第7章-第61話 ほんやく
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「性少数者に対する差別用語を紙面で使っても罪に問われないというわけですか?」
今日はマスコミ各社に対する勉強会だ。不特定多数に情報発信を行っている彼らに取って、報道の自由を束縛されかねないと問題視しているらしい。
「そういうことになります。ですが以前と同様に自主規制をお願いします。使われた側に悪感情を持たれることに覚悟の上でお願いします。」
「それはどういうことですか?」
「そうですね。例えば、貴方の新聞の一面で私のことを『オカマ野郎』と書かれましたが、刑事罰として罪に問うことは無い。また公人として、その件について、なんら申し上げることも無く権力を使い圧力を掛けることもしません。しかし、私個人としては悪感情を持っていますので、私人の私の力が及ぶ範囲では何らかの対抗策を考えているところです。」
目の前の新聞記者の顔がサッと青ざめる。政治家になったからと言って、あんな記事を書かれても平然としていろというのは無理があるだろう。馬鹿じゃないのか。
この差別用語はトランスジェンダー当事者や擁護派のみならず、嫌悪派も見たく無い言葉だ。トランスジェンダーの有名タレントが自称している場合が多く、人気があるためらしい。
だから滅多に新聞紙面で扱われることは無いのだ。
「そ、それは我が社の人間にはヴァーチャルリアリティ時空間を使わせないといったような意味でしょうか?」
くだんの記者が身を乗り出すように質問してくる。新聞社ならばヴァーチャルリアリティ時空間を利用する機会も多いに違いない。そこから締め出されれば、死活問題にもなりかねないのだろう。
「それはいい案ですね。まあ今のところ考えているだけなので、具体的な方法についてはお答えしかねます。」
俺自身はそんな面倒なことを指示するつもりは毛頭無かったが、同じく悪感情を持ったであろう我が社の社員が、この新聞社からヴァーチャルリアリティ時空間の使用申請が出たときに対応しないなどの行動を行う可能性はあるだろう。
そこまで責任は持てないし、特定の会社だけ優遇するつもりも無い。まして悪感情を持つ会社から問い合わせてこられても無視するくらいの自由はあってしかるべきだ。
トモヒロくんによると、トランスジェンダー当事者の中にもSNSで間違った情報発信を行ってしまい。コミュニティの一員に悪感情を持たれてしまう事象が絶えないらしい。
例えば『女装と名乗ることは男だと宣言しているのだから女子トイレを使うような発言をしないほうが良い』と発信したらしい。
一見、何処にも問題が無さそうな発信なのだが、女装者の中にも多様性があることを忘れてしまっている。女装と名乗る人々の中には、心が女性だが骨格や身体の大きさから女性に見えないGIDが自虐的に名乗っている例がかなりある。
『女装と名乗ることは男だ』という自称している場合は良いかもしれないが、他人から言われればGIDの心がキズ付くのは当然なのである。
当時、SNSで情報発信を行った人物はLGBT団体の主要メンバーだったらしく、その情報発信で団体の分裂を招いてしまったらしい。外側に対しては分厚い壁を用意して心がキズつかないようにしている人も背後からの攻撃には弱いらしい。
トランスジェンダー当事者でさえ、こうなのだからトランスジェンダーを良く知らない人々が情報発信をするときには細心の注意を要するのは当然であり、マスコミなどの情報発信を仕事としている人々に対する教育は特に重要である。
この辺りの教育は今後の教育改革の中に盛り込んでいくつもりである。
「この外国語教育の大幅削減について財務大臣にお伺いしたい。あまりにも時流に逆行するような気がするのですが如何でしょうか?」
今日は教育関連予算の審議で答弁の矢面に立たされている。立案は私が行い、民主政治党の教育予算部会を通さずに強行したのが彼ら教育族議員の反感を買ったらしい。
「小学校の英語教育が始まってから二十年以上経過していますが、大学で専門教育を受けたことのない人物が社会人として会社に入社してくる場合、流暢に喋れるのを見たことがありません。それにヴァーチャルリアリティ内での意思疎通に外国語は必要ありません。」
小学校の英語教育が導入された当時、既にインターネットの翻訳サイトを使い、外国人と意思疎通を行うことが一般化しており、その数年後にはタイムラグはあるものの、互いのスマートフォンを使った自動翻訳も一般化している。
またイヤリングタイプの魔法具を使ったリアルタイム翻訳機器も高額だが売りに出されており、ヴァーチャルリアリティ空間での会話は問題無く意思疎通ができるレベルである。
こんな時代になっていることを目の前の議員は知らないらしい。どっちが時流に逆らっているんだか。
「それでも、現実空間で日本にやってくる外国人に対する対応は必要だ。グローバル社会にどうやって対応するつもりでしょうか?」
「それでは逆にお伺いいたします。今や日本に来られる外国人の大半が中国人であり、ベトナム人だ。それなのに日本では中国語もベトナム語も教えられていないのは、どう説明するつもりでしょうか。」
「知らないのか! 日本の小学校で行っているのは外国語教育だ。その中には中国語もベトナム語も含まれている。」
目の前の族議員は勝ち誇ったかのような調子だが、もちろん知っている。ただ小学校が選択しているのが英語に過ぎないと言いたいのだろう。だが中国語やベトナム語を教育できる人材が一部大学の独占状態になっており、小学校に行き渡らないのが原因なのだ。
しかも私立中学受験、高校受験、大学受験で英語以外で受験できる学校が皆無では、小学校が英語を選択するのも止む終えないのである。
だが中国人やベトナム人の中から雇い入れられれば良いだけなのだが、それすらも各種規制に阻まれて20年前から変わらず在日の通う小学校でしか教えられていないのが現状なのである。
「知っていますとも、英語と中国語教育を行う小学校が全体の0.3%、英語とベトナム語教育を行う小学校は0.1%ありますが小学校に外国語教育が導入されて以降、その割合は増えていません。だが日本に来られる外国人相手に必要な教育を行うならば、少なくとも100倍以上の小学校で行うべきところで、現状企業では外国人を雇い対応している場合や自動翻訳機器を導入しています。」
「・・・・・・・。」
そこまで調べられているとは思わなかったのだろう。相手の族議員が黙り込む。
「改革とは無駄を省き、有用な事案を導入することで、教育についても同じこと、無駄な外国語教育を省き、本来必要であった国語、算数といった教育レベルを上げていくことこそが、今日本に求められている教育なのでは無いでしょうか。」
あの黒幕がしでかしたことの尻拭いをさせられるとは思わなかったが、今、元に戻して高卒でのレベル向上を行わないと人手不足が解消できないのである。
小学生といえども時間は有限です。
英語教育を追加すれば、国語や算数の時間が減ります。
国語や算数のレベルを落としてまで英語教育をやる意味は何処にあるのでしょうね。
教師も大変だし、子供も大変。英語嫌いな子供たちが増えていくだけじゃないことを祈ります。




