episode42 「…………彼氏じゃ、ないです」
「……、く……っ!」
目を押さえ、踞る雄介の身体。突然の異変に、佳奈はどうすればいいのか分からなかった。ただ理解できるのは、雄介が苦しんでいるという事だ。何とかしなきゃ……!
「だっ、大丈夫!?」
佳奈は駆け寄ってしゃがみ、声をかけた。
すると、
「……よっ、寄らないでくれっ!」
雄介の腕が、佳奈を払い除けたのだ。
慌てて佳奈がその場に立つと、雄介もふらつきながら立ち上がった。
そして、顔を上げた。
充血したその目に、思わず佳奈は息を呑む。
どす黒い感情が、雄介の目を、顔を支配していた。
「……なんで、なんでそんなに似てるんだよ……!」
雄介の低い声が、佳奈のココロへ皹を入れる。
「…………に、似てる……?」
「その顔だよっ!」雄介は怒鳴った。物凄い剣幕に一歩後ずさった佳奈を、さらなる言葉の剣が追い討ちする。
「なんでそんなに、死んだ俺の母さんそっくりなんだよ!?答えろ!答えろよ二宮っ!」
吠えるその姿は、もう以前の雄介ではない。雄介の姿をしている、別人だった。
突如として響き渡った大声に、フロアの客たちが集まってくる。
──死んだ……?
「……私、あなたのお母さんなんて……」
そこではじめて、雄介の勢いはやや沈静化を見せた。項垂れ、口から流れ落ちるように告白が始まる。
「……俺の母さんは、死んだ。三年前、瓦礫の下敷きになって圧死したんだ。親切な刑事のおかげで俺だけこうして、助かった」
三年前、圧死。一つ、思い当たる事件がある。
──まさか……!
「…………藤沢事件……」
「俺は、藤沢事件の生き残りだ」
苦しみの記憶を噛みしめるたび、雄介の口が歪む。「死ぬ間際の母さんの顔、今でもはっきり覚えてる。見間違うはずなんてない。なのに、なのに……!」
再びそこには、雄介のような外見を持つ男が現れた。
「お前が、二宮が母さんにしか見えないんだ!なぜなんだ!なんでなんだよ!」
喚く雄介を前に、何も言えない佳奈は棒のように佇むしかなかった。
──そんな。
ユースケくんが、あの事件の被害者だったなんて。もっと早く、それを知っていたら。……ううん、知ったところで私に出来ることなんてなかったよね。
だけど。今からでも遅くないのなら、ユースケくんの力になってあげたい。苦しむ姿を、見てられないよ。サイキックの私が、してあげられる事があるとしたら──
「……お母さんに、会いたいの?」
恐る恐る、佳奈は尋ねる。雄介は一瞬目を丸くすると、首を振った。「……そんな事、出来るわけない」
「出来るよ!」
佳奈は強い口調で言った。「外見類似化を使えば、あなたのお母さんの顔を再現できる」
外見類似化。イメージした人の顔や身体を再現できる、超能力だ。
「誰がそんな事出来るんだ」
一瞬佳奈は辺りを見渡した。野次馬が多いが、警官がいるようには見えない。後は防犯カメラだけだ。FILLは規制対象施設ではないから、サイキックの存在自体は違法でも何でもないはず。言っても大丈夫……だよね……。
「私が、サイキックなの」
それは、佳奈の命を縮めかねない告白だった。もし警察にこの事が発覚すれば、まず間違いなく死刑台行きだ。
それを覚悟の上での、言葉だった。
ところが。そう告げた瞬間、佳奈を睨む雄介の眼差しに凶悪の色は一層濃くなった。
「……今、なんて言った」
「……え……?」
「お前が、サイキック……?」
雄介は凄まじい形相で近寄ってくるなり、佳奈の襟元を強い力で掴んだ。
ぎりぎりと不気味な音を立てる制服の襟。息が、出来ない。野次馬の中から微かに悲鳴が上がり、ざわめきが増す。
