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DistancE-KANA  作者: 蒼原悠
第五章 distaste――煩想――
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episode43 「決めつけだけじゃ、未来は見えないから」


 「はぁっ、はぁっ………!」

 立ち止まった雄介は、荒い息を整える事に専念した。深呼吸。

 辺りを見回せば、そこは藤沢の駅前だった。FILLを飛び出してからの道程は、覚えていない。とにかく東へ、ただ走って走って走ったのだ。


 目の前には、ペデストリアンデッキへと登るための階段が、手を広げるようにして雄介を待ち受けている。妙に綺麗なのは、あの事件後に改修工事が行われたからか。雄介は導かれるように、夢遊病者のような足取りで階段への一歩を踏み出す。

 一歩一歩登るたび、景色は高さを増してゆく。足元がちゃんとあるのを確かめながら、雄介は階段を登りきった。

 ペデストリアンデッキから見る展望は、三年前とさほど変わらない。むしろあれからまた高層ビルが増え、一層狭く感じられた。そんな中で、目の前に広がる猫の額ほどの空き地だけが、変化を遂げずにいた。

 フジサワ・ゼロ。

 あの崩壊したマンションの跡地はいつしかそう呼ばれるようになり、去年になって公園や記念碑が整備された。明らかに米国のグラウンド・ゼロを捩ったその名前に、かつての雄介はまた別の意図を感じたものだった。

 藤沢事件がテロなら、サイキックはテロリスト。そんな論理(ロジック)が、この名前の裏には潜んでいる。


 ──二宮が、まさかサイキックだったなんて……。

 手摺に凭れ、雄介はフジサワ・ゼロを眺める。

 ――サイキックなんて、最低だ。自分の利益にしか超能力を使わない。本当に人々の為に働くサイキックなんて、この日本には一体どれだけいるんだ。その上、大事件まで起こしてくれる。

 この世に、サイキックは要らない。超能力なんか無くたって、この国はやっていける。人間は、生きていけるんだ。二宮だって…………


 「おや、伊勢原くんじゃないか?」

 どこか聞き覚えのある声が、雄介を振り返らせた。

 「…………あ、磯子刑事……」

 上着を片手にやや引き攣った笑顔を浮かべる、クマ顔の男がそこにはいた。磯子だった。

 「そういえばこの前一度、校門の所で会ったね。あの時は、ごめん。逃げちゃって。突然で心の準備が出来てなかったから……」

 「気にしてないですよ」

 言いながら、雄介はずいぶん自分が落ち着きを取り戻していると気づいた。

 「磯子刑事は、どうしたんです?」

 「俺か?」磯子は自分の顔を指差す。そして、苦笑い。「ちょっと、捜査に行き詰まっちゃってな。原点に還ろうと思ったんだ」

 「原点、ですか」

 「そう」磯子も、雄介の隣にやってくる。「俺は今、超能力犯罪の捜査をする部署にいるんだけど、どうしても分からなくなるとたまにここに来るんだ。ここは、俺が初めて超能力事件と出会って、初めてこの手で人を守って、初めて人を助けられなかった場所だから」

 「……そうですか……」

 彼が最初に守ったその人は、そうぽつりと返した。


 生暖かい風が、吹き抜ける。

 「……一応聞くけど、伊勢原くんはサイキックが嫌いかい?」

 唐突な磯子の問いかけに雄介は目を剥いた。聞くまでもないだろ、そんなの。

 「嫌いです。もう大嫌いです。当たり前でしょう」

 そう言うと、磯子は小さく頷く。

 「俺も、サイキックは好きじゃない。でもこういう仕事をしていると否応なしにサイキックたちと会わなきゃならなくてな、辛いと感じた事もあったよ。だけど、今俺が担当する事件のサイキックはちょっと毛色が違うんだ。だから、余計に苦労しててね……」

 「毛色?」

 捜査手帳をヒラヒラと翳し、磯子はため息をついた。「ψ線──超能力電磁波が、検出されないんだ。状況証拠だけで検挙する準備もあるんだけど…………」

 「逮捕すりゃいいじゃないですか。何を躊躇う必要があるんですか?」

 磯子の声は、少し苦かった。「……捜査の過程で、被疑者には何度も会った。だからこそ思うんだ。性格から考えても、どうしても彼女が犯人だと思えなくて……」

 彼女?

