番外編 幸運
お読み頂きましてありがとうございます。
言うまでも無いと思いますがこの話の舞台は近未来でフィクションでファンタジーです。
主人公が話している内容はあえて曖昧に見える書き方をしてあります。
「今年もSARSコロナウィルス2の季節がやってきたな。」
その昔、世界に大流行した感染症があった。感染源は野生動物だとか人工的に作られた生物兵器だとか言われたが結局解っていない。
「歴史で習いましたが。昔の人は何を怖がっていたんでしょうね。」
流行が始まった国で既に重篤症状を抑える薬が判明し、日本に感染が広がる頃には軽度の症状を重症化させない薬も判明していた。
それにも関わらず、皆感染しないために必死になった。マスクの奪い合いで刃傷沙汰にまで発展。会社は社員を閉じ込め、家と会社の往復だけを強要した。
「俺も必死だったよ。」
「社長でもですか?」
100円ショップも開業したばかりで初めて突入した大不況。マスクやマスクの材料になる素材ばかり売れた。その後は仕入れもままならず、客は減っていくばかりだった。
「ああ、当時結婚したばかりで今よりも20キロも太っていたんだ。」
それでもアルバイトをクビにして自分1人で朝から晩まで働く毎日だった。もう少し資金的余裕があれば、あのアルバイトもクビにしなくて良かったのかもしれない。ずっと後悔している。
そんな不規則な毎日を送っていればストレスが溜まり過食傾向になっても仕方が無かったのかもしれない。無理な減量と過食を繰り返しで倒れてしまった。
アイツに怒鳴られて、理詰めで説教をされた。ヘコんだなあ。
結局は100円ショップの営業時間を短縮して、アイツの指導を受けて美容体操と食事改善のダイエットを始めた。
「ちょっと、それって幸せ太りってヤツ・・・ノロケですか?」
千代子さんがムっとした顔を向けてくる。違うんだがな。まあそう言われても仕方が無いか。当時の俺はアイツに惚れ込んでいたからな。
「千代子。まあ聞けって。定期健診でいろんな値が高くて成人病寸前と言われていたんだ。そこに大流行だ。俺は必死にダイエットに励んだんだ。」
あの時は大変だった。内蔵脂肪が減ると言われているものなら、どんなサプリメントでも摂ったし、流行中スポーツクラブは危ないと言われていたから家の中で必死に運動した。
「それとどう関係があるっていうんです!」
最近、キレやすいな千代子はカルシウムが足らないんじゃないか?
「だから聞けって。基礎疾患を持つものは重症化しやすいと政府が発表したんだ。しかも、重症化したら即死ぬわけじゃないが下手をすれば人工呼吸器を付けて生活しなければならない。だから重篤症状を抑えるための薬を使うために必死に頑張ったんだ。」
自営業なのに人工呼吸器を付けた毎日なんて考えられない。まだ死んだほうが保険金を妻に残せるだけマシだ。
「えっ・・・成人病だと薬が使えないんですか?」
「知らなかったのか?」
政府が発表したんじゃなかったか?
あまり覚えが無い。デマが多くて、新聞紙面も信用できなかった。まあ、これは今でも同じか。
「そんなこと歴史書に載っていませんもの。それは現在でも同じですよね。大変じゃないですかっ。」
まるで新発見のかのように言われても、大したことじゃない。政府の公式発表と信頼できる情報だけをピックアップして、点と点を繋ぎ線にしただけだ。
「そんなことないぞ。どんな薬にも副作用がある。偶然、その薬を使うとある種の値が上がり易くなるというだけだ。まあそれに新しい薬も開発されてきているしな。大丈夫だろう。千代子。どうしたんだ。額から汗が噴出しているぞ。」
具体的な病名を思い出したのでソっと耳元で囁くとキっと睨まれた。俺なんか悪いことしたか?
