第2章-第15話 こんぷれっくす
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結局、何事も無く発表会が終わった。
千吾を連れて、楽屋見舞いに伺うと大部屋に皆で集まっているという。
「千吾。ちょっと待て。これを持ってくれ。」
俺は千吾に大きな箱を持たせると楽屋の扉を開ける。
千吾は何も聞かない。俺が何時も持参する楽屋見舞いの手土産だからだ。
箱の中にはミスドーナツの発売前の商品と定番の商品が入っている。芸能人は有名になれば有名になるほど店先で並んで買えないらしく喜んでくれる。しかも、量産体制が整っているとはいえ発売前の商品を食べて貰い話を聞くのも一石二鳥なのだ。
今回は一般人相手だが、どんな生の声が聞けるだろうか。
「コングラッチレーション。お疲れ様でした。これお土産です。皆さんで食べてください。」
こんな大所帯の部屋に来たことが無いので義父さんの真似をして、大声で入っていく。
「トムと千吾ちゃん。いらっしゃい! お土産なんか良かったのに。」
そう言いながらも生徒たちに机の上の荷物を退かせて場所を空けてくれる。千吾に箱を置かせて俺も箱を置くどさくさに紛れてざっと楽屋に居た人数分の箱とトング、小分け用の袋を空間魔法の中から取り出して置いた。流石に全ての荷物を持って入れなかったのだ。
まあ誰も見て居なかっただろう。
「お兄ちゃん。今、何処から出したの?」
机の真横でかじりつきで見ていた幼児に言われてしまった。バレた。
「ほらほら、イチゴのドーナツもあるよ。はい。このトングで小分け用の袋に取ってね。」
箱を次々と開けて見せるとその子の目が輝きだす。こういった子は自分でやりたがるので小分けせずに持ってきたのだ。良かった。さっきのことは忘れてくれたようだ。
「はい! 注目。この方たちは誰か知っているよね。」
そこかしこでMotyや千吾の声が上がる。少しだけど俺の名前も上がっているようだ。
「こっちのトムはこの中でもチアガールを目標としている子も居ると思うけど、Ziphoneフォルクスの球団社長で我がダンススクールの重要なスポンサーでもあります。決して粗相の無いように。わかりましたか!」
子供たちからは好奇心いっぱいの視線が飛んできた。
「わかりましたか?」
もう一度、尚子さんが声を張り上げると今度は一斉に声が返ってきた。主宰は生徒たちにとっても怖い存在のようだ。わかるよ。その気持ち良くわかるよ。うんうん。
「せっかくのお土産なので、ここで食べてもいいけど。残ったら皆で手分けして全部持って帰ること。ゴミなんか残しちゃだめよ。」
その注意をきっかけにドーナツに生徒たちが群がり出した。1人辺り3個を目安に多目に用意したがドンドン無くなっていく。凄い食欲だ。ダンスをしてお腹がすいたのだろう。
「那須くん。どうだ?」
那須くんに近寄り声を掛ける。もちろん、殺人事件のことだ。
「僕もドーナツ貰ってもいいですか?」
忘れているらしい。彼は異世界に長期間居なかった所為でスキルを常時使う癖が身に付いていないのだ。安全な日本に居るのだから仕方がない。
「構わない。あの辺りに置いたのが新製品だ。適当でいいから感想を聞いておいてくれないか。」
「どのドーナツですか?」
「千吾の前辺り。今、千吾が取ったやつだ。」
いつのまにか生徒たちに混じってドーナツを千吾が食べていた。一時期千吾が太ったときにお腹を触って指摘してやったら即座に節制して元の体形に戻して以来、目の前で甘いものを食べている姿は見たことがなかったのに珍しいな。
「今ので最後みたいですよ。感想なんか聞かなくても一番人気みたいですね。僕は抹茶のドーナツが好きなんですよ。あれれもう無い。」
またしても最後の1個を千吾が取っていく。顔がニヤ付いてやがるイジメっこかよ。
「これが新製品でこっちが抹茶だ。ついでに追加しておいてくれ。」
俺は空間魔法から10個入りの箱を2つ取り出して那須くんに手渡すと千吾の顔が歪む。あーあ、後のフォローが大変だ。
☆
打ち上げ場所にタクシーで移動する。後部座席に那須くんと千吾と共に押し込められた。狭い狭すぎる。
当然、大半が未成年の生徒たちは付いてこない。そう言えば那須くんも未成年だ。酒は飲まないように注意したが本人もわかっているようだ。
若干、いや随分年齢が上の生徒やインストラクターの一部が付いてくるだけで後の残りの人たちは片付けが済み次第、駆けつけてくるそうだ。
店に到着する。尚子さんが先頭で案内してくれる。この手の店は初めてじゃないが、中々凝った造りになっている。
入口からしてイタリア人芸術家が作ったガラス製のオブジェが設置してあり、オドロオドロしい複雑怪奇な模様が描かれている。
「花道まであるのか。」
舞台中央から手前に伸びる道が右手前の楽屋に繋がる。しかも反対側にはガラス張りの部屋があり、そこに通された。水族館の魚になった気分だ。
「面白い造りでしょ。ショーのときは花道を外れてこの部屋までチップを貰いにくるから、渡してあげてね。」
俺の相手はこの店のママさんだ。指環は『水』にしておく。『鑑』にしておくとウッカリ本名を言ってしまったり、年齢と外見のあまりの差に面白くなくなってしまうのだ。