「……くっ……苦しいよ………放して…………」
「……よくも俺の前で自慢げにサイキックを自称しやがったな!」間近でがなる雄介。
「俺はサイキックに、母さんを殺されたようなもんなんだ。俺にとって、奴等は不倶戴天の仇なんだ……!もし本当にサイキックだってんなら、お前だって例外じゃないからな!」
突き放され、佳奈は咽せ込みながらフロアの床に座り込んだ。けれどココロはもっともっと、苦しかった。
「げほっけほっ……ごっ、ごめんなさいげほっ……」
涙目で謝る佳奈を前にしても、雄介の暴走は止まらない。「何が外見類似化だ!そんなもの、母さんじゃないだろ!母さんはもっともっと優しくて、もっと明るく笑う人だった。なのにあの日見せたのは、」
立ち上がった佳奈の胸を、雄介の放った棘が蜂の巣にする。
「……さっきのお前みたいな、冷めた笑顔だったんだよ……」
何かが切れたような音が、耳の奥で響いた。
「……それだけで、私をお母さんと勘違いしたっていうの……?」
言い返す。売り言葉に買い言葉だとは分かっていたけれど、佳奈ももう、限界だった。
「伊勢原くんの中のお母さんの記憶は、笑顔の方が多いんじゃなかったの?なのになんで、最期の顔ばかりそんなはっきり覚えてるの?そんなんで、前向きになんか生きていけるわけないよ!」
正論に黙りこむ雄介。意識もしないのに沸き起こる憎悪の念が、だめ押しの一手を進める。
「一緒にしないでよ!私は、伊勢原くんのお母さんじゃないんだよ!」
「はいそこのカップルさんたち!迷惑だから喧嘩は他所でやって!」
通報を受けたのだろう。警備員らしい、青い制服姿の男が野次馬を掻き分け、佳奈と雄介の間に入ってきた。ビクン、と佳奈の身体が跳ねる。
だが、カップル、の一言により敏感に反応したのは、不幸にも完全に理性を失った雄介の方だった。
「勘違いすんな!俺はこんなサイキック、好きじゃない!こんなサイキックなんか……!」
佳奈を指差し、口から泡を飛ばす。再び冷たい沈黙に包まれたショッピングモールの一角で、息を荒げた雄介は予想外の言葉に答えを返せない警備員を突飛ばし、
その場から走り去った。
独り、そこに残された放心状態の佳奈。
「ったく、ホントに迷惑だからやめてよ?」雄介に体当たりされた場所を擦りつつ、警備員が近寄ってきた。野次馬は早くも散りつつある。
地面から生えたように突っ立つ佳奈の肩を、叩く。「最近多いんだよ、このフロアの痴話喧嘩。もっと仲良くしないかね。せっかく出来た彼氏なんだろう?」
「……………………彼氏じゃ、ないです」
噛み締めた歯の間から漏ったその台詞は、警備員にすらも届かなかった。
◆ ◆ ◆
ビルに挟まれた狭い空を仰ぎ見ながら、とぼとぼと歩く人影があった。
――何だよ、さっきの俺の態度。まるで子供だろうが。
声には出さずに独り、自問する。
――大体、まだ俺は迷いを断ち切れないのか。初めて捜査に参加した時から、あの事件から、どれほど月日が経った。それなのに未だに腹を決める事もできない俺って、何なんだ。
超能力を信じるか、信じないか。たったそれだけの事に、俺はいったいなぜこんなに悩んでるんだ。
なぜこんなに、悩まなきゃいけないんだ。
カツン、
足に小石が当たった。
跳ねた小石は、アスファルトの上を冷たい音を立てながら転がってゆく。
緑で彩られた、谷間の敷地へ。
――違う。
信じるのは、信じるべきなのは、物事じゃない。
人なんだ。
……握った拳をもう一方の手で包み込みながら、彼は歩みを進めてゆく。




