第9章-第121話 おもいで
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「ここに来るのは、初めてだな。」
「そうね。1泊10万円もかけてこんなボロ屋に泊まることはないですものね。」
松阪市愛宕町にある由吏姉さんの家に隣接された場所にそれはあった。戦争中にあった松阪大火に焼け残った歴史ある建物だ。
「凄いのね。遊郭がそのまま残っているなんて! テレビの中でしか見たことがなかったわ。今日は、ここに泊まれるの?」
さつきが目を丸くしている。由吏姉さんの生家は江戸時代から戦後直ぐまで遊郭を営んできた歴史ある家で、この愛宕町の繁華街にいくつものビルを持っているという。
「そんな大層なものじゃないのよ。京都の祇園のように、板一枚に何千万円とか、新撰組が利用していたとかなら、まだいいのだけれど・・・。何もなくってね。」
「それで遊女体験ツアーだなんて、凄いアイデアだ。」
マイヤーの姿をみて、コスプレ好きだと思われたのか。お試しさせてくれるらしい。代わりにアイデアや意見などの協力をお願いされたのだ。
「始めはここも潰して、いくつかのビルを建てる予定だったのよ。でも、先頃変わった市長の待ったが入ってね。維持していくだけでも大変だというのに、費用の予算も立てずにただ、もったいないって言うだけ。」
由吏姉さんは憎々しげに吐き捨てた。
「いっそのこと、火を付けて燃やしてしまおうかと思ったわ。でも、先日蔵の虫干しをしたら、出てきたのよ、イロイロと。遊郭時代の設備や古くっさい着物が・・・。」
それで遊女体験ツアーを思いついたのだという。最近はなんでも体験したがるからなあ。
「5億円あるなら、道に隣接しているビルを買い取って駐車場にすれば、その奥にドドーンと遊郭が現れる仕掛けかぁ。流石は由吏姉さんだ。いっそのこと、その着物も展示するだけでなく、レプリカを作ってレンタルしてみればどうだい?」
既に修復され、展示されている着物を見て言う。
「そうね。それは良いアイデアだわ。そのアイデアいただくわね。」
「もちろん、どうぞ。」
それを着た、しどけない由吏姉さんの姿を想像して、思わず生唾を飲み込んでしまった。実際には、この旅館の女将さんなのだから、もっとビシッとした着物姿なのだろうが想像するくらいはいいだろう。
「今日のところは、これで我慢してね。」
そこには、京都の変身舞妓や変身芸妓のサロンでお古をかき集めてきたという、色とりどりの着物や長襦袢、帯などがかけられていた。
もちろん、女性陣はすぐに殺到した。鏡を見ながら、ああでもない、こうでもない。とやっている。
「はいトム。あなたのもあるわよ。」
そこには、カラフルな色や渋い色の浴衣が並んでいた。
「俺も着替えるのか。」
「それとも遊女の格好をしてみる。男性向けの少し大きなサイズの着物もあるわよ。・・・ああ、トムは、女性用で大丈夫だったわね。」
祇園の変身舞妓や変身芸妓のサロンでは、祇園の風物詩となっているお化けで使う男性向けの着物も僅かだがあるんだそうだ。だがそんなイベントが無いこの旅館に置いてあるのは何なんだろう。
「着ない! 着ないからな!」
「あら、残念。せっかく用意したんだから、着てくれてもいいじゃない。」
高校時代の嫌な記憶が蘇る。当時由吏姉さんにベッタリだった俺に彼女のクラスの出し物に協力して欲しいと言われて二つ返事で了承した。
そこに待っていたのは、メイド服だった。メイド&執事喫茶のつもりなのだろうが笑いを取るつもりなのか、女子が執事に男子がメイドに扮していた。
わりあい小柄な男子ばかりを集めたのだろうが、そこは男、全く似合わない。クラス内は常に笑いの渦。特に俺が開き直って出て行ったときなんかは、余程気持ち悪かったのだろう、皆が一斉に視線を逸らして静まり返ってしまったほどだ。
さすがに嫁や娘に笑われるのは勘弁してほしい。
「何を話しているのよ。どう? 色っぽいでしょ。」
そこに現れたのは、悩殺するつもりなのか、赤い長襦袢をこれでもかというほど着崩した格好の幸子だった。着物だから、下着は付けてないらしく、裾から覗く太ももが色っぽい。
だが普段から露出が多いからか、イマイチ、インパクトが無い。こういうときこそ、ビシッとした芸妓姿のほうがいいと思うんだがなあ。
「うん。色っぽいな。」
「何よ。ヤッパリ、イマイチだった?」
「それはもう。トムのメイド姿に比べればね。みてみる?」
由吏姉さんがスマホを取り出して操作すると、俺のメイド姿が現れる。
「そ、それは。何で由吏姉が持っているんだ?」
写真だけは撮られないように気をつけていたはずだ。そもそも、クラス内では男子がメイド服を着る条件として写真撮影は禁止されていた。
唯一、持ち込みが許された生徒会の書記が取った写真は、展示されたあとネガと一緒に燃やしたはずだ。
「もちろん、貰ったのよ。餞別としてね。」




