episode51 「きっと、カナじゃないと思うんです」
「大和、どうだった?」
廊下でばったり出会した一樹に、唯亜は息を荒げながら訊ねる。首を振る一樹。
「一階で見たって言う話はあったけど、それ以上は何も……」
「私も……」
焦りを募らせる、二人。
そこに、走ってやってきた人がいた。茅ヶ崎ではないか。
「海老名に大和、愛川を見なかったか?」
「あ、チガセ……じゃない茅ヶ崎先生」
口を滑らせた唯亜を一睨みすると、茅ヶ崎はまた同じ事を訊ねてくる。「愛川が今どこにいるか分からないか?」
「呼びました?」
茅ヶ崎の真後ろから声がかかる。「わわっ!」と茅ヶ崎が飛び退くと、そこには肩で息をする絢南の姿があった。
メモ帳の切れ端を広げ、茅ヶ崎は口を開く。「愛川、さっきの話な。行方不明なのは全部で七人らしい。中三Cの伊勢原、高一Fの大井、高三Gの宮前、それから図書館の司書の先生方だ。中三に関しては人数確認が出来たから、これ以上増える事はないだろう。全部で、七人だ。それで大丈夫か?」
――そうか、アヤは先生に掛け合って調べてもらってたのか。
「司書の先生が四人……」
唯亜は微かに、呟いた。その事実の示すものが、なんとなく分かる気がしたのだ。
「図書館……?」
絢南の言葉に茅ヶ崎は頷いた。「それもあり得る。最初の地震で図書館の天井が崩落したという話もあるらしくてな、もしそれが事実だとしたら……」
雄介達七人は、そこに閉じ込められているのかもしれないというのか。
そこに、魅夕が走ってきた。
「ユア大変だよ、学校の北側で火事が広がってるみたい!」
「火事!?」
「そういう報告がSNSにあったの!急がなきゃ、校舎に火がついちゃう!それに、火山灰も降り始めたみたいで視界も……」
……唯亜達の知らぬ間に、事態は着実に最悪へと進みつつあったのだ。
「カナに伝えなきゃ」
言うが早いか、唯亜はポケットからケータイを取り出した。そのまま、絢南に指示を飛ばす。「アヤ、警察に救助を依頼して貰える?無理だったらしょうがないけど……」
「言うだけ言ってみる」そう言うと、絢南は再び廊下の向こうへと消えてゆく。電話帳を呼び出した唯亜を、茅ヶ崎の声が止めた。「おい海老名、どういう事だ?二宮は──」
「……カナは、助け出しに行きました」
茅ヶ崎を見もせずに、唯亜は答えた。「……超能力で」
「超能力!?それじゃ二宮は──」
絶句する、茅ヶ崎。
「……そうです」何を言おうとしたのか察した唯亜は、先にそう言いながら電話をかけ始める。かけながら、
「……ただ、今はそっとしてあげてください。本人も、裁きを受ける覚悟はしているみたいです。でも今は、大切な人を助けるので精一杯だと思います。それに、」
「それに…………?」
ケータイを手に、唯亜は茅ヶ崎を振り返った。
「…………きっと、カナじゃないと思うんです」
「伊勢原くーんッ!」
叫びながら、佳奈は最後の教室に飛び込んだ。だが、がらんどうの教室にはやはり雄介の姿はない。もう、何回目だろうか。
途方に暮れ、佳奈は机に手をつく。
「どこなの……ユースケくん……?」
すべての教室に特別教室、教員室、トイレ、資料室。考えられる限りの全ての場所を回ったはずだ。なのに、雄介はいない。
神隠しにでもあったというのか。それとも、わざと佳奈から逃げているのか。そんな邪推さえ、成り立ちそうだった。
「…………そう、だよね」
――私となんて、顔を合わせたくないもんね。きっと。
茶色く煤けた制服の袖で、佳奈は顔を拭った。
暑いのか、拭いても拭いても汗が出てくるのだ。そう、汗だ。そうに決まってる。
その時だった。佳奈の腰からバイブレーダ音が響き始めたのは。
――こんな時に、メール……?
