episode09 「行き詰まっちゃいましたね……」
その夜。神奈川県警藤沢警察署は、緊迫したムードに包まれていた。
「じゃあ、サイキックの反応は誰からも出なかったと、そう言いたいのか?おかしいだろう」
捜査本部長の席に座る警部が、声を荒げる。彼の名は、戸塚博一。口も顔も悪い男だが、犯人の検挙率はかつては県下の刑事トップクラスを誇っていた凄腕だ。
「お前ら、鑑識から上がった報告書をちゃんと読んだんだろうな?現場検証で、念力で形成されたとしか思えないような不自然な傷が見つかったとかいう……」
「お言葉ですが、見つからないものは見つかりませんよ」
そう言って立ち上がったのはあの赤いネクタイが目立つ警部補。青葉憲紳だった。
「磯子巡査部長に当時現場付近の廊下にいた生徒全員をPWD──超能力電磁波計測判定装置に掛けさせました。だが結果はご覧の通り。人間と違って、機械は正直ですよ」
別の刑事が立ち上がる。「あ、それと並行してB組からD組までの三組九十名を簡易検知器にかけていますが、やはり結果は全員陰性でした」
さらに別の刑事。「先ほど連絡があったんですが、事故で負傷した二名の生徒、運び込まれた西湘医大病院の方で検査してもらいましたがやはり駄目です。陰性反応しか出ませんでした」
次々に上がる報告。ため息をつく警部たち。
「……磯子巡査部長」
イライラ声で呼ばれ、大柄の新米刑事は反射で「はいっ!」とイスから立ち上がった。その名札には、「磯子秀輝」の名前が書かれている。
「お前がPWDにかけたっていう人間のリストはあるか?」
「はいっ、こちらに」ぎこちない動きで一番前の机に向かうと、彼は指示されたプリントを渡す。後ろで青葉が小さく「緊張すんな緊張」とかなんとか言っているが、緊張のあまりよく聞こえない。矛盾である。
「ふん……全員前科無し、過去の電磁波感知記録もPWD陽性反応検出も無し、か」
気に入らん、とでも言いたげに戸塚は紙の束を机の隅へ投げる。と、奥の席から手が上がった。
「あの、本部長。これだけのテロです、外部からの攻撃という線は考えられないのでしょうか」
顎を弄りながら、戸塚は答える。「うむ、俺もそう考えて、いま県警本部に頼んで当日時間帯の神奈川南部のPWWSのデータを送ってもらっている。それが届けば一発よ」
張り詰めていた空気が、少し弛む。
「あの、先輩」席に戻った磯子は、青葉に尋ねた。「PWWSって何ですか?」
「あ?PWWS?」
「はい、俺まだ初めてで何も分からないもんですから」
「ああ、お前はこの課に来てからのモノホンの事件の捜査は始めてだったっけな」
納得したように頷くと、青葉はカバンからクリアファイルを引っ張り出してきた。中には、色々な装置の写真や解説が載っている。サイコロに羽根が生えたような人工衛星の写真を、青葉は指差した。
「PWWS──Psy-Wave・Watching・Satellite(超能力電磁波監視衛星)。都市伝説なら聞いたことがあるだろう。二年前に気象庁が打ち上げた気象衛星、確か"ひまわり八号"とか言ったか、そいつと一緒に自動制御ロケットで打ち上げられた代物だ。基本いつでも日本上空を監視していて、日時とエリアを指定すればその時間帯に観測された超能力電磁波──ψ線がマップ上に表示されるらしい」
図を眺める。サイコロのようなシンプルなデザインの衛星だが、この中には額にして数百億円は下らないような高価なセンサーが積まれているのだろうか。
「それで、なんで外部攻撃の可能性を考えるのにこれのデータがいるんです?」
聞かなきゃ分からんのか、とでも言いたげな目付きの青葉。「簡単だ。つまり、爆発の瞬間に別座標でψ線が観測されていれば、その地点でサイキックが行った攻撃が学校を襲ったとみなせるわけさ」
「それだけでしょっぴけるもんなんですか?」
「当たり前だ。立派な物証なんだからな」
開発者でもないのにちょっと得意そうに青葉は胸を張った。
だが、
――もしそれで捕まった被疑者が冤罪だったら、どうなってしまうんだろう。
ふと、磯子はそう思った。もしたまたま同じタイミングで超能力を使っていただけでも、それを証明するのは難しい。言われのない犯罪者の汚名を着せられ、下手すれば死刑だなんて──。
「冤罪はないのか、とか思ってるだろ」
青葉の声がした。思わず磯子は飛び上がりそうになる。
──何この人、読心術でも使えるのかよ。
「安心しろ。過去にそういう事例はあったが、警察が責任追求を受ける事はなかった。疑わしきは罰すべし、ってのが超能力犯罪対策の常識だからな」
それはいいことなのか悪いことなのか。
刹那。
「PWWSの結果届きました!」
駆け込んできた警官の声で、再び捜査本部は緊張の時を迎える。
「どこだ、見せてみろ」