「私も前の健康診断でその値が高いって言われたんですが、忙しくて放っておいて。」
「大丈夫じゃないか。女性は内臓脂肪の値が低いからその病気になりにくいと言われているぞ。」
「CTで測った内臓脂肪も多かったんです。」
「まあ大丈夫だろう。ウチの社員はインフルエンザなどの感染症は掛かり難いからな。」
ワクチンの投与は義務では無いが会社の費用で全て受けさせている。部署でインフルエンザに感染した人が出た場合、マスク着用を義務付けたり職場に入る際に手洗いを推奨したり、情報展開するためにイントラネットの掲示板に載せるのだが、ここ数年見たことが無い。
「あれって都市伝説じゃないんですか?」
「そんなわけあるか。例のGPS機能付きのアクセサリーには付けている人の周囲に風の膜ができる魔法陣が組み込まれているんだ。咳やくしゃみなどの飛沫が届かない。どうしたんだ涙目だぞ。」
「そんなことは早く言ってください。休みの日は別のネックレスを付けていくときもあるんです。」
渡すときには必ずいつも身につけていろと説明しているんだがな、そうじゃなきゃGPSを付けている意味が無いじゃないか。
☆
「SARSコロナウィルス2が大流行した年の首相は大変だったでしょうね。」
首相官邸でも同じ話題が出た。鷹山首相はもちろん重篤症状を抑える薬のことを知っていた。
「あのときは幸運だったんだ。」
「幸運ですか?」
「世界中で大流行していたんだ。そうそう追加の薬など作れない。」
いきなり違う用途で製造していた薬が万民のために必要と言われても、材料も無ければ、生産設備も無い。
「そうですよね。」
俺は結局検査も受けておらず感染していたかどうかさえも解らない。それらしい症状があった気もするし、無かった気もする。周囲で感染したと言う人間も全く聞かなかった。偶然なのか隠していただけなのかは解らないがな。
「幸運にも偶然、イギリスの豪華客船で感染者が出たので日本に寄港を許可した。薬が本当に効くかどうか確かめるためだ。」
当時、内閣の一員だった鷹山は目を閉じて何かを確かめるように語り出す。
「それって実験台じゃ・・・。」
「そうだな。日本が許可しなきゃ他の国がやっていたか・・・それとも何処の国も受け入れず飢え死にしたかどちらかだな。それに別の意味もある。」
「別の意味ですか?」
「ああ、水際作戦は失敗したと言われているが、どうやってもウィルスが日本国内に入り込んでくることは初めから解っていたんだ。」
「そうなんですか?」
インフルエンザと同じ飛沫感染なのだ。他のウィルスでできるならば遠の昔にインフルエンザは入って来なくなっていただろう。
この辺りは理解できているつもりだが改めて聞いてみる。
「そうだろう。感染が初めて流行した国からの完全な入国制限をすればいい。だが他の国に感染が広がった後はどうするんだ。鎖国するのか?」
日本の周囲は海だ。自衛隊や海上保安庁、消防、民間人も含め、海からの上陸を監視し続けることもできただろう。そんなことをすれば、日本は非難の的だ。国際社会から排除、いや違う自ら出て行ったのだ。
当然、日本の海外資産は全て凍結され、日本円の価値は暴落し、海外で食糧を買い付けることもままならなくなる。当然、石油、石炭など全ての素材が入ってこなくなる。
当時は冬だ。電気も止まり、ガスも止まり、国内の備蓄食糧を食い尽くせば餓死が待っているだけだ。流行が終った頃には大多数の国民が飢えているに違い無い。
「餓死ですね。」
人道的援助が期待できるか?
世界で大流行しているのに日本だけ安全圏に居るために鎖国を選んだのだ。何処の国よりも非人道的な行為だ。誰も許してくれないだろう。
流行が収まったとしても、どれだけ優秀な製品を作り出したとしても誰も買ってくれなければ極貧国に成り下がるしかない。
「そうだ。『日本も危険だ』そう思わせることに成功した日本は鎖国したのと同じ効果を得た。」
危険な日本にワザワザ来たいと思うはずが無い。
偶然、感染した乗客が居る豪華客船を引き受けたため、薬の治験データが集まった。
偶然、小規模の流行が発生して、新たに海外からの感染者の流入が止まった。
偶然、ゆっくりとゆっくりと人々の間に感染症が広がり続けたお陰で薬の調達が間に合い、重症化する人も少なくなり、重篤症状に効果のある薬も足りたのだ。
幸運だったのだ。本当に本当に幸運だったのだ。
時事ネタはいつ投入しようか、いつも迷います。
前回の台風ネタはわざと時期を外しましたが、今回は真っ最中。
本当にこのまま日本が幸運に恵まれ続けてくれることを願わずにはいられませんでした。




