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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第六章 distance
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episode45 「何の力にもなってやれないなんて……」



試験は四日目に突入した。

全五日間のうちの、四日目。教科数は残すところわずかに四つだ。ところが、普通なら自然と明るい方向に向いていくはずの中学三年G組の雰囲気は今、分厚い雲に覆われたように重たかった。

思えばそれは、二日前から起こっていた。佳奈の様子が、突然おかしくなった日だ。


佳奈はその日を境に、笑顔を消した。いや、それだけならまだましだろう。彼女の顔からは、感情表現が殆ど消え去ってしまったのだ。


「……あたし、やっぱり心配なんだけど……」

試験の始まる前の時間、いつしか絢南は唯亜の机に通うようになっていた。

「心配するのは分かるけどさ、今私達がどうこう言ったって解決出来る事じゃないのかもよ」

宥める唯亜。「ましてプライベートな話なら、下手に興味持たない方がいいかもしれないし」

その言い方に、変に腹が立った。「今更なに言ってるわけ?あたしたち、もう既にかなりカナのプライベートに足突っ込んでるじゃん」

「そりゃそうだけど……」

唯亜の目が、迷うように左右に動く。

「……リオの目撃証言だと、試験初日の夕方にはまだカナは笑顔を見せてたんだよね。って事は、何かあったとすればその夜しか考えられない」

「……問題は、何が起こったのかだよね……」

「関連性があるかは分からないけど」ポケットからケータイを引っ張り出し、唯亜は続ける。「一昨日から、伊勢原にも妙な変化が起きてるらしいよ。昨日の夜、大和が言ってた。クラスの女子が話しかけても応答しない、話題を振っても生返事しか返って来ないんだって」

……悪い予感が、当たったような気がした。自分の知らない間に、佳奈はまた一つ新たに荷物を背負い込んでしまったのではないか。何となく、そんな予感がしていたのだ。

「…………やっぱり、心配だよ……」

目線を下ろし、絢南はぽつりと溢した。

「だけど、ねぇ……。あそこまで効果がないと……」

唯亜も嘆息する。「昨日のカナ笑わせ作戦、全滅したじゃん。かなり根深いのかも……」

そう。昨日、暗い空気に耐え切れなくなった唯亜たちクラスの女子十二人は、「カナ笑わせ作戦」と称して佳奈の表情を何とか引き出そうと、様々な手段を行使したのだ。擽る、寒いギャグを飛ばす、漫才をやる、その他諸々。しかしながらそのどれ一つとして佳奈には効かず、かえって仕掛けた側が恥ずかしい思いをしただけという結果に終わったのだった。

「ありゃ手強いよ。笑わせるも何も昨日一日中、カナ誰にも目を合わせようとしなかったし……」

唯亜のぼやきが、耳のふちに引っ掛かったように何度も反響した。「……私たちやり過ぎたのかなぁ、あの作戦……。あの後から、なんかカナがおかしくなってきたような気がするし……」

あり得なくはないかもしれない。だけど、直後に佳奈と電話して肉声を聞いていた絢南には、どこかそれも納得できない答えだった。

──そんなはずがない。あの時まだカナは、通常営業だったんだ。

「いやまさか、そんな事────」

唯亜がそれを遮った。「……やっぱり気になる。直にカナに聞いてみよう。ちょっと来て、アヤ」

「え、ちょっ……」

立ち上がった唯亜に引き摺られるように、絢南も気づいたら立ち上がっていた。そのまま真っ直ぐ、佳奈の机へ向かう。

佳奈は相変わらず、机に顔を伏せて居眠りの姿勢を取っていた。と言えば聞こえはいいが、要は外交の門戸を開こうとしていないのだ。

「ねー、カナ」

唯亜が切り出した。

「明日のテスト、生物じゃん?私ちょっとよく分かんない事があるんだけど、教えてくれない?」

佳奈は答えない。相変わらず俯いて、顔も合わせようとしない。

「聞いてる?」

言いながら唯亜が佳奈の頭に手を伸ばすと、

佳奈の腕がそれを払いのけた。


──もう、ダメかもしれない。

壊れかけの蛍光灯のように、絢南の頭の中でその思いは明滅した。


「ねぇ、カナ。ホントにどうしたの?」

唯亜の声から、戯けが消えた。払い除けた佳奈の腕を、掴む。

「ここんとこずっと、カナ変だよ。みんなそう言ってる。ロボットか何かみたいだって……」

下を向けていた顔を、佳奈は僅かに上げた。

一瞬、希望を見出した絢南だったのだが。


「………………私の事は、放っといて…………」

佳奈の小さく開いた口から流れ出したのは、自分の完全隔離を要求する言葉だったのだ。


「カナっ!」

唯亜が動いた。腕を放したかと思うと、

空いたその右手で佳奈の頬を打った。

パァンッ!

軽い音が教室に響く。あれだけ騒がしかった教室は、一瞬で静まり返った。それは、唯亜の最後の我慢の糸が切れた音だったのだ。

「どうして、何も言ってくれないのよっ!友達でしょ?友達なら、なんで相談してくれないの!?私、そんなに信用ないの!?答えてよっ!」

絢南は声が出なかった。笑顔の仮面に隠れた唯亜の葛藤を、今更垣間見た思いだった。

またしても俯く佳奈に叩きつけるように、唯亜は言を重ねる。「カナが色々悩んでるのは私達だって分かってたよ!なのにいっつもカナは強がって、一人で溜め込もうとする!私たちって、その程度の存在だったわけ?もっと、色々相談してきてよ!頼ってよ!」

それでも、佳奈は目を上げようとしなかった。わずかに赤く腫れ上がった左の頬を労る事も、口許に少し滲んだ血を拭う事もしなかった。ただ一向、無抵抗を貫いた。

「カナ!」

再び、唯亜が右手を振り上げる。

──ダメ!それ以上カナを打ったら……………!