別に襲われる心配はしていないがオモチャにされたくないのでなるだけ酔わないようにするつもりだ。
「乾杯用にシャンパンを入れてくれるかな。2本ほど銘柄は荻先生の好きなもので任せるよ。その後、俺はウィスキーのボトルを。千吾は何にする?」
シャンパンは口をつけるだけにして、後はマイペースで飲めるようにウィスキーのボトルを入れるようにしている。これには訳がある。こういったお店でも一定の濃さに入れてくれるキャストは少ない。
時折、酔わそうと思ってかサービスのつもりなのか濃く入れるキャストが居るくらいだ。そういうときに指環の『水』で濃さを調整しながら飲んでいる。
「僕もいっしょでいいよ。」
乾杯が済むと向こうの席では那須くんに年配の生徒が絡んでいた。止めてやりたいが、こっちに飛び火する可能性が高いので止めておく。
そのうちショーが始った。発表会で見た曲も含まれている。彼女?らにとってはこちらが本番だ。狭い舞台とは思えないほど一体化したダンスを見せてくれた。
チップは一番背の高いおとなしそうな子に渡した。大抵絡んで来るのは俺と同じくらいの背の高さで身体も顔も完全に改造している子が多いのだ。綺麗な手だとかお肌がスベスベだとか男に取って余りほめ言葉にならないことを言って絡んでくる。
ショーが終わり、キャストが返ってくるとチップを渡した子が隣についてくれた。
「クルミです。凄い可愛いし羨ましいわ。その身長。取り替えて欲しい。」
そう言って抱きついてくる。作り物の胸が顔に当たる。さつきより10センチ以上高そうだ。千吾が無理矢理引き離してくれなかったら窒息死しそうなくらい力が強い。
「可愛いは余計だ。俺も羨ましいよ。その身長。」
俺だって取り替えて欲しいくらいコンプレックスだから触れないつもりだったのに平気で触れてくる。少し無神経のようだ。
クルミといえばヴィオ国のオールド王子の亡くなった后の名前だ。こちらの世界から乙女ゲーム的魂だけの召喚により長期間、昏睡状態に陥ったクルミという名前の女性を探したのだが居なかった。
他の上位世界から召喚されたのだと半ば諦めていたのだが、良く考えれば源氏名やペンネームの可能性もあるのか。それどころかゲームの中で使っていた名前の可能性もありそうだ。
やはりあの乙女ゲームの製作会社を買収するしか手段は無さそうだな。まあヴァーチャルリアリティ用のゲーム製作会社の買収は進めている最中だから追加すればいいだけなんだろうが億単位の金が必要だろう。
「この子ったらね。豊胸手術の最中に3ヶ月も意識を失ったままだったのよ。」
ま、まさか・・・。
「ママ。それを言わないで。でもいいの。凄く幸せな夢を見れたんだからね。」
「この子ったら、また言っている。それは好きだった乙女ゲームの設定から頭が勝手に作り出したものよ。」
「それがね『聖霊の滴』の完全攻略本を買って調べてみたんだけど、ぜんぜん違ったのよ。」
大当たりだ。クルミという名前で長期間意識を失っている。『聖霊の滴』という乙女ゲームの名前まで。ドンピシャリだ。問題は女性じゃなくニューハーフということ。どうするんだこれ。
いやいやいや。まだ本人と決まったわけじゃない。誰か知っている人間・・・フラウさんだよな。SNSで呼び出すと直ぐに返信が来た。すぐに来るらしい。
☆
「フラウ・・・ちゃん・・・なの?」
本当にすぐやって来た。『転移』魔法は『移動』魔法とは違い知っている場所へしか行けないはずだ。日本中を旅して行けるところを増やしているという話は本当らしい。
「お久しぶりでございます。クルミ王太子妃。」
決定か。身長は違うが顔はソックリなのだという。
「クルミさんは『聖霊の滴』に似た異世界にもう一度行けるとしたら行きたいか?」
「それは行きたいわよ。子供の顔も見たいし、でもこのままでは行けないわよ。」
クルミさんは自分の身体を苦笑いして見下ろす。
「問題はそこじゃない。性転換する気があるならすればいい。費用は気にしなくていい。王太子妃としての教養を身に付けたければ紹介しよう。もちろん元男だと言ってもいいし言わなくてもかまわない。」
ゲーム製作会社を買収する金額に比べれば微々たるものだ。
教養を身に付けさせるには、英国王室は嫌がりそうだよな。チバラギか。セイヤと和解するには丁度良い案件だ。
「無理よ。こんなデカイ女、別人に間違われるか本人と信じてくれても拒絶されるわよ。」
否定できない。190センチもあるらしい。おそらく引き受けてはくれるだろうが、そこに愛が無いのであれば連れて行く意味は全く無いのだ。
いやオールド王子が吹っ切れる機会にはなるに違いない。だがそれだけのために性転換や美容整形を強要し教養を身に付けさせる。かなり覚悟が居ることは確かだ。
「俺の話なら信用するだろう。拒絶されたら戻ってくればいい。当面の生活費と就職先は世話しよう。行くのは早くて9年後を予定している。それまでに心と身体と教養を磨き上げてくれないか。」
クルミ王太子妃がニューハーフなのは裏設定でしたが出してしまいました。
兄弟揃ってゲテモノ好きのようです。




