第8章-第70話 ほんとうのけんりょくしゃ
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意外な反応に驚いた。たった1ヶ月ほどの付き合いだったけど、みんなが覚えていてくれたことが嬉しかった。高校3年生の夏の終わりから放課後はレッスン漬けの日々だった。
ダンスに歌に演技に体力作り。何もかもが新鮮で初めてのことばかり。芸能界というには程遠いがそれでもシャニーズ芸能事務所の個性溢れる人々に触れただけでも、いろんなことに凝り固まっていた自分を解放できた。
華やかな世界だからこそ、あらゆる自分を捨てて生きていかなければならないというのも理解できた。だから捨てることのできない俺は諦められたのかもしれない。
☆
会長室に向う途中でサングラスを掛ける。賢次さんのような丸いものは似合わないので持って無いが交渉の際に舐められないように顔の3割くらいが隠れるゴーグルタイプは常備しているのだ。
「似合わない。」
賢次さんが俺のサングラスをズリ下げる。
「煩いな。意外とみんな、顔を覚えているんだね。だから必要だろ。」
俺は元の位置に戻しながら抗議する。万が一、会長が覚えていたらイロイロ面倒だ。
「そりゃ。こんな可愛い顔は1回見たら忘れないさ。」
今年40歳、実際は44歳の男に可愛いは無いだろ。全く。
賢治さんは勝手知ったる何とかとばかりにノックもせずに扉を開ける。
「ケイ。どうした難しい顔をして。」
入ってきた賢次さんを見た一声がこれだ随分と気安い関係だな。サングラスを掛けていても難しい顔をしていると直ぐにわかるらしい。
「もう僕たちの仲もこれまでだな。」
賢治さんはズカズカと入っていき俺の所に送られてきた通知書のコピーを机の上に叩きつけるように置く。
「急に何を言い出すんだ。・・・これは何だ。まさか・・・あいつ。」
通知書に目を通した会長が立ち上がる。知らなかったらしい。そんなことってあるのか?
「ケイ!」
そのとき、俺たちが入ってきた扉とは別の扉から1人の男性が入ってきた。
「ジェイ! お前。なんだこれは。勝手に事務所の名前を使って何をやってくれたんだ。」
男性が賢次さんに走り寄ろうとするところを会長の声が轟く。
エニワ・ジェイ・宗春。会長の姉の息子でキタ・シャニーズ芸能事務所の後継者と言われている人物。
Motyに所属していたが1年ほどでグループから外れ、ソロデビュー。歌手。俳優として活躍したらしい。その後、シャニーズ芸能事務所所属の芸能人が出演する映画や各種企画に携わり、今はマネージメントを中心に行なっているらしい。
Motyのデビュー当初露出が多かったのはこの人が所属していたかららしい。
「ああ。それね。事務所を出た人間には原曲を使わせないのが暗黙のルールだろ。それを使おうというのだから、訴訟でも何でもして止める。あたりまえじゃないですか叔父さん。」
「とにかく原曲権は買い戻す。これ以上は勝手させん。次のコンサートからは編曲して使うんだな。」
賢次さんは悲しそうな顔をして言い放った。
「何言ってんのケイ。100曲近くある全ての曲を買い戻したら違約金込みで100億円は下らない。只の作曲家の出る幕じゃないよ。」
ああこの人は賢治さんの今の姿を知らないんだ。
「契約は契約だ。違約金を払えば無条件で買い戻せるとある。貴様らに拒否権は無い。」
賢治さんは懐から紙束と小切手を取り出すと机の上に放り投げた。声が冷たい。どうやら本気で怒らせたようだ。
「只の作曲家の切った小切手なんか・・・えっ。Ziphone? 最高執行責任者? どういうことだよ。」
「僕の実の父親がZiphoneCEOのゴン・和義・カルタスだったというだけさ。とにかく金は払ったんだ。貴様らに何も権利は無い。以後、Ziphoneグループはシャニーズ芸能事務所と関わらない。企画中、契約中の案件については中断。」
ドンドンと話が大きくなっていく。本気で縁切りするつもりのようだ。
「ちょっと賢次さん!」
それでは双方に多大な損失が出てしまう。
「止めるなトム。コイツはこれまでシャニーズ芸能事務所の権力を使って好き勝手やってきたんだ。Motyで売れなければ放り出し、事務所の権力を使って俳優デビューを果たし、数多くの作品に出演しても売れなければ俳優も辞め、映画のプロデュースで芽が出て来たと思ったらあっさりと辞める。本気で頑張ったことなんて見たことがない。それに較べてMotyの他のメンバーは凄い。それなのにコイツの所為で解散だ。」
解散当時、彼が暗躍して解散に追いやったという憶測が飛び交っていたが近くに居た賢次さんもそう思ったらしい。
「あいつら生意気なんだもん。事務所のお陰で売れたくせに。芸能界のトップアーティストだのなんだの。ちょっとつついてやったら、あっさりと空中分解したよ。まあ素直な北村さえ居ればいいんだよ。へえ、君があの有名な『オカマ野郎』か。ケイもスキモノだね。そんなに良かったのかい。」
近くに寄ってきた彼にサングラスを奪い取られ、放った言葉にその場が凍りつく。




