第7章-第64話 わるよい
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「サンプル数が少なすぎる。特に性少数者と公表してない人が皆無では話にならんぞ。どうにか成らんか?」
国会の答弁の合間を縫って、元官僚の政策秘書たちとLGBT団体との会合をヴァーチャルリアリティー時空間で行っているのだが上手くいかないのだ。
一般人代表兼行政的立場の元官僚たちと被害者側の代表であるLGBT団体の代表たちだ。話を整理するためにトモヒロくんと俺が間に入っている。
事前にLGBT団体の代表たちに差別事例のサンプルの取り纏めをお願いしたのだが、絶対量も無ければ各事例に対するサンプル数の集計さえできていない。どうやら、団体の中で声の大きい人の意見だけが通ってしまったようである。
確かに女性同性愛者、男性同性愛者、両性愛者、性越境者、支援者という方向性も関係性もバラバラな人々を纏めあげるだけでも大変なのだろう。LGBT団体の過去を振り返ってみると何度も分裂を繰り返してきている。
特に支援者の中には、性少数者を格安な労働力として使おうとする経営者や性越境者に必要な美容整形の医療関係者、LGBTを研究対象とする大学教授などの利害関係者が殆どなのだ。行政に対して意見を出すだけのこれまでの行動だけでもどれほど大変だっただろうかと同情を禁じえない。
そのため、全国各地にLGBT団体が乱立、一時期は全国規模の組織へと変容していったのだが、今度は企業のLGBT教育などでそれらの知識の利益に変わってしまうと仕事の取り合いまで発生したのが、分裂した一端なのだという。
俺はLGBT団体の代表たちを見回して言うが顔を背けるばかりで何も意見を言おうとしない。今まで多様な差別を受けてきて萎縮してしまっているのだろう。
「わかりました。アタシが取り纏めます。」
痺れを切らしたのはトモヒロくんだったようで、男の娘女優『チヒロ』の口調で宣言するとLGBT団体の代表たちはホッとした表情を浮かべたのだった。
☆
「あれで良かったんでしょうか?」
ヴァーチャルリアリティー時空間のゴーグルを外して、現実空間に戻ってくるとトモヒロくんが不安そうな顔を向けてくる。カノングループ代表代行として辣腕を振るうトモヒロくんだが、まだ17歳なのだ。他人の人生を丸ごと抱え込むには早すぎるのだ。
「まだ時間はたっぷりある。まずはLGBTの組織を立て直すところから始めなくてはならないだろうな。何処かに良い人材が居るといいんだが。そういえば渚佑子は・・・敷地内には居ないようだな。」
いつもならば、ヴァーチャルリアリティー時空間から現実空間に戻ってくると傍に居るのだ。まあこの部屋には結界も設置されているので安全性は保証されている。だからヴァーチャルリアリティー時空間に居る時間は好きに使えば良いと諭したのだ。
だが、いつ異世界から召喚されてしまうか解らない渚佑子は反転魔法陣が設置してある敷地内に居るものと思っていたのだ。
「そういえば居ませんね。そういえば六本木のお店に新人が入るそうなのでチョッカイを掛けに行ったのかもしれませんね。気の毒に。」
この場合、気の毒なのは新人だ。ドSの渚佑子のチョッカイなど堪ったものじゃない。
「あっ・・・そういえば、今日は土曜日だったな。公安調査官がキャストとして立つ日だ。仕方が無い。迎えに行くとするか。じゃあ、トモヒロくんもお疲れ様。」
流石に夜9時にバーへ未成年を連れてはいけないので、部屋で別れて『移動』した。
☆
バーの入口のドアを開けるとカランコロンと扉に付けられたベルが鳴る。
「トシヒコさんだったな。渚佑子が迷惑を掛けたようで済まない。」
既に何度か来ている。狭い店なので渚佑子が何処に居るかは一目瞭然だった。そこに居る綺麗にメイクが施された長身の男性には見覚えがあった。訓示の際に少しだけ喋ったトランスジェンダーだった。
渚佑子は何故か奥のボックス席に座る彼の膝の上で酔いつぶれていたのだ。
「申し訳ありません。止めたのですが。」
警戒心が強く潔癖症の渚佑子が男の膝の上で寝ている。余程、気に入ったんだな。
「これは何だ?」
渚佑子が抱え込んでいるものに目が点になる。斜めの切り口の透明なバケツに氷と少し色づいた水、いや酒が入っていたのだ。そのバケツは何処かで見た気がする。
「シャンパンクーラーです。」
そうだそうだ。シャンパンを氷で冷やす道具だ。
「ということは、ここに入っている液体はシャンパンか。」
そういえばトモヒロくんが主催するイベントでもテーブルにシャンパンボトルが入っていないシャンパンクーラーが置いてあったな。このバケツで回し飲みするのが最近の流行なのかな。
「・・・・・・・・・・・・・テキーラシャンパンです。」
長い沈黙と逡巡の後、彼の口から不思議な言葉が飛び出してきた。テキーラは酷く度数の高いお酒で1口でも飲み下すのが大変で1杯で酷く酔っ払う。シャンパンも甘い割りには結構度数の高いお酒だ。
それを混ぜて飲んだとしたら、渚佑子の状態も納得できる。渚佑子も異世界では強い酒も嗜んでおり、ここまで酔っ払った姿は見たことが無い。テキーラは飲み下すのが大変だから抑制できるのだ。それが甘く読み易かったら・・・ガバガバ飲んでしまうだろう。
周囲に居るのは確かに男性たちで、寄ってたかって1人の女性に対して甘く飲みやすい酒を飲ませたのだ。それで今泥酔状態の渚佑子が居るわけだ。
「なるほど、渚佑子だな。」
トモヒロくんの主催するイベントも何度か渚佑子が訪れている。そのときに見たのだろう。彼らが普通の男たちならば、如何わしい目的で飲ませたということもあるだろうが、ここはお店で国家公務員として身分がバレているトシヒコさんも居る。
ドSの渚佑子のことだ。きっと自分の金でトシヒコさんに無理矢理飲ませようとしたのが、回し飲みの過程で自分も飲むことになってしまい、飲みやすかったがために必要以上に飲んでしまったのだろう。自業自得という他ない。
「すみません。俺がもっと強く拒絶しておけば、こんなことには・・・。」
「まあ気にするな。ほら渚佑子。行くぞ。あーあ、やりやがった。仕方が無い。しばらく休ませるか。」
彼の膝から渚佑子を抱きかかえるとゲボっという音と共に背中に何かを吐いてしまった。カウンター内に居たキャストがおしぼりを数本抱えてもってくると背中に吐いたものを全て拭ってくれた。
俺はその間に『水』魔法で渚佑子の代謝速度を上げて酒が抜けるのを手助けた。
「わ、わたし・・・臭い・・・ああ社長! も、もうしわけ・・・。」
しばらくして目が覚めた渚佑子は周囲の状況を確認して動揺し出した。
「渚佑子。チョッカイを掛けてストレス発散するのは構わないが、酒を無理矢理飲ますのは止めておけ。」




