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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第六章 distance
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episode52 「私が行かなきゃ、いけないんだ……!」

 ドガァンッ!

 鉄筋コンクリートが木端微塵に吹き飛び、大穴が空く。そこから、佳奈は図書館の中へと駆け込んだ。途端、凄まじい刺激臭が鼻をつく。いや、この臭いは煙……?

 立ち止まる暇もなく、一階のフロントに出る。

 「伊勢原く……」

 名を呼ぼうとしたが、思い止まる。勉強してたんだとしたら、雄介がロビーにいるはずがないではないか。

 駈け出そうとした途端。

 カウンターの中に倒れている人影が、見えた。

 ――まさか、他にも!?

 「大丈夫ですか!?」

 駆け寄ろうとして、蹴躓く。床中に散らばった巨大な瓦礫が目に入った時には、佳奈は地面へ倒れ込んでいた。

 「痛……っ……!」

 よろめきながら立ち上がる。足を挫いたのか上手く歩けなかったが、それでも佳奈は痛みをこらえて歩き続けた。

 近寄ってみるとやはり、人影の正体は雄介ではない。

 ……それは、見知った図書館の司書の先生達だ。前に館内で大声を上げた佳奈を睨んだ、あの司書も。

 床に広がる夥しい血の海。体に突き刺さった、ガラス片や木片。

 ――逃げようとして、天井から降ってきた残骸をもろに受けちゃったんだ……。

 その割に、血の流出は収まっている。さっきの治癒(リストール)のお陰かもしれないが、ピクリとも動かない蝋人形のような人々は、救助の遅さを呪っているようだった。

 それはきっと自分へ向いているものだと、佳奈は思う。サイキックは自分の危険を顧みるよりも、社会への貢献が優先される。そんなの、社会の授業であれほど習ったのに。

 災害の恐ろしさが、身にしみて感じられる……。

 「ひっ……酷い、こんなのっ……」

 長く見ていると涙があふれそうになって、佳奈は目を逸らした。

 ――そうだよ。今私がすべきなのは、自戒じゃない。最善を尽くすことなんだ。

 見渡せば、一階には他にも二人の生徒の身体が横たわっていた。

 ――取り敢えず、この人達を助け出さなきゃ。

 佳奈は六人の位置を正確に把握すると、唱えた。

 「……転送(テレキネシス)!」

 ヒュンッ! 軽い音と共に、ばらばらに倒れていた六人の姿は一瞬で消える。校庭の安全な場所へ送ったのだ。

 煤で微かに汚れた瞳で、佳奈は上を見上げる。二階の天井は、今にも崩れそうに音を立てて軋んでいた。

 雄介は間違いなく、この上にいる。もうここしか、残っていない。

 災害は、容赦という言葉を知らない。もうこれ以上、壊さないでほしい。瓦礫まみれの図書館も、大切な人たちが傷ついてゆく姿も、見たくない。

 佳奈はゆっくりと、擦り傷だらけの右腕を掲げる。



 「そうですか……」

 そう言って電話を置くと、青葉はため息をついた。

 ああは言ったものの、やはりヘリに空きはなかった。何度電話をかけても「巡回中」と門前払いだ。警察も、消防も。

 磯子に、手配をすると約束したのに。

 「…………」

 ぼんやりと、電話帳を漁る。


 すると。

 「こいつ、確か……」

 青葉の目に、留まった男がいた。

 泉慶。

 そう。ポルターガイスト事件の時、佳奈を介抱したあの救急救命師だ。そして確か、ドクターヘリの搭乗員でもあったはず……。

 こいつしか、いない。最後の望みをかけ、青葉の指は[call]を押す。



 その瞬間であった。


 真っ赤な煌めきが図書館の端に走ったかと思うと、

 巨大な爆煙が立ち上ったのだ。



 「ぐぁっ!」

 強かに壁に叩きつけられ、背骨に激痛が走る。何とか立ち上がった雄介の前に、次の瞬間。

 巨大な火の壁が、立ちはだかった。

 「────っ……!」

 追い詰められ、逃げ場を失った雄介は、壁にぴったりと張り付くしかなかった。凄まじい熱気に、頭が朦朧とする。それでも、炎の正体は掴んでいた。

 思い出した。さっきのあの悪臭は、都市ガスの臭いだったのだ。冷暖房の設備にでも使われていたのだろう。なぜ爆発が起きたのか分からないが、火花か何かが飛んで引火し────

 ドォンッ!

 「く…………ッ!」

 再び、雄介は壁に力一杯身体をぶつけられる。全身に走った痛みで、声さえも出ない。


 炎。

 刹那。思考回路を残し、雄介の身体は固まった。


 炎の向こうに、蜃気楼のような母の姿が見える。

 あの日、どんなに叫んでも、どんなに手を伸ばしても届かなかった、距離(ディスタンス)の向こうに。


 そうか、俺、死ぬんだ。


 死の世界に誘うかのように、手招きする母の霊。

 やっと、母さんに会えるんだ。


 どんな心持ちだったのだろう、雄介は思わず手を伸ばしていた。


 ダメだ!


