第7章-第69話 ごはっと
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「よろしくおたのもうします。」
座敷に入ると大次郎という芸妓は到着していて、畳の上でスタンバイしていた。
俺と那須くんが座椅子に腰掛けると芸妓がお辞儀をした姿勢のままで綺麗な京ことばで挨拶をする。こちらの芸妓は礼儀作法が出来ているようだ。
表をあげた芸妓と視線を合わす。ソコに居たのはジロウ調査官だった。俺は素早く周囲に気を配ると組合長が後方に控えていたので、そっと人差し指を唇に持っていった。那須くんも気付いていないようだ。日頃から『鑑定』スキルで確認する習慣が無いのだろう。後で厳重注意しておかねばならない。
ジロウ調査官は察してくれたようで優雅に頷いてくれた。
トシヒコくんは表向き警察官として、ときには俺と行動を共にするが、公安調査庁のジロウ調査官が俺と知り合いであることを公表すべきじゃない。それに国家公務員は副業を持ってはいけないことになっており、イロイロと問題がありすぎる。
「それでは、お願いします。」
俺の合図と共にスピーカーから音楽が流れ始める。
那須くんの踊りとは若干解釈が違うようだが、なかなかどうして流れるような踊りに長年に渡る研鑽が見てとれる。ジロウ調査官は屋形の跡取り息子なんだな。小さいころから踊りに親しんできたに違いない。
どういった経緯で芸妓としてお座敷に上がるようになったのかは解らないが、これだけの技量を持っていれば、トランスジェンダーだろうが女性だろうが変わらない。お座敷では笑顔と接客と踊りを見せれば良いのであって、裸にする必要は全くないのだ。
今の世の中、水揚げも無ければ旦那を取らない芸妓も沢山いるのだ。全く問題無いのでは無いだろうか。
「ありがとうございました。」
踊りが終わり、元通りお辞儀をした格好に戻る。
「よろしい。合格とする。宜しいですな組合長。」
「もちろんですとも、本番の撮影は担当者様と決めさせて頂きます。」
念のため、作成してきた契約書に3名の源氏名を記載して貰い、署名捺印して貰った。これで芸妓組合公認の男の娘芸妓の誕生である。
そのときだった。廊下を誰かが走ってくる音が近付いてくる。
スパーンと障子が開けられるとそこに立っていたのは那美奴という芸妓だった。
「その芸妓は、男なのよ! 男を芸妓として売り出すつもりでっか!」
こちらの耳が痛くなるような金切り声を張り上げている。
シーンと辺りが静まり返る。
「だ・か・ら・?」
この手の差別発言には飽き飽きしている。だから考えるのも面倒でいつも答えは同じにしている。相手は大抵興奮しており、良く聞き取れるように区切って、しっかりとした口調で言うのだ。
「えっ。だって男なのよ。男の芸妓なんて、ありえない・・・で・・しょ・・う。」
俺が毅然としていた所為か、段々と自信が無くなってきたようで尻すぼみになっていった。
「組合長。京都の芸妓組合に所属している組合員は女性である必要があるのか?」
目の前に居る組合長もお年を召しているが確かに女性だ。しかし、そういった一文は全く見たことがない。古くは陰間茶屋などの男の芸妓や太鼓持ちなど男性も参加している職場なのだ。屋形や茶屋のオーナーや男衆さん、踊りの師匠にも男性が居る。
「いいえ。そんなことはありません。」
「だって騙していたのよ。」
それでもめげずに言い募る。全くバカな芸妓だ。
「組合長は、俺を騙そうとしたのか? それなら面倒だが芸妓組合を訴えなければならないな。」
「いいえ。そんな滅相も無い。」
訴訟の準備があると匂わせると組合長が真っ青な顔で断言した。
「それならば問題無い。芸妓組合公認の男の娘芸妓として売り出させて貰う。よろしいですな。」
「えっ・・・は・・・はい。もちろんです。」
組合長は目を白黒させて了解した。
「ええっ・・・そんなぁ。わたしが不採用で男が合格なんて、どういうことですか組合長。貴女が旦那になって貰えるかもしれないと言うから・・・。」
まあ確かに初めはそんなようなことを言っていたな。
「組合長!」
「ひっ。」
更に俺が怒鳴りつけると組合長が悲鳴をあげる。こんな年寄りをビビらせるなんて俺は酷い男だな。
「こんな秘密を守れないような女を俺に押し付けようとしたのは黙っててやるから、この女に然るべき処分をして頂けますかな。」
「と言いますと。」
「まだ解らないのか。組合長は時の大蔵大臣を襲った神楽坂芸者のスキャンダルをご存知だろう。このままだと二の舞になる恐れがあると言っているんだ。こんな秘密を守れない女が京都の芸妓だと政財界に知れたらどうなると思う?」
数十年前に当時の総務大臣が神楽坂で芸者に対して愛人契約を持ちかけたそうだ。それを大蔵大臣着任数日後にバラされ、僅か数十日で辞めさせられた。この事件の良し悪しはどうでも良いことだが、そもそもお座敷であったことを芸妓がバラすこと自体がご法度なのだ。
そうでなければ、お座敷で羽目を外すこともできない。当然そんなお座敷に出たいと思う人間なんて居ない。当然、その後の神楽坂は10年以上に渡ってお座敷が激減し置屋やお茶屋も廃業が相次ぎ、他の花街も随分影響を受けたと聞いている。
「・・・そ、それは・・・それでどうすればいいんでしょう?」
組合長は真っ青を通り越して真っ白だ。しかも頭が回らないのか縋りついてくる始末。俺は那須くんみたいに年上好きじゃない・・・・って。なんか一瞬頭を掠めたがまあいいか。
「追放は当然として花街全てに通達を出すこと。できればバーやスナックといった歓楽街から締め出すのが順当じゃないだろうか。神楽坂の芸者もそれ相当の罰を受けたと聞いているぞ。」
俺がそう言うと組合長は頷いてくれる。
「ええっ。だって、本当のことじゃないの。何が悪いって言うのよ!」
女はさらに興奮し出す。興奮しすぎて、俺が言った内容が解らなかったのか。理解できないほどバカなのかどっちなのだろう。
「ほら。反省どころか何も解って無い。この女、本当に京都の礼儀作法を学んできたのか?」
客や仲間の芸妓の秘密を漏らさないなんてことは基本中の基本だ。相互扶助と言っても言い過ぎじゃないだろう。




