episode48 「みんなにはずっと、笑っててほしいから」
「………………っ………」
声にならない呻き声を上げながら、雄介は立ち上がった。凄まじい頭痛に思わず手を遣ると、滑りが感じられる。まさか、出血しているのか。
見渡す限り、瓦礫の山だった。床にばら蒔かれた本達が無ければ、ここが図書館の中だと証明する事は出来ないに違いない。
――あれから、どれくらい時間が経過したんだろう。
突然襲ったあの揺れで、椅子ごと跳ね飛ばされ床に後頭部を強打したのまでは、覚えている。あの時脳震盪でも起こして、今まで気絶していたんだろうか。
本棚やら柱やらが滅茶苦茶に倒れている。三階の端にあるこの部屋には空調管理のため、窓も付けられていなかった。通路があった場所には分厚い本や残骸が堆く積み上がり、とても通れたものではない。つまりここは、殆ど密室同然だ。
しかも見渡す限り、雄介の他には誰もいないみたいだった。
「…………誰、か……」
喉の奥からやっと声を搾り出し、助けを求める。当たり前だが返事など返ってこない。
無駄な努力だと分かっていても、それをやめる訳にはいかなかった。頭痛が、刻一刻と強くなっていく。肩から流れ落ちた赤い液が、カーペットに染みを作っている。
「誰か、来てくれぇっ!」
出せる力を振り絞り、雄介は叫んだ。このままでは本当に命が危ない。こんな所で死んでたまるか!
「誰でもいいから!テロリストだろうが殺人犯だろうが超能力者だろうが、頼むから俺の事を助けてくれよっ!」
だが、どれだけ叫んでも外には決して届かない。虚しく密室に木霊するだけだった。
歯を食い縛る、雄介。
――あの時、なんで素直に教室に向かわなかったんだろう。
いや、そんなの出来っこない。あのまま教室に向かうなんて。
ふとした弾みに覗いたG組の教室の中にカナの姿を見つけた時、俺の身体は爆発でも起こしそうに熱くなった。言わなきゃならない事が、喉元から溢れそうになった。だけど、取り囲む他の友達がバリアのように俺が入って行くのを拒絶しているように感じて、結局何も言えなかった。そんな自分に無性に腹が立って、気持ちを落ち着けたくてここまで来たんだ。
それがこんな目に遭うなんて、どんな皮肉なんだ。それとも、これは俺の所業への罰なのか。
「二宮…………」
力尽きたように壁に凭れた雄介の口から、無意識のうちに滑り落ちたのは、
彼が初恋の相手に選び、自ら突き放したあの名前だった。
──誰かが、呼んでる……?
体育館の片隅で膝を抱えていたその少女は、ふと顔を上げた。
辺りを見回しても、誰も呼んでいる様子はない。けれど聴こえてきたその掠れ声は、どこか佳奈の耳に馴染んでいる。
……「サイキック……なんだよな……。だったら、……」
──ユースケくん……!?
立ち上がっていた。「どうしたのカナ」と魅夕の尋ねる声を無視し、体育館を見渡す。だけどやっぱりその姿はない。
──読心術……?いや、でもψ線センサーは反応してないし……。
「……何でもない」そう言って、また座り込む。
もう何度、この姿勢を取っただろう。体育座りした膝に顔を埋めて、一切を遮断する体勢を。
──大体、ユースケくんが今頃私なんかに何の用なんだろう。私の事、嫌いになったはず。ならわざわざ頼るような事もないはずなのに……。
……「頼む、二宮。この前の事は謝る。俺は今、本気でヤバいんだ。二宮の助けがなけりゃ、
死ぬかもしれないんだ……」
少なくとも読心術では、ない。だがそれは間違いなく、行方不明の雄介が送ってきたメッセージだ。直感が、そう語っていた。
──今更、何言ってるの。私はあなたの嫌いなサイキックなんだよ。
それに、私の事だって嫌いなんでしょ。
心の中で、佳奈はそう反駁する。
ちょっと、待て。
雄介は一度だって、佳奈の事を嫌いだと言っただろうか。
サイキックが嫌いだとは言った。お前も例外じゃない、とも言った。けれど、佳奈自身を嫌いだなんて一言も言っていない。雄介が嫌いなのは、サイキックとしての佳奈だけだ。
私は、どうなの?