 心のどこかで、上がったその叫び声。

 まだ、死んじゃダメだ! お前には、守るべき友達(ヒト)がいるだろうが!


 ──そうか、そうだった。俺にはまだ現世に、仲間がいたんだった……。

 甘い誘惑を、雄介は振り切った。身体の冷凍は、解けた。

 そうだ、こんなの夢だ。幻想なんだ。

 少し、目を開けた。そこにはもう、母の亡霊など……


 「……あぁ……っ」

 熱線で渇ききった唇から、落ちた言葉。立ち上がった雄介は、再び動けなくなっていた。

 炎はますます勢いを増し、覆い被さるように視界を染めていく。足が竦んで、動けない。

 あの日。雄介の視界を包み込んでいたのも、炎だった。気づかない間に、トラウマになっていたのだ。じりじりと躙り寄ってくる炎の渦に、せめて目を背ける事が出来たら。

 「来るな……」

 全てを圧倒する炎を前に、雄介の怒鳴り声などものの数ではなかった。あの日と、同じだ。

 「来るな……!」

 蜷局を巻き、迫る火。いつかの龍の声が、脳内に響いた。

 「さあ、今度こそ貴様の番だ。おとなしく、我が贄となれ!」

 「来るなァァァァあああ――――――――っ!」



 ──二宮、ごめんな。俺、もうお前には会えそうにないよ。

 最期に、謝りたかった。俺は、嫌いなんかじゃないんだ。そう、伝えたかった。

 でも、叶いそうにない。


                さようなら……。




 「っう……!」

 声にならぬ声を上げ、積み上がった残骸の中から佳奈は立ち上がった。

 何が起こったのか、分からない。通路を確保しようと天井に穴を穿った瞬間、目の前が大爆発したのだ。結界(ソリッドスフェア)――防御能力を発動する余裕もなく、吹っ飛んだ佳奈は床に落ち、その上から瓦礫が降ってきた。

 制服が派手に裂けた脇腹に、血が滲む。身体中に走る痛みを堪えながら、佳奈は上を見上げた。

 もう、一回……・。

 「――物体破壊(デモリッシュ)っ」

 詰まっていた瓦礫が弾け飛び、そのまま佳奈へと落ちてくる。避け損なった佳奈はもろに、コンクリートの下敷きになる。

 「……痛……」

 痺れのような激痛が、舌にまで回ってきた。

 それでも、瓦礫の山から這い出す佳奈。またどこかで、大きな崩壊音がした。振り返ると、さっきまで司書の倒れていたカウンターが残骸に踏みつぶされ、跡形もなくなっているではないか。佳奈はぞっとした。

 ――こんな、こんな何で……!

 瞬間。再びの爆発音と共に高温の瓦礫が飛び散り、行く手を阻むように火炎の壁が佳奈の前に立ちはだかる。


 それは恰も天の川のように、佳奈を寄せ付けようとしない。

 あと、少し。あと少しで、雄介に手が届くかもしれないのに。


 地獄絵図のような館内を眺めるうち、ふいに雄介の顔が浮かんだ。

 あの笑顔ではない。

 ショッピングモールで言い合った時の、嫌悪を露にしたあの顔が。


 ──やっぱり、ダメだよ……。

 私なんか……。

 ユースケくんは、私が助けに来るのを望んでないんだ……。だから、私を遠ざけたくて……。


 これが、ユースケくんと私の間の、距離(ディスタンス)なんだ。

 離れてしまった、心の距離なんだ。


 ドォンッ!

 三度轟いた爆音は、壊れかけた図書館の中を縦横無尽に暴れまわった。抵抗する力の残っていない佳奈の華奢な身体は、木っ端のように軽々と宙を舞い、尖ったコンクリの残骸に激突する。後頭部と肩に突き刺されたような痛みが走り、どろっとした液体が流れ出したのが分かった。

 もう、身体も心も、今にも自壊しそうにボロボロだった。

 暗い目で、上を見上げる。あんなに大きな爆発だったのに、炎の壁はびくともしない。


 ──「諦めろ」

 誰かがそう囁くのが、痛みで薄れてゆく意識の彼方で響いた気がした。


 「……もう、嫌だよぉっ!」

 天に向かって、掠れた声で佳奈は叫んだ。頬を伝った涙は、熱に融かされ炎の中に消えてゆく。

 「誰か、助けてよお……! もう分かったからっ……! ユースケくんは、ユースケくんはっ……!」


 諦める。

 冗談じゃない。

 ここまで来て、今更諦めるなんて。

 このままじゃ、私もユースケくんも本当に死ぬ。もう後戻りなんか、出来ない。ユースケくんがどう思おうと、私が辛かろうと。私が行かなきゃ、いけないんだ……!


 「物体破壊(デモリッシュ)!」


 唇の端から流れ出した血を拭い去ると、佳奈は最後の力を振り絞った。

 耳を聾する爆音を響かせ、天井にまた大穴が開いた。

 落ちてこようとしていた瓦礫は粉砕され、熱気もろとも彼方へ飛ばされてゆく。吹き荒れる嵐のような爆風が、一瞬にして炎を消し去った。

 ――今だ!

 「瞬間移動(テレポート)─────ッ!」





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