戸塚の声より早く、警官がホワイトボードに衛星写真を貼り付ける。なるほど、青葉の言うとおり地図の中には小さく赤い丸がいくつもあった。あれが、超能力の使われた痕跡なのだろう。そして、一際巨大な丸は──
「どうなってるんだ!?」真っ先に叫んだのは、戸塚の横に座る別の警部――副本部長、葉山だった。「校舎の中だぞ!!」
「犯人は犯行後校舎から逃げたと見るのが妥当か……?」
戸塚の呟きを、一人の刑事が打ち砕く。「いえ、発生から現在に至るまでの時間帯の校外に設置された監視カメラの映像を解析しましたが、人間の姿はありませんでした」
頷いて、戸塚はまた呟く。「この大きなもの以外にマークが無いから、テレポートしたとも考えられないしな……」
「野良ネコかなんかが超能力使ったんじゃないのか?」
誰かが冗談を言ったみたいだが、他の誰も反応しない。「真面目な捜査会議の場で下らない事を言うな」と戸塚が一喝すると、再び本部は沈黙に包まれる。
居心地の悪い沈黙だった。
「参ったな」頭をかく青葉。磯子も「行き詰まっちゃいましたね……」と長机に頭をもたげた。
PWWSの結果を眺める捜査本部の面々の顔には、捜査初日にして早くも半分諦めの色が漂っていた。
この事件があと1カ月以上も続くことになると、この時は誰も予想しなかったはずだ。
◆ ◆ ◆
「うん、骨に軽くヒビ入ってるね」
若いのに口ひげをたっぷり湛えた整骨院の先生はそう告げた。「うん、ちょっと血が出てるね」くらいのノリで。
「……は?」
事件の夜。あまりに足が痛いので帰宅がてら途中にある整骨院に行って診てもらった佳奈だったのだが、レントゲンを撮ったあとスカートを捲って青アザの出来た太ももを見た瞬間、
「軽く骨にヒビ」ときた。
「あの…打撲とかじゃないんですか?」
「単なる打撲だったらこんなに痛々しい青アザなんか出来ないよ。これ相当な回数ぶつけたか、ケガを重傷化させるような運動したでしょ。もしかしてケガした後走ったりとかした?」
思い当たる節しかない。
「……はい」
「それがまずかったんだろうねぇ。最初にケガ──ぶつけたの昨日なんでしょ?本当は昨日のうちに来てれば悪化は防げたかもしれないけど……」
──いや、絶対に防げてないと思います。
「すいません、いやその……昨日はそれどころじゃなくて」
ふーん…と小さく息を漏らすと、先生は珍獣でも見るような目つきで佳奈の頭や足に交互に目をやる。「しかし、いったい何して痛めたの?ケンカとか?ふつうこんな場所何度もぶつけたりしないでしょ」
──まぁ、そうだよね……。
「恥ずかしいんで言いたくないです」
頬の染まった顔を見られまいと、俯く佳奈。自分を呼ぶ声で飛び起きてぶつけ、机に気づかずに走っててぶつけ……口が裂けても言えない。言えるわけがない。
「しかしな、傷めた理由がないとカルテ書けないんだよ。別に誰に明かしてバカにしようなんて思ってないから、とにかく言ってごらん」
それでも、言えない。
気まずい沈黙がたっぷり三十秒は続き───
「……あの、カナちゃん」
「────え、えっとっ、みっ道をよそ見しながら歩いてて転んで頭打ったんですっ!──足のもその時のですっべっ別に居眠りから覚めた時にぶつけたとかそんなまっ……マヌケなぶつけ方してないですっ!」
顔を真っ赤にして佳奈はまくし立てた。声まで紅く染まってそうだった。
「……あ、ああ。と言うか何も立ってまで力説しなくても」
「きゃっごめんなさっ……で、でもケガはその」
「いやでも位置的に転んで太もも痛めたなんて普通」
「───っ!」
「分かった分かった理由の欄には不注意による転倒って書いとくからそんな目を潤ませて俺を睨まないでもいいからちゃんとそう書くから!」
◆ ◆ ◆
さて、その夜。
自室の勉強机に座って、一樹は独り考えていた。
名簿、ハートマーク。女子生徒のあの必死さ。そして、一樹の前には今、煤と埃で汚れたしわくちゃの学年名簿が広げられていた。あの日、事故の現場で拾ったものだ。
あの場で学年名簿を開いていたのは、自分の知る限りあの女子生徒のみ。まさかどこかから飛んできたわけはないはずだ。となれば、ここにあるのは彼女のものなんだろう。
何より証拠となるのは、C組一番の名前に重ねて描かれたハートマークだ。
これらの材料から判断できる事は一つ。彼女は、ユースケに会おうとして教室の前まで来て、あの柄の悪い連中に絡まれたんだろう。
おまけに、ハートマーク。超意味深。
ふう、と息を吐く。シャーペンで机をトントンつつきながら、名簿を睨む。
──とりあえず、彼女の本名が知りたい。どうにかして。
ま、普段のユースケの様子からして、両想いに発展してるって事はなさそうだ。あいつは思ってることが顔とか言動に出るから、分かりやすい。逆に言うと、出てこない時は高確率でそうは思ってないってことだろう。
ニヤッと笑う、一樹。
──あんな可愛い子がクソ真面目な野郎に片想い、か。こいつは、面白くなってきた。