絢南の腕が、唯亜の右手を掴む。「手を置いてよユア!叩いたって、何の解決にもならないでしょ!」

「離しなさいよっ!」唯亜は力ずくで絢南の腕を引き剥がそうとする。

──ヤバい……負ける……!

そこに理苑と魅夕が、飛び掛かってきた。唯亜の手を握り、踏ん張る。

「アヤの言う通りじゃん!冷静になってよ!」怒鳴る理苑。

佳奈を睨み付ける唯亜の目から、何かが滴り落ちた。

「…………口惜しいんだよ…………」

唯亜のものとは思えないほど弱々しい声が、漏れ出る。

「……目の前で、悩んでる友達がいるのに、何の力にもなってやれないなんて……」

手から、力が抜けていく。三人が手を離すと、唯亜はそのまま佳奈の机の前に座り込んだ。しゃがんだ姿勢の唯亜になら、佳奈がスリットのように薄く口を開くのがきっと見えたはずだ。


「……いいよね、ユアは……。悲しい顔、出来るんだもん………………」


巨大ハンマーでぶん殴られたような衝撃が、絢南を襲った。

──そうか!カナは、前にあたしとしたあの約束を、まだ覚えてたんだ……!だから、泣くことも悲しい顔をする事も出来なくなって、狭まった選択肢が佳奈を無表情にしたんだ……!

さっきの佳奈の言葉が、思い出された。今なら、分かる。あれは、他の人がいると素直に悲しみを見せられないから、独りにさせてほしいという意味だったのではないのか。

佳奈を苦しめていたのは、他ならぬ自分だったのかもしれない……。


試験が始まるまでの、残り二十分間。

五人の少女たちは、氷結したようにその場を動かなかった。



「おーい、ユースケ!」

廊下の彼方にカバンを肩に提げた雄介の姿を認め、泰雅は駆け寄った。

後ろ姿からは、力が全く感じられない。今日もか、と思いながらその肩を叩く。

「何があったのか知らないけどさ、元気出せよ。もう試験も終わりだぞ。今回は範囲狭いし、特に公民とかお前余裕だったんだろ?」

雄介は答えない。顔さえ見せたくないのか、すたすたと先に行ってしまう。

勉強の話題なら、応じてくれるのだろうか。

「なぁ、公民の大問3ってさ、何書けば良かったの?ほらあの国連がどうのこうのって……」

カバンから問題文を取り出して、泰雅は雄介の前に立ち塞がるように回り込んだ。

が。

雄介はその紙を一瞥しただけで、無視して泰雅の横を通過する。

「……っておいスルーかよ!」


振り向きざまに怒鳴ろうとした泰雅は、雄介がすぐそこで立ち止まったのに気がついた。


中学三年G組。

そう書かれた教室の前で、雄介は足を止めていた。その視線は、教室の中へ注がれている。

「お、おいユースケ……」

声をかけようとした矢先。一瞬、雄介の顔がこちらを向き、

固く結ばれた唇が、虚ろな瞳の奥に漂う暗い光が、

泰雅の口から言葉を消し去った。


呆然と泰雅が突っ立っていると、雄介は突然踵を返して走り始めた。

「っておい待てよ!」

覚醒が遅れた。慌てて追いかけるが、雄介の足は速い。こんなに速かっただろうか?

そのまま、雄介はC組の教室の前も通過して、廊下の向こうへ消えていった。


「……何だったんだ……?」



試験開始十分前になっても、佳奈は動こうとしなかった。

参考書を開いて最後の悪足掻きをする事も、分からない問題を聞く事もしない。ただ蛹のように、机に顔を伏せていた。

もう、試験なんてどうでも良かった。落第しようが、学年最低点だろうが、それで怒られようが退学になろうが、どうでも良かった。復習も試験勉強も、今は何もしたくなかった。


──前も、こんな事あったなぁ……。

暗い世界の中で、佳奈は考える。

──そうだ、思い出した。小学生の時と、全く同じ感覚だ。

寂しい。

寂しいよ。でも、私は感情を面に出せない。それを許したら、きっと泣き出しちゃうに決まってる。それでアヤちゃんやユアを悲しませるなら、心配させるなら、独りに耐えるしかない。

「もう一人の自分」の声さえも聞こえてこない孤独の世界に、この三日間そうやって佳奈は身を沈めていた。そこは夏場でもあまりに寒く、聞こえるはずの人の声の届かない場所だった。


――どこで、間違ってしまったんだろう。

間違えたのは、私だったの?ユースケくん?それとも、周りのみんな?……ううん、そんな責任論なんか今頃語ってもしょうがないか。

或いは、最初から決まっていたのかな。私とユースケくんの間に、隔たりが出来ちゃう事。

どっちにしたってもう、手遅れだ。私には、ユースケくんに会わせる顔なんてない。心の距離はあまりにも離れ過ぎちゃったもの。


もう一度、やり直せたら。


今の全てを壊して、過去に戻れたら。


そしたら、こんな事にはならないで済むの?


そうすれば、みんなが笑っていられるの?


私は、超能力者(サイキック)。みんなに嫌われる、邪魔者。

だけど、便利でもある。きっと、はじめからやり直す術だってあるはずだよ。

そしたら、私はサイキックじゃなくなるかもしれない。それでもいい。それで、ユースケくんが私を好いてくれるなら。



「全てを、やり直せたら」


小さな、小さな声が、薄く開いた佳奈の口から滑り落ちた。

それが終末(カタストロフィー)のファンファーレだったと、誰が知る事ができただろうか。





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