まだ、ユースケくんへの想いは消えていない?
自問する。どんなスーパーコンピューターよりも早く、計算結果は出た。
──これがきっと、最後のチャンスだ。
私とユースケくんの距離を縮める、最後のチャンスなんだ。
これでも伝わらないなら、もう潔く諦める。今度こそ完全に今の記憶を捨てて、新しい私を生きよう。そりゃあ、諦めなきゃならない時は辛いだろうけれど、
何もしないで諦めるのはきっともっと辛いんだ……。
すっくと立ち上がった佳奈に、絢南は目を向けた。
「どしたの?」と横から魅夕が尋ねるが、佳奈は黙って歩き出す。ぎゅっと握られた拳はまるで何かの覚悟を象徴しているようで、絢南は少し不安になる。
「トイレ?」不安を拭いたくて、そう訊いた。けれど、首を振る佳奈。
「ううん、ちょっとね」
……その声は、もうあの活力を失った声ではない。
「どうしたんだろ、カナ……」
肘で脇を突きながら、唯亜が小声で訊ねてくる。――いや、こっちが聞きたいよ。
「分かんない。ついて行ってみる」言いながら、絢南も立ち上がった。
佳奈の足は、まっすぐ体育館の出口へと向かっていく。入口に立っていた教師に何か話すと、そのまま外へと足を踏み出した。その挙動には、迷いも戸惑いも一切感じられない。
「ま……待ってってば……」
小走りで追いかけながら絢南が声をかけると、外へと出たところで佳奈は立ち止まった。
「……アヤちゃん、ごめんね」
……?
「どっ、どういう……」
絢南が尋ねると、佳奈はくるりと振り向いた。
失われたはずのあの笑顔が、顔を覆っていた。いや、でもそれはどこか悲しげで……
「笑った!」歓喜の声を上げたのは、唯亜だ。「よかった……!何かいい事でも」
「ううん」
微笑を崩す事なく、佳奈は首を横に振った。そして、
絢南を見つめる。
澄んだその瞳に、絢南は全身の毛が逆立つような感覚に襲われるのを感じた。
正体の分からない、でもとてもはっきりとした強い意志が、佳奈の瞳には宿っていた。
「……いい事なんて、一つもないよ。だけど、みんなにはずっと、笑っててほしいから……」
意味深なその物言いに、唯亜が眉根を寄せる。「ちょっと、どういう意味よカナ?」
絢南は、はっとした。
──まさか、あたし達の前から姿を消すつもりなんじゃ……。
「今まで、アヤちゃん以外のみんなには黙ってたんだけど、」
そう言って髪を撫で付けると、佳奈は何か呟いた。
「物体破壊」
確かに、絢南にはそう聞こえた。が、直後の爆発音がその声を遮った。
ドガァンッ!
猛烈な音を伴って、体育館や道路のあちこちから煙が立ち上る。あそこに付いていたのは、確かψ線センサー……。
「……カナ、まさか……」
絶句する、唯亜や理苑。うん、と佳奈は躊躇なく頷いた。
「私、超能力者なんだ。今までの事件もテロも、全部原因は私なの。だから、もうどのみちここにはいられないと思う」
「バカ!」気がついたら、絢南は泣きそうな顔で叫んでいた。「なっ……なんでわざわざ発覚するような真似を……!」
「どうせ、いつかバレるもん」はっきりとした声で、佳奈は言う。「警察の人なんか、きっともう気がついてると思うよ。それに……いつまでもユア達に言わないのも何だか悪いしね」
「カナ…………」
誰も、止められなかった。
「……それじゃあ、ね」
その言葉を残し、バシュッ!という風切り音と共に佳奈の姿は消えた。
「……そんな……」
吐息みたいな唯亜の声。
遥か彼方で、ψ線センサーの鳴るけたたましい音が、陽炎のように漂っていた。




