよね。可愛いなあ。」
代わりに入ってきたのは那須くんだ。
トモヒロくんは昨年女優デビューを飾り、映画は予想した興行収入を大幅に上回ったため、全世界興行に切り替わり、見事アメリカのブリリアントリリーの主演女優賞に輝いた。
それをきっかけにトランスジェンダーアイドルとして売りだしたところ、ファーストシングルが大ヒット。さらにトランスジェンダーグループ『TRS』を立ち上げた。
カノングループや山田ホールディングスグループでは早くからトランスジェンダーをトランスジェンダーのまま雇用する事業を進めていた。『TRS』はその中でも顔が可愛いとかトークが上手い、歌が上手いといったアイドル向きなトランスジェンダーを集めて作ったアイドルグループなのだ。
活動場所はヴァーチャルリアリティ空間の特設ステージでヴァーチャルリアリティ時空間利用者はリアルタイムで時空間対応外の機種では一定期間の動画配信で差別化を行っている。共通の特徴としてはヴァーチャルリアリティ空間で利用者同士がお互いに触れない特性を利用し、客席のどの位置からも鑑賞できる。つまり好きなアイドルを最前列ガブリつきで見れることだろう。
当然、センター寄りの客席位置に集中するため、1つの客席につき最大100名までとなっている。舞台はセンター最前列の客席で左右に首を振れば全て見渡せる設計になっているが客席の最大定員が10万人を超えるのだ。
「ファンなのか?」
未だに那須くんの女性の好みは不明だ。一時期、荻尚子たち4人の熟女と同居していたことから熟女好きと噂が広まっている。その噂から逃げるように若くて可愛い女性にアタックしていると聞くが実っていないらしい。
よりにもよって男の娘に走らなくてもと思うが口には出さない。
「そうなんです。毎回センターを中心に10席5列をランダムに買っているんですけど、抽選に当たらないんです。なんとかなりませんか?」
最前列は最前列でも舞台袖に近い席を従業員に格安で提供しているが、流石にド真ん中の席は優遇出来ない。
「うーん。倍率1万倍の席か。5列目で良ければキャンセル待ちのトップに入れてあげるくらいかな。」
トモヒロくんはサービス精神旺盛で必ず客席に降りてハイタッチを交わすため、1席100人の定員のところ最大1万人の予約が入るのだ。重複予約も可能だが前金制で当選しなければ、空いている席がランダムに割り当てられる仕組みになっている。
基本的にヴァーチャルリアリティアカウントは1人1IDなのだが友人のアカウントを使ってまで重複予約をしているらしい。流石にゲーム機やヴァーチャルリアリティ映像を観る機器には生体認証は組み込まれていない。
もちろん興行主側の都合以外のキャンセルは出来ないが当選していたヴァーチャルリアリティアカウントが当日開催開始時に別のヴァーチャルリアリティ空間を利用していた場合に限り、キャンセル待ちから自動的に割り当てられる仕組みになっている。
「やっぱり無理ですか?」
キャンセル待ちは1種の賭けで、下手をすると舞台自体を見れない恐れもあるのだが、それでも毎回キャンセル待ちが各席50人居るというから人気の程が伺える。
「そうだ! ギャラは余り渡せなくて申し訳ないが今オフだけでも『TRS』の振り付け師兼バックダンサーをお願い出来ないだろうか。お目当ての子と絡めるかは運次第だが、指導のときはマンツーマンだぞ。」
今のところ、萩尚子が振り付け、それをトモヒロくんがメンバーに伝授しているのだが大所帯になってきたので手が回らなくなってきたらしい。トモヒロくんの話ではアシスタントとして使えそうなメンバーを育てるのに半年は掛かるそうで、それまでの繋ぎとして誰かに来て欲しいということだった。
「それはおいしいですね。是非、やらせてください。」
本来ならば、荻尚子がマンツーマンで振り付けるべきなのだが、男性ホルモン療法を行っているFTMが苦手らしい。中には成長ホルモン不足からくる低身長なのに髭が濃くムキムキの筋肉質の小さいオッサンにしか見えない子も居るからかもしれない。
その点、理性的な那須くんなら信頼できる。平等な指導はもちろんのこと、10代の子相手でも間違いは起こさないだろう。
「但し、本番の舞台では顔を隠して黒子に徹して貰いたい。なんといっても主役は『TRS』のメンバーたちだからね。」
「はい。解りました。」