episode07 「なぜ、当たらなかったんだろう」
わけが、わからない。
突然、目の奥が真っ白に光ったかと思ったら、次の瞬間には視界に目映い本物の光が溢れる。
「え!?何!?」
と叫ぶひまもないほどほんの一瞬の事だったが。
光にわずかに遅れて、鼓膜が破れんばかりの音が右手から押し寄せ、佳奈の耳小骨をビリビリと振動させる。凄まじい音に思わず閉じてしまった瞼を再び開くと、立っていた二人の先輩が視界から消えていた。
否、吹っ飛ばされていた。佳奈から見て左手の方向へ。
巨体が軽々と宙を舞う衝撃映像に頭の理解が追いつかず、轟音でおかしくなりそうな耳をおさえることもせずに佳奈は棒のように突っ立っていた。
……今から思えば、爆風の吹き荒れる中を普通に立っていられたのが不思議だった。
落ち着くいとまもあったものではない。続けざまに、ガラス窓が窓枠もろともヒビの入った壁を離れ、破片を撒き散らしながら佳奈の方に向かって飛んでくる。
「うわぁっ!?」
すんでの所で破片を避ける。そこに、今度は粉々に破壊されたコンクリートの残骸が突進する。必死に身をよじって瓦礫を避けながら、佳奈は窓のあった方に目を向けた。いったい何が起こってるのか、少しでも見極めようと思った。なのに、振り向いた瞬間佳奈は思わず目を閉じてしまった。
佳奈の背丈ほどもある巨大なコンクリート塊が、顔から二十センチほどの距離まで迫っていた。
──ダメ。避けられない。直感でそうは分かっていても、なんとか頭は守ろうと佳奈は顔を後ろに向けようとした。ゴキッと嫌な感じの音がして、首の関節が悲鳴を上げる。
その瞬間。佳奈の脳裏を、どこかで見た覚えのある顔が横切った。
そう……この顔は、
ボンッ。
重い爆発音が、佳奈を走馬灯の世界から引き戻した。
「え」
目を開けたその時。
コンクリ塊は佳奈の目の前で炎を煌めかせながら破裂したのだ。
空気を切り裂く掠れた音を立て、破片が佳奈の身体をすれすれの位置を飛んでいく。
焦げたような匂いが、辺りを漂う。爆発で飛び散ったコンクリが、まだ小さな炎を上げていた。
「……。」
呆然と立ち尽くす佳奈。なぜか頭の奥が靄に包まれたように白くって、何も考えられない。
なぜ、当たらなかったんだろう。
咳き込みながら腕の埃を振り払う。大量の埃と砂とガラス片をかぶったおかげで、黒のブレザーはもはや灰色だった。なのに、髪や顔には一切そういうものが積もっていない。
窓も壁も跡形もなく吹き飛んだ跡を、見つめる。ぽっかりと空いた大穴からは、夏前にも関わらず不気味なほど冷たい風がびゅうびゅうと吹き込んできていた。思わず身震いすると、寒さのせいか脳の白くなっていた部分が徐々に彩りを取り戻してきたような気がした。
──何が起こったの?まさか、テロ……?