 「あの……今磯子刑事が担当してるのって」

 磯子は雄介の胸をチョンと押して、戯けたように笑う。「君の学校で起きた、二度の超能力事件さ。ついでに、被疑者の名前も伊勢原くんなら聞いたことあるんじゃないかな」


 ──もしや……!


 「二宮カナ。彼女は今、違法超能力者(サイキック)の疑いを掛けられている。容疑が固まれば即逮捕、送検だろう。しかも関与を疑われている事件は二つもある。ということはまず、死刑は免れられない」


 死刑。

 現代ではそんなに珍しくもなくなったその言葉が、急に重く感じられた。

 ──二宮がサイキックを自称していたことは、言わないでおいてあげよう。


 「だけどな。俺はどうしても、カナちゃんが犯人だとは思えなかったんだ」

 下の名前で呼ぶんだ、と雄介が思っていると、磯子は尋ねてきた。「君も、一度くらいは彼女に会った事があるんじゃないかい?」

 隠す必要もないだろう。「……はい、ありますけど」

 「じゃあ、カナちゃんの性格、言えるかい?」

 ──俺に言わせるのかよ。

 「そうですね…………」


 口に出そうとして初めて、気がついた。佳奈──いや、初恋の相手のいいところを、雄介は一つも語れないという事実に。


 「俺は、優しさと素直さだと思う」

 結局先に磯子に言われてしまった。「カナちゃんは恥ずかしがり屋で、ちょっと天然っ気があるけど、すごく優しい娘だと俺は思った。それと、思った事を素直に語れるのも長所だろうね」


 優しさと、素直さ。

 かつて滑って転んだとき、佳奈は救いの手を差し伸べてくれた。

 恥ずかしがり屋なのに、思い返せば佳奈は雄介には積極的アプローチが多かったような気がした。


 それじゃ……。


 「俺はな、上司に言われたよ。自分の信じた道を進め、ってな。だから今は、カナちゃんを信じてやりたいと思うんだ。彼女は捜査中ずっと、自分の無実を訴えていた。俺が信じてやらなきゃ、誰も味方がいなくなってしまう。まだサイキックを完全に信じられる訳じゃないけどね」

 「磯子刑事…………」

 「サイキックだって、悪人ばかりとは限らないんだ。俺はそう考える事にした。決めつけだけじゃ、未来は見えないから……」

 そう言い切ると、磯子は少し笑った。


 二宮。

 まだ、FILLにいるのだろうか。いやさすがにもう、いないだろうな。

 あんなにはっきりと、俺は「嫌い」って言ってしまった。あいつが俺に多少好意を寄せてくれていたのは頭のどこかで分かっていたのに。今頃、悲しんでいるのかもしれない。今更俺が何と言って謝ったって、きっと許してはくれないだろう。あの弾けるような笑顔をずっと見ていたいから、悲しい顔なんかしないでほしいから、告白するって決めたのに。


 ──俺だって。

 カナ(・・)が、好きだったのに。


 「磯子さん(・・)………」

 雄介は、横でフジサワ・ゼロを見下ろす磯子に、言った。自分でもびっくりするくらいの、涙声だった。視界が掠れ、磯子の驚く顔が見えなくなる。

 「…………俺、取り返しのつかない事をしたのかもしれません……」


 ──もう、全てが遅い。俺はカナを失ったんだ。

 昂り過ぎた感情が、桶から溢れる湯のように、泪に姿を変えて流れ出す。


 手摺に乗せた腕に顔を伏せ、微かに肩を震わせる雄介の背中を、戸惑いながらも磯子は優しく撫で続けた。

 フジサワ・ゼロの石碑に、滴が跳ねた。



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