第3章-第36話 そのわけ
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「貴方さまのお母さまは、田安家の恩人ですから。」
「ほら、この人って・・・。」
隣で幸子が囁いている。そうか、幸子と以前、母のことを調査してたどり着いた先が、この人だった。母が、彼女のお母さまの心と身体を救った話を聞かされたとき、俺の中の母に対する疑いが晴れ、俺の心が助かったのだ。
すっかり、俺は、この家の雰囲気にのまれてしまっていたらしい。確かに信子の姿で来たときも、何処かで聞いたような声だと思ったのだ。それが、いまごろ繋がったのだ。
「そのご恩を仇で返すことになってしまって、度々申し訳ありませんでした。」
「だが、それとこれとは、なぜ、俺を当主に?」
「はい。こちらにいらっしゃるカノンの会長からの申し出で貴方さまのことを調査しておりまして、貴方のお母さまのことにつながり、そして、貴方さまの経営者としての資質が、田安家の家訓にぴったり、一致するものだったのです。」
「その家訓とは?」
「こちらに飾ってある。初代田安禅二郎の書のことです。」
そこには、『従業員こそが財産』としたためてあったのだ。
「今の日本、うちの財閥を含めて、従業員を簡単に切り捨てる会社が増えました。技術大国日本と呼ばれているのに、その技術力を支えている従業員、特に技術者の皆様から切り捨てられているこの現状に田安家として、忸怩たる思いを抱いておりました。」
「俺になにができるでしょうか?」
心情としてまた信条として、従業員を大切に思ってきたのは確かだ。
「少なくとも、従業員を大切に思える経営者が日本に居ることが伝われば。そして、その方が蓉芙財閥の当主として居てくれるだけでも、属する企業の従業員は、いくぶん安心をするはずです。」
「それなら、俺にもできることがあるかもしれないですね。」
「くそっ!俺は、帰る。」
居場所を無くした副頭取が声を荒げて、立ち去っていった。もう、自分には芽が無いことがわかったのだろう。
・・・・・・・
「貴方はなぜ、俺を支援してくれる気になったのですか?」
俺は、カノンの会長にも聞いてみた。副頭取の支援者であり、義父でもある彼が方向性を変更したことが腑に落ちなかったのである。
「わしは、この影響力が減っている蓉芙財閥をさらに分割するつもりは、無かったんだ。そんなことをすれば、わしの会社とて、生き残っていけるか。わからんからな。」
「しかし・・・。」
「ああもちろん、あやつが当主になるのであれば、支援するつもりだったが、財閥が二分する勢力とお館さまが、貴方に着いたのなら、もう成れ無いことは、決定しておる。潔く、負けを認めこの財閥の勢力を落とさないようにするのも、あやつを支援したわしの努めだと思った次第だ。」
流石だ。あんな、短時間でそこまで思考して、行動できるなんて、やはり、この人は一流の経営者なんだ。
「もう、こうなったら。孫娘がなんと言おうと離婚させるつもりだ。わしの見る目がなかったというわけだ。まあ、もちろん、孫娘も本当は嫌だったけど、財閥の当主夫人になれるならと思って我慢していたようなんだ。」
「そうですか。その女性に幸多からんことを祈っております。」
「うむ。ありがとう。これから、大変だぞ。まあ、お主は、注目の新進の経営者として有名じゃがの。バックには、和義も付いているし、わしも及ばずながらも支援するから、この財閥のため、この日本のため、頑張ってくれ。」
「はい!」
「しかし、あの女はどうにかならんかの。失礼、貴方の元奥さんのことなんだが、わしのところに、金の無心にきてね。まあ、一種の手切れ金だと思って、2千万ほど渡したが・・・。まあ、お陰で、あやつが認知しようとしている件もわかったんだがな。」
「いつごろですか?」
「そうじゃの。あやつの土下座姿がTVで放映されるようになったころかの。」
相変わらず、変わり身の早い女だな。ある意味、元妻のほうが経営者として敵に回したら怖いかもしれんな。まあ、あの女がそんな苦労をしたがるとは、思えんが・・・。
「すみません。俺にとっても、災いを引き寄せる女なんで・・・。」
その時、一瞬嫌な予感がした。このまま、あの副頭取は引き下がるのだろうか?当主になれなかったら、そして彼のバックにカノングループが消えたことがいなほ銀行に伝わったらどうなる。
「洋一、探索!」
「え、なに?」
「なにか、嫌な予感がするんだ。」
俺も指輪を『鼻』に変え、一瞬で戻す。これは、広範囲の臭いの中で一番強烈な臭いだけを嗅げるようにしたもので、今、焦げ臭いかった。もしかして・・・。
「トム、火事だ。この家の東側一帯が火事になっている。しかもおかしなことに、風は西寄りに吹いているのにどんどん、北方面へ広がっているんだ。」
「前橋晃一はどこだ。」
「北の方角に居るようだ。ちょうど、火事のあたりだ。」
「そのまま、追尾してくれ!」
「幸子、お願いできるか?」
「なに?」
「この周囲の木々に火耐性を付けてほしいんだ。」
「報酬は?」
「・・・・・なんでも、好きなものをやる。だからやってくれ!お願いだ。」
幸子が立ち上がり、何かを唱えている。幸子の伸ばした腕から、一斉に緑色のシャワーが四方八方に飛んでいく。
「綺麗だ。幸子。」
その姿の神々しさに思わず、口に出していた。
「ん。ありがと。これでいい?」




