第8章-第99話 いぎりすのじょおうなのですから
お読み頂きましてありがとうございます。
ほどなくして、エディンバラ宮殿に女王陛下を乗せた馬車が到着したという知らせが入る。
この宮殿で軽めの昼食を摂るのだ。俺はケント王子として同席する。
「かわりはなかった?」
想像していたよりもずっと可愛らしい、お声だ。
「はい。おばあさま。」
「仕事も順調のようね。」
王子の投資家としての才能は飛び抜けており、目の前の女王陛下には負けるが資産を順調に増やしている。
「はい。おばあさま。」
「もう少し近くに来て、その可愛らしい顔を見せて頂戴な。」
エリザベス女王陛下も目の前のケント王子の姿が俺の偽装であることはわかっているはずだ。
「はい。おばあさま。」
基本的に はいおばあさま ですむように事前にお願いしているのだ。俺は、言われた通りエリザベス女王陛下の近くまで行く。
「抱きしめてもいいかしら。」
「はい。おばあさま。」
俺がそう答えると周囲の人間がざわつく。普段は嫌がるらしい。どうやら、嵌められたようである。
目の前の女性が俺にだけ見えるように舌を少し出して、抱きついてくる。中身がおっさんなのは判っているくせに、普段させてくれないことをこの機会にやってしまおうとでも思っているのだろう。
まあ、いいか。抵抗はしないことにした。
「ごめんなさいね。孫が我侭を言ったみたいで。」
俺の耳に囁いてくる。どうも、謝りたくて抱きついてきたらしい。公式の場では何があろうとも謝れないのだろう。
彼女が頭を下げるということはイギリスが頭を下げているのと同等なのだ。おいそれと謝れないのに違いない。
「あの子は元気だったかしら。」
そんな我侭な孫でも本当は姿を見たかったに違いない。それが肉親というものなんだろう。
「ええ元気でしたよ。今はうちのCOOのところに居ますのでご安心ください。」
俺も女王陛下の耳元に口を寄せて囁く。女王陛下は少しくすぐったそうだ。お互いの頬にキスをしたところで、また周囲がざわつく。これも普段やらないことらしい。
「そうなの。困った子ねぇ。」
ようやく十分堪能したのか放してくれた。
でも何か複雑そうな顔をしている。まあ、本来傍にいるはずの孫が赤の他人の家に居るだけでも不安なんだろう。
・・・・・・・
昼食が終わると馬車に乗り込む。今日はスケジュールがタイトなせいでゆっくりできないということだった。なるほど、だから軽めだったわけだ。
俺はエリザベス女王陛下の真横に乗り込む。それにはわけがある。この馬車、屋根をオープンにできるタイプで、女王陛下は極力開けて沿道の国民に手を振ることにしているというのだ。
つまり道中、ずっと例の紐パンにMPを投入してお守りし続けることになるようだ。馬車が走り始める。
「ほら貴方も、手を振っておあげなさいね。」
恥ずかしかったが、少しだけ手をあげてだれにともなく外に向かって手を振る。
キャーッ。
ドキッ。近くでイギリス国旗を振っていた若い女性黄色い声をあげて後ろへ倒れそうになっている。どうやら王子が、自分に振ってくれたと勘違いしたようだ。
まあ、こんな人の多いところで何かが起こるわけもないか。当分は二人っきりだ。上の兄2人はヨーク競馬場の手前で乗り込んで来るらしい。
「それくらいでいいわ。貴方を目当てに見にきてるのだから、ときおり若い女性に向かって、手を振ってあげてね。人気取りも王室の大事な仕事よ。」
俺はげっそりする。王子をするというのは見た目以上に大変な仕事のようだ。ただ女性と浮き世を流しているように見える皇太子も大変なのだろう。・・・多分。
「怖くは無いのですか?」
物騒な世の中だ。直接国を治めているわけでは無いとはいえ、イギリスの君主なのだ。誰かの標的となっていることも大いにありえる。それなのに、ねらってくださいとばかりにオープンにしているのだ。
「もちろん、怖いわよ。」
そう言って俺の手を握ってくる。確かに冷たくなっている。緊張しているためだろう。
「なら何故?」
「わたくしは、イギリスの女王なのです! 誰であろうと1歩たりとも引いてはいけないの。わかる?」
俺が首を振ると女王陛下は首をすくめてみせるのだった。
・・・・・・・
郊外に出て人がまばらになると屋根を閉じる。
「もう誰も見ていないわ。変身を解いて本当のお顔を見せてくださる? もちろん、ウィルソン公爵じゃないわよ。貴方の本当のお顔。」
「勘弁してください。ただのおじさんの顔ですよ。」
「お願いしているのですのよ。」
言葉こそ丁寧だが命令だ。これ以上逆らっても・・・。仕方ない。
「あら可愛らしいお顔だこと。わたくしが10歳若ければ・・・。」
10年前から変わってないように見えるのに何を言い出すんだこのバ・・・。不味い不味い、不敬罪だ。いくらなんでも不味い。思わず言葉を飲み込む。
「惜しいわね。貴方、わたくしの近衛にならない。」
そういえば、襲爵を受けた際に女王の近衛たちは皆さん美形ばかりだったな。あの中に俺が入るのか? 場違いにもほどがあるだろう。
「ご勘弁を。私は英国貴族としての教育も受けておりませんので。」
あの何ともクラシカルな様式美的な格好はできないし、似合わないと思うんだがなあ。