『ジリリリリリリリリリリリリリリリ』
天井のスピーカーが立てるけたたましい音が、今更のように佳奈の壊れかけた耳に届き始めた。
◆ ◆ ◆
「それ」が導入されたのは、確か平成一〇年の事だったと佳奈は記憶している。超能力に関する授業は今では国数理社英に次ぐレベルの必須科目で、これくらいの知識は丸暗記させられるのだ。
事の発端は昭和四十三年。山梨の山中で一つの集落が丸ごと消滅するという、空前の大事件があったという。それも、気の狂ったサイキック──超能力者の手によって。犯人は死亡し、その後警察の手で多くの共犯者が逮捕された。
その共犯者らの裁判で重要な論点となったのが、
「力を持つ者は、力を抑制する力もともに持ち合わせていなければならない」
そんな概念だったという。
強大な超能力に対して、現在の科学は一切なすすべを持たない。仮に超能力を用いた犯罪が起こったとしても、警察がそれを抑え込む事は現状まず不可能。だから、超能力を使うサイキックには相応のモラルが必要とされるのだ。もっとも大半のサイキックは持ち合わせているのだろうけれど、この山梨の事件によって超能力の秘める負の面が過剰にピックアップされ、一部のマスコミや政治家に扇動されて世論が「規制」に傾くのはほとんど必然とも言えた。
で、昭和四十七年、通称「超能力法」と呼ばれるあの法律が出来て、「超能力犯罪」にはより厳しい罰が課される事となった。公共施設、学校や病院、それに交通施設では超能力の使用は禁止。各施設にはψ線を感知するセンサーの設置が義務化されたとか。
つまり、今佳奈の目の前で作動しているのは──私立湘南中学高等学校に設置された、センサーの一つなのだ。
それの意味するところはつまり───
……「で、そのあとどうなったのよ」
身を乗り出して尋ねてきた唯亜の勢いに、佳奈は思わずイスごとひっくり返りそうになった。
「な……なんでそんなに興奮してるの」
「だって珍しいじゃん!こんな身近で超能力事件が起こるなんてさ!」
「……私、被害者なんだけど」
「そんなの関係ねえ!」
古い。
「ま、待って落ち着いて。順を追って話すから」
放課後。半分くらいの生徒しか残っていない教室で、佳奈たちはぐだぐだとしゃべっているところだった。実は下校命令が出ているのだけど、気にしない。
あの事故のせい(おかげ)で、午前の授業はすべて中止。しかも調査のためにC組前の廊下は警察によって占領されていて、教室に入れなくなったC組など三つのクラスには無理矢理教室移動の授業が充てられたと聞いた。
超能力事件は、影響が大きい。
あの後。サイレンが聞こえはじめてものの三十秒もしないうちに、警察のパトカーが学校の入り口に到着した。武装した警察官たちが、現場へ上がってくる。
現場こと中三C組の前の廊下は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。まぁ自分の教室の前の廊下が破壊されたら、そりゃそうなるだろう。いち早く駆けつけた教師たちによって吹き飛んだ二人の先輩は瓦礫の中から助け出されたが、気を失っていて保健室に連れて行きたくても行けない。その時まだ佳奈は、ほとんど意識を失ったように瓦礫の山の中に佇んでいた。
けれど、目が覚めるのも早かった。階段をかけ上がってきた武装警官が拡声器で「動かないで下さい」と言ったのだ。
その手に握られているモノを見るなり、みんな言われた通りその場で立ち止まった。否、凍りついた。名前は分からないけど、室内で使うような小さめの機関銃だ。警告に従ったって言うよりは、銃に従ったって言う方が適切かもしれない。そのうち、すごい機材を抱えた警官が何人もやってきて、それを組み立て始めた。完成したそれは、よく空港の出発ロビーの入り口で見かけるような、金属製のゲートみたいな装置だった。大勢の野次馬が取り囲むなか、赤いネクタイが目立つ背広の男の拡声器を通した高い声が、天井に反響する。
「こちらの教室付近で先ほど、超能力が使用された可能性が極めて高い事がわかりました。皆さんの中に犯人が居るとは我々も毛頭思っておりませんが、念のため事件現場付近の方々および付近の教室の生徒の方々、全員にこのゲートを通ってチェックを受けてもらいたいと思います」
──やっぱりテロじゃなかった。これは、超能力事件なんだ。だけど学校で超能力使用は御法度なんて今どき小学校低学年でも知っている。
暴発とかかな。そんな事をまだ染まりきらない頭の隅でボンヤリ考えていた佳奈の腕を、
スーツ姿の刑事が掴まえた。
「!?」
咄嗟に振り払おうとしたけれど、刑事はがっちり掴んだ手を離さない。離さないまま、佳奈をじろりと見る。目の奥から放たれる強い威圧感に、佳奈は全身の力が抜けていくのを感じた。──なんでこんな目で見られなきゃならないのかまるで分からないけど、抵抗なんてきっと効かない。直感で、そう思った。
「君は事件現場の目の前にいたにもかかわらず、目立ったケガも負っていない。隠れサイキックの可能性がある。念のため、特殊な検査を受けてもらう」
刑事の低い声が、不気味に空気を揺らす。佳奈に残された道はただ一つ、頷く事だけだった。




