第5章-第60話 はめられた
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「へっ・・・。」
思わずアホ面をかましてしまう。そんなにあっさりと返事がくるとは思っていなかったからだ。
「一つだけ御願いを聞いて貰えますか?」
「ああ、だが・・・ずっと側にいてほしいとかは無しだぞ。期限通りに帰るからな。」
「それは解っています。」
「なんだ、お願いっていうのは?」
「それは・・・内緒です。元の世界に帰る少し前にお時間頂けますか?」
「それは、構わないが・・・お前、いつのまに・・・そんな駆け引きができるようになったんだ?」
あっさりと返事が返ってきたので、思わず了承してしまったが、白紙の小切手でも切ったような感じだ。まあ無理難題を言われたら逃げればいいだけだ。うん、問題ないだろう。そのころには、彼女が逃げ出せないようになっているだろうし。
「それは、伯爵を見て成長したんですよ。喜んでくださいよ。」
「は、は、は。」
手放しで喜べん。コイツの側なら、アキエと一緒で素の自分で居られると思ったんだがこれからは気が抜けないらしい。
「えーいいな。クリスティーお姉さまだけー。ズルいですよ。私も黙っていてあげるから、なにかくださいよー。」
「だそうですよ。どうされますか?」
俺はアンド氏にスルーパスを送る。
「これは国家機密なのじゃ。黙っていてくれんかのう。」
「そうよ。あなたは黙っていなさい。メルハンデスにも喋っちゃダメですよ。」
ローズ婆さんからも駄目押しを食らったアポロディーナは、こちらを上目遣いで睨んでくる。うちの奥さんたちと比べると可愛いものだ。
「わかりました。わかりましたよー。もうー、クリスティーだけズルい!もうお姉さまなんて呼んであげない。クリスティーはおばさまだもんね。これからは、クリスティーおばさまって呼んであげる。」
「あぅっ。」
これは思いの外クリスティーにダメージがあったようで、うなり声をあげている。
「それは間違いないな。うん、おばさまね。俺もそう呼んであげようか?」
「それは、止めて絶対イヤ。」
「もうお願いを使うのか?早いな。」
「それは・・・使わない。使わないわよー。もう好きに呼んでください。」
お願いの権利を取り上げようと思ったんだが、無理らしい。まあ俺の性格じゃあ、無理だな。クリスティーおばさまなんて。アポロディーナが呼ぶのを聞いて溜飲を下げるとするか。
・・・・・・・
なんで、こうなった?
「なによ。なに遠い目をしているのよ。」
1週間の間にクリスティーに礼儀作法を仕込むことになった。まあ、国家機密だから、俺が講師をやるのも仕方が無いし、ローズ婆さんが参加するのも織り込み済みだ。だが、なんでここにこの女が居るんだ。
礼儀作法を仕込むとなると、それなりのスペースが必要で同じ一族のタルタローネの部屋を使わせてもらうことになったから、この女と顔を合わせることは覚悟していた。
だが、それは侍女と客という立場であって、こんな・・こんな・・・講師の一員として、迎え入れるとは思って居なかったのだ。
しかも、礼儀作法には社交ダンスまであって、手本として俺は、この女と組まされることになったのだ。
「元夫婦だけあって、息ぴったりですね。」
クリスティーには、こんなことまで言われてしまう始末だった。
まあ、確かに夫婦で旅行に行く際にはダンスホールがある宿を選んだり、彼女の相手を務めるために社交ダンススクールまで通ったよ。
だが、この女は記憶が無いはずなのに何年も一緒に踊っていたかのように振舞うのだ。
「そりゃ、そうよ。私は10歳の頃から習っているのよ。貴方とは年季が違いますからね。それに身体が覚えているみたい。不思議よね。」
彼女は明るく言ってのけるが・・・そうじゃ無いだろう。そうじゃ。
イヤだな。身体が俺のことを覚えているのか。きっと最後には憎んでさえいただろう俺のことを身体が覚えているのか・・・。
イヤなのか?俺は・・・まさか・・・いまさら俺はこの女に好かれたいだなんて思っているのか・・・イヤイヤイヤ・・・それは無い・・・絶対ぃぃぃに、それは無い。
心の奥底では、憎まれているはずだ。そうなのだ。それでいい。何も問題ない。
今は社交ダンスの見本のパートナーであって、それ以上でもそれ以下でも無い。
一週間みっちりだった。ローズ婆さんは、ときおりヤンデレ神父を口説きにいっているのか、姿を見せないことがあったが、クリスティーにこの女と俺が、この一週間みっちりと教え込んだ。
「クリスティー、お前なんで男性パートなんか踊れるんだ?」
「私はアポロディーナの相手を務めたことがあるんですよ。伯爵こそ、なんで女性パートが踊れるのですか?それこそ、おかしいでしょう。」
「言いたく無い。」
社交ダンス教室で女性が少ないときに、一番背の低い俺が女性パートをやらされたなんて・・・絶対言いたく無い。
相手がイケメンだろうがブサイクだろうが関係無い。社交ダンスなんてのは、下半身と下半身をくっつけて踊るものなのだ。それなのに、男同士で踊ろうだなんで・・・思い出すのもイヤだ。