違う、電話だ。しかも、唯亜から。
「………………もしもし」
「カナ、今あんた校舎のどこ?」
電話口に出るなり、唯亜は突然そう問うてきた。
しどろもどろする佳奈。「……どうして、私が学校にいると……?」
「私達を舐めんじゃないわよ」電話口で笑う声。「いい、落ち着いて聞いて。伊勢原は図書館に閉じ込められてる可能性が高いみたいなの、だから図書館に向かって!」
「どういう────」
「いいから!」切羽詰まったように唯亜は叫んだ。「時間がないんだよ!あと少ししたら、学校に火の手が回っちゃうかもしれないの。手遅れになる前に、助け出して!」
ちょっと間を空けて、佳奈は返した。
「……ありがとう、ユア」
って。
何時しか頬を辿っていた一滴を拭い、ケータイを閉じた佳奈は廊下の彼方を睨む。
――なんだろ、この温かさ。まだ私は、心配されていたんだ。みんなの輪から、外れていなかったんだ。
廊下の先が、霞んでいる。ここから図書館はあまりに遠いけれど、今の佳奈には超能力があるのだ。不可能なんて、克服してみせる。
「瞬間移動!」
凄まじい風切り音を余韻に残し、佳奈の姿は消えた。窓の外に見える三階建の図書館は、不気味な靄をまとっていた。
「っくそ、びくともしないか……」
鉄パイプを放り出し、汗だくの雄介は床に座り込んだ。梃子の原理で瓦礫を退けようとしたのだが、それは予想以上に重く危険な作業だった。下手すると、上から瓦礫が降ってくるのだ。
ここが何とかなれば、出られる気がするのに。
「早く、しないと……」
溢す雄介。さっきから、あの変な臭いがどんどん強くなってきていた。嗅いだことはあるはずなのに、説明に窮するその臭い。押し寄せる不安がカタチになったみたいで、余計に雄介を焦らせる。
その臭いが、天井の壊れた配管から流れ出していた事に雄介が気付いていたら、未来は多少違うものになっていただろうか……。
午前十一時二十分。
火山灰の降下が始まってから、三十分以上が経過。既に視界の悪さは運転が危険なレベルに達し、各地で健康被害の報告も上がり始めていた。救援のための航空機もうっかり飛ばすことができず、事態は手詰まりに近かった。
「刑事さんっ!」
背後から突然かかったその声に、磯子は声の主を考える。そうだ、俺をいつも小バカにする──
「刑事さん、お願いがあるんです!」
磯子の前に回り込んできた絢南は、泣きそうな顔で懇願してきた。「助けを、出して下さい!」
「ちょっちょっと待って」狼狽える磯子。「始めから説明してくれ。何があったんだい?」
予想もしない言葉が絢南の口から飛び出したのは、次の瞬間だった。
「カナが、死んじゃう……かもしれないんです……!」
!?
「どっ……どういう事!?」
「……カナ、独りで行方不明の人達を助けに行ったんです」
絢南はそこで少し、声のトーンを落とした。
「……超能力で……」
確かに、そう聞こえた。
「待った。いま何て言った?」
絢南を遮り、磯子は怒鳴り返す。「カナちゃんが、サイキックだと言いたいのか!?」
「そうです。カナは、サイキックです」
絢南は間違いなく、言い切った。「多分、法律違反の。だけど、赦してあげて欲しいんです。カナは、自分では一度も超能力を使おうとはしてなかったんです。全部、暴発事故だったんです……」
小刻みに肩を震わせ、絢南は口をきけずにいる磯子の手を握り締めた。「お願いです!カナを、助けて下さい!カナは今、学校に閉じ込められた人を助けに向かっています!だけど、火災が近付いてるんです!このままじゃ、カナが……カナが……!」
──落ち着くんだ、俺。これは、予想の範疇じゃないのか。二宮カナがサイキックだという可能性は、初めから十二分にあったんだから。
だけど。もしサイキックなら、俺達は救出したカナちゃんをその場で逮捕しなきゃならないんだ。しかもその先には漏れ無く、死刑台が待っている……。
違う。そういう事じゃない。
俺が、サイキックを──いや、カナちゃんを信じればいいんだ。
どう考えたって、カナちゃんに凶悪犯罪なんか出来るはずがない。親御さんだって言ってたじゃないか。俺だって、そういう結論に帰着したんだ。だったら、信じ通すんだ。
カナちゃんは決して──────
「もしもし、青葉さん!」
ふと我に返った磯子はケータイを手に、青葉へと電話をかけていた。唇を固く結んだ絢南が、脇で磯子を見上げていた。
「なんだ、どうした」
「ヘリコプターを回して貰えませんか!?要救助者がいます!」
「ヘリだと?冗談を言うな!そうでなくても機体の数が限られている上に、視界不良で飛行は危険な状態なんだぞ!」
「こんな時に誰が冗談なんか言いますか!」マイクに向かって磯子は言葉を叩きつける。「周辺で大規模な火災が発生しています!瓦礫や火山灰の霧で車両による救出は出来ません!事は一刻を争うんです!」
恐るべき剣幕に、青葉は事態の深刻さを感じてくれたようだった。「……分かった。ちょっと待ってろ」とだけ、返事が返ってきた。
ケータイを耳から離す。涙腺決壊寸前の、絢南の姿がそこにあった。とても小さな存在に思えるのは、なぜだろう。
「心配しないでいい」
磯子は笑った。
「俺は、カナちゃんを検察に突き出したりはしない。カナちゃんの無実を、証明してみせるよ。だから、安心していい」
こくっと絢南は頷いた